先客と、追う足①
只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ
どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!
現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!
残すは5、6、7部。
先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)
皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!
目を開けたとき空は白かった。
雲の床と同じ色だった。上と下の境が分からなかった。
それから、東の端が少しだけ黄色くなった。
――朝だ。
決めなくても来た。
リュカは張り出した段に背をつけたまま、胸に手を当てた。
三十三個目がそこにある。
五日目。
あと五日。
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隣でリナンが膝を抱えていた。
目は開いていた。
上を見ていた。
頂上の一枚の壁。その途中のゆうべ火のあったところ。
「……消えました」
リナンが言った。
「明るくなる少し前に。小さくなってそれから」
「見てたのか」
「見てました」
リナンは、そう言ってから少しだけ首を傾けた。
「わたしの番のときに消えたので」
嘘ではないのだろうとリュカは思った。
嘘ではないが番でないときにも、見ていたのだろうとも思った。
訊かなかった。
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水を一口ずつ飲んだ。
大きいほうから。
――元の線まで四口。
――動かした線まで二十二口。
リュカは二つの数を頭の中で並べた。
並べるとどちらも同じ水だった。同じ袋の同じ口だった。
数え方が二つあるだけだ。
干し魚は出さなかった。
最後の一枚は昼に決める。
昨日そう言った。
リナンの腹が小さく鳴った。
リナンは膝を抱え直して、鳴った音を膝で押さえるようにした。
「……すみません」
「俺も鳴ってる」
リュカの腹もさっきから鳴っていた。
鳴るのは空だからだ。
水袋と同じだった。
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支度をした。
リナンが翼の布を確かめた。胸の前の結び目を指で一度引いて、緩んでいないのを見た。
包みは腰の上に。紐は胸の前に。
水袋が二つ腰に。
リュカは石の袋を肩に掛けた。布を詰めたままの鳴らない袋。
投槍器は右手に。つがえた杭が一本。
曲がった杭は帯に差した。
叩く壁がもうなかった。
縁の上には坂がない。叩いて確かめる面が足の下にしかない。
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縁を回った。
筒の縁は、幅が人一人ぶんより少しだけ広かった。
内側は筒の底へ。外側は雲の床へ。
どちらも落ちる側だった。
リュカは縁の真ん中を歩いた。
内側へ寄れば筒の底が見える。外側へ寄れば雲が見える。
真ん中なら、足の下の灰色しか見えない。
――真ん中を歩くのは初めてだ。
三番街の路地は両側が壁だった。石段も坂もどちらかの側が壁だった。
壁のない道を歩くのは初めてだった。
後ろでリナンが少しずつ内側へ寄っていた。
外側から風が下から上がってくる。乗る風だ。
リナンの付け根はずっと縮んでいた。
縮んだまま、リナンは筒の底のほうへ身体を傾けて歩いていた。
「……内側は下が見えますよ」
リュカが言った。
坂でリナンが言ったのと同じ言い方で。
リナンは少しだけ息で笑った。
「下は見えてもいいです」
「……」
「乗る風が来ないほうがいいです」
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縁の途中に欠けたところがあった。
壁が落ちている。
筒の縁がそこで途切れて、雲と空が見えた。
途切れた幅は三歩ほど。
リュカはそこで止まった。
欠けたところの手前に、陰があった。縁の壁が少しだけ厚くなって、風を受けている。
陰の中に何もなかった。
何もなかったがリュカは、少しだけそこを見ていた。
見ている理由はなかった。
――誰かいたのか。
足跡はない。この塔には塵がない。
分からなかった。
分からないので見るのをやめた。
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欠けた三歩は跳ばなかった。
跳ぶ必要はなかった。
欠けたところの手前で縁が外側へ細く張り出していた。張り出しの上を壁に背をつけて、横歩きで三歩。
足の下は雲だった。
リュカは壁に背をつけて、前だけを見た。
前は空だった。
――見るものがない。
見るものがないところを三歩、横に。
渡り終えて振り返った。
リナンが張り出しの手前で止まっていた。
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リナンは張り出しを見ていなかった。
雲も見ていなかった。
空を見ていた。
欠けたところから風が真下からまっすぐに上がってきていた。
縁でいちばん強い風だった。
リナンの付け根が布の下で引きつるように、動いていた。
縛った翼が背中で持ち上がろうとしていた。
「……リナン」
「はい」
「背中を壁につけろ」
「……はい」
「翼を壁で押さえろ。布だけじゃなくて壁でも」
リナンはゆっくり壁に背をつけた。
縛った翼が壁と背中のあいだに挟まった。
挟まって持ち上がれなくなった。
「……挟まりました」
「横に一歩」
リナンが横に一歩、出た。
足の下は雲だった。
二歩。
三歩。
リュカのところまで来て、リナンは壁に背をつけたまま、しばらく動かなかった。
付け根はまだ縮んでいた。
縮んだまま、壁に押しつけられていた。
「……乗らなかったです」
リナンが言った。
「乗れなかったじゃなくて」
リュカは何も言わなかった。
昨日は行けないと言い直した。
今日は乗らなかったと言った。
言い直したのではなかった。初めからそう言った。
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一枚の壁の根元に着いた。
近くで見ると壁は厚かった。
筒の壁の厚みのまま、上へ立っている。厚みは両腕を広げたくらい。
その厚みのこちら側の縁に鉄が打ち込まれていた。
いちばん下の一本は、リュカの膝の高さだった。
四角い頭の鉄の杭だった。太さは指二本ぶん。頭が壁から拳一つぶん突き出ている。
頭の上に叩いた跡があった。平らに潰れて縁がめくれている。
――鎚で打った。
リュカは杭の根元を見た。
壁に穴が開いていた。
継ぎ目のない壁に。叩いてもこんとしか鳴らない壁に。
穴の縁に白い粉が少しだけ残っていた。
指で触れた。
細かかった。石の粉だ。
風の吹く場所なのに、まだ残っていた。
――新しい。
三年、杭の跡を見てきた。空き地の的に撃った杭を抜いた跡。抜いてすぐの穴は縁が白い。何日か経つと白は風で飛んで、穴の縁がまわりと同じ色になる。
この穴の縁は白かった。
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いちばん下の杭に紐が結ばれていた。
結び目から紐の端が腕一本ぶんほど余って、外へ垂れていた。垂れた端が風に流されて、揺れていた。
昨日縁から見えたのはこれだった。
近くで見ると赤かった。褪せていない赤だった。
紐は杭に結ばれて、壁の縁を伝って、上へ伸びていた。
次の杭にも結ばれていた。
その次にも。
――手すりだ。
杭から杭へ紐を渡してある。登る者がつかまれるように。
リュカは結び目を見た。
ほどけない結び方だった。引けば引くほど締まる。
荷の結び方とは逆だった。荷の結び方は、片手で解けるようにしてある。この結び方は解けないようにしてある。
――戻ってくるつもりの結び方じゃない。
戻ってくるなら、解けるように結ぶ。帰りに紐を回収するからだ。
解けない結び方は、置いていく結び方だった。
それとも、戻るときもここを使うつもりなのか。
分からなかった。
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リュカは杭の列を見上げた。
壁の縁に沿って上へ。
間は等しかった。
リュカはいちばん下の杭の上に手をかけて、次の杭にもう片方の手を伸ばした。
届かなかった。
指の先が杭の頭の拳半分下で止まった。
――遠い。
つま先で伸びた。
届いた。
届いたがつま先立ちのまま、杭をつかんでいる。
この間は、リュカの腕に合わせて打ったものではなかった。
もっと腕の長い者の間だった。
背の高い者か。
腕の長い者か。
――俺より拳半分、長い。
リュカは手を離した。
離して杭を見た。
他人の腕の長さで並んでいる。
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「……リュカくん」
「うん」
「これ使うんですか」
リナンが杭を見ていた。
「使う」
「誰かのですよね」
「誰かのだ」
リュカは言った。
「こっち側に坂はない。叩いて登る壁でもない。手をかけるところはこれしかない」
「……借りるんですね」
リナンはそう言った。
「借りる」
リュカはそう答えて、それから自分の杭を思った。
布巻きに七本。つがえた一本。曲がった一本。
トトが選んで、重さを量って、渡してくれた十本だった。一本は七つに挟まれた坂で撃って、拾えなかった。一本は、最初の石の羽の縁に挟まれて曲がった。
自分の杭は壁に打てない。鉄の芯に木を巻いてある。撃つための杭だ。打てば木が割れる。
鎚も持っていない。
――自分の杭で登れないところを他人の杭で登る。
三年、他人の物で何かをしたことは少なかった。
荷は他人の物だった。運んだ。運ぶのは仕事だった。
他人の物を自分のために使ったことはなかった。
バルの水袋が一つ目だった。
これが二つ目だった。
――一層目の杭も全部が鉄だった。
リュカはそこで思い出した。
骨のあった床に折れて落ちていた七本。全部が鉄で折れ口が全部同じ向きだった。
あれも、誰かがここまで打ってきた杭だったのか。
打ちながら登って、何かの力で折れて落ちた。
落ちて骨と一緒に一層目にあった。
分からない。
分からないが鉄の杭で登った者が前にもいた。
そして戻らなかった。
リュカは目の前の杭の潰れた頭を見た。
これは折れていなかった。新しかった。
一層目の七本は折れ口に錆が出ていた。
この杭には錆がなかった。頭の叩いて潰れたところがまだ鉄の色で光っていた。
新しいものは、まだ何も起きていないだけかもしれなかった。
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「お前が先に行け」
リュカが言った。
リナンは首を振った。
「……後ろでいいです」
「お前は腕が届くか」
リナンは杭に手を伸ばした。
いちばん下の杭の上に手をかけて次の杭へ。
届いた。
つま先で伸びて。リュカと同じように。
――小柄なのに。
リナンはリュカより背が低い。腕も長くはない。
それでも届いた。伸びた身体がぶれなかった。
――軽いからだ。
骨が軽い。つま先で伸びても、腕に重さが来ない。重さが来ないぶん伸びきれる。
届いたのは見た。
「届きます。……伸びれば」
「じゃあ先に行け。俺は後ろから見る」
「……翼ですか」
「翼だ」
リュカは言った。
「壁に背をつけて登れない。壁を前にして登るなら、翼は背中の外に出る。外は風だ」
リナンは杭を握ったまま、黙っていた。
「風が来たら言う。来る前に言う。お前は杭だけ見てろ」
「……下見ないでいいんですか」
「見るな。杭だけ」
リナンは少しだけ笑った。
「昨日は下だけ見てろって」
「昨日は下が床だった」
リュカは言った。
「今日は下が雲だ」
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登る前にリュカは、投槍器からつがえた杭を外した。
外して布巻きに戻した。撃てる八本がそろった。
投槍器はあの口の前でそうしたように、胸の前外套の内側へ。
両手が空いた。
杭を握るには両手が要る。
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リナンが登りはじめた。
杭に手をかけて身体を上げる。足を下の杭に載せる。次の杭に手を伸ばす。
ゆっくりだった。
腕は届く。届くが持ち上げる身体が続かない。
骨は軽い。力もある。だが続かない。
五本目でリナンは止まった。
杭をつかんだまま、肩で息をしていた。
リュカは二本下にいた。
リナンの背中の翼が壁から少しだけ離れていた。
縛ってある。縛ってあるが付け根が縮むたびに翼全体が壁から浮く。
浮いたところに横から風が入る。
「……リナン」
「はい」
「右の肩を壁に寄せろ」
「……はい」
リナンが右の肩を壁の縁に寄せた。
翼の右の端が壁の縁にかかった。
かかって風の入る隙間が半分になった。
「そのまま六本目」
リナンが手を伸ばした。
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十本目で紐を使った。
腕が杭に届かなくなってきたからだ。届くが身体を持ち上げる力が残らなくなった。
リュカは、杭と杭のあいだに渡された赤い紐を片手でつかんだ。
つかんで体重を少しだけ預けた。
紐は張った。張って両端の杭で止まった。
――ほどけない結び方だ。
ほどけない結び方だから、預けられた。
荷の結び方なら、ほどけていたかもしれない。
リュカは紐を握ったまま、少しだけ黙った。
解けないように結んだ誰かの結び方で今自分の身体が止まっている。
――戻ってくるつもりの結び方じゃないと思った。
そう思ったことを取り消さなかった。
取り消さなかったが一つ足した。
――後から来る者がつかまれる結び方だ。
どちらのつもりで結んだのかは分からない。
分からないが今つかまっている。
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十三本目で水を一口ずつ飲んだ。
杭につかまったまま。
リナンが腰から大きい水袋を外して、片手で口を開けた。
一口飲んで、下のリュカへ差し出した。
リュカは片手を伸ばして、受け取った。
一口。
返した。
――元の線まで二口。
――動かした線まで二十口。
「……リナン」
「はい」
「元の線が近い」
「分かってます」
リナンは水袋の口を締めながら言った。
「数えてるので」
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十七本目まで来た。
杭の列は、そこから壁の縁を回り込んでいた。
こちら側の面から向こう側の面へ。
十七本目の少し上。縁を回るところで壁に窪みがあった。
縁の角が少しだけ欠けて、平らな段になっている。二人が並んで座れるほどの広さだった。
段の上に黒いものがあった。
煤だった。
壁に丸く黒い跡がついていた。拳二つぶんほどの丸。
その下に白く濁った欠片がいくつか。
色の抜けた石だった。
膨らみで拾ったのと同じだった。
割った火種石の殻だった。
それと油の匂いがした。
――ここで火を点けた。
ゆうべの揺れる光だ。
ここに座って、火種石を割って、油に落として、火を点けて、夜を過ごした。
リュカは段の上に膝をついた。
膝をついて、煤の跡を指でなぞった。
まだ少しだけ温かい気がした。
気がしただけかもしれない。
段の上にはほかに何もなかった。
油皿は持っていったのだろう。煤と殻と匂いだけが置いていかれていた。
置いていかれたものは、どれも使い終わったものだった。
使えるものは、一つも置いていかなかった。
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日が真上にあった。
――昼だ。
段の上で二人で座った。
リュカは白い紙を膝の上に出した。
出してから出さなくても数えられることに気づいた。
出したままにした。
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元の線まで二口。
ここで一口ずつ飲めば元の線にちょうど届く。
動かした線まで二十口。
ここで一口ずつ飲めば十八口。
頂上はまだ上にあった。
段の上から見上げると、一枚の壁の向こう側の面が上へ伸びていた。
杭の列も向こう側の面を上へ。
てっぺんまで筒の七巻きぶんくらい。
朝から昼までで杭を十七本。根元からここまで。
筒の縁から坂二巻きぶん。
――あと五倍。
昼から夕方まででまた二巻きぶん。
明日の朝から昼で二巻きぶん。
明日の夕方でたぶん届くか届かないか。
動かした線は一日と少し。
――明日の夕方。
線とてっぺんが同じところに来る。
リュカは紙の上で指を止めた。
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干し魚の最後の一枚を出した。
出して半分に割った。
片方をリナンに渡した。
リナンは受け取って、二つに割らなかった。
三つにも割らなかった。
一つのまま少しずつ噛んだ。
口を開けると乾くからだ。
リュカも一つのまま噛んだ。
塩の味が割れた唇にしみた。
――これで終わりだ。
干し魚はもうない。
水より先に食べるものの線が来た。
来たがそれは線にしなかった。
食べなくても人は何日か歩ける。
三年そうしてきた。
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「リナン」
「……はい」
「昼だ」
リナンは干し魚を膝の上に置いた。
置いたまま黙っていた。
「元の線はここだ。ここで一口ずつ飲めば届く」
「……はい」
「動かした線まではまだ一日と少しある」
「はい」
「てっぺんまでも一日と少しある」
リナンは顔を上げなかった。
「昨日、言ったな。反対だって」
「言いました」
「昼にもう一度言えって言った」
「……言われました」
「言ったら戻る」
リナンは黙っていた。
風が段の上を横から通っていった。
リュカは待った。
百息、待った。
---
百息のあいだに上から何かが下りてきた。
音だった。
かん。
風に乗って途切れ途切れに。
かん。
かん。
――鎚の音だ。
鉄を鉄で打つ音。
リュカは顔を上げた。
リナンも上げた。
一枚の壁の向こう側の面。杭の列のずっと上。
てっぺんまでの半分より上に人影があった。
三つ。
壁にしがみついて上へ。
いちばん上の一つが腕を振り上げて、振り下ろした。
かん。
少し遅れて音が届いた。
---
リナンの付け根が縮んだ。
布の下で引きつるように。
リュカはそれを横で見ていた。
風は横からだった。乗る風ではない。
それでも縮んだ。
――来るって思ったときに縮む。
あの口の中でこの人はそう言った。
来るものを待っているときに。
リナンは上の人影を見ていた。
見たまま口を開かなかった。
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百息が過ぎた。
リナンは何も言わなかった。
二百息が過ぎた。
鎚の音がまた一つ下りてきた。
リナンは言わなかった。
リュカはリナンを見なかった。
見ればこの人は、言わなければいけなくなる。
見ないまま待った。
三百息でリュカは立ち上がった。
「……行く」
リナンは顔を上げなかった。
「はい」
小さな声だった。
はい、だけだった。
反対ですとは言わなかった。
---
リュカは何も訊かなかった。
訊けば理由を言わなければいけなくなる。
この人は反対だと言った。昨日の夕方に。最後まで言い切って。
今日の昼に言わなかった。
言わなかった理由は見ていた。
上の人影を見て付け根が縮んだ。
縮んで口を開かなかった。
――待ってるのたぶんあの光です。
ゆうべ、この人はそう言った。
光は消えた。
光を点けていた者たちが今、上にいる。
この人はそれを待っていた。
それが何なのかは分からない。
分からないがこの人は言わなかった。
鍵を渡したのは自分だった。
渡された人が使わなかった。
――使わないのも使い方だ。
リュカはそう思って、それ以上考えなかった。
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一口ずつ飲んだ。
――元の線に届いた。
――動かした線まで十八口。
リュカは、元の線の数を頭の中から下ろした。
下ろして捨てはしなかった。
どこかに置いた。
置いた場所を覚えておいた。
それから、杭の列の十八本目に手をかけた。
壁の縁を回って向こう側の面へ。
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向こう側の面は風が違った。
こちら側では横から来ていた風が向こう側では下から壁の面を這い上がってきた。
乗る風だった。
リナンの背中の翼が壁から浮いた。
「右の肩」
リュカが言った。
リナンが右の肩を壁に寄せた。
――右じゃない。
向こう側に回ったので、壁の縁は左になっていた。
「左だ」
リュカは言い直した。
「左の肩を縁に寄せろ」
「……左」
リナンが左の肩を縁に寄せた。
左の翼は、二つ目の節でいつも引っかかる翼だった。
筒の底で指で押し込んで畳んだ。畳んだが二つ目の節のところだけがほかより少しだけ外へ浮いている。
出ているところに下から風が入った。
リナンの身体が一度壁から拳一つぶん離れた。
離れて戻った。
杭をつかんだ手は離れなかった。
「……大丈夫です」
リナンが言った。
声が震えていた。
「大丈夫じゃない」
リュカが言った。
「大丈夫じゃないのを知ってる。杭は離すな」
「離しません」
「左の翼に俺の手を置く」
リュカは一本上がって、リナンの真下の杭に足を載せた。
片手で杭をつかんで、もう片方の手をリナンの左の翼の先に置いた。
あの口の中で置いたのと同じところに。
翼の先は掌の下で硬かった。
風に押されて、持ち上がろうとしていた。
「……リュカくんの手が塞がります」
「片手で登れる」
「登れないですそれ」
「登れる。お前が一本上がったら、俺も一本上がる。そのあいだは手を置いたままでいい」
リナンはしばらく黙っていた。
「……遅くなります」
「遅くなる」
リュカは言った。
「遅くなるのは分かってる」
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遅かった。
リナンが一本。リュカが一本。
リュカの右手は杭。左手はリナンの翼。
片手で身体を持ち上げると、肩が軋んだ。
三年、荷を担いできた肩だった。担ぐ肩だった。ぶら下がる肩ではなかった。
二十本目。
二十二本目。
上の鎚の音がときどき下りてきた。
かん。
音は少しずつ小さくなっていた。
――離れてる。
近づいていない。
こちらが一本上がるあいだに向こうは二本打って、登っている。
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二十五本目でリュカは上を見た。
見ていいのかと一瞬、思った。
見ても首が動くだけだ。自分には翼がない。
見た。
人影が三つ。
さっきよりてっぺんに近かった。
いちばん上の一つが鎚を振るっている。
その下に一つ。
いちばん下の一つが何かを手の中で握っていた。
握ってそれから手を開いた。
開いた手から何かが落ちた。
小さな白いもの。
光った。
一瞬、強く。
それから、白く濁って、風に流されて、雲のほうへ落ちていった。
――砕いた。
石を砕いた。
砕いて何かを済ませた。
いちばん下の一つがそれから急に速くなった。
杭から杭へさっきよりずっと速く。
疲れを済ませたのだ。
――何の石だ。
分からなかった。市で疲れを済ませる石を見たことはない。見たことがあるのは、火種石と音石と閃光石と煙幕石だ。どれも値段は知っている。
値段を知らない石だった。
値段を知らないのは高すぎて、下の市には並ばないからだ。
三年、市で値札を見てきた。並ばない石の値段は見たことがない。
---
リュカは見ていた。
見ているあいだに手が止まっていた。
「……リュカくん」
上でリナンが言った。
「止まってます」
「止まってた」
リュカは手を動かした。
一本、上がった。
――済ませられる。
疲れを。息を。持ち上げる力を。
石を一つ砕けば済ませられる。
自分たちは息を数えて、口を数えて、一本ずつ上がっている。
向こうは砕いて、済ませて二本ずつ上がっている。
――金のあるやつは時間を買ってる。
石屋の言葉がまた来た。
昨日も来た。
今日のほうが近かった。
読んで頂きありがとうございます。
引き続き1話ずつ毎日更新していきます。
現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。
基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!
少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!
ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)
よろしければ是非応援頂けますと幸いです。




