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星降譚―STELLA NOMINA―  作者: うめこまち
第一部 高さのはなし

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102/163

膝と、作法①

只今誠意執筆中_φ(ò_óˇ)ᕤ


どうストーリーが進んで行くか乞うご期待!!


現在は、第4部終盤の執筆に取り掛かっております!

残すは5、6、7部。

先はまだまだ長いですが、構想は終わっているので毎日楽しく執筆できております(●´ω`●)


皆様に少しでも楽しみに感じて頂ける作品になるよう私も楽しみながらやってきます!!

 膝をつくと口の中が見えた。


 立っていたときにはかぶさった壁の影になって、奥は光の色しか分からなかった。


 膝の高さから見ると違った。


 床がまっすぐ奥へ伸びていた。


 坂ではない。平らだ。壁と同じ色で壁と同じように、薄く光っている。


 天井は低い。口の高さのまま奥へ続いている。


 幅は肩より少し広いくらい。


 奥はどこまで続いているのか分からなかった。光が遠くで薄くなって、そこから先は光の色だけになる。


---


 リュカは口の縁に手をかけて、首だけを中へ入れた。


 入れてから天井を見た。


 近い。


 手を伸ばせば肘を曲げたままでも届く。


 天井の色は壁と同じ灰色だった。


 同じ灰色の中にところどころほんの少し濃いところがあった。


 一つ。


 その先に一つ。


 その先にまた一つ。


 並んでいる。


 拳二つぶんほどの間をあけて、天井にずっと並んでいる。


 ――叩かなくても分かる。


 坂の壁では叩かないと分からなかった。二十歩に一つぽつんとあるだけだったからだ。


 ここは並んでいる。並んでいるものは目で数えられる。


 リュカは首を引いた。


---


「……リナン」


「はい」


「天井に並んでる」


 リナンはすぐには答えなかった。


 リュカの肩の横に膝をついて、自分で覗いた。


 覗いて首を引いた。


「……全部ですか」


「見えるところは全部だ」


 リナンは口を見ていた。


 腰の高さもない四角い口。


「通れっていうことですか」


「通れる高さだ」


「通ったら」


「頭を上げなければ、たぶん起きない」


 リュカはそう言った。


 言ってから自分の言ったことをもう一度数え直した。


 ――触っても動かない。


 二度、見た。七つの中で一度。今日の坂でもう一度。


 ――音を立てれば動く。


 これは何度も見た。


 頭を上げて、天井に触るだけなら、たぶん動かない。


 頭を上げて、天井にぶつければ音がする。


 這っている者が急に頭を上げたら、触るでは済まない。ぶつかる。


「頭を上げない」


 リュカは言った。


「上げなければぶつからない。ぶつからなければ鳴らない」


---


 リュカは口の上の壁を見た。


 かぶさってきた壁の外側の面だ。


 何か刻んであるかと思った。根元の壁には字が何行もあった。


 ここには何もなかった。


 字も紋もない。


 ただ、低い口が開いているだけだった。


 ――説明がない。


 根元の門は二つあった。開いているほうと開かないほう。開かないほうには、上を向いた三角が刻んであった。


 ここは一つだけだ。


 開いている。


 低い。


 頭の上に並んでいる。


 説明がないのに、何をしろと言われているのかは分かった。


 ――頭を下げて通れ。


 それだけだった。


 リュカは、それを少しだけおかしいと思った。


 三年、頭は何度も下げてきた。


 荷を受け取るとき。礼を言うとき。市の入り口を通るとき。下げるのはすぐだ。下げて上げてそれで済む。


 だが、頼むときには下げなかった。


 焼けたあとの土間で金が足りませんと言ったときも、下を向かなかった。下を向くと頼んでいるように見えるからだ。


 頼んでいたのに。


 ――頼むときに下げないのは、俺の決めたことだった。


 誰に言われたのでもない。


 この口は下げたまま、ずっと進めと言っている。すぐ上げていい下げ方ではない。


 それを言わずに言っている。


 頭を下げないなら、通さないではない。


 頭を下げないなら起きる。


 通さないのではなく通れなくなる。


 それは、言われるより少しだけたちが悪かった。


---


 リュカは膝をついたまま、持ち物を数えた。


 這って通るなら、身体の上にあるものは全部天井に近くなる。


 外套。


 石の袋。肩に掛けている。這えば脇から下がる。下がった袋は床に当たる。


 からからと鳴る。


 三年、どこへ行っても、その音と一緒だった。袋を持ち上げると鳴る。下ろすと鳴る。歩くと鳴る。


 ――ここでは鳴らせない。


 杭の布巻き。外套の内側にある。八本。つがえた一本と合わせて九本。這えば外套ごと床を擦る。布で巻いてあるので、擦れても鈍い。鈍いが音はする。


 投槍器。右手に持っている。這うなら持っていられない。


 曲がった杭。帯に差してある。


 バルの革袋。腰に下げている。這えば揺れる。中の水がちゃぷと鳴る。


 ――全部、鳴る。


 三年、荷を運んできた。荷は運べば鳴る。鳴らない荷はない。鳴らないように運ぶのが荷運びの腕だ。


 ここは天井の下だ。


---


 リュカは、外套の内側から布を一枚出した。


 ミラの布だ。四枚のうち汗を拭くための一枚。


 石の袋の口を開けた。


 二十四個の石の上から布を押し込んだ。


 石と石のあいだに布を詰めていく。指で押して隙間をなくす。


 袋を振った。


 鳴らなかった。


 ――鳴らない袋だ。


 三年で初めて持った。


 石の袋を肩から外した。外して胸の前に回して、外套の内側に入れた。袋の紐を首にかけて、胸に押し当てる。


 這っても下がらない。


 胸に二十四個の重さがあった。


 三十三個目のすぐ上だった。


---


 杭の布巻きは、外套の内側で帯にきつく縛りつけた。


 動かないように。動かなければ擦れない。


 投槍器はつがえていた杭を外して、布巻きに戻した。九本がそろった。


 投槍器そのものは背中に回した。外套の下で背骨に沿わせて、帯に差した。


 ――這うと背中がいちばん上になる。


 背中の投槍器は、天井にいちばん近くなる。


 リュカはそこで手を止めた。


 投槍器を背中から抜いた。


 胸の前に回した。石の袋の横に。


 胸は床に近い。天井からいちばん遠い。


 ――持ち物は下にする。


 荷を積むときと逆だった。籠では重いものを下に軽いものを上に載せる。


 ここでは鳴るものを下に。


---


 バルの革袋は栓をきつく締め直した。


 締め直して腰から外した。外して手に持った。


「リナン。水を先に飲む」


「今ですか」


「中で栓を抜けば鳴る」


 リュカは言った。


「入る前に飲む。出るまで飲まない」


 リナンは頷いた。


 大きいほうを一口ずつ飲んだ。


 割れた唇にまたしみた。


「……線まで十四口だ」


「はい」


「中でどれくらいかかるか分からない」


「はい」


「分からないから、飲めるのはここで一口だけだ」


 リナンはもう一度頷いた。


 空になった小さい水袋はリナンの腰から外して、リュカが外套の内側に入れた。空の袋は軽い。軽いが揺れても鳴らない。


 空いた側にバルの革袋を下げさせた。大きい水袋と左右に一つずつ。


「……わたしが両方ですか」


「俺の帯は杭で塞がってる」


 リュカは言った。


「布巻きを縛りつけた帯に袋を下げたら、袋が揺れるたびに杭が擦れる」


 リナンは少しだけ笑った。


「重いです」


「重いのは分かってる」


「……分かってるならいいです」


---


 それから、リュカはリナンの腰を見た。


 腰の上に包みが載っている。胸の前で紐を結んで腰の上に。荷の担ぎ方で。


 布で厚く巻いた弓の形のもの。里から一つだけ持ってきたもの。ほどいたところは一度も見ていない。


 這えば腰は背中と同じくらいの高さになる。肘で這えば腰のほうが高くなる。


 包みは翼より上に来るかもしれない。


 それに。


「……弦ですって言ってたな」


「はい」


「当たったら鳴るか」


 リナンは包みに手を回して、縄を一度だけ確かめた。


「布が厚いので、当たっただけなら、鳴らないと思います」


 そう言ってから少し考えて、言い足した。


「押さえつけたら、鳴るかもしれないです。弦が枠に当たるので」


 リュカは包みを見た。


 背中に載せれば天井に近い。胸に回せば這うときに、胸と床のあいだで押さえつける。


「前に置け」


 リュカは言った。


「床に置いて前へ押していけ。手をつく前に押す」


「……押して」


「床はこんの側だ。布が床を擦っても、天井は起きない」


 リナンは紐を解いた。


 包みを腰から下ろして、口の前の床に置いた。


 置いてから両手でそっと撫でた。


 縄の結び目はほどかなかった。


---


 それから、リナンの翼を測った。


 リナンは口の前で膝をついた。


 膝をついて、手をついて、這う形になった。


 縛った翼が背中の上に盛り上がっていた。


 這う形になると、人の身体でいちばん高いのは背中だ。


 リナンの背中には翼がある。


 翼の折れ目のいちばん上がリナンの頭より拳一つぶん高かった。


 リュカはその横に投槍器を立てた。


 投槍器の先に拳を二つ。それが口の高さだった。


 翼のいちばん上は、投槍器の先に拳一つと半分。


 ――拳半分、余る。


 余る。


 余るが拳半分だ。


 坂の上でリナンの翼の先が壁に触れた。拳半分は触れるのに足りる。


「……どうですか」


 リナンが這ったまま訊いた。


「通る」


 リュカは言った。


「拳半分、余る」


「拳、半分」


「翼の上と天井のあいだが」


 リナンは少し黙った。


「わたし自分の背中見えません」


「見えない」


「翼が上がっても分からないです」


「分からない」


 リュカはそう言って少し考えた。


 考えて決めた。


---


「お前が先に行け」


 リナンが顔を上げかけた。


 上げかけて止めた。


「……先ですか」


「俺が後ろからお前の背中を見る」


 リュカは言った。


「翼と天井のあいだを俺が見てる。近くなったら言う。低くって言ったら低くしろ」


「リュカくんは」


「俺の背中は誰も見ない」


「……それだめじゃないですか」


「俺の背中には翼がない」


 リュカは言った。


「胸に全部入れた。背中には外套しかない。外套は天井に触っても鳴らない」


 リナンはしばらくリュカを見ていた。


 見てから言った。


「わたしが先だと前が見えるのは、わたしだけです」


「そうだ」


「わたし下を見てないといけないんですよね。頭上げられないので」


「そうだ」


「下を見ながら前に行くんですね」


 リュカはそこで答えるのが少し遅れた。


 ――下を見る。


 崖の上でこの人は下を見た。探して首を動かして、肩が動いて、翼の角度が変わった。


 それで落ちた。


 落ちて乗れなくなった。


 この口の中は下を見ないと通れない。


「……ここは下を見ても落ちない」


 リュカは言った。


「下は床だ」


「床です」


「風もない」


「ないです」


「乗ってない」


 リナンはそこで少しだけ息で笑った。


「乗ってないですね」


---


「それと」


 リナンが言った。


「前が見えるのがわたしだけなら」


「うん」


「わたし風を見ます」


「風」


「出口があったら、風が来ると思うので」


 リナンは口の奥を頭を下げたまま、見るようにした。


「今は来てないです」


「来たら言え」


「言います」


 リュカは頷いた。


 それから、リナンの胸の前の結び目をもう一度指で確かめた。


 緩んでいなかった。


 締め直さなかった。緩んでいないものを締め直せば翼の付け根がもっと縮む。縮めば背中が丸くなる。丸くなれば、翼のいちばん上が高くなる。


 ――触らないほうが低い。


「行け」


 リュカは言った。


「数は手で数えろ。手をついた数」


「……息じゃなくて」


「息は速くなる。手は速くならない」


 リナンは頷いた。


 頷いてそれから口の中へ右手をついた。


「一」


 声には出さなかった。唇だけが動いた。


---


 リナンの背中が口の中に入っていった。


 縛った翼が天井の下をゆっくり進んでいく。


 拳半分。


 リュカはそのあいだを見ていた。


 翼の上と天井。その隙間がリナンが手をつくたびに少しだけ揺れる。


 手を前に出すと肩が前に出る。肩が前に出ると、翼の付け根が前に出る。付け根が前に出ると、折れ目のいちばん上が少しだけ持ち上がる。


 ――手を出すたびに上がる。


 拳半分が拳半分より少し小さくなる。


 それから、膝が前に出ると戻る。


 リナンが十ほど手をついたころリュカも、口の中に右手をついた。


 床は冷たかった。


 坂よりも冷たかった。


---


 這うのは、三年でほとんどしたことがなかった。


 荷運びは立って運ぶ。屈むのは、荷を持ち上げるときと下ろすときだけだ。


 水路に入ったことはある。三番街の屋根の下の水路。あそこは、立てないほど低いところが何か所かあった。鼠を追い出すとき、膝と手で進んだ。


 あのときは頭の上はただの石だった。ぶつけても痛いだけだった。


 ここはぶつけたら起きる。


 リュカは顎を引いた。


 顎を引くと目が床を見る。


 床を見ると、前のリナンの足の裏が目の端に入る。


 足の裏とその上の縛った翼。


 見るのはそこだけにした。


---


 十。


 二十。


 手をつく。膝を出す。手をつく。膝を出す。


 四つで一つ進む。


 リュカは手の数を数えた。右手をついたら一つ。左手をついたら二つ。


 歩数とも息とも違う数だった。


 歩数は足で数える。息は胸で数える。


 手の数は掌で数える。


 掌に床の冷たさが一つずつ残った。


 息は数えなかった。


 一万息で夜にすると決めてある。決めてあるが這いながら息を数えると、手の数と混ざる。


 夜は出てから決める。


 前でリナンが包みを押していた。手をつく前に、両手で少しだけ前へ。押して手をつく。押して手をつく。


 布が床を擦る音はしなかった。床が滑らかなので、包みは音もなく前へ出た。


---


 三十を過ぎたところで前のリナンの頭が少しだけ上がった。


 上がりかけた。


 手をつこうとした床に何か見えたのかもしれない。床の継ぎ目かもしれない。継ぎ目はないはずだった。


 理由は分からなかった。


「低く」


 リュカは口の中で言った。


 リナンの頭が止まった。


 止まって戻った。


 翼の上と天井。拳半分。


 変わっていなかった。


「……すみません」


「謝るな」


「床に何か光ったと思って」


「何だった」


「……何もなかったです」


 リナンはそう言った。


「光ったと思ったら顔が勝手に」


 ――勝手に上がる。


 付け根が勝手に縮むのと同じだ。


 この人の身体は来るものに、勝手に動く。


「次も言う」


「……お願いします」


---


 五十を過ぎたところでリュカは前を見た。


 見たというより目を上げた。


 頭は上げなかった。目だけを額の下から上へ。


 リナンの背中が少し先にあった。


 翼の上と天井。


 拳半分。


 変わっていない。


 その先の口の奥。


 光がまだ遠くで薄くなっていた。


 入ったときと同じだった。


 ――進んでるのに奥が近くならない。


 ここはまっすぐなのに、終わりが見えない。


 リュカは目を床に戻した。


 見ても分からないものは見ない。


 手の数だけ数える。


---


 二百を過ぎたころ膝が痛くなった。


 這うための膝ではなかった。三年、立って運ぶための膝だった。


 床が平らなので、膝の皿の同じところに毎回体重が乗る。


 リュカは、外套の裾を膝の下に巻き込もうとした。


 巻き込むには手を床から離して、裾を引いて、膝を浮かせなければならない。


 膝を浮かせると腰が上がる。腰が上がると背中が上がる。


 ――背中は誰も見てない。


 リュカは裾を引くのをやめた。


 痛いのは膝だけだ。


 膝が痛いのは鳴らない。


---


 三百を過ぎたころ前のリナンが止まった。


 リュカも止まった。


 止まって目だけを上げた。


 リナンの翼の上と天井。


 拳半分。


 変わっていない。


 だが、リナンは動かなかった。


 這う形のまま、頭を下げたまま、手を床についたまま、止まっていた。


 肩が上下していた。


 ――息だ。


 リナンの持久力は低い。骨が軽くて、力はあっても続かない。


 這うのは歩くより腕を使う。腕を使うのは肩だ。肩の上には翼の付け根がある。


 付け根の下の肩が疲れる。


 疲れた肩は下がる。


 下がった肩の上で翼はどうなる。


 リュカは目を凝らした。


 拳半分。


 変わっていない。


 ――下がってない。


 肩が下がれば翼も下がる。翼が下がれば天井から遠くなる。


 疲れて下がるぶんには構わない。


 構わないのは翼のほうだけだった。


 肩が下がりきれば腕が折れる。腕が折れれば胸が床に落ちる。


 胸が床に落ちたら腰が浮く。


 ――腰が浮いたら翼が上がる。


---


「……リナン」


 リュカは、声を口の中で言う大きさにした。


「はい」


 リナンの声も同じくらいだった。


「腕は」


「……疲れました」


「止まってていい」


「止まってます」


「腕を曲げろ。肘を床につけ」


 リナンがゆっくり肘を曲げた。


 肘が床についた。


 胸が少し下がった。


 翼も少し下がった。


 拳半分が拳一つになった。


「……低くなりました」


「低くなった。そのまま肘で進め」


「肘で」


「肘と膝だ。手より低い」


 リナンは少し黙っていた。


 それから、肘で一つ前へ出た。


 翼の上と天井のあいだは拳一つのまま、揺れなかった。


 ――手より肘のほうが揺れない。


 リュカは自分も肘をついた。


 膝の痛みに肘の痛みが足された。


 足されたぶん背中が低くなった。


---


 肘で進むと数え方が変わった。


 手をつくではなく肘を出す。


 リュカは数を肘に替えた。


 右の肘で一つ。左の肘で二つ。


 手の数の三百十二から肘の数の一につないだ。


 つないだところを覚えた。


 ――手で三百十二そこから肘。


 数え方が変わるところは覚えておく。そうしないと、後で全部が一つの数に見える。


---


 肘で百を過ぎたころ。


 リナンが口の中で言った。


「……リュカくん」


「うん」


「下、見てます」


「見てろ」


「ずっと見てます」


 リナンは肘を出した。


 出しながら続けた。


「見ててもいいんですね」


「いい」


「見てないとだめなんですよね」


「だめだ」


 リナンはそこで少しだけ黙った。


 黙ってから言った。


「三年、ずっと下を見てました」


「……」


「崖のあとから。下の人になってから」


 リナンの声は、口の中の大きさのままだった。


「上を見ると、見られてる気がしたので」


「……誰に」


「分かりません。誰も見てなかったのに」


 肘がまた一つ前に出た。


「ここは上を見たら、だめなところです」


「だめだ」


「……わたし上手ですねたぶん」


 リュカは何も言えなかった。


 三年、下を見てきた人が下を見ないと通れない口を先に這っている。


 崖の上ではいちばん上手な子だった。動かないのがいちばん上手だった。


 ここでもいちばん上手だった。


 ――下を見るのが。


 それが上手いと言っていいことなのかどうかは、分からなかった。


 分からないがこの口の中ではそれしか通る方法がなかった。


「……上手だ」


 リュカはそう言った。


 言ってから合っているのかどうか考えた。


 考えたが取り消さなかった。


---


 肘で二百。


 膝の皿が熱を持っていた。肘の骨も同じだった。


 唇の割れたところが床に向いた息でまた乾いた。


 天井は拳一つ。


 前はまだ遠くで薄くなっていた。


 ――終わりが見えない。


 リュカはそれを何度目かに思った。


 思ってそれから気づいた。


 ――終わりが見えないのに、俺は何を数えてる。


 数えるのは終わりがあるからだ。


 石段は四十二段。荷の数は荷札に書いてある。石は十日。杭は四十本。


 終わりがあるから、数えると残りが分かる。


 ここは終わりが分からない。


 分からないのに数えている。


 数えても残りは分からない。


 分かるのは、ここまで来たということだけだ。


 ――来た数を数えてる。


 残りではなく来たぶんを。


 それは三年、一度も数えたことのない数だった。


 三年、数えてきたのは残りだった。日当まであと何個。石の十日目まであと何日。金が足りるまであと何枚。


 来たぶんを数えたことはなかった。


 来たぶんは数えても、何にもならないと思っていた。


 ――肘で二百十。


 何にもならない数だった。


 だが、二百十は二百十だった。来たぶんは減らない。


---


 肘で三百を過ぎたところで天井が少しだけ高くなった。


 リナンが止まった。


「……リュカくん」


「うん」


「天井が上に行きました」


 リュカは目だけを上げた。


 リナンの翼の上と天井。


 拳一つ。いやそれよりある。拳二つ。


 その先はもっとある。


 天井の色を見た。


 濃いところがなかった。


 並んでいたものがそこで途切れていた。

読んで頂きありがとうございます。

引き続き1話ずつ毎日更新していきます。

現在4部まで出来ているので一年以上は連続更新できる予定です。


基本的には1日2-3部を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!


少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!


ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)

よろしければ是非応援頂けますと幸いです。

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