第9話:開かれし獄門
#ホラー小説 #口裂け女 #90年代アニメ風 #創作
吹き荒れる嵐の中、獄門エドは逃げなかった。彼は冷え切った資料室の中央に堂々と立ち塞がる。裂様朱音と、その傀儡と化したくるみの影が、彼の首を切り裂かんと鋏を手に迫り来ていた。
「……欺瞞の血が」
朱音が低く唸る。
突如、室内の空気が一変した。重苦しい圧力が空間を支配し、くるみはその場に膝をつく。エドの体から溢れ出した圧倒的なオーラに、息を詰まらせたのだ。彼の冷徹だった瞳は今、鈍い黄金色の光を放っていた――それこそが、獄門の守護者たる一族の証。
「……もう十分だ、朱音」
エドの声が響き渡る。それはただの高校生のものではなく、「獄門」の継承者としての宣告だった。エドは折りたたみナイフで自らの掌を切り裂いた。溢れ出したのは普通の赤色ではない。熱い蒸気を放つ、禍々しいほどの深紅の血だ。彼はその血まみれの掌を、朱音の額に強く押し当てた。
「――獄門開門!」
刹那、周囲の世界が崩壊した。そこはもはや資料室ではない。無数の沈丁花の花びらが舞い散る、静寂たる虚無の空間。朱音の悍ましい怪物の姿が薄れ、代わりに現れたのは、顔中に無骨な縫い目があるものの、かつての美しさを残した一人の少女だった。
これこそが、ただ愛されることを望んでいた裂様朱音の真の意識。
「エドくん……」
朱音の声はもう枯れてはいなかった。柔らかく、悲しみに満ちている。
「……どうしてこんなことを? 君の血は……温かくて、でも、とても痛いわ」
「……君を再び封印しに来たわけじゃない」
エドは一歩ずつ歩み寄る。その一歩ごとに、精神的なエネルギーが削られていくのが分かった。
「祖父が作り出した傷跡を、見届けに来たんだ。私はこの『門』の罪を継承した。君を憎しみに閉じ込めるのではなく、解き放つべき守護者としてここにいる」
朱音は涙を流した。その涙は金の糸へと変わり、裂けた口元から解けていく。
「……あの子たちは、私を人間として見てくれなかった。壊すべき、あるいは隠すべき『顔』としてしか見てくれなかったの」
エドは朱音の両肩を強く掴んだ。
「……私は君を見ている。都市伝説でも、亡霊でもない。二十年間、孤独だった裂様朱音としてね」
しかし、その安らぎの裏で、エドは恐ろしい異変に気づいた。朱音の背後から、巨大な黒い影が這い出してきたのだ――それは朱音の魂から切り離され、独立した怪物と化した真の「口裂け女」の具現。その怪物は、朱音が救われることを決して許さない。
「……隙間が……」エドが呟く。
「朱音、聞いてくれ。君が持っているその鋏は、君のものではない。君を苦しめるために使われた道具だ。現実の世界で、その鋏をその手から放すことができれば、この呪いは依り代を失う!」
「……でも、放せないの!」
現実の世界でくるみの首を絞めている自らの手を指し、朱音が叫んだ。
「……あの鋏は、もう私の骨の一部になっているのよ!」
エドは朱音の瞳をじっと見つめた。
「……なら、僕がそれを叩き折る。たとえ、この『獄門』のさらに深淵へ足を踏み入れることになっても」
不意に、二人の意識は地下資料室へと引き戻された。エドは激しく息を乱しながら現実に戻る。目の前では、怪物の姿をした朱音が巨大な鋏を高く振り上げ、エドの頭部を両断せんとしていた。
エドは血に染まった手を掲げ、祖父の古文書に記されていた古の印を結ぶ。
「――獄門の名において、命じる。静まれ!」




