下りと、来た道②
只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ
どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!
現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!
残すは5、6、7部。
先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)
皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!
「行くぞ」
リュカは言った。
言って立とうとした。
膝がまた折れかけた。
リナンの手が肘の下に入った。
細い手だった。翼の布の結び目をふた晩握っていた手だ。
その手が肘を持ち上げた。
持ち上げる力はほとんどなかった。
なかったが膝が伸びた。
――一人では伸びなかった。
思って何も言わなかった。
リナンも何も言わなかった。
手を離した。
---
十七本目から下はリュカが先に下りた。
「俺が下だ」
「……上じゃなくて」
「下りるときは下が先だ。上のやつの足が見える」
落ちてきたら、この腕で受け止められるとは思わなかった。
それでも、下にいるほうがいい気がした。
リナンは帯の残りを腰に巻いた。殻を帯の内側に挟んだ。
それから、段の縁に腰を下ろして、足を杭へ伸ばした。
伸ばす前に一度だけ上を見た。
杭の列が壁の向こう側の面へ回りこんで、消えていた。
リナンはふた晩そこを見上げていた。
今は見上げるのをやめた。
やめて下を見た。
――ずっと下を見てました。
口の中でリナンはそう言った。三年ずっと下を見ていたと。
その目が今下りる杭を探していた。
---
十本目から下は赤い紐に手を預けた。
いちばん下の杭から杭から杭へ渡してある紐。登るときは十本目から体重を預けた。
下りるときも預けた。
右の手で杭を左の手で紐を。左の手の焦げた二本の指は、紐のほうが杭の角より楽だった。
――借りてる。
登るときにリナンがそう言った。借りるんですねと。
下りるときも借りていた。
返すあてのないものを借りていた。
リュカは一本目から縁へ足を下ろした。
継ぎ目のない床が足の裏に来た。
縁の上に足を下ろすのは、三日ぶりだった。
膝がまた震えた。
震えてそれでも折れなかった。
上からリナンの足が下りてきた。つま先が一本目の杭を探った。
探り当ててそれから縁へ。
二人とも縁の上に立った。
立ってそれからリナンが少しだけふらついた。
リュカの外套の袖をつかんだ。
つかんですぐに離した。
「……すみません」
「いい」
リュカは言った。
「俺もふらついてる」
---
縁を回った。
真ん中を歩いた。
縁の外から下からの風が来た。乗る風だ。リナンは内側へ寄った。
寄りすぎないように、リュカが外側を歩いた。
縁の欠けたところに来た。
三歩。外へ細く張り出した縁を壁に背をつけて横歩きで。
登るときはリュカが先に渡った。渡って振り返って待った。
下りるときもそうした。
三歩、横に。足の下は雲だった。
渡り終えて振り返った。
リナンが背を壁につけた。翼を壁と背中のあいだに挟んで。
――乗らなかったです。
登るときここでリナンはそう言った。乗れなかったじゃなくてと。
今は何も言わなかった。
三歩を黙って渡ってきた。
渡り終えたところのすぐ脇に陰があった。
縁の壁が少しだけ厚くなった浅い陰。
登るときは渡る前に、ここを理由なく見た。
今も見た。
見て何もいなかった。
---
坂の上がり口に着いた。
登ってきたとき、坂が縁の上へ回りこんで、終わったところ。腰の高さの段の陰でひと晩過ごしたところ。
ここから筒の坂を下りる。
七回巻いている。
登るときは数えられた。残りが見える初めての坂だった。
下りるときも数えられた。
――来たぶんと残り。
一巻き目を下りた。
上から風が落ちてきた。
筒の口からまっすぐに。押さえつける風。乗れない風。
リナンの翼の付け根が縮んだ。
縮んだままリナンは歩いた。
「……縮んでるか」
リュカは前を行く背中に訊いた。
「縮んでます」
「ずっとか」
「ずっとです。風が来てるあいだはずっと」
登るときに交わした言葉だった。
同じ言葉を下りるときにも交わした。
二巻き目。
三巻き目。
――来たぶん三。残り四。
四巻き目のあたりでリュカの左の膝が抜けた。
抜けて坂の上に片膝をついた。
壁に手をついた。
リナンが立ち止まった。
振り返って、何か言おうとして、言わなかった。
言わずに待った。
――待つのはわたし上手です。
リュカは壁に手をついたまま、膝を伸ばした。
伸びた。
伸びたのをリナンは見ていた。
見てまた歩きだした。
五巻き目。
六巻き目。
筒の口からの光が少しずつ遠くなっていった。
壁の光だけが残った。
七巻き目を下りきった。
――来たぶん七。残り零。
筒の底だった。
---
筒の底で夜にした。
外の光が筒の口から薄く落ちてきていた。その光が灰色になって、それから見えなくなった。
本物の日が落ちたのだ。
――八日目が終わった。
あと二日。
二日のうちの一日は明日だ。
もう一日はたぶん根元で終わる。
リュカは壁を背に座った。
リナンが隣に座った。
バルの袋から一口ずつ飲んだ。
リナンが指を折った。リュカは残りを数えた。突き合わせて合っていた。
三十二口。
食べるものはなかった。
外套を頭からかぶった。
リナンは膝を抱えて、翼を身体に巻いていた。
「千で起こします」
「起こせ」
「間違えないです」
「……間違えてもいい」
リュカは言った。
言ってから塔の二日目にそれを取り下げたことを思い出した。
取り下げたのをまた戻した。
リナンは少しだけ笑った。
笑ってそれから数えはじめた。
声に出さずに。
百のところで声を出さなかった。
隣にいるから、出さなくてもよかった。
リュカは目を閉じた。
閉じて脈を数えなかった。
数えなくても隣で数えていた。
---
朝になったのは、筒の口からの光で分かった。
薄い光が灰色から白に変わって、坂の上のほうの壁を少しだけ照らした。
――九日目。
あと一日。
リュカは外套を頭から下ろした。
隣でリナンがまだ数えていた。
夜のあいだに何度替わったのか覚えていなかった。千で起こされて、千を数えて起こした。それを何度か。
何度目かで数を落とした。
落としたところでリナンの声がした。
――間違えても、いいって言いましたよね。
言った。
それで続けた。
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口の前で荷を組み直した。
登るときは口のいちばん低いところで這ったまま、組み直した。今度は、入る前にそうした。
リナンの左の翼の布を解いた。右の翼だけをリナンが胸の前で縛り直した。両の手首から先だけで。荷の結び方で。
左の翼は低いところで半分だけ開いて、壁沿いに寝かせる。
――二回目です。半分でよかったの。
登るとき口の中でリナンはそう言った。
今日は三回目になる。
リナンの腰の包みを下ろした。
縄の結び目はほどかなかった。手をつく前に前へ押していく。押しても鳴らない床だ。
バルの袋はリナンの腰に。
リュカは、投槍器と杭三本を外套の内側の紙のほうへ押しこんだ。曲がった一本とまっすぐな二本が触れあわないように、紙をあいだに挟んだ。
石の袋を肩から外した。
布だけの袋だった。鳴るものは入っていない。
それでも、胸の前へ回した。外套の内側の三十三個目のすぐ上へ。
来たときと同じに。
布のごわついたところが胸に当たった。汗を吸って、乾いて硬くなった布だ。
入る前に一口ずつ飲んだ。
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リナンが先に入った。
肘と膝で。
リュカが後ろから入った。
天井がすぐに低くなった。
頭の上に濃い面が並んでいた。拳二つの間をあけてずっと。
――低く。
声に出さずに言った。
言わなくてもリナンは低かった。
肘を出した。
一。
二。
来たときは、膨らみから出口まで四百五十と少しだった。
今はそれが入口から膨らみまでになる。
――残り四百五十と少し。
来たぶんを数えた。残りも数えた。
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肘で三十を過ぎないうちに、天井が低くなった。
拳半分。
来たときは、いちばん最後だった低さが今はいちばん先に来る。
リナンが止まった。
止まって左の肩を下げた。
左の翼が半分、開いた。開いて壁沿いに寝た。
リュカは、後ろから翼の先のほうを手で横へ押した。二つ目の節で引っかけて寝かせた。
登るときは、この低いところの終わりで前から風が来た。塔に入ってから初めての風だった。
下りるときは風は背中から来た。
筒の底から口の中へ。
風に押された。
リナンの付け根が縮んだ。縮んで翼が少しだけ持ち上がろうとした。
リュカは左の手で翼の先を押さえた。
押さえたまま、右の肘だけで進んだ。
――縮んでいい。上がらなければいい。
肘が震えていた。右の肘だけで身体を前へ引いた。引くたびに押し潰された胸が床に擦れた。
百。
二百。
三百。
三百五十を過ぎたところで天井が少しだけ高くなった。
拳半分が拳一つになった。
風が弱くなった。
リナンが左の翼を少しだけ畳んだ。
リュカは手を離した。
---
膨らみに出た。
天井が高く二人ぶんの幅のあるあの場所。
濃い面がない場所。
リナンが膝をついたまま、身体を起こした。
リュカも起こした。
――ここで殻を拾った。
三つ。
一つは四十本目でリナンの帯を切った。
一つは同じ四十本目で自分の帯を切って、二つになった。
一つは、リナンがふた晩結び目の横に挟んでおいた。使わずに。
それがきのうの朝リナンの帯を切った。
拾ったものは三つとも使った。
――置いておくだけです。
置いておいたものがいちばん最後に役に立った。
リュカはそれを数に入れなかった。
入れずに少しだけ覚えた。
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膨らみからまた肘で進んだ。
来たときは、手で三百十二肘で三百と少しだったその道。
リナンの肘も遅くなっていた。
リナンはふた晩煤の段で帯に結ばれて、膝を抱えていた。
ふた晩食べていなかった。
飲んだのは八口。
リナンの肘が止まった。
止まってそれからまた出た。
リュカは、後ろからリナンの足の裏を見ていた。
足の裏が少しずつ前へ進んでいた。
――前を見てるのはリナンだ。
後ろからリュカが翼と天井の隙間を見ていた。
来たときと同じだった。
何も持って帰っていないことだけが違った。
---
前から光が変わった。
壁と同じ光が少しだけ広くなった。
低い門の四角い口だった。
リナンが包みを先に押しだした。
押しだして自分も出た。
リュカも出た。
膝で門の外の坂の上に出た。
坂の上に膝をついていた。
来たときはここで膝をついて、門の前にいた。曲がった杭を帯に差して、左手を空けて。
今は門の外で膝をついていた。
同じ膝だった。
向きだけが逆だった。
リナンが包みを膝に抱えた。
出て一口ずつ飲んだ。
――肘で七百と少し。
来たときと同じ数だった。
同じ数を逆から数えた。
---
坂を下りた。
壁が右に来た。登るときはいつも左だった壁が。
坂の幅は下の層の坂より拳半分、細かった。足首がそれを覚えていた。
リュカは、外套の内側から曲がった杭を出した。
右の手に。下りでは壁が右にある。叩くのは右手だ。
壁を叩いた。
軽く。
こん。
――こんだ。
叩いてから進む。進んでから叩く。こんと鳴れば壁だ。澄んだ高い音なら、そこが濃い面だ。
来たときと同じやり方だった。
それだけは減っていなかった。
---
坂を二回り下りたところでリナンが止まった。
「……来てます」
リナンは言った。
「下からじゃないです。前にいます」
リュカは坂の先を見た。
坂が細くなったところの右の壁に灰色の面が並んでいた。
五つ。
――下の五つだ。
塔に入った日に坂で降ろした五つ。それから、ずっと下からついてきた五つ。
夜の途中で登って引き離した。
引き離したまま、ここに貼りついていた。
坂のいちばん細いところに。
拳一つぶんずつ間をあけて。ちょうど人が通るところに。
---
音を立てなければ動かない。
登るとき七つに囲まれた坂で二十息のあいだ確かめた。
黙って通ればいい。
沈み《ハウ》で息を落として、足の裏を坂に薄く貼りつけて。五つの前を一歩に一息で。
――通れるか。
リュカは自分の脚を見た。
左の膝が筒の坂で一度、抜けた。口の中では肘が何度も止まった。
抜けたら壁に手をつく。
手をつけば鳴る。
外套の内側には、杭が二本と投槍器が入っている。右の手には曲がった一本。膝が抜けて、身体が傾けば手の杭が壁に当たる。内側の杭が杭に当たる。
鳴る。
――通れない。
貼りつける足の裏がもうない。この脚では黙って通れない。
リュカはそう数えた。
---
石はなかった。
てっぺんの段に置いてきた。宿らなかった石はもう要らないと。
袋は布だけだ。
リュカは袋に手を入れなかった。
入れても布しかない。
――囮がない。
三年、外れの石を投げてきた。投げて鳴らして、追われるものをよそへやった。
投げるものがない。
杭を投げるか。
杭は三本しかない。一本を投げて、鳴らしてそれきりだ。拾いに行けない。内側へ落ちればもう戻らない。
三本が二本になる。
――持って来い。
何も持たずに帰るところだった。そのうえさらに減らすのか。
---
「リュカくん」
リナンが言った。
腰の包みに手をかけていた。
布で厚く巻いた弓の形のもの。
縄の結び目に指が載っていた。
「鳴らします」
リュカは包みを見た。
塔に入った日の坂で同じものを差し出された。
弾けば鳴ります。石は投げたら減ります。弦は減りません。
――駄目だ。
あのときそう言った。
外れじゃないものは投げない。
「……投げないです」
リナンが言った。
リュカが何を思い出しているのか分かっている顔だった。
「鳴らすだけです。投げないので、戻ってこなくなったりはしないです」
「……弦が切れたら」
「替えます」
リナンは言った。
「里の楽器は弦だけ替えるんです。本体は最初のまま。ずっと」
「ここで替えられるのか」
「ここでは替えられないです」
リナンはそう言った。
言い切った。
「帰ってから替えます」
――帰ってから。
リナンは帰ることを数に入れていた。
当たり前のように。
---
リュカは坂の先の五つを見た。
それから、坂の内側を見た。
縁の向こうは何もなかった。吹き抜けが上へも下へも続いていた。
――あのとき。
石を坂の上の壁へ投げた。からんと鳴った。
五歩先の一つが壁から剥がれた。
剥がれて坂の上を横切って、内側へ抜けた。
そのまま下りていった。
音のほうへ行きましたとリナンは言った。自分もそう思った。
だが、石が鳴ったのはもっと先の坂の上の壁だった。
剥がれた一つは、そっちへは行かなかった。
内側へ抜けた。
――鳴ったほうじゃない。
響いたほうだ。
塔の中は継ぎ目がない。音が消えない。鳴ったところから吹き抜けへ広がって、壁から壁へ返って、上へも下へも行く。
あの一つは、返ってきた音を追ったのかもしれない。
かもしれないだった。
一つしか見ていない。
一つでは足りない。
足りないがほかに材料がなかった。
「……内側へ鳴らせるか」
リュカは言った。
「吹き抜けに。上へ向けて」
リナンは吹き抜けを見た。
見て少しだけ付け根を縮めた。
内側は落ちる。
「……縁に立たないと、上へは鳴らせないです」
「縁には俺が立たせる」
リュカはリナンの腰の帯の残りを見た。
きのうの朝自分が切った帯の残り。
「帯を握ってる」
リナンはリュカを見た。
「……握っててくれるんですか」
「握ってる」
リュカはそう言った。
それから、少しだけ黙った。
黙ってそれから頭を下げた。
「……頼む」
三年、頭を下げてきた。荷を受け取るとき。日当を受け取るとき。礼を言うとき。
頼むときには下げなかった。
金が足りませんと言ったときも、下を向かなかった。
今は下げた。
口の中で肘で七百と少し、這ったときと同じくらい低く。
――下げたのは頭だけだ。
ロアンの言葉をリナンの声で思い出した。
頭のほかに何を下げたのかは、分からなかった。
分からなかったが下げていた。
リナンは何も言わなかった。
言わずに包みの縄をほどいた。
---
布がほどけていった。
何度も継ぎの当たった布。翼の付け根に当たらないように、厚く巻いた布。
中から弓の形の枠が出てきた。
片手で抱えられる大きさの。古い木の色をした弓なりの枠に弦が張ってあった。
六本。
リュカはほどいたところを初めて見た。
里から一つだけ持ってきたもの。
「……名前は」
リュカは訊いた。
訊いてから自分が何を訊いたのか気づいた。
物に名前を訊いた。
リナンは少しだけ目を丸くした。
それから言った。
「ノクトルナです」
「……ノクトルナ」
「夜のっていう意味だって、聞きました」
リナンは枠を胸の前に抱えた。
「里の年寄りに」
リュカは、その名前を口の中で一度だけ繰り返した。
繰り返してそれで覚えた。
---
リナンが坂の縁に立った。
内側の縁に。
リュカは、曲がった杭を外套の内側に戻した。
リナンの後ろで片膝をついて、リナンの腰の帯を右の手に巻きつけた。巻きつけて握った。
左の手は坂の上に。焦げた指を床に押しつけて。
膝が抜けても帯だけは離さない。
そう決めた。
リナンは枠を抱えたまま、吹き抜けの上を見上げた。
ずっと上。光の薄くなるほう。
ふた晩見上げていた方角だった。
指が弦に触れた。
――鳴った。
一本だけ。
低い音だった。
思っていたよりずっと低かった。リナンの声より低く長く細い音が枠から離れて、吹き抜けへ出ていった。
出ていって上へ昇っていった。
昇って壁に当たって返ってきた。
音が消えなかった。
継ぎ目のない壁の中で音がいつまでも、上へ上へ昇っていった。
リナンは二本目に指を移した。
二つの音が重なった。
重なって吹き抜けのずっと上で一つになった。
---
右の壁で何かが剥がれた。
灰色の面が一つ壁から浮いた。
浮いて翼を開いた。
開いて坂の上を横切った。
リナンのすぐ前を。
翼の起こす風がリナンの髪を揺らした。
リナンは弦から指を離さなかった。
リュカは帯を握っていた。
灰色の面は吹き抜けへ抜けた。
抜けて、――上へ行った。
下ではなかった。
上へ。音の昇っていくほうへ。
二つ目が剥がれた。
三つ目。
四つ目。
五つ目は少し遅れた。遅れて剥がれて、四つを追うように、吹き抜けを上へ昇っていった。
五つの灰色が壁の光の中を上へ小さくなっていった。
小さくなって、吹き抜けの上の光の薄いところへ消えた。
リナンはまだ弾いていた。
五つが消えたあとも少しだけ。
それから、指を弦の上に置いた。
音が止んだ。
止んでからも、吹き抜けの上のほうでしばらく何かが鳴っていた。
---
リナンが縁から一歩、下がった。
リュカは帯を離した。
離した手が震えていた。帯の形に指が曲がったままだった。
「……上へ行きました」
リナンが言った。
「行った」
「降ろしたんじゃないです」
「上げた」
リュカは言った。
――上げただけだ。
いなくなったのではなかった。
上にいる。
次に、この坂を登るときは上で待っている。
――次に。
リュカはそう思った自分に気づいた。
次に登るときは。
気づいて何も言わなかった。
リナンは弦を指で一本ずつ撫でていた。
六本とも。
「……減りませんでした」
リナンは言った。
リュカは六本の弦を見た。
切れていなかった。
「……減らなかった」
リナンは枠を布で巻き直しはじめた。
巻きながら言った。
「昼なのであんまり鳴らなかったです」
「……今ので鳴ってないのか」
「夜のほうが鳴るんです。この子」
リナンはそう言って縄を結んだ。
荷の結び方で。ほどける結び方で。
---
五つのいなくなった壁の前を通った。
通るとき壁を叩かなかった。
叩かなくても、何もいないのは分かっていた。
坂の細いところを抜けた。
抜けてそれからリュカの左の膝が抜けた。
壁に手をついた。
手をついた音がした。
ぱんと。
何も来なかった。
――間に合った。
ここで抜けていたら。五つの前で。
リュカは壁に手をついたまま、少しだけ笑いそうになった。
笑わなかった。笑うと膝がもう一度抜ける気がした。
---
五層目を過ぎた。
坂の上にも下にもあれはいなかった。
登るとき名前を訊いたもの。上にいると思ったもの。上の門から先では一度も見なかった。
下りてきてもいなかった。
どこへ行ったのかは分からなかった。
---
四層目で夜にした。
輪の端に腰を下ろした。登るとき二日目に同じように、座ったところだった。
この一つ下の層で初めての夜をつくった。壁を背に座って、外套を頭からかぶって、数えるのをやめた。
「……ここは高いか」
リュカは言った。
一つ下の層で同じことを訊いた。
リナンは少しだけ考えた。
「低くなりました」
「飛んでないぞ」
「歩いて下りてきました」
リナンはそう言って膝を抱えた。
「……歩いて低いところに来ました」
バルの袋から一口ずつ飲んだ。
突き合わせて合っていた。
二十二口。
---
朝が来たのかどうかは、塔の中では分からなかった。
壁は昼も夜も同じように光っていた。
二人とも千を数えて、二人とも起きた。それを朝にした。
――十日目。
あと零。
今日の日が落ちるまで。
リュカは胸に手を当てた。
三十三個目は肌の温度だった。冷えてもいなかった。温まってもいなかった。
手を離した。
---
坂を下りた。
三層目。
四百歩一つもいない坂。
それから、二十二歩に一つの坂。叩いて黙って、一歩に一息で通った。
それから、七つに囲まれた坂。
叩いて確かめた。濃い面が二つ残っていた。登るとき黙って通り抜けた二つ。
黙って通った。
今度は、リュカの膝は抜けなかった。
坂の内側の縁を見た。
ここで一本、撃った。面の縁に入れた。杭は面と一緒に内側へ落ちた。
――帰りに拾う。
そう言った。
縁から下を覗いた。
吹き抜けが下へ続いていた。
杭は見えなかった。
下まで落ちたのかもしれない。
探す脚がなかった。
リュカは縁から目を離した。
拾えなかった杭が一本、増えた。
---
二層目。
一層目。
坂が終わった。
床だった。
塔のいちばん下の広い床。
その床に錆びた鉄の杭が七本まとめて、置いてあった。
折れ口を全部同じ向きにして。
塔に入った日に自分がそうした。
その脇に骨があった。
長い骨が二本。短い骨が十一。
リュカは骨の脇に膝をついた。
――この人は根元を見た。
見て上へ行って、落ちてここにいる。
戻れなかった。
リュカは戻ってきた。
上へ行って落ちずに下りてきた。
――何も持たずに。
持っているのは杭三本と板一枚。布だけの袋。胸の三十三個目。
登ったときより少なかった。
石は二十七個、手放した。杭は七本、手放した。
減ったぶんだけ軽かった。
軽いのに膝が伸びなかった。
リナンが隣に膝をついた。
骨を見ていた。
何も言わなかった。
リュカは、七本の杭の折れ口をもう一度揃えた。
揃っていたのを揃え直した。
それだけした。
---
門をくぐった。
白だった。
根元は白の中にあった。雲の底の湿った白。
壁を背にして座った。
継ぎ目のない壁が背中の下で冷たかった。
リナンが隣に座った。
バルの袋の残りを二人で数えた。
十二口。
――地上層に十口。
根元で二口。今夜の二口だ。
明日の朝白の中を歩きだす。
十口で二日。
---
白が少しずつ灰色になっていった。
雲の上で日が落ちていくのだ。
ここからは見えない。
見えないが白が教えていた。
――落ちる。
リュカは胸に手を当てた。
外套の上から。
三十三個目がそこにある。
十日。
三十二回、外れた。
三十二回日が落ちたあとに外れたと知った。たいていは屋根裏で。
三十三回目は塔のいちばん下で。
いちばん低いところで。
白が灰色からもっと暗い灰色になった。
手のひらの下で肌の温度が消えた。
急に。外套の上からでも分かった。
石がただの冷たい石になった。
名前も聞こえなかった。
――外れた。
分かっていた。
分かって入れていた。
入れないと、外れたかどうかも分からないから。
分かった。
外れた。
三十三回目。
リナンは隣で何も言わなかった。
訊きもしなかった。
百を数えてもいなかった。
ただ隣に座っていた。
同じ低さに。
---
白が暗くなった。
夜が来た。
決めなくても来た。
リュカは外套の内側に手を入れた。
胸の上の冷えた石に指が触れた。
握った。
出した。
読んで頂きありがとうございます。
引き続き1話ずつ毎日更新していきます。
現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。
基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!
少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!
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