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星降譚―STELLA NOMINA―  作者: うめこまち
第一部 高さのはなし

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103/163

膝と、作法②

只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ


どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!


現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!

残すは5、6、7部。

先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)


皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!

 膨らんでいた。


 口の中の一か所だけ天井が高くなって、幅も二人ぶんある。


 立ち上がれるほどではない。座れば頭の上に拳一つ余る。


 リュカは肘でその中まで進んだ。


 進んでから天井をそっと叩いた。


 曲がった杭で。軽く。


 こん。


 鈍い音だった。詰まった音。


 ――壁だ。


 もう一度、少し離れたところを叩いた。


 こん。


 三度目。


 こん。


「……ここはいない」


 リュカは口の中で言った。


「座っていい」


 リナンはゆっくり身体を起こした。


 這う形から膝で座る形に。


 縛った翼が背中で天井から拳一つ離れた。


 包みは膝の前に引き寄せた。


 リナンはそのまま、しばらく動かなかった。


 動かずに肩で息をしていた。


 リュカも座った。


 膝が伸びなかった。


 伸ばそうとすると、皿の下が鈍く鳴った。音ではない。痛みだ。


---


 膨らみの床に何かが落ちていた。


 壁際に小さく。


 リュカは手を伸ばして拾った。


 石の欠片だった。


 三つ。割れた面が合わさりそうな形をしている。一つの石が三つに割れたのだ。


 色がなかった。


 灰色ですらなかった。白く濁って透けて軽い。


 ――死んだ石だ。


 消耗石は砕くと効き目が出て石は死ぬ。三番街では毎日竈の前で火種石を割るのを見てきた。割ったあとの火種石は、色が抜けて軽くなる。


 コルベルは、中身の抜けた石を殻と呼んだ。


 これも殻だ。


 ただ、これは中身があったことが分かっている殻だった。誰かが中身を使った。


 誰かがここで石を砕いた。


 ――誰が。


 一層目の骨の誰かか。


 あの骨は一層目にあった。ここまで来て、戻って一層目で倒れたのか。


 それとも別の誰かか。


 欠片の割れた面は尖っていた。丸くなっていない。


 古いものは角が丸くなる。三年、空き地で古い石と新しい石を見分けてきた。土の中で長く転がった石は角が取れる。


 この塔には土がない。転がるものがない。


 角が丸くならないのは、新しいからかここだからか。


 分からなかった。


 リュカは欠片を外套の内側に入れた。


 石の袋ではなく紙のあるほうに。


 ――見たものは持っていく。


 何の石だったのかは分からない。誰が砕いたのかも分からない。


 分からないものを置いていく理由もなかった。


---


「……リュカくん」


 リナンが目を閉じたまま言った。


「うん」


「ここまだ半分ですか」


 リュカは数を思い出した。


 手で三百十二。そこから肘で三百と少し。


 それだけだった。残りは分からない。


「分からない」


「……そうですね」


「来たのは分かる」


 リュカは言った。


「手で三百十二。肘で三百と少し」


「わたし手で三百二十二です」


 リナンが言った。


「十、多いな」


「先に入ったので」


 リュカが口に手をつくまでにリナンは、十を数えていた。


 十、多い。


 合っていた。


 リナンは目を開けた。


「来たぶんですか」


「来たぶんだ」


「……来たぶん数えるの初めて聞きました」


「初めて数えた」


 リナンは少しだけ笑った。


 笑い方が短かった。


「わたしずっと来たぶんしか数えてないです」


「……」


「残りはいつも分からなかったので」


---


 水は飲まなかった。


 栓を抜けば音がする。膨らみの天井には並んでいなかった。だが、膨らみの外の天井には並んでいる。


 ここで鳴らした音が外の天井まで届くかどうかは分からない。


 分からないものは届くほうで数える。


 リュカは割れた唇を舌で湿らせた。


 リナンも同じことをしていた。


 二人とも腰の水袋を見ていた。


 見ているだけで手は伸ばさなかった。


「……出たら飲む」


「出たら」


「出たら一口ずつ」


「一口」


 リナンは頷いた。


 線まで十四口。


 出たら十二口。


---


 膨らみを出ると、天井はまた低くなった。


 濃いところがまた並んでいた。


 拳二つぶんの間をあけてずっと。


 リナンが先に肘をついた。


 リュカが後ろから翼の上を見た。


 拳一つ。


「行け」


 肘で一。


 肘で二。


 膨らみで休んだぶん肘は少しだけ軽かった。


 肘の数は一から数え直した。膨らみまでの三百と少しは、そこで区切った。


 区切ったところを覚えた。


 軽かったのは百までだった。


---


 肘で百を過ぎて、天井がもう一度低くなった。


 リナンの翼の上と天井。


 拳一つが拳半分になった。


「……低く」


 リュカは口の中で言った。


 リナンが胸を床に近づけた。


 肘をさらに曲げた。


 顎が床につくほどに。


 拳半分が拳半分のまま、それ以上広がらなかった。


 ――これ以上低くなれない。


 リナンの身体は、もう床に貼りついている。


 翼は縛ってある。縛ったまま、背中に盛り上がっている。


 盛り上がりは縛っても、なくならない。


 天井がもう少し低くなれば。


 ――触る。


 触るだけなら動かない。二度、見た。


 だが触れば擦れる。擦れれば羽の先が鳴る。


 坂では撫でただけで鳴らなかった。


 ここでは肘で進むたびに翼が前に出る。前に出るたびに擦れる。


 一度なら撫でるだけだ。


 何十度も擦れば鳴る。


---


「リナン」


「……はい」


「止まれ」


 リナンが止まった。


 リュカは目だけを上げて前を見た。


 天井はその先も低いままだった。


 どこまで低いのか分からない。


 分からないものは低いほうで数える。


 ――このまま行けば擦れる。


 戻るか。


 戻れば膨らみまで肘で百。


 膨らみまで戻って、それからどうする。


 口の外まで戻れば坂だ。坂の下からは五つが上がってくる。


 ――戻ってもここよりましなところはない。


 リュカはリナンの翼を見た。


 縛った布。胸の前で結んである。


 翼は畳んである。畳んで背中の上に盛り上がっている。


 盛り上がっているのは、畳んでいるからだ。


 ――畳まなければ。


 翼を広げれば平らになる。


 平らになれば、背中より高くならない。


 だが、ここで広げれば壁に当たる。幅は肩より少し広いくらいだ。


 広げられない。


 ――半分なら。


---


「リナン。布を解く」


「……解くんですか」


「片方だけ。左だけ」


 リュカは言った。


「左を横に寝かせる。背中の上じゃなくて身体の横に」


 リナンはすぐには答えなかった。


「……左は二つ目の節で引っかかります」


「知ってる」


「引っかかると、半分しか開かないです」


「半分でいい」


 リュカは言った。


「半分開いて、横に倒れれば、背中の上が半分になる」


 リナンは黙っていた。


 黙ったまま床に顎をつけていた。


「……焼けた夜」


 リナンが言った。


「左が二つ目の節で引っかかったまま、半分だけ開いたんです。上の子を庇ったとき」


「知ってる」


「あのとき、開いたの半分だけでよかったって、思いました。全部開いてたら、板がもっと当たってたので」


 リナンはそう言った。


「半分しか開かないのいつも、困ってたんですけど」


「……」


「二回目です。半分でよかったの」


---


 リュカは肘で一つ前に出た。


 リナンの足の裏がすぐ目の前にあった。


 その上に腰。その上に背中。縛った翼の畳んだ先が腰のあたりまで下りてきている。


 口の幅は一人ぶんしかない。横に並んで、手を伸ばすことはできない。


 後ろから届くのは、翼の先のほうだけだった。胸の前の結び目にも、肩の付け根にも届かない。


「リナン。結び目は自分で解け。右手で」


「……右手で」


「荷の結び方だ。片手で解ける」


 七つに挟まれた坂でリュカが結び直した結び方だ。昨日の朝リナンが自分で同じ形に結んだ。


 三年、片手が塞がっていることが多かったから、片手で解ける結び方を覚えた。この人にもそれを教えてあった。


「解いたら左だけ肩を下げて、布から抜け。抜けたら右だけもう一度胸の前で縛れ」


「……両手使っていいですか」


「肘は床から離すな。手首から先だけで」


 リナンが右の肘を床につけたまま、右手を胸の下へ回した。


 指が結び目を探っている。


 探り当てて端を引いた。


 布が緩んだ。


---


 リナンの左の肩がゆっくり下がった。


 下がった肩から左の翼が布の輪を抜けた。


 抜けた翼は、一度背中の上で少しだけ浮いた。


 浮いた先が天井に近づいた。


 ――拳半分。


 拳半分より少しだけ近い。


 リュカは息を止めた。


 手首から先を伸ばして、左の翼の先を指で横へ押した。


 押すと翼が二つ目の節のところで引っかかった。


 引っかかって、そこで折れ目が横に寝た。


 半分だけ開いた形で。


 背中の上ではなく身体の左の脇に。


 壁とリナンの身体のあいだに。


 そのあいだにリナンは、両の手首から先だけで胸の下の布を右の翼だけに回し直していた。


 結び目がもう一度胸の前にできた。


---


 翼の上と天井。


 リュカは目だけで測った。


 右の翼はまだ背中の上に畳まれている。縛り直した布が右だけを押さえている。


 右の翼の上と天井。


 拳一つ。


 左が横に寝たぶん右が少しだけ下がった。


「……拳一つある」


「拳、一つ」


「左は壁に沿わせろ。壁は鳴らない。濃いのは天井だけだ」


「……はい」


 リナンは左の翼を壁に沿わせた。


 羽の先が壁に触れた。


 擦れる音はしなかった。


 壁のこんの側だった。


「行け」


 リナンが肘で前に出た。


 翼の上と天井。拳一つ。


 揺れなかった。


---


 それから長かった。


 肘で二百。


 三百。


 数は数えた。来たぶんを。


 リュカの背中は誰も見ていなかった。


 だから、リュカは自分の背中を自分で想像した。


 外套の背中。その下の背骨。背骨の上には何もない。投槍器は胸に回した。杭は帯の前。石の袋は胸の上。


 ――背中は外套だけだ。


 外套の背中が天井に触れても鳴らない。


 そう決めて肘を出した。


 決めたが一度だけ外套の背中が天井に触れた気がした。


 触れた気がして止まった。


 止まって天井を見ることはできなかった。頭を上げれば確かめられる。頭を上げればぶつかる。


 確かめられないものを確かめないまま、二十息、待った。


 何も起きなかった。


 ――触ったのかどうか分からない。


 分からないまままた肘を出した。


 分からないまま進むのは、三年で初めてではなかった。


 十日目まで石が宿るかどうか、分からないまま、待ってきた。


 三十二回。


 分からないまま待つのは慣れていた。


 分からないまま進むのは、それより少しだけ難しかった。


---


 後ろを聞くのは今は自分だった。


 坂ではリナンが後ろにいて、百息に一度来てますと言った。


 ここではリナンが前にいる。後ろには誰もいない。


 リュカは、肘を出すあいだに耳だけを後ろへ向けた。


 何も聞こえなかった。


 擦れる音もしなかった。


 ――入ってきてないのか。


 下の五つは、壁に貼りついて上がってくる。この口はまっすぐ奥へ伸びている。上がる壁がない。


 天井には並んでいる。並んでいるものの中に下の五つが混じっても、分からない。


 分からないものは多いほうで数える。


 だが、聞こえないものを聞こえたことにはしない。


 リュカは耳を後ろに向けたまま、肘を出しつづけた。


 来ていないと誰にも言わなかった。


 言う相手が前にしかいなかった。前の人は下を見ていた。


---


 肘で四百を過ぎたころ。


 リナンが止まった。


「……リュカくん」


 声が少し違った。


 口の中の大きさなのに、少しだけ高かった。


「うん」


「風です」


 リュカは止まった。


 止まって顔を床に近づけたまま待った。


 来なかった。


 リュカには来なかった。


「……来てるか」


「来てます。前から。……少しだけ」


 リナンはそう言った。


「上から来てる気がします」


 上から。


 この口はまっすぐ奥へ伸びている。上はない。天井だ。


 だが、リナンは上からと言った。


 ――出口が上にある。


 リュカはそれを数に入れなかった。


 入れないまま言った。


「行け」


---


 リナンが肘で前に出た。


 出るたびにリナンの髪が少しだけ揺れるのが見えた。


 前から風が当たっている。


 リュカのところにはまだ来ない。


 リナンの身体が風を受けて、その後ろにいるリュカに届かないのだ。


 ――この人が先に受けてる。


 崖の上ではいちばん先に風を受ける場所に立っていた。


 ここでもそうだった。


 肘で五十。


 リュカの額に風が来た。


 冷たかった。


 塔に入ってから初めての風だった。


 匂いがあった。


 匂いのない空気の中に何かが混じっていた。


 何の匂いなのか分からなかった。土でも苔でも井戸でもない。


 ――外の匂いだ。


 分からないが外のものだと思った。


---


 前でリナンの左の翼がぴくりと動いた。


 横に寝かせて、壁に沿わせていた翼だ。


 その付け根が縮んだ。


 風が来たからだ。


 ――来るって思ったときに縮む。


 昨日この人はそう言った。来るものを待っているときに縮む。


 風が来ている。


 来ているものに、付け根が縮んでいる。


 縮むと翼の角度が変わる。


 横に寝かせた左の翼が縮んで、持ち上がろうとしていた。


「……リナン」


 リュカは口の中で言った。


「左が上がる」


「……はい」


 リナンの声が震えていた。


「分かってます。縮んでるの」


「止まれ」


 リナンが止まった。


 止まったが付け根は縮んだままだった。


 風は来つづけていた。


---


 リュカは肘で一つ前に出た。


 リナンの足の裏のすぐ後ろまで。


 左の翼の先が目の前にあった。半分開いて、壁に沿って、リナンの腰の横に寝ている。


 寝ているはずの翼が付け根からゆっくり持ち上がろうとしていた。


 天井まで拳二つ。拳一つと半分。


 リュカは左手を伸ばした。


 翼の先のほうを掌でそっと押さえた。二つ目の節には届かない。届くのは先のほうだけだ。


 押さえると、羽が掌の下で硬かった。


 縮もうとしている力が掌に伝わってきた。


 強くなかった。


 だが止まらなかった。


 ――待ってるつもりなのに縮む。


 崖の縁でこの人は、何百回もこれと戦ってきた。


 一人で。


「……リュカくん」


「押さえてる」


「わたし止められないです」


「止めなくていい」


 リュカは言った。


「縮んでいい。上がらなければいい。上がらないように、俺が押さえてる」


「……」


「お前は前を見てろ。下を」


 リナンはしばらく黙っていた。


 それから、小さく言った。


「……下、見てます」


---


 肘で進んだ。


 リナンが一つ出ると、リュカも一つ出た。


 左手でリナンの左の翼を押さえたまま。


 右の肘だけで進んだ。


 左の肘が使えないぶん身体が右へ傾いた。傾くと背中の左側が少しだけ上がる。


 ――背中は誰も見てない。


 見ていないのは分かっていた。


 分かっていて、左手を離さなかった。


 自分の背中が上がるのとリナンの翼が上がるのと。


 どちらが天井に近いか目で測った。


 リナンの翼のほうが近かった。


 だから、自分の背中は数に入れなかった。


---


 風が強くなった。


 光が変わった。


 前の薄くなっていた光の色が白くなっていた。


 壁の光とは違う白だった。


 リナンが言った。


「……口です」


「出口か」


「上に開いてます」


 リナンの頭の少し先で天井が終わっていた。


 終わってその先に白い光が上から落ちてきていた。


 這う口の終わりが上へ抜けている。


 リナンが包みを天井の終わりの下へ押し出した。


 それから、肘で最後の一つを出した。


 頭が天井の終わりの下に入った。


 リナンはそこで止まった。


 止まって言った。


「……リュカくん。頭上げていいですか」


 リュカは天井を目だけで見た。


 リナンの頭の上には、もう天井がなかった。


 白い光だけがあった。


「上げていい」


 リナンはゆっくり頭を上げた。


 上げてそれから身体を起こした。


 膝で座る形に。


 背中の右の翼が天井の終わりの縁の下を拳一つ離れて抜けた。


 左の翼はリュカの手の下から離れた。


 離れて付け根から縮んで、持ち上がった。


 もう天井はなかった。


---


 リュカは最後の肘を出した。


 頭が天井の終わりの下に入った。


 頭を上げた。


 上に何もなかった。


 白い光と風だけがあった。


 リュカは膝で座った。


 膝が伸びなかった。


 伸びないまま上を見た。


 リナンは、押し出した包みを膝の上に抱えていた。


 背中には布が右だけ残っていた。


 左の翼は外れたまま、風の中で縮んでいた。


 ――左をまた縛らないといけない。


 縛るのは坂の前だ。今はいい。


 今は天井がない。


 ――上を見た。


 口の中では一度も見なかった。


 手で三百十二。肘で膨らみまで三百と少し。膨らみから四百五十と少し。


 そのあいだ一度も上を見なかった。


---


 そこは筒の底のような場所だった。


 壁がまわりを囲んでいる。坂の壁と同じ継ぎ目のない灰色だ。


 だが上が開いていた。


 ずっと上に白い光があって、そこから風が下りてくる。


 壁に沿って坂があった。


 また坂だ。


 だが、その坂の向こうに光があった。


 壁の光ではない。


 外の光だった。


 リュカは上を見たまま、思い出した。


 籠の中から三十数えるあいだだけ見た塔。雲の白い床から一本だけ立っていた。


 てっぺんが少しだけ欠けていた。


 ――欠けてたのはここか。


 欠けて上が開いている。開いたところから外の光と外の風が筒の中へ落ちてきている。


 分からない。ここがあのとき見た欠けたところなのか別のところなのか。


 だが、上が開いているのは見えていた。


---


 リナンは膝で座ったまま、上を見ていた。


 左の翼の付け根がまだ縮んでいた。


 風が来ているあいだは、縮んだままだった。


 リナンはそれを止めようとしなかった。


 止めようとしないまま、上を見ていた。


「……リュカくん」


「うん」


「風です」


「風だ」


「上から来てます」


 リナンの声は、口の中の大きさではなかった。


 ここには天井がない。


「塔の中で初めてです」


「初めてだ」


 リナンはそこで少し首を傾けた。


 傾けてから言った。


「……崖の風と逆です」


「逆」


「崖のは下から来ました。下から来る風は持ち上げるんです。乗る風です」


 リナンは上を見たまま言った。


「これは上から来てます。上から来る風は押さえるので」


「……乗れないのか」


「乗れないです」


 リナンはそう言った。


 言ってから少しだけ笑った。


「乗れない風初めてです」


 付け根は縮んだままだった。


 縮んだまま、リナンは立ち上がろうとしなかった。膝で座ったまま、上から来る風を顔で受けていた。


 乗れない風なら落ちない。


 落ちない風の中で付け根だけがまだ待つ形をしていた。


 リュカは腰の水袋を見た。


 リナンの腰の大きいほう。


「……飲む。一口ずつ」


 リナンが栓を抜いた。


 音がした。


 ここでは鳴ってよかった。


 一口ずつ飲んだ。


 割れた唇にしみた。


 ――線まで十二口。


 リュカはそれを頭の中で数えた。


 数えて上を見た。


 白い光のずっと下にまだ坂がある。


 坂の上に何があるのかは見えない。


 見えないが風はそこから来ていた。


 この筒の坂をどれだけ登れば、上に着くのか。


 分からない。


 上に着く前に、十二口が尽きたら線だ。


 線が来たら戻る。五層目でそう決めた。


 戻るならあの口をもう一度這う。頭を下げて手で三百十二。肘で七百と少し。


 ――戻るのも頭を下げてだ。


 上に行くときと同じ下げ方で戻る。


 謙譲の塔とザッハは言った。


 言葉は聞いた。何のことなのかは、言葉としてしか分からなかった。


 今はこの塔が頭を下げることでしか通さないということが分かっていた。


 行きも帰りも。


---


 リュカは胸の前の石の袋に手を当てた。


 袋の上から布を詰めた二十四個の重さがあった。


 その下に三十三個目。


 その横に外套の内側に色の抜けた三つの欠片。


 ――死んだ石と外れの石とまだ分からない石。


 全部胸にあった。


 リュカは袋から手を離した。


 離してそれから膝をゆっくり伸ばした。


 皿の下が鈍く痛んだ。


 痛んだが伸びた。


 立ち上がった。


 頭の上には何もなかった。


 風だけがあった。

読んで頂きありがとうございます。

引き続き1話ずつ毎日更新していきます。

現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。


基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!


少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!


ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)

よろしければ是非応援頂けますと幸いです。

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