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星降譚―STELLA NOMINA―  作者: うめこまち
第一部 数えるほど減る

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116/168

距離と、足②

只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ


どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!


現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!

残すは5、6、7部。

先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)


皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!

 夜が深くなっていった。


 段の上は静かだった。ロアンの声も、アステナの珠の音も聞こえなくなった。眠ったのかもしれない。


 白い光だけが動かなかった。


 ――ゆうべも動かなかった。


 ふた晩あの男は立っている。


 眠らないのか。眠れないのか。眠る必要がないのか。


 きのう、上の誰かが石を砕いて、疲れを済ませるのを下から見た。砕く石を持っていれば、待たずに済む。


 あの男も、何かで済ませているのかもしれない。


 済ませていないのかもしれない。


 分からなかった。


 分からないものをまた一つ数に入れずに置いた。


---


 二回目も同じだった。


 左手を出して、撃たせて光で三本見て、空のあいだに二本。


 四十八本目。


 三回目で五十本目まで上がった。


 壁が細くなりはじめていた。


 昼に登ったとき、五十本目のあたりで壁の厚みが片腕を伸ばしたくらいになっていた。こちらの面を這い上がる風と向こうの面を這い上がる風が縁でぶつかってねじれる。


 暗い中でもねじれは分かった。外套の開いた前が右へ左へ引かれた。帯で留めていないぶん昼よりずっと引かれた。


 ――風が要る。


 昼は風を数えて跳んだ。転がった。撃った。


 今は風を数えて、身体を壁に寄せる。


 右から二つ。左から三つ。下から四つ。


 左から来る風のあいだは、外套が壁のほうへ押される。右から来る風のあいだは、外套が外へ引かれる。


 ――左のあいだに上がる。


 リュカは四回目の左手を出そうとした。


---


「――ゼクス」


 上から声がした。


 低くて平らな声。アステナだった。


「――左は餌。撃っても撃たなくても、右が上がる」


 白い光が少しだけ揺れた。


 揺れて止まった。


 リュカは左手を出したまま止まった。


 白い線は来なかった。


 環の音は三十で満ちたまま、止まっていた。


 ――読まれた。


 三回で読まれた。


 左手を出せば撃つ。撃てば光る。光ればこちらが見る。見て空のあいだに上がる。


 それをあの女は上から見ていた。


 見て言った。


 言われてあの男は撃たなくなった。


 ――撃たないなら。


 撃たないなら光らない。光らなければ見えない。


 それでも、手は覚えている。拳半分、遠い間。


 リュカは右手を五十一本目へ伸ばした。


 暗い中で手の覚えている場所へ。


---


 白い線が来た。


 右手の拳一つ上。


 今度は、拳一つではなかった。拳半分。


 熱くなかった。痛くなかった。焦げる匂いだけがすぐ鼻の先でした。


 光った壁に五十一本目が見えた。


 見えたが手はそこへ行かなかった。


 行けなかった。


 拳半分上を焼かれた。その下に手を置けば次は拳半分ではなく手そのもののすぐ上だ。


 ――近づけてきた。


 手を撃たないのは変わらない。


 変わらないが手のすぐ上を焼くようになった。


 すぐ上を焼かれれば指が焦げる。


 焦げても手は撃たれていない。


 あの男は手を撃たないという決めごとを守ったまま、手を止めにきた。


 リュカは右手を五十本目に戻した。


---


 もう一度試した。


 今度は風のあいだに。


 左から来る三つのあいだは、外套が壁へ押される。押されているあいだは、身体が壁に貼りつく。貼りついているあいだに右手を伸ばした。


 白い線が来た。


 拳半分、上。


 ――風は関係ない。


 あの男は風を見ていない。手を見ている。


 その次は足から上げた。


 手は五十本目に置いたまま。足だけを五十一本目へ。


 白い線は来なかった。


 足は上がった。


 上がったが手が上がらなかった。手を上げればすぐ上を焼かれる。


 足だけが上の杭に載って、手が下の杭に残った。


 身体が二つに伸びた。


 ――これじゃ上がれない。


 足を戻した。


---


 しばらく動かなかった。


 環の音が低いところから上がっていって、三十で満ちた。


 満ちたまま止まった。


 下から声がした。


 百息のところで。


 前より少しだけ小さかった。


 ――遠くなった。


 五十本。煤の段から三十三本ぶん。


 声が小さくなるぶん遠くなった。


 遠くなったぶん上は近くなった。


 五十九本目まで九本。縁まで十本。


 ――九本。


 九本を一本ずつ焼かれずに上がる方法をリュカは探した。


 左手を出しても撃たない。


 右手を出せばすぐ上を焼く。


 足を上げれば、手も上げなければならない。


 ――見られているかぎり上がれない。


 なら、見られないところを上がる。


---


 リュカは右手を壁の縁に回した。


 縁。


 一枚の壁の端。


 杭の列は、壁のこちら側の面の縁のすぐ横に打ってある。縁の向こうには、壁の向こう側の面がある。


 ここでは壁の厚みは片腕ほどだ。


 縁を抱えられる。


 右腕を縁の向こうへ回して、向こう側の面に手のひらを当てた。


 冷たかった。


 継ぎ目のない滑らかな冷たい壁。


 ――向こう側からは見えない。


 あの男は、段の縁の杭の列の真上に立っている。真上から見下ろせばこちらの面は見える。


 向こうの面は壁の陰だ。


 段はこちらの面の上に張り出している。張り出した縁から見下ろせるのは、こちらの面だけだ。向こうの面は、段の付け根のさらに向こう。壁そのものが目隠しになる。


 身体を向こう側へ回せば。


 足はこちらの杭に載せたまま。


 腕で縁を抱えて。


 身体だけを壁の陰に。


 ――それで一本ずつ。


 リュカは縁を抱えた右腕に力を入れた。


 左手で杭の頭を押さえた。焦げた指が痛んだ。


 身体を縁の向こうへずらした。


 風が来た。


 向こうの面を這い上がってきた風がまともに顔に当たった。


 外套が開いた前から背中のほうへめくれ上がった。


 ――左から三つのあいだに。


 こちらの面では左から来る風が向こうの面ではどう来るのか。


 分からなかった。


 分からないまま、身体が縁の陰に入った。


 白い光が見えなくなった。


 見えないということは向こうからも見えない。


---


 一本上がるのに長くかかった。


 右腕で縁を抱える。抱えた腕を少しずつ上へずらす。ずらしたぶんだけ足を上の杭へ。杭は縁の向こう側こちらからは見えないところにある。足の裏で探る。


 探って四角い頭につま先が当たる。


 当たったら載せる。


 載せたら腕をまたずらす。


 左手は縁のこちら側の角に添えるだけ。焦げた指で角を押さえる。押さえるだけで握らない。


 五十一本目。


 五十二本目。


 五十三本目。


 白い線は来なかった。


 環の音だけが上から聞こえていた。満ちて止まってそのまま。


 ――撃てない。


 見えないものは撃てない。


 段の上で縁にぶら下がって頭を隠したときと同じだった。


 あのときと違うのは今度は隠れたまま、上がっていることだった。


---


 向こうの面の風は、こちらの面の風と違った。


 こちらの面では右から二つ左から三つ下から四つ。


 向こうの面ではそれが逆になった。


 こちらで右から来る風は、向こうでは左から来る。こちらで左から来る風は縁を回り込んで、向こうではまともに正面から来る。


 正面から来る風は、身体を壁から引き剥がそうとした。


 五十四本目でそれが来た。


 開いた外套の前に、風がまともに入った。外套が帆のように膨らんだ。


 身体が壁から離れた。


 右腕だけが縁に残っていた。


 足が杭から外れかけた。


 ――離すな。


 右腕を締めた。


 縁の角が腕の内側に食い込んだ。


 風は三つ続いた。


 一つ。二つ。三つ。


 三つ目が過ぎて外套がしぼんだ。


 身体が壁に戻ってきた。


 足が杭の頭をもう一度探り当てた。


 ――三つ。


 向こうの面では正面から三つ。


 三つのあいだは動けない。


 三つが過ぎたら四つ下から来る。下から来る四つのあいだに一本。


 リュカはそれを覚えた。


 覚えたものはここでも使える。


 ただし覚え直してからだ。


 覚え直しているあいだに袋の口で何かが動いた。


 曲がった一本だった。


 石の袋の口に差してある。外套がめくれ上がったときに、袋も引かれた。引かれて袋の口から杭の尻が半分抜けかけていた。


 ――落ちる。


 右腕は縁を抱えている。左手は縁の角を押さえている。


 どちらも離せない。


 リュカは肩をすくめた。


 袋の口を肩と首のあいだに挟んだ。


 挟んで次の風を待った。


 正面から三つ。


 袋が引かれた。肩で押さえた。


 三つ目が過ぎて外套がしぼんだ。


 左手を縁の角からほんの少しだけ離して、杭の尻を袋の口へ押し戻した。


 焦げた指が痛んだ。


 押し戻してすぐ角に戻した。


 ――叩くための一本。


 叩いていないことを確かめるための一本。


 撃てない一本。


 それでも、落とさなかった。


 なぜ落とさなかったのかは、考えなかった。


---


 五十五本目で下からの声が途切れた。


 百息のところで来なかった。


 百十。百二十。


 来なかった。


 ――見えなくなったんだ。


 縁の陰に入ったから、下からも見えにくくなったのだ。


 リナンは見えるところでは見て、声を出していた。


 見えないところでは――。


 百五十を過ぎたところで声がした。


 小さかった。


 さっきまでとは間が違った。


 ――数えてる。


 見えないところは数えて待ちます。


 けさ、リナンはそう言った。


 見えなくなって数え直したのだ。見えなくなったところから一から百まで。


 その百が今、来た。


 リュカは口の中で言った。


 ――一。


 リナンと同じところから数えはじめた。


---


 縁の陰でリュカは一度だけ上を見た。


 段の縁のさらに上。尖ったもののさらに上。


 星が出ていた。


 雲の床の上の空は、三番街の空とは違った。三番街の空は、建物の隙間から細く見えるだけだった。ここには、空を細くするものが何もなかった。


 数えきれないほどあった。


 数えようとしてやめた。


 ――青いのがある。


 白い星の中にときどき青い星が混じっていた。


 尖ったものの窪みのあの青と同じ色だった。


 ――星だと思った。


 昼に段に上がって、窪みの青い光を見たとき、なぜかそう思った。


 なぜそう思ったのかは、まだ分からなかった。


 分からないまま、青い星を一つだけ目で追った。


 追っているあいだ手は縁を抱えたままだった。


 抱えたまま少しだけ目を閉じた。


 閉じるつもりはなかった。


 閉じていた。


 腕が縁を抱えている。足が杭に載っている。身体は壁の陰に貼りついている。


 その形のまま、どこかへ沈んでいきそうになった。


 ――寝たら緩む。


 けさ、リナンにそう言った。寝たら緩む。だから結ぶと。


 自分は今結んでいない。


 帯は四十本目に置いてきた。


 緩んだら落ちる。


 分かっているのに、目が開かなかった。


 下から声がした。


 百のところで。


 小さく。


 目が開いた。


 腕が縁を抱えていた。緩んでいなかった。


 ――百。


 リナンの百が来なければ、自分はどこまで沈んでいたか。


 リュカはそれを数えなかった。


 数えずに次の一からまた数えはじめた。


 ――頭を下げて通る。


 上の門は頭を下げなければ、通れなかった。膝をついて這って通った。


 今、自分は頭を下げて、壁の陰を這っている。


 見られないように。


 隠れて。


 上がるために頭を下げている。


 それが下げるということなのかどうかは、分からなかった。


---


 五十六本目。


 五十七本目。


 口が乾いていた。


 乾いているというのではなかった。口の中に何もなかった。舌が上あごに貼りついていた。剥がそうとすると痛かった。


 朝から二口。


 朝からここまで四十二本登って、半日跳んで、十八本下りて、帯を結んで、帯を切って、また十八本。


 ――戻る水は下にある。


 リナンの腰に。栓を締めたまま。


 ここで飲むことはない。


 飲まないと、決めたのではなかった。


 飲めるところにいなかった。


 目の端がまた暗くなりはじめていた。


 暗い中で目の端が暗くなっても、分からないはずだった。


 分かった。


 見えている真ん中が狭くなっていくのが分かった。


 真ん中には、縁の角と自分の右腕とその先の暗い空しかなかった。


 ――狭くてもいい。


 縁の角だけ見えていればいい。


---


 五十七本目の上で環の音が遠くなった気がした。


 気のせいかもしれなかった。


 風が縁でねじれていた。ねじれた風は音をあちこちへ運ぶ。


 それでも、さっきまで真上から降ってきていた音が少しだけ斜めから来ているように聞こえた。


 ――動いた。


 白い光は縁の陰からは見えない。


 見えないから、音で数えるしかない。


 満ちて止まってそのまま。


 そのまま少しだけ遠く。


 リュカはそれを数に入れた。


 入れたが何を意味するのかは、分からなかった。


---


 五十八本目で空の色が変わった。


 黒が少しだけ薄くなった。


 雲の床のずっと向こうが灰色になって、それから少しだけ白くなった。


 ――朝が来る。


 ひと晩かかった。


 四十本目から五十八本目まで十八本。


 昼なら息を何百か数えるうちに登れた。


 ひと晩かかった。


 それでも来た。


 来たぶんは減らない。


 リュカは、縁を抱えた右腕を少しだけ緩めた。


 上を見た。


 縁の陰から少しだけ頭を出して。


 段の縁がすぐ上にあった。


 杭、一本ぶん。


 縁の上に白い光はなかった。


 ――いない。


 杭の列の真上にいない。


 どこへ行ったのか。


 見えなかった。


 段の上は縁に隠れて、見えなかった。


---


 五十九本目に足を載せた。


 縁の陰から身体をこちらの面へ戻した。


 縁の角を抱えていた右腕が痺れて、自分の腕ではないようだった。


 右手を段の縁にかけた。


 きのうの昼前初めて、ここに手をかけた。


 きのうの夕方ここから押し出された。


 ひと晩かけて、またここに手をかけた。


 ――同じ縁だ。


 同じ縁に同じ手で。


 手が震えていた。


 震えたまま身体を引き上げた。


 膝が縁を越えた。


 段の上に膝をついた。


---


 段は灰色だった。


 夜が明けきる前の色のない光の中で床一面に黒い線が引かれていた。きのう、白い線が焦がした跡。縁の近くの杭の列の上がり口のあたりは線ではなくまとめて、黒くなっていた。


 白い面が焼いたところだった。


 リュカは、その黒の真ん中に膝をついていた。


 ――あそこにいたら。


 きのう、数えなかった先が目の前にあった。


 数えなかった。


 数えずに顔を上げた。


---


 尖ったものが灰色の空に立っていた。


 窪みの青い光は、夜のあいだも色を変えていなかった。


 その横に自分の杭が刺さっていた。


 鉄の芯。巻いた木。少しだけ割れた木。


 きのう、刺さったときと同じところに。


 ――ある。


 トトに言おうと思った。きのうそう思った。


 言うのは戻ってからだと。


 戻らずにここへまた来た。


 言うことがまだ増えていくのかもしれなかった。


 尖ったものの前に、ゼクスが立っていた。


 きのう、初めて見たときと同じところに。


 同じ立ち方で。


 槍は右手に。穂先は下を向いていた。環は白く光っていた。


 左の腕は下がったまま。


 縁から十五歩。


 ――戻ってたんだ。


 縁の上で見下ろしていた男は、夜のあいだに尖ったものの前へ戻っていた。


 いつ戻ったのか。


 白い光が縁から消えたのは、リュカが縁の陰に入ったあとだ。


 見えないものは撃てない。


 撃てないなら、縁に立っている理由がない。


 来るならここへ来る。


 来たらここで通さない。


 ――待ってたんだ。


 縁の上ではなくここで。


---


 段の床を見た。


 ゼクスの足元から三歩のところ。


 きのう、二本目の杭が落ちていたところ。


 何もなかった。


 縁を越えたあたり。


 きのう、四十本目から撃った一本が落ちたはずのところ。


 黒く焦げた床があるだけだった。


 ――ない。


 リュカは膝をついたまま、目だけで段の上を探した。


 弧の右の端。


 ロアンが座っていた。


 壁際ではなく縁の近くに。きのうと同じ三歩、内に。


 膝の上に何かを横にして、載せていた。


 細長いもの。二本。


 鉄の芯に木を巻いた。


 ――俺の。


「――よう」


 ロアンが言った。


 軽い声だった。軽く言おうとして、うまくいっていない声だった。


「夜のうちに拾っといた。転がってると踏むからな」


 ロアンは、二本を膝の上で少しだけ持ち上げてみせた。


「預かっとく」


「……返せ」


 リュカは言った。


 かすれてほとんど声にならなかった。


 ロアンは少しだけ黙った。


「取りに来いよ」


 ロアンは言った。


「歩いてな。八歩だ。……歩けりゃな」


 最後のところだけ声が小さくなった。


 ロアンはゼクスのほうを見なかった。


 見ないようにしているのが分かった。


---


 ――預かったものは、返すまで預かったもんだ。


 トトの声だった。


 ロアンはトトを知らない。


 知らないのに同じことを言った。


 同じことを言って、膝の上に二本を載せていた。


 三歩、内。


 縁からロアンまで八歩ほど。


 手を伸ばしても届かない。


 歩けば届く。


 歩けばゼクスの白い線が来る。


 ――取りに行けない。


 見えている。


 八歩の先に。


 自分の杭が二本。


 トトが重さを量って、選んでくれた十本のうちの二本。


 見えていて取りに行けなかった。


 段の上でゼクスの足元から三歩に落ちた一本をそう思った。それから、ひと晩経って、二本になって、ロアンの膝の上に移っていた。


 移っても同じだった。


 距離が変わっただけだった。


---


 アステナは左の壁際に座っていた。


 珠を繰っていた。


 かち。かち。


 顔を上げなかった。


「――来た」


 小さな声だった。


「読んだとおり。朝に来た」


 それだけだった。


 それだけ言って、珠を繰りつづけた。


 繰る音がきのうより遅かった。


 ロアンの目の下が灰色の光の中で少しだけ黒く見えた。


 ――この二人も眠っていない。


 段の上が静かになったのは、眠ったからではなかった。


 黙っていたのだ。ひと晩縁の陰を這い上がってくる音を黙って、聞いていた。


 聞いていてロアンは杭を拾った。アステナは朝に来ると読んだ。


 ゼクスは尖ったものの前へ戻った。


 三人とも、ひと晩こちらのことを数えていた。


---


---


 立とうとした。


 八歩。


 膝をついたまま、右の足を前に出した。足の裏を床につけた。


 力を入れた。


 膝が伸びなかった。


 伸ばそうとすると、腿の内側が引きつった。ふくらはぎが固くなって震えた。


 きのうの朝から四十二本登って、半日跳んで、十八本下りて、ひと晩かけて、十九本登った。


 登るあいだ足は杭の頭に載っていた。載って身体を支えていた。


 支えるのと歩くのとは違った。


 ――歩けりゃな。


 ロアンはそう言った。


 見ていたのだ。縁を越えてくる足がどう動いていたかを。


 リュカは右の足をもう一度踏んだ。


 膝が半分だけ伸びた。


 半分で止まった。


 止まって床に戻った。


 ――八歩が遠い。


 空き地の端から端まで何百回も歩いた。荷を担いで、三番街の坂を毎日上り下りした。


 八歩がこんなに遠かったことはなかった。


 距離は八歩のままだった。


 足のほうが短くなっていた。


---


 下から声がした。


 遠かった。四十二本と縁一つぶん下から。


 ほとんど聞こえなかった。


 聞こえなかったが百のところだった。


 リュカは、口の中で数えていた数をそこでもう一度一に戻した。


 リュカは胸に手を当てた。


 夜のあいだ一度も確かめなかった。


 三十三個目がそこにある。肌の温度で。


 ――七日目。


 朝が来たから七日目だ。


 あと三日。


 手を胸から離した。


 離して石の袋に手を入れた。


 布の柔らかさ。


 布の端から袋の口へ。


 曲がった一本が差してあった。


 抜いた。


 鉄の芯が半ばで曲がっている。巻いた木は、無事で芯だけが曲がっている。


 塔に入った日最初の石の羽の縁に挟まれて、曲がった一本。


 撃てないと思った一本。


 叩くための一本。


 叩いていないことを確かめるための一本。


 ――ここにはいる。


 十五歩先に。


 叩かなくても、いるのが分かっている。


---


 リュカは投槍器を左の手首から外した。


 右手に持った。


 曲がった一本をつがえた。


 鉤に尻を掛けた。


 まっすぐではない杭がまっすぐではない向きに板の上に載った。


 どちらへ曲がって飛ぶのかは、分からなかった。


 試したことがなかった。


 試すための一本は、もうどこにもなかった。



「なぜ来た」


 ゼクスが言った。


 きのう、何度も聞いた声と同じ高さだった。


 同じ高さなのに、少しだけ違って聞こえた。


 リュカは膝をついたまま答えた。


「杭を取りに」


 かすれた声だった。


「取ってどうする」


「撃つ」


「撃ってどうする」


 リュカは答えなかった。


 きのうも同じように訊かれた。見てどうすると。答えがなかった。


 今も答えはなかった。


 なかったが口を閉じなかった。


「……分からない」


 リュカは言った。


「分からないから来た」


 ゼクスは何も言わなかった。


 そうかとも言わなかった。

 ――試さずに撃つ。


 ゼクスは動かなかった。


 環の音が低いところから上がりはじめた。


 ゆっくり。


 三十で満ちる間で。


 風が右から来た。


 一つ。


 二つ。


 ――三つ目は来るのか。


 きのう、段に上がったときは右から三つだった。日が傾いて二つになった。


 今朝はどちらか。


 分からなかった。


 覚え直す時間はなかった。


 リュカは膝をついたまま、曲がった一本をつがえた投槍器を持ち上げた。


 手の中にほかに何もなかった。

読んで頂きありがとうございます。

引き続き1話ずつ毎日更新していきます。

現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。


基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!


少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!


ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)

よろしければ是非応援頂けますと幸いです。

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