四十と、空の袋②
只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ
どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!
現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!
残すは5、6、7部。
先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)
皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!
五十七本目。
右手を下へ移す。足を下へ移す。
左手は使わない。杭に添えるだけ。
上から環の音がした。
上がっていった。
撃ってこなかった。
――下りるのは焼かない。
五十六。五十五。
五十二本目で上から声がした。
「――おい坊主」
ロアンの声だった。
縁から顔を出していた。ゼクスの影の少し横に。
「下りるならそのまま下りろよ。それでいいんだ」
軽い声だった。
軽く言おうとしている声だった。
その後ろでもう一つ声がした。
「――下りる」
アステナの声だった。低くて平らな。
「――読んだとおり。四十で止まる」
リュカは、杭をつかむ手を一瞬だけ止めた。
――四十。
まだ決めていなかった。
決めたのはついさっきだ。下りるとは口の中で言った。四十とは口の中でも、言っていない。
それでも、読まれていた。
読まれたのは、きのうそこで止まったからだ。そこに結び目が残っているからだ。
この女は、上からきのうのことも見ていた。
リュカは答えなかった。
五十一。五十。
風が壁の縁でねじれた。
右から二つ。左から三つ。下から四つ。
段の上で覚えた順番がここでも、同じだった。
――同じ風だ。
上も下も、同じ壁の同じ縁を同じ風が這い上がっていく。
覚えたものはここでも使える。
---
四十五本目のあたりで日が雲の床に触れた。
壁の面が赤くなった。
雲の床も赤くなった。
焦げた跡だけが黒かった。
――日が落ちる。
きのうは、二十三本を日が落ちながら下りた。最後の三本は手探りだった。
今日は十八本。
足りる。
足りるがそこから先は足りない。
四十本目から煤の段まで二十三本。
それを今日のうちに下りることはもうない。
下りないと決めて、四十本目へ下りている。
――分かってる。
リュカは杭をつかむ手を緩めなかった。
---
四十二。四十一。
四十本目。
リュカは足を四十本目に載せた。
隣の杭に帯の結び目が残っていた。
けさ、登りながら、指で一度だけ触った結び目。
ほどけないので、置いていった結び目。
――置いていったものが要るようになった。
膨らみで拾った殻と同じだった。
分からないものを置いていかなかった。置いていかなかったものが役に立った。
今度は逆だった。
ほどけないから置いていった。置いていったからここにある。
リュカは右手で杭をつかんだまま、外套の帯を左手で解いた。
焦げた指が痛んだ。
荷の結び方で結んである。片手で解ける。三年、毎朝そうしてきた。
痛くても解けた。
外套の前が開いた。
風が外套の中に入って、背中を持ち上げようとした。
---
自分の帯の端を杭に残った短い端に重ねた。
重ねて結んだ。
ほどけない結び方で。
引けば引くほど締まる結び方で。
左手の焦げた指で端を押さえて、右手で輪を作った。輪を作るには、杭から右手を離さなければならなかった。
離した。
足と左の手首だけで身体を壁に寄せた。
寄せたまま輪を通した。
引いた。
締まった。
――一本になった。
一本になった帯のもう一方の端を自分の腰に回した。
腰に回して腹の前で結んだ。
これもほどけない結び方で。
結び終えて、帯に身体を預けてみた。
少しずつ。
帯が張った。
張って止まった。
杭は動かなかった。結び目も動かなかった。
身体が壁から拳一つぶん離れたところで止まっていた。
---
――結んだ。
自分を結んだのは初めてだった。
三年、荷を結んできた。荷は片手で解ける結び方で結ぶ。解けなければ下ろせないからだ。
きのう、リナンをほどけない結び方で結んだ。
けさ、もう一度リナンを結んだ。
今自分を結んだ。
ほどけない。
自分でほどこうとしても、ほどけない。
――じゃあどうやって、ほどくんですか。
けさ、リナンがそう訊いた。
俺が戻ってきて切ると答えた。
自分のは誰が切るのか。
殻は一つ残っている。外套の内側に。
自分で切る。
切らないかぎりここから動けない。
下りられない。
――下りないと決めたんだ。
帯が腰に食い込んでいた。
食い込んだところから決めたことの重さが伝わってきた。
---
右手を杭から離した。
身体は落ちなかった。
左手も離した。
落ちなかった。
両手が空いていた。
足は四十本目の杭に載っている。腰は帯で隣の杭とつながっている。
風が下から這い上がってきて、外套の裾を持ち上げた。
持ち上げられても、身体は帯の長さより先へは行かなかった。
――これで撃てる。
リュカは外套の内側に手を入れた。
投槍器。
杭の布巻き。撃てる三本。
石の袋。肩に。
全部、出せる。
出せるところまで来た。
下から声がした。
小さな声だった。
煤の段から二十三本ぶん上がってきた声。
言葉は風にちぎれていた。
ちぎれていたが高さが分かった。
下の坂で百息に一度後ろから聞こえていたのと同じ高さだった。
――数えてる。
百息数えて一度、声を出す。
見えないところは数えて、待ちますと言った。
見えるところに来た。
見えるところに来ても、数えている。
リュカは答えなかった。
答える声を出せば上にも聞こえる。
答えないまま百息を数えた。
百でまた下から同じ高さの声がした。
---
リュカは上を見た。
壁の縁を杭の列が上っていく。四十一。四十二。赤い紐が杭から杭へ渡してある。
そのずっと上にてっぺんの段の縁。
縁の上にゼクスの影はなかった。
――見てない。
縁から身体を乗り出さなければ、ここは見えない。見えないところへは撃てない。
さっき縁にぶら下がって頭を隠したときと同じだった。
あの男が撃てるのは、縁から下を見ているときだけだ。
そして縁から下を見ているときだけこちらからも、あの男が見える。
――同じだ。
見えるときは互いに見える。見えないときは互いに見えない。
段の上では違った。段の上ではあの男は尖ったものの前に立って、こちらは弧の上を動いて、ずっと見えていた。
ここでは縁があいだにある。
縁から顔を出すのはあの男のほうだ。
顔を出すときを決めるのも、あの男のほうだ。
---
距離を測った。
四十本目から五十九本目まで十九本。その上に縁。
杭の間は自分の腕より拳半分、遠い。
――三十歩くらいだ。
三十歩。
空き地で的を立てたことのない距離だった。
焼けたあと物干し綱の下から鎌翼の影まで三十歩を測った。三年、一度も撃ったことのない距離をあの日初めて撃った。
決めていない距離は撃てないと思った。
撃てないじゃないと思い直した。
あの日から三十歩は、撃ったことのある距離になった。
――ただし横にだ。
今度は上に三十歩。
上に撃てば杭は落ちてくる。落ちながら届く。横に撃つよりずっと早く落ちる。
だが、ここには下から這い上がる風がある。
風が杭を持ち上げる。
段の上ではそれを低く撃つことで使った。
ここでは高く撃つことで使える。
風に乗せれば三十歩、上がる。
---
投槍器を出した。
杭を一本つがえた。
つがえるあいだ腰の帯が少しだけ張った。外套の裾が風に持ち上げられた。
――撃てる三本。
つがえた一本と布巻きに二本。
四十本目でも、風は壁の縁でねじれていた。上ほど強くはない。それでも、右、左下の順番は同じだった。
見上げたまま待った。
環の音が上から降ってきた。
低いところから上がっていく。
上がっていって、いちばん高いところの少し手前で。
縁から影が出た。
---
ゼクスが縁から下を見た。
リュカと目が合った。
三十歩離れていても、目が合ったのが分かった。
――今。
右から二つ目の風だった。
下からの風ではなかった。
リュカは待った。
ゼクスの槍の穂先が下を向いた。
左から一つ。二つ。三つ。
下から。
一つ目。
撃った。
---
杭が上がった。
下からの風に押し上げられて、まっすぐ縁のほうへ。
ゼクスは動かなかった。
縁に立ったまま、杭が上がってくるのを見ていた。
見ていてそれから一歩、下がった。
縁から。
影が消えた。
杭はゼクスのいたところを通りすぎた。
縁の上へ。
縁を越えて。
段の上に落ちた。
かつんと乾いた音が上から降ってきた。
鉄の芯が床に当たった音だった。
――落ちた。
段の上に。
縁を越えて段の上に。
雲へは落ちなかった。
落ちなかったがここからは、取りに行けない。
段の上には、二本目の杭がゼクスの足元から三歩のところに落ちている。
今の一本は縁を越えたところに落ちた。
段の上に自分の杭が二本になった。
登っていけば拾える。
登っていけないから拾えない。
――撃てる二本。
---
白い線が来た。
影が消えたと思ったら、別のところから出た。縁の二歩、右。
穂先が下を向いて。
白い線が壁を焼いた。
四十二本目と四十三本目のあいだの壁を。
――上がる先を焼いた。
リュカは上がろうとしていなかった。結んである。上がれない。
それでも焼いた。
上がる先を焼いておく。
焼いておけば上がろうとしない。
――戻れ。
何も言わずに言っていた。
ゼクスの影がまた縁から消えた。
環の音が低いところから上がりはじめた。
---
リュカは二本目をつがえた。
つがえながら考えた。
――出てくるところが変わる。
一度目は真ん中。二度目は二歩、右。
同じところから出てこない。
出てくるところが分からなければ、撃つ先も決められない。
段の上ではあの男は、尖ったものの前から離れなかった。離れないから、戻るところが分かった。
ここでは縁が長い。
縁のどこからでも出てこられる。
――読めない。
読めないなら出させる。
出させるところをこちらで決める。
リュカは石の袋に手を入れた。
布の隙間から石をつまんだ。
二十三個。
---
つがえた二本目を外して、布巻きに戻した。
投槍器は、手元の革帯で左の手首に掛けた。手首に掛けておけば落とさない。右手が空く。
石を右手で握った。
三年、宿らなかった石。外れの石。
――試すのに一本、要る。
段の上で曲がった杭を見ながら、そう思った。試せばその一本は雲へ落ちる。だから試せないと。
杭は試せない。
石なら試せる。
石は二十三個ある。
杭よりは軽い。杭よりは丸い。同じには飛ばない。
それでも、風が物をどれだけ持ち上げるかは分かる。三十歩上で風がどう曲がるかは分かる。
空き地では杭を拾って、何度でも試せた。
ここでは拾えない。
拾えないものを試しに使う。
――減らして覚える。
リュカは石を投げた。
---
下からの一つ目の風で。
縁のほうへまっすぐ。
石は上がった。
風に押されて、思っていたより高く上がった。
二十本ぶんほど上がって、それから右へ流れた。
縁の少し下で止まった。
止まって落ちてきた。
リュカの拳三つ右を通りすぎた。
下へ。
煤の段のずっと横を通りすぎて雲へ。
――右へ流れる。
縁の少し下で右へ。壁の向こうの面から回り込む風が縁のすぐ下で勝っている。
段の上では分からなかった風だった。
二十二個。
---
二つ目は下からの三つ目の風で。
今度は、右へ流れなかった。まっすぐ上がって、縁に当たって跳ねた。
からん。
段の上へは行かなかった。跳ねて壁に沿って落ちてきた。
――三つ目のほうが強い。
二十一個。
三つ目は下からの四つ目の風で。
まっすぐ上がって縁を越えた。
段の上に落ちた。
からんとさっきの杭より軽い音がした。
――越えた。
二十個。
上で誰かが笑った。
ロアンだった。
「――おいおい石かよ」
声だけが降ってきた。顔は出していなかった。
「――坊主それただの石だろ。上に投げてどうすんだ」
リュカは答えなかった。
答えずに四つ目をつまんだ。
---
四つ目。五つ目。六つ目。
風の何番目で投げると、どこまで上がって、どちらへ流れるか。
投げるたびに一つ分かった。
分かるたびに一つ減った。
十七個。
七つ目は右から二つ目の風で投げた。投げてからそれが間違いだと分かった。右からの風は壁の面を横に撫でる。石は上がらずに、横へ流れて、縁の三本下で落ちた。
――右からはだめだ。
十六個。
八つ目九つ目は下から二つ目と三つ目。
二つとも縁を越えた。
十四個。
――下から三つ目。
これがいちばんまっすぐいちばん高く上がる。
杭ならもっと重い。石より風に持ち上げられにくい。そのぶん強く撃つ。
強く撃って下から三つ目の風。
それで縁まで三十歩。
---
石を投げているあいだゼクスは、一度も縁から顔を出さなかった。
石が縁を越えても。石が縁に当たっても。
出てこなかった。
――石は撃たない。
石は見る必要がない。
見る必要のないものに、顔を出せばそのぶんこちらに見られる。
あの男はそれをしなかった。
段の上で高く投げた石を目だけで追って、顔は動かさなかった。
ここでは目さえ向けていない。
――読まれてるんじゃない。
読む必要がないと思われている。
リュカはそれを数に入れた。
入れてそれでも、手は止めなかった。
石が減るのは覚えるぶんだ。
覚えたぶんは減らない。
---
下を一度だけ見た。
煤の段。
小さな影が膝立ちのまま、こちらを見上げていた。
石がその横を落ちていっていた。一つ。また一つ。
あの子には、何が落ちているのか分からないかもしれない。
分かるかもしれない。
石の袋に布を詰めて、鳴らなくしたのを見ていた。
鳴らない袋から出たものが一つずつ鳴らずに、落ちていく。
――数えてる。
たぶん数えている。
来たぶんしか数えないと言った。
落ちていくものは、来たぶんなのか減ったぶんなのか。
リュカには分からなかった。
分からないまま上を見た。
---
日が雲の床に半分沈んでいた。
壁の赤が少しずつ暗くなっていった。
縁の上の空がまだ明るかった。
――暗くなったら。
暗くなったら、縁から顔を出す者の影が見えにくくなる。
あの男の槍は白く光る。光るからどこにいるかは分かる。
分かるが顔は見えない。目は見えない。重さの載るところも見えない。
見切りが使えなくなる。
――暗くなる前に。
撃てる二本。
リュカは投槍器を右手に戻して、二本目をもう一度つがえた。つがえたまま待った。
環の音が上から降ってきた。
上がっていった。
いちばん高いところの少し手前。
影はまだ出なかった。
---
出させる。
リュカは石を一つつまんだ。
つがえたままの投槍器を左手に持ち替えて。焦げた指で握りだけを軽く。右手で石を。
投げた。
下からの三つ目で。
縁の真ん中へ。
石はまっすぐ上がって、縁を越えて、段の上に落ちた。
からん。
十三個。
投げてすぐ投槍器を右手に戻した。
影は出なかった。
――真ん中には出ない。
石の落ちたところには出ない。石が落ちたところをこちらが見ていると分かっているからだ。
なら、石の落ちたところの反対。
縁の右の端。さっき二歩右から出たところのさらに右。
――そこだ。
リュカは投槍器を右の端へ向けた。
向けたまま待った。
右から一つ。二つ。
左から一つ。
環の音がいちばん高いところへ近づいていった。
左から二つ。三つ。
下から。
一つ。
二つ。
――三つ目で。
縁の右の端から影が出た。
---
撃った。
下からの三つ目の風に乗せて。
杭はまっすぐ上がった。
石で覚えたとおりに。縁の少し下で右へ流れずに。
縁の右の端へ。
影の胸の高さへ。
ゼクスは出てきたところで杭を見た。
見て半歩左へ動いた。
半歩だけ。
真ん中に置いた重さで半歩。
杭はゼクスの右の脇を通りすぎた。
外套の右の袖のすぐ外を。
縁を越えなかった。
ゼクスの立っている縁の外。何もない空へ。
上がって上がって。
止まった。
止まってそれから落ちてきた。
---
落ちてくる杭をリュカは見ていた。
縁の右の端から壁を離れて、空のほうへ少しだけ外れて。
回りながら落ちてくる。
鉄の芯が先になって。巻いた木が後になって。
トトが重さを量って選んだ一本。
リュカの拳五つ右を通りすぎた。
手を伸ばせばと思った。
伸ばさなかった。伸ばしても拳五つ届かない。帯の長さより先だ。
杭は下へ。
四十本目を過ぎて、三十本目を過ぎて、煤の段のずっと外を過ぎて。
雲の床に吸いこまれた。
見えなくなった。
――撃てる一本。
自分で撃った杭が自分の横を通って、落ちていくのを初めて見た。
空き地では撃った杭は、的に刺さるか的の後ろの土に刺さった。
落ちてくることはなかった。
上に撃つと落ちてくる。
落ちてきたものは拾えない。
下で声がした。
百息の途中だった。
数の途中で声が出ていた。
言葉はちぎれて届かなかった。
ちぎれていても、さっきまでと高さが違った。
少しだけ高かった。
――見えたんだ。
落ちていく杭が煤の段のずっと外を通ったのが。
次の声はまた百息のところでした。
元の高さに戻っていた。
---
その一撃のあいだに白い線は来なかった。
ゼクスは杭を避けて、それからまた縁から消えた。
環の音は、いちばん高いところで止まったままだった。
――撃たなかった。
張ったまま持っている。
段の上で縁にぶら下がって頭を隠したときと同じだった。
張ったものを張ったまま、持って待っている。
――次に出てきたとき。
出てきたときはもう張ってある。
出てきたらすぐ来る。
リュカは、最後の一本を布巻きから出した。
つがえた。
撃てる一本。
――最後だ。
最後の一本をつがえたまま、リュカは縁を見上げた。
縁の右の端。真ん中。左の端。
どこからでも出てこられる。
---
影は真ん中から出た。
出たと思ったときには、白い線が来ていた。
リュカにではなかった。
リュカの頭の上。拳二つ上の空。
何もないところを白い線が横切った。
――外した。
ちがう。
外したのではなかった。
リュカは撃っていた。
影が出た瞬間に手が勝手に撃っていた。下からの何番目の風かも数えないまま。
最後の一本が上がっていくところへ。
白い線が横切っていた。
---
杭が白く光った。
光ったのは一瞬だった。
光ってそれから巻いた木が黒くなった。
黒くなってほどけた。
燃えたのではなかった。火は出なかった。熱もたぶんなかった。
木が黒い粉になって、風にほどけていった。
鉄の芯だけが残った。
芯は上がる力をなくしていた。
ゆっくり向きを変えて、落ちてきた。
さっきの杭よりずっと近くを。
拳二つ左を。
――鉄だけだ。
トトが硬いのを選んでくれた芯。木を巻いて、重さを合わせて、布に包んでくれた一本。
巻いた木がなくなった芯は細かった。
木を巻く前の芯を鍛冶場で見たことがある。空の上で見る芯は、それよりずっと細かった。
芯が落ちていった。
見えなくなった。
――撃てる零。
投槍器が軽かった。
つがえるものがない投槍器は、ただの先に鉤のついた細長い板だった。
三年、毎朝四十本を撃ってきた板。
四十本が十本になって、十本が零になった。
零になった板をリュカは握っていた。
---
縁の上でゼクスはまだ立っていた。
穂先が下を向いたまま。
環の音はいちばん低いところに戻って、それから上がりはじめていた。
あの男は杭を撃った。
リュカではなく。
杭を。
――手は撃たない。杭の列は焼かない。
撃ったのは、こちらから上へ来るものだけだった。
上へ来るものだけを焼いた。
下へ行くものには何もしない。
戻れと言った男は、最後まで同じことをしていた。
---
ゼクスは縁から消えなかった。
立ったまま、リュカを見下ろしていた。
もう隠れる必要がなかった。
下から撃たれるものがもうないからだ。
――見られてる。
見下ろされているのが分かった。
縁に立って、穂先を下に向けて、ただ立っている。
段の上で尖ったものの前に、立っていたのと同じ立ち方だった。
リュカは投槍器を下ろさなかった。
つがえるものはもうなかった。
それでも、下ろさなかった。
下ろしたら、何かが終わる気がした。
---
投槍器を手元の革帯で左の手首に掛けた。
下ろしたのではなかった。掛けただけだ。
右手で石の袋に手を入れた。
布の隙間から石をつまんだ。
十三個。
――撃つものがないなら。
投げるものはある。
石は杭ほど届かない。杭ほどまっすぐ飛ばない。当たっても何も起きない。
宿らなかった石だ。値もつかない石だ。
それでも投げられる。
リュカは投げた。
下からの三つ目の風で。
縁に立つゼクスへ。
---
石は上がった。
石で覚えたとおりにまっすぐ。
ゼクスは動かなかった。
石はゼクスの膝の高さで止まった。止まって縁に当たって、落ちてきた。
届かなかった。
――杭より軽い。
軽いぶん風にはよく乗る。よく乗るが三十歩上で力がなくなる。
十二個。
二つ目。三つ目。
腕を強く振った。縁にぶら下がっていた右の肩が痛んだ。
三つ目は、ゼクスの腰の高さまで上がった。
ゼクスは動かなかった。
石はゼクスの横を通りすぎて、段の上に落ちた。
からん。
十個。
---
数えるのをやめた。
つまんで投げた。
つまんで投げた。
下からの風を数えなかった。一つ目でも、二つ目でも、来た風に乗せた。
石が上がって縁に当たった。上がって縁を越えた。上がって途中で右へ流れて落ちた。
ゼクスは動かなかった。
一度も避けなかった。
避ける必要がなかった。
届いた石は縁の上に落ちるだけだった。
届かなかった石は、リュカの横を落ちていくだけだった。
――知ってる。
何も起きないのは知っていた。
知っていて投げた。
投げるものが手の中にあるあいだは投げた。
---
一つがゼクスに当たった。
どの風で投げたのか分からなかった。
まっすぐ上がって、ゼクスの左の腕に。
身体の横に下がったままの左の腕に。
肘の少し上に。
当たって跳ねて縁の外へ落ちた。
ゼクスは動かなかった。
左の腕は揺れもしなかった。
石が当たったところを見もしなかった。
――当たった。
今日初めて、あの男に当たったものだった。
杭ではなかった。
宿らなかった外れの石だった。
当たって何も起きなかった。
---
次をつまもうとして、指が空をつかんだ。
布だった。
布の柔らかさだけが指にあった。
布の下を探った。
布と袋の底のあいだ。
何もなかった。
布の折れ目を指でなぞった。
布の柔らかさ。少しだけごわついたところ。ミラの汗用の布はもう何度も汗を吸って、乾いて硬くなっていた。
――ない。
石はもうなかった。
いくつ投げたのか途中から数えていなかった。
袋が空なら二十三個だ。
二十三個、全部。
三年ぶんの外れ。
七つに挟まれた坂で三つ使った。あの日から二十四個のまま、ずっと肩にあった。鳴らないように布を詰めて、てっぺんの段まで運んできた。段の上で一つゼクスの目を引くのに使った。
残りを空の上へ全部、投げた。
袋には布だけが残っていた。
リュカは袋の口を閉じなかった。
閉じても、もう鳴るものは入っていなかった。
---
日が沈んだ。
雲の床のいちばん遠いところが少しだけ赤かった。
壁はもう暗かった。
縁の上で白い光が一つ光っていた。
ゼクスの槍だった。
――ゆうべと同じだ。
ゆうべ、煤の段から見上げた揺れない白い光。
あのときは四十二本、遠かった。
今は十九本。
近くなった。
近くなったのに、手の中に何もなかった。
---
縁の上から声が降ってきた。
「――坊主」
ロアンだった。
縁から顔を出していた。白い光の少し横に。
「もうねえだろ」
軽い声ではなかった。
「杭も。石も。全部、見てた」
リュカは答えなかった。
「下りろよ。その帯切って」
ロアンはそれだけ言って、少しだけ黙った。
「……翼の子が待ってんだろ」
ロアンの後ろで珠の音がした。
かち。
一つだけ。
「――下りてからの読みは全部、当たった」
アステナの声だった。
低くて平らな声だった。
平らなまま、それきり何も続かなかった。
当たったと言った声は、少しも嬉しそうではなかった。
リュカは答えなかった。
答えずに自分の手を見た。
左の手首に投槍器が革帯でぶら下がっていた。
何もつがえていない。
右手は空だった。
左手の焦げた二本の指が暗がりの中で少しだけ白く見えた。
---
リュカは数えた。
――撃てる零。
曲がった一本は袋の口に。
石は零。
水はない。
殻が一つ。外套の内側に。
帯はほどけない結び方で自分と四十本目の隣の杭をつないでいる。
段の上に自分の杭が二本。
尖ったものに一本。
雲の中に五本。
――全部どこにあるかは分かっている。
分かっていて、一つも手の中になかった。
縁の上の白い光は動かなかった。
ゼクスはもう何も言わなかった。
戻れとも。
六度目はなかった。
言わなくても、同じことだったからだ。
下から声がした。
百息のところで。
同じ高さで。
暗くなっても数は続いていた。
リュカは四十本目の杭の上で空の袋を肩にかけたまま、上を見ていた。
見ていることしかもうできなかった。
読んで頂きありがとうございます。
引き続き1話ずつ毎日更新していきます。
現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。
基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!
少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!
ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)
よろしければ是非応援頂けますと幸いです。




