影と、通り道①
只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ
ようやくここから物語が動き出します!
どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!
現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!
残すは5、6、7部。
先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)
皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!
足の先が、水に触れた。
冷たかった。
脛まで下ろせば、あとは歩数で行ける。梯子まで二十歩。梯子の先、七十歩。
穴の中は、上より音が少なかった。
火の爆ぜる音が、石の縁で削られて、遠く聞こえる。代わりに、水の音がする。流れているというほどではない。石の継ぎ目から滴が落ちて、水面を打つ音。どこか西のほうで、水が低いところへ寄っていく音。
下は、水だ。
上が燃えていても、下は変わらない。
三年、溝鼠を追って何度も入った、あのときと同じ匂いがした。
リュカは、穴の縁に掛けた指に力を入れて、もう片方の足を下ろそうとした。
そのとき、穴の中が明るくなった。
水の面が、光った。
下から光ったのではない。上から落ちてきた光が、水に映っていた。
白ではなかった。
リュカは顔を上げた。
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空の光が、三度目に来た。
今度は、違った。
一度目は、摩天楼の腹の向こうが、白く光った。二度目は、東の柱と柱の隙間から、横に差し込んできた。どちらも、色のない光だった。
今度の光は、上から来た。
坂の上の、そのまたずっと上。二番街よりも、詰所よりも高いところから、金色に近い光が、ゆっくりと広がってきた。
広がって、街の上に覆いかぶさった。
屋根の上に、見えない天井があって、その天井の裏側が光っているように見えた。
――結界の光だ。
リュカは、その色を知っていた。
年に一度か二度、結界の整備の日に、街の空がこの色に光る。昼間でも分かるくらいの、薄い金色。子供たちが見上げて、指をさす。大人たちは見上げもしない。いつものことだからだ。
三年、何度か見た。
整備の日には、上から人が来る。揃いの外套ではない、灰色の上着の役人が二人か三人。昇降機で下りてきて、東の外れの柱の根元で、半日ほど何かをして、また上がっていく。
荷運びは、その日だけ、柱の近くを通るなと言われる。
何をしているのかは、誰も知らなかった。知らなくても、次の日には柱はいつも通りに立っていて、街はいつも通りだった。
三年、そうだった。
見て、それで終わりだった。
だが、今夜の光は、広がりきったところで、止まった。
止まって、揺れた。
水の面に映った金色が、細かく震えた。
それから、消えた。
ゆっくりではなかった。
一瞬だった。
蝋燭を吹き消すのに似ていた。ただし、街を覆うほどの大きさの蝋燭を。
消えた瞬間、街が暗くなった。
屋根はまだ燃えている。坂の上も、小路の入り口も、広場の東も。火の明るさは変わっていない。
それなのに、暗くなった。
明るさが減ったのではなかった。
何かが、なくなった。
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穴の縁に掛けた指が、冷えていた。
水に浸けた足よりも、指のほうが冷たかった。
――割れた。
結界がどこにあるのか、リュカは知らない。
見たことがない。整備の日に光るのを見るだけで、光っていない日には、あるのかないのかも分からない。
あるとは聞いていた。街を覆っていると。東の外れの柱が、それを中継していると。
今、なくなった。
なくなって、初めて、あったことが分かった。
空気が変わった気がした。
気のせいかもしれない。熱と煙の中で、空気の違いなど分かるはずがない。
だが、変わった気がした。
上から押さえていた何かが、外れたような。
一度目の光は、白かった。屋根裏の板の隙間から入ってきて、リュカの目を覚まさせた。
二度目も、白かった。横から来て、路地の瓦も壁も白と黒だけにして、消えた。
三度目は、まだ来ていない。二度目のあと、リュカはずっとそう思っていた。宿の階段を駆け上がったときも。窓枠に足をかけたときも。水路の暗がりで歩数を数えていたときも。
来るものだと、どこかで思っていた。
来たのは、白い光ではなかった。
街の上にずっとあったものが、最後に一度だけ光って、消えた。
三度目の光は、来たのではなく、去ったのだった。
――ずっと、守られてたのか。
考えたこともなかった。
考えなくていいものだった。
昇降機の綱が切れないことを、毎朝考えはしない。井戸の水が明日も汲めることを、考えはしない。ドランが毎朝、綱の音を聞いているから、考えなくていい。
結界も、そういうものだった。
誰かが見ていてくれるから、見なくていいものだった。
「……おい」
すぐ後ろで、声がした。
トトだった。
穴の縁にしゃがみ込んで、リュカの肩越しに、空を見上げていた。
「今の、なんだ」
「結界」
「消えたぞ」
「消えた」
トトは、何か言おうとして、やめた。
リュカは、水から足を引き上げた。
穴の縁に手をついて、身体を持ち上げた。
腕は、ちゃんと言うことを聞いた。
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広場に立つと、音が変わっていた。
火の爆ぜる音は、さっきと同じだった。瓦の弾ける音も。井戸の中で、何かが焦げて落ちる音も。
変わったのは、人の声だった。
広場の端で屋根を見上げていた人たちが、誰も喋っていなかった。
イサが、桶を井戸の縁に置いたまま、止まっていた。
ミラが、ザヴの頭の脇に膝をついたまま、空を見ていた。
子供を抱えた男が、子供の頭を自分の胸に押しつけていた。見せないように。
毛布を頭から被った老婆が、空を見上げたまま、口の中で何か繰り返していた。
「……消えた。消えた。上のが、消えた」
誰も、老婆に答えなかった。
上のが消えた、というのが何のことなのか、広場の誰にも分かっていた。整備の日に光るのを、この街の人間は皆、知っている。
子供の頃に見上げて、指をさして、大人になると見上げなくなる。そうやって、それで終わりにしてきた。
リュカは、西を見た。
路地の入り口。
広場から、西へ二十歩。
坂の側の小路が口を開けている場所だ。そのすぐ先、入り口の西の脇に、燃える梁が斜めに倒れている。梁の上に崩れた瓦と板が、まだ炎を上げている。
梁の炎は、背の高さほどに立ち上がっていた。燃えている板がときどき崩れて、火の粉が路地の上へ舞い上がる。二十歩離れた広場の真ん中にいても、顔の片側だけが熱い。
その炎を背にして、何かが立っていた。
人の形をしていた。
足音のしないものの一体だった。
炎が明るすぎて、輪郭しか見えない。
だが、輪郭で分かった。
膝の下で、脚が一度、余計に曲がっている。
関節が一つ多い。
立っているだけで、身体がわずかに揺れている。揺れているのに、倒れない。脚が多く曲がるぶん、支えの点が多いのだ。脚の多い台は倒れない。あのとき、そう思った。
――あいつだ。
最初の一体。
路地の入り口に立っていた。石を三つ投げた。一つ目も、二つ目も、三つ目も、当たって、それだけだった。
顔が近づいてきたとき、目がなかった。
窪みだけがあって、その窪みの影が、こちらを見ていた。
その一体が、今、路地の入り口に立っていた。
東へ歩き出そうとしていたのだと思う。まだ、他の個体は動いていなかった。
それが、立ち止まった。
---
振り返った。
炎を背にしたまま、身体ごと、こちらを向いた。
広場の真ん中にいるリュカのほうを。
目のない顔が、リュカを見た。
見ている、という感じがした。
あのときと同じだった。
リュカは、動けなかった。
動こうとしなかった、というほうが近い。
荷を積み終えた籠が、揺れ止まるのを待つときのように。動けば、何かが崩れる気がした。
それの口が、動いた。
顔の下半分に、裂け目のような口がある。それが、ゆっくりと開いた。
閉じた。
また開いた。
音は、出なかった。
炎の爆ぜる音の中で、それの口だけが、形を作っていた。
開いて、少し窄めて、閉じる。
開いて、横に引いて、止まる。
リュカは、その形を見ていた。
荷札の字を、形で覚えた。読めないまま、線の曲がり方と、点の位置と、全体の長さで。三年、それで荷を間違えたことはない。
それと同じように、口の形を見ていた。
開いて、窄めて、閉じる。
開いて、横に引いて、止まる。
二つ。
――何か、言おうとしてる。
リュカは、そう思った。
なぜそう思ったのかは、分からない。
口が動けば、言おうとしているのだと思う。人を見て三年、それが当たり前だった。それを、人の形をしているだけのものに当てはめただけかもしれない。
だが、そう思った。
トトも、見ていた。
穴の縁から立ち上がって、リュカの隣に来ていた。その腕が、リュカの腕に触れていた。震えているのが、どちらの腕なのか分からなかった。
声は、出なかった。
出す仕組みがないのかもしれない。
あるいは、まだ、出せないのかもしれない。
それは、口を閉じた。
しばらく、そのまま、リュカのほうを向いていた。
一つ。二つ。三つ。
足音がしないものは、数えるしかない。
四つ。
それは、身体の向きを戻した。
炎の前を横切って、広場のほうへ――東へ、歩き出した。
「……口」
トトが、隣で言った。
「今、口、動いたよな」
「動いた」
「なんか、言ったのか」
「言ってない」
リュカは言った。
「言おうとしただけだ」
トトは、リュカの顔を見た。
何か訊こうとして、やめた。
---
それを先頭にするように、足音のしないものたちが、動きはじめた。
路地の西から。坂の側の小路から。燃えている屋根の向こうから。
一体、また一体。
広場に入ってくる。
人の形をしたもの。腕の長さが左右で違うもの。背中に瘤のあるもの。顔の片側だけが下がっているもの。
屋根の上を、鳥の形をしたものが跳んでいった。骨だけの翼に膜が張ってある。リナンの翼に乗った、あの一体かもしれない。暗くて、分からなかった。
一体が、子供たちの家の前で、足を止めた。
戸の開いたままの家だ。屋根から煙が上がっている。
それは、戸口の中を覗いた。
覗くというより、顔の向きをそちらへ向けただけだった。中には、誰もいない。
それは、また東へ歩き出した。
リュカは、自分の拳が固く握られているのに気づいた。
握れるようになった手で、何も持たずに、握っていた。
袋の中には、石が二十三個ある。
出さなかった。
出しても、当たって、それだけだ。
当たって、こちらを向かせるだけだ。
今、こちらを向かせる理由は、何もなかった。
どれも、東へ向かっていた。
広場を横切って、東の路地へ。東の外れへ。柱の倒れた穴のほうへ。
人のすぐ脇を、通っていった。
イサの横を。ミラと、ザヴの横を。子供を抱えた男の横を。
イサは、井戸の縁に置いた桶の取っ手を握ったまま、動かなかった。
ミラは、ザヴの頭の上に、右腕をかぶせていた。
一体が、ザヴのすぐ脇を通った。
添え木を当てた脚の、ほんの手のひら一枚ぶん先を、足音のしない足が踏んでいった。
リュカの隣で、トトが息を止めていた。ザヴのほうへ行こうとして、足が出ずにいた。
ミラは、かぶせた腕を動かさなかった。目を閉じもしなかった。通り過ぎる脚を、ただ見ていた。
薬師は、見るのが仕事だ、とリュカは思った。歩き方を見て、どこが悪いか分かる。
通り過ぎていく脚には、悪いところがなかった。どこも痛めていない。どこも庇っていない。
だから、ミラの目には、何も映らなかったのかもしれない。
誰も、声を上げなかった。
上げれば、こちらを向くかもしれない。
だが、それらは、誰のほうも向かなかった。
来たときと同じだった。
人が、ただ、邪魔にならない場所にいるだけのものとして、通り過ぎていった。
追ってこない。
もう、ここに用がないという歩き方だった。
リュカは、井戸の脇に立ったまま、それらが通り過ぎるのを見ていた。
数えようとした。
十を過ぎたところで、やめた。
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最後の一体が、広場の東の路地へ消えた。
そのとき、広場が、暗くなった。
火は燃えている。
だが、火の明かりの上に、何かが重なった。
影だった。
大きな影が、広場の上を通っていた。
リュカは、見上げた。
見上げた先に、何があったのかは、分からなかった。
燃えている屋根の照り返しの上に、それよりも黒いものが、覆いかぶさっていた。形は分からない。どこまでが影で、どこからが夜なのかも分からない。
ただ、大きかった。
そして、止まった。
広場の真上で。
リュカの、真上で。
火の音が、遠くなった。
聞こえなくなったのではない。耳の奥で、何かが蓋をしたように、遠くなった。
隣のトトの息の音も、イサの桶の縁が鳴る音も、全部が、水の中で聞く音のように遠のいた。
息ができなかった。
身体が、動かなかった。今度は、動こうとしなかったのではない。動けなかった。
見下ろされている、と思った。
目がどこにあるのかも分からないのに、そう思った。
一つ。
二つ。
数えられたのは、そこまでだった。
影は、動いた。
東へ。
広場の上を、ゆっくりと過ぎていった。
通り過ぎた。
火の明かりが、戻ってきた。
リュカは、自分が息を止めていたことに、そのとき気づいた。
吐いた。
膝が、少しだけ笑った。
石畳を踏んで、止めた。
右手が、勝手にシャツの胸に行っていた。
布の下に、青い石がある。
今夜で、二日目。あと八日。
石は、肌の温度のままだった。熱くもならず、冷たくもならず、光りもしなかった。
あの影の下にいたあいだも、石は、何もしなかった。
――何も起きない。
三年、それが当たり前だった。
今夜も、当たり前だった。
リュカは、胸から手を離した。
読んで頂きありがとうございます。
引き続き1話ずつ毎日更新していきます。
現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。
基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!
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