星の欠片と、ただの小銭②
只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ
どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!
現在は、第5部終盤の執筆に取り掛かっております!
残すは6、7部。
先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)
皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!
十一日目の朝。
五層目の坂の端で目を覚ました。
リナンが千を数え終えて、肩に手を置いていた。
「……朝です」
「朝か」
「たぶん。壁の光は同じですけど」
――たぶん。
塔の中では朝は身体が決める。
リュカは右の手を開いた。
線。冷たさ。
宿って十一日目。
十日を越えた。
――十日で外れる。
三年そう数えてきた。十日目の日が落ちてから肌の温度が急に消える。
宿った石は十日を越えても、手のひらにいる。
越えたのはきのうだった。きのうの夜五層目で日が落ちたのかどうかも、分からないまま越えた。
越えても何も起きなかった。
起きないのが宿ったということだった。
閉じた。
豆を五粒ずつ。
水を一口ずつ。
上の門の前に立った。
低い門。
四角い口。高さは投槍器の先に拳二つ。
天井には濃い面が拳二つのあいだを空けて、並んでいる。
頭を上げてぶつければ鳴る。
鳴れば剥がれる。
だから、頭を下げて這う。
一度目にそうした。手で三百十二。肘で三百と少し。膨らみに殻が三つ。そこから四百五十と少しで出口。
――頭を下げて。
杭を外套の内側で帯に縛った。袋の栓を締め直した。一度目と同じに。鳴るものは鳴らないようにする。
リュカは膝をついた。
両手をついた。
頭を下げた。
「……リナン」
「はい」
隣でリナンが膝をついていた。
「翼は」
「先に組み直します。帰りと同じに」
リナンは右の手で左の翼の布を解いた。右の翼だけを縛り直して、左は半分開いて、身体の横に寝かせた。
「四回目です。半分でよかったの」
一度目は口の中で這ったままそうした。帰りは入る前にそうした。
「先に行け。俺が後ろから見る」
「……はい」
リナンは言った。
「一度目と同じですね」
一度目にそう決めた。お前が先に行け。俺が後ろからお前の背中を見る。低くって言ったら低くしろ。
翼と天井のあいだは、拳半分しかなかった。
リナンが先に這いはじめた。
リュカはその後ろについた。
――下げたのは頭だけだ。
ロアンがそう言った。煤の段でリナンに。頭を下げて通ってきたやつのほうがまだ近いのかもな。下げたのは頭だけだ。
それ以上は知らねえ。
――頭だけなら。
ほかに何を下げるのか。
分からなかった。
分からないまま這いはじめた。
手で。
一。
二。
胸の下に外套の内側の杭の重さがあった。十本。トトが七本を選び直した。三本は上から持って帰った。
腰にバルの新しい袋。リナンの腰にリナンの大きいほうと小さいほう。
包みの中にヴェスナの豆。
袋の中にミラの布。
外套の内側にドランの言った木札。紙が五枚。
――全部。
這いながら数えた。
百。
二百。
一人で持ってきたものはなかった。
杭は日当で買った。自分の杭だった。けれど、十本を選んで、量って巻き直したのはトトだ。トトの手の入った杭は、もう自分一人のものではなかった。
水はイサの井戸。袋はバルとリナン。豆はヴェスナ。布はミラ。木札はバルが渡して、ドランが捨てるなと言った。紙はミラが書いて、コルベルが書いて、自分が誰かの字を写した。一枚はまだ白い。
投槍器は市の裏手で拾った。革が切れていた。直したのは自分だが拾ったものだった。
三百十二。
肘に変えた。
――持ってきたものは。
全部誰かの手が入っていた。
一人で持ってきたものは、手のひらの線だけ。
それも持ってきたものではなかった。
来たものだった。
肘で百。
二百。
三百と少し。
膨らみ。
殻はなかった。一度目にここで三つ拾った。三つとも使った。
頭を下げたまま通った。
――下げるのは頭だけではない。
這いながらそう思った。
何を下げているのかは、言葉にならなかった。
言葉にならないまま肘で進んだ。
膨らみから百を過ぎて、天井が拳半分低くなった。
半分開いて寝かせた左の翼は、天井に触れなかった。
四百五十と少し。
風が来た。
リナンの左の翼が持ち上がろうとした。リュカは左の手で翼の先を押さえた。右の肘だけで進んだ。一度目と同じに。
出口だった。
---
先にリナンが出ていた。
左の翼を縛り直して。膝をついたまま。
リュカが這い出てくるのを待っていた。
待って少しだけ黙っていた。
「……リュカくん」
「うん」
「数えてましたね。途中で。声に出さずに」
「……数えてた」
「何を」
リュカは少しだけ考えた。
「持ってきたもの」
「いくつでしたか」
「……全部預かりものだった」
リナンは膝をついたまま、リュカを見た。
見てそれから自分の腰の袋に手を置いた。
「これはわたしのですけど」
「……知ってる」
「でも、水は井戸のです」
「井戸の」
「じゃあわたしのも、半分預かりものですね」
リナンはそう言った。
言ってから少しだけ笑った。
「半分だけ自分のです」
リュカは何も言わなかった。
言わなかったが半分というのを数えた。
半分でも自分のものがある。
リナンには。
自分には。
――線は。
手のひらを開きかけてやめた。
---
筒の坂は七巻きだった。
上の口から光と風が落ちてくる。
筒の中の壁に石羽はいなかった。叩いてもこんと壁の音しかしなかった。
一巻き。
二巻き。
四巻き目で左の膝が抜けた。
抜けるのに任せて片膝をついた。
リナンが待った。
「縮んでるか」
リュカは訊いた。
「縮んでます」
「ずっとか」
「ずっとです。風が来てるあいだはずっと」
一度目にも帰りにも同じことを訊いて、同じ答えが返ってきた。
三度目だった。
三度目も同じだった。
同じなのが少しだけよかった。
なぜよかったのかは考えなかった。
立った。
七巻き。
筒の縁に出た。
---
風が来た。
一度目にここで頂上を見た。
筒の縁から見上げた。欠け残った一枚の壁。空へ立って先が尖っている。
今も見えた。
同じ形だった。
「……あそこですね」
リナンが隣で言った。
一度目は、リナンはここで見上げなかった。風で翼の付け根が縮んで、横の空だけを見ていた。
今は見上げていた。
「あそこだ」
「遠いですね」
「遠い。五十九本、上」
「一度行きましたね。リュカくんは」
「行った」
「わたしはまだ行ってないです」
リナンはそう言った。
縁の腰の高さの陰に二人で腰を下ろした。
豆を五粒ずつ。
水を一口ずつ。
リナンは豆を一粒空にかざした。
「……これも小さいですね」
「小さい」
「星より大きいですか」
「……星は遠いから小さく見える」
「豆は近いから大きく見えますね」
「近いから」
リナンは豆を口に入れた。
噛んでそれからまた尖った先を見上げた。
見上げて少しだけ笑った。
「行ってないところを見上げるのは、初めてじゃないですけど」
――飛べなくなってからずっと。
リナンはそうは言わなかった。
言わなかったがリュカには、少しだけ分かった。
――同じ塔だ。
門の前でそう思った。
縁の上でもそう思った。
縁を回った。
幅は人一人ぶんより少しだけ広い。内側は筒の底。外側は雲の床。
どちらも落ちる側。
真ん中を歩いた。
壁のない道を歩くのは、もう初めてではなかった。三度目だった。
縁の欠けたところに着いた。
三歩。外へ細く張り出した縁を壁に背をつけて横歩き。
手前の陰を少しだけ見た。
一度目もなぜか見た。
今も陰だけがあった。
リュカが先に渡った。
壁に背をつけて三歩。
渡って待った。
リナンが渡ってきた。背を壁につけて、翼を壁と背中のあいだに挟んで。
真下からの風が翼を浮かせようとした。
浮かなかった。
「……乗らなかったです」
一度目と同じことをリナンが言った。
「乗らなかった」
一度目はリュカは何も言わなかった。今度は言った。
---
一枚壁の下に立った。
壁の縁に鉄の杭の列。
四角い頭。指二本の太さ。頭が拳一つ突き出ている。鎚で叩いて潰れた跡。
いちばん下の杭の結び目から赤い紐が杭から杭へ渡してあった。引くほど締まる結び方。
五十九本。
オリンピアが打った鉄の杭。
――借りる。
一度目にそう決めた。他人の物を自分のために使うのは、バルの水袋に次いで二つ目。
今はもう二つ目ではなかった。
全部借りものだった。
見上げた。
十七本目まで見えた。その上は向こう側の面へ回っていた。
――杭の間は腕より拳半分、遠い。
一度目はつま先で伸びた。リナンもつま先で伸びて届いた。
一度目は、リナンが先でリュカが後ろだった。壁を前にして登るから、翼は背中の外に出る。外は風だ。
角を回って、向こう側の面に入ってからはリュカの右の手が杭。左の手がリナンの翼。
一本ずつ。手を翼に置いたまま。
手が塞がって、水も少ししか飲めなかった。
四十本目でリナンの腕が上がらなくなった。
――手が足りなかった。
片手で登った。片手でリナンの翼を押さえた。
手が二本しかなかったからだ。
---
「リナン」
「はい」
「背中を見せて」
リナンは少しだけ黙った。
黙ってそれから背中をリュカに向けた。
畳んだ翼。翼の上から胸の前へミラの布が回してあった。きつくは締めていない。締めると付け根が引っ張られる。
畳んだ形のまま、胸の前で結んである。
荷を担ぐときと同じ結び方。
リュカは外套の内側から杭を二本、出した。
まっすぐな二本。
「……刺すんですか」
リナンの声が少しだけ固くなった。
「布に」
リュカは言った。
「翼には刺さない。布にだけ」
翼の右の端の上。布の背中の側に杭の先を通した。布を少しだけ縫うように。杭の先が布の上に出た。
翼の左の端の上。同じように。
二本の杭がリナンの背中の布に刺さっていた。
――刺さった。
土ではない。布だ。
刺さったと言えるのか。
リュカは二本のあいだに手を出した。
翼の上に。
――あった。
冷たくて細くて少しだけしなる。
布に刺した杭のあいだにも線は張った。
「……ありますか」
「ある」
「わたしの背中に」
「翼の上に」
リナンの翼の付け根が少しだけ縮んだ。
縮んで翼が背中から浮こうとした。
浮かなかった。
線に当たって止まった。
布一枚は止まる。
翼は布より重い。
けれど、浮こうとする力は風の力だった。風の最初の少しだけの力。
その少しだけが止まった。
「……押さえられてます」
リナンが言った。
背中を向けたまま。
「誰の手もないのに」
「線が押さえてる」
「見えないのに」
「……見えないのに」
リナンは少しだけ黙った。
それから言った。
「荷物みたいですね。わたし」
「荷だ」
リュカは言った。
「崩れないように張った」
――荷が崩れない線。
岩場の夜にそう数えておいた。
荷を止める線。
確かではないけど数える。
荷はリナンだった。
――翼を荷にするのか。
リナンは怒るかもしれないと思った。
怒らなかった。
背中を向けたまま言った。
「リュカくんの荷ならいいです」
---
登った。
リナンが先。リュカが後ろ。
一度目と同じ順番だった。
違ったのは手だった。
リュカの右の手が杭。左の手も杭。
両手で登った。
リナンも両手で登っていた。翼を押さえるのに、手を使わなかった。
十本目から赤い紐にも体重を預けた。
風が来た。
右から。
リナンの翼が浮こうとして止まった。
止まってそれ以上浮かなかった。
――止まる。
風は線では止まらない。岩場の夜にそう知った。冷たい風は三角の中にも入ってきた。
風は止まらないが風に押された翼の最初の少しは止まる。
最初の少しが止まれば、そのあとはリナンが身体を壁に寄せて、押さえられた。
十五本目。
十六本目。
十七本目の少し上。
杭の列が向こう側の面へ回る角。
煤の段。
日はもう傾きはじめていた。
---
煤の段に上がった。
二人が並んで座れる段。
煤の丸い跡。割った火種石の殻。油の匂い。
油の匂いがまだ少しだけ残っていた。
油皿はなかった。持っていったのだろう。使い終わったものだけ置いていく。一度目と同じだった。
殻が増えている気がした。
一度目に見たときより。
帰りに見たときより。
――通った。
オリンピアがまたここを通った。上へ。
殻の数を数えた。
一度目はいくつかあった。数えなかった。帰りにリナンの帯を切った段で見たときも、増えてはいなかった。
今は一度目より三つ多い気がした。
三つ並べて割って、一晩の火にする。根元で見た。
なら、ここで一晩。
確かではない。一度目の数を数えていないからだ。
確かではないが通ったのは確かだった。
「……先に行ってますね」
リナンが言った。
「行ってる」
「待ってますか」
「……待ってる」
――待っている。何も渡さずに。
知らないが待っていると分かった。
日はまだ残っていた。
登れば四十本目までは行ける。
四十本目には止まれる段がない。
リュカは煤の段に腰を下ろした。
「今日はここ」
「まだ明るいです」
「明るくてもここ」
リュカは言った。
「四十本目は夜に止まれない」
リナンは頷いた。
頷いて隣に腰を下ろした。
背中の二本の杭は刺したままだった。
---
夜。
煤の段の角で。
リナンの大きい袋から一口ずつ。
豆を五粒ずつ。
リナンが豆を一粒ずつ口に入れながら言った。
「……ここでふた晩待ちました」
「知ってる」
「百を数えてました」
「届いてた」
「届いてたって言いましたね」
「言った」
――百で起きた。
縁の陰で百が届いて目が覚めた。てっぺんの段では仰向けのまま、下の百に脈を合わせた。
リナンはそのときここにいた。
「今日は隣ですね」
「隣だ」
「百数えなくていいですね」
「……千で起こせ」
「はい」
リナンは少しだけ笑った。
笑ってそれから黙った。
夜が深くなった。
リュカは煤の段の角から上を見上げた。
杭の列が向こう側の面へ回っていく。その上は壁の陰で見えない。
見えないがずっと上の縁のあたりに白いものがあった。
光だった。
動かない白い光。
――槍だ。
一度目に煤の段と四十本目からふた晩見上げた光。段の縁の杭の列の真上。ゼクスが立っていた場所。
今もそこにあった。
「……あれですか」
リナンも見上げていた。
「あれだ」
「待ってますね」
「待ってる」
白い光は動かなかった。
ひと晩じゅう動かないのだろうと思った。
一度目はあの光の下で震えていた。冷えて外套の前が留まらなかった。
今は下から見上げていた。
見上げてそれから目を下ろした。
リナンが言った。
「刺したまま寝ていいですか」
「刺したまま」
「背中の線。ずっとありますか」
「……ずっとある」
リュカは言った。
「岩場でひと晩あった」
「じゃあ寝てるあいだも、押さえててくれますね」
「押さえてる」
リナンは膝を抱えた。
背中の翼は畳んだまま、少しも浮かなかった。
風が角を回っていった。
「……リュカくん」
「うん」
「ここで言いましたよね。わたし」
「……何を」
「おかえりなさいって」
リュカは少しだけ黙った。
――おかえりなさい。
帯を切ったあとで、リナンがそう言った。
答えなかった。
屋根裏で三年、誰も言わなかった言葉だった。
「……言った」
「リュカくん答えませんでした」
「答えなかった」
「答えなくてよかったです」
リナンは言った。
「答えられたら、わたしたぶん泣いてたので」
リュカは何も言わなかった。
言わずに外套の前を合わせた。
「ヴェスナさんは言わないんですね」
「言わない」
「言わないで、湯を沸かしてくれますね」
「……沸かしてくれる」
「わたし言っちゃいました」
リナンは膝を抱え直した。
「言わないほうがよかったですか」
「……分からない」
リュカは言った。
「言われたのは初めてだった。言われないのも知ってた。どっちがいいかは数えられない」
リナンは少しだけ笑った。
笑ってそれから黙った。
リナンが千を数えはじめた。
---
十二日目。
煤の段から上へ。
一度目は四十本目で止まった。
リナンの腕が上がらなくなって、赤い紐にぶら下がらせて、煤の段まで下りた。
次の日一人で登った。
今は二人だった。
二十本目。
一本ずつ。
リナンが一本、上がる。リュカが一本、上がる。
リナンの足が離れた杭にリュカの手が届く。
リュカの手が離れた杭にリュカの足が載る。
一度目は片手が翼だった。今は両手が杭だった。
速かった。
速いのが少しだけ怖かった。
――速く歩くと足を捻る。
地上層でリナンにそう言った。捻ったら二日では着かない。
壁で手を滑らせたら。
リュカは速さを落とした。
一本ずつ。息を数えて。
「……遅くなりましたね」
上からリナンが言った。
「遅くした」
「わたしに合わせてますか」
「杭に合わせてる」
リナンは少しだけ笑った。
笑ってまた一本、上がった。
二十五本目。
三十本目。
煤の段から先は向こう側の面だった。縁は左。
三十五本目。
――四十本目。
止まれる段のない杭。
一度目にこの隣の杭に結び目を二つ残した。リナンを結んだ帯の結び目と自分を結んだ帯の結び目。二つとも引くと締まる。帰りに置いていった。
結び目がまだあった。
古い帯の端が風に揺れていた。
リナンが四十本目の杭を握った。
握ってそれから少しだけ止まった。
「……リナン」
「上がります」
リナンは言った。
「腕上がります」
上がった。
四十一本目へ。
リナンの右の手が四十一本目を握った。
一度目に上がらなかった腕だった。
――翼を押さえていなかったから。
翼を押さえるのに、左の肩を壁の縁にずっと寄せていた。寄せるのに腕を使っていた。
今は線が押さえていた。
腕は登るのにだけ使えた。
リュカは何も言わなかった。
言わずに四十本目を握った。
隣の杭に結び目が二つ重なって、残っていた。
あとから結んだ自分の結び目に指が触れた。
固かった。
風に何日も引っぱられて、もっと締まっていた。
――この隣に自分を結んだ。
段から追い落とされて。この隣の杭に自分を結んで。杭三本と石を全部使い切って。夜を待った。
その夜のうちに、最後の殻で帯を切って、上へ行った。
一人で。
「……リュカくん」
上からリナンが言った。
四十一本目で。
「ここでひとりで行きましたね」
「行った」
「わたし下で百を数えてました」
「……届いてた」
「今日は数えなくていいですね」
「いい」
「隣なので」
リナンはそう言って、四十二本目へ手を伸ばした。
腕は上がった。
リュカは結び目から指を離した。
離して四十一本目を握った。
結び目は置いていった。
今度も。
---
五十本目から壁が細くなった。
片腕ほどの厚み。
こちらの面を這い上がる風と向こうの面を這い上がる風が縁でぶつかってねじれる。
右、三つ。左、二つ。下、四つ。
一度目に数えた。
日が傾くと右二つ左三つ。
今はまだ日が高かった。
右、三つ。
リナンの翼が浮こうとして止まった。
左、二つ。
止まった。
下、四つ。
下からの風は、翼を背中から引き剥がそうとした。
線がしなった。
しなって押し返した。
――止まった。
最初の少しは。
リナンが左の肩を壁の縁に寄せた。
寄せて残りを押さえた。
五十五本目。
――白い。
上が白くなっていた。
雲の床の上のほう。薄い白いものが壁の上を流れていた。
五十六本目が輪郭だけになった。
五十七本目は見えなかった。
一度目は昼には見えていた。夜は縁の陰を足で探って登った。
今は昼なのに見えなかった。
「……見えません」
リナンが言った。
「次の杭」
リュカは左の手に持ち替えた。
左の手で五十五本目を握った。
右の手を外套の内側に入れた。
まっすぐな一本を出した。
投槍器は出さなかった。
帯で自分を結んでいない。片手で杭を握ったまま、撃つことはできない。
手で投げた。
白の中へ。斜め上へ。軽く。
一息。
――かん。
鉄だった。
鉄に当たった音。
鉄の杭の四角い頭に。
左、上。拳二つぶん左。
当たった杭は跳ねて落ちた。
すぐ下でもう一度鳴った。
柔らかい音。紐に引っかかった音。
赤い紐。杭から杭へ渡してある紐のどこかに。
リュカは右の手を白の中へ向けた。
拾う形で。
何も思わずに。
――擦れる音。
浮く音。
来た。
置かれた。
握った。
「……左に拳二つ」
リュカは言った。
「五十七本目は左に寄ってる」
「……聞こえましたか」
「聞こえた。鉄だった」
「見えないところを聞いたんですね」
「聞いた」
リナンが五十六本目へ上がった。
上がってそれから手を左へ拳二つぶん寄せて伸ばした。
握った。
「……ありました」
「あった」
――見えないところを先に聞く。
白の中でそう思った。
登るのにも使える。
使えた。
---
五十九本目。
縁がすぐ上にあった。
段はこちらの面の上に張り出している。縁から見下ろせるのはこちらの面だけ。
一度目は縁の陰を這った。夜に。右腕で縁を抱えて、身体は向こう側の面の陰に入れて。
今は昼だった。
縁の陰には入らなかった。
――上にいる。
分かっていた。
縁の上から声はしなかった。足音もしなかった。
しなくても分かった。
「……リナン」
「はい」
「先に上がる」
「……はい」
「上がったら手を出す」
「出してください」
リナンは五十八本目で待った。
背中の翼は浮かなかった。
リュカは五十九本目に足を載せた。
鉄が冷たかった。
手のひらの線と同じくらい。
縁に手をかけた。
――一度目は。
縁から顔を出したとき男がいた。尖ったものの前に。
段に上がって、伏せたとき、白い線が来た。伏せた頭の上を水平に通った。
段の上の焦げ跡は、あの日から増えはじめた。
全部を出して一本だけ届かせた。
全部を出したあとで、追い落とされて、四十本目に自分を結んだ。
二度目に上がったときには、手元に曲がった一本しかなかった。
――今は。
外套の内側に八本。リナンの背中に二本。腰に袋。包みに豆。袋に布。
下にリナン。
リュカは縁にかけた手に力を入れた。
右の手。線のある手。冷たい手。
縁の灰色も冷たかった。
冷たさと冷たさが触れた。
身体を引き上げた。
---
てっぺんの段。
半月の形。十人が座れるほど。
弧の側が雲。弦の側の壁際に尖ったもの。人の背丈の四つぶん。縁から十五歩。
尖ったもののこちら側の面の窪み。
青い小さな光。
変わっていなかった。
その指一本ぶん横に。
杭が一本。
刺さったままだった。
――待たせた。
塔の五日目にこの段で撃った一本。ゼクスの下がった左の腕と脇腹のあいだを抜けて、あの男の袖を裂いて、窪みの横に刺さった。
なぜ刺さったのか誰も知らない。
ロアンの鎚の杭は弾かれた。打ちこむ前に。当たったところから戻ってきて、雲へ落ちた。
リュカの杭だけが刺さった。
――あのとき。
袋の布の折れ目に。
丸い一つがあった。
知らなかった。三十三個目が胸にあって、外れの石が袋に二十いくつあって、そのどれでもない覚えのない一つが布の折れ目に残っていた。
今は手のひらの中にいる。
関係があるのか。
分からなかった。
分からないものを数に入れずに持った。
---
段の上に焦げ跡があった。
いくつも。床の灰色に黒く。白い線が焼いた跡。雷杭が割った跡。
焦げ跡のあいだに石が散らばっていた。
外れの石。
塔の五日目の夕方に全部使い切った。縁を越えて段の上に落ちた石。投げて外れて転がったまま。
拾われていなかった。
ロアンは杭だけを拾った。石は拾わなかった。
リュカも拾わなかった。
――置いていく。
六日目の午後に這って、杭を取り戻したとき、そう決めた。外れの石は置いていく。
置いたままだった。
読んで頂きありがとうございます。
引き続き1話ずつ毎日更新していきます。
現在5部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。
基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!
少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!
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