↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】ダンジョン最深部の黒猫様は極上のカリカリをご所望です  作者: あずきまんま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
32/42

第30話:黒猫様と、鳴る石ころのかりかり追跡

------------------------------

序章:聞かせるもの

------------------------------


光の届かぬ石室で、割れた黒い水盤が低く沈んでいた。


水盤のひびは、まだ塞がっていない。


王都地下水脈に沈めていた本命は、切り離された。


壊されたわけではない。


だが、水脈から外された時点で、計画の一つは死んだも同然だった。


報告者は、石床に膝をついたまま息を殺している。


メルト・マッドンは、古い地脈図を見下ろしていた。


西の牧草地。


南の古井戸。


東の果樹園。


王都第四地下水路。


人の手で届く場所と、人の手では届かぬ場所。


その境目に、王国は手を伸ばし始めている。


「見つける目を得たか」


低い声が、石室に落ちた。


報告者は顔を上げない。


「王国は、接続点を探す術を得たわけではありません。何らかの偶然で、見える状態になっただけかと」


「偶然で、こちらの本命が切られた」


報告者の肩が小さく震えた。


メルトは怒鳴らなかった。


怒鳴る者は、見えているものしか恐れない。


メルトが恐れているのは、見えないまま働くものだった。


「ならば、偶然を増やす」


報告者が、わずかに顔を上げる。


「増やす、とは」


メルトは机の上に、小さな黒い石を置いた。


不規則な形をした、黒い小石である。


呪核ではない。


魔力を吸う力もない。


地脈を腐らせる力もない。


ただ、揺れを拾い、音に変えるだけの石だった。


「鳴り石だ」


メルトが指先でそれを弾く。


ころ。


小石が転がった。


かすかに、ちり、と乾いた音がした。


「王国は、黒い筋を探している。接続点を探している。ならば、黒い筋に似た揺れを聞かせる」


「偽の反応を」


「反応ではない」


メルトの声が少し低くなる。


「反応だと思わせる音だ」


報告者は息を呑んだ。


「呪核を置くのではないのですね」


「置けば潰される」


メルトは淡々と言った。


「ならば、置かぬ。腐らせぬ。ただ、聞かせる。王国の調査隊に、王城に、あの者たちに」


割れた水盤のひびが、かすかに黒く光る。


「本物と偽物の区別がつかぬほど、音を増やす」


報告者は深く頭を垂れた。


「場所は」


「王都ではない」


メルトは地図の上に指を置いた。


王都から少し離れた、古い街道沿い。


かつて地脈測量のために使われていた、廃止された観測塔。


今は鐘も外され、鳥も寄らぬ石の塔だけが残っている。


「旧測脈塔だ。王国が過去の地脈記録を調べ続ければ、いずれここへ目を向ける」


「そこで、偽の音を」


「聞かせろ」


メルトは、黒い小石をもう一度弾いた。


ころ。


ちり。


細い音が、石室の奥へ吸い込まれていった。


------------------------------

第一章:鳴る記録

------------------------------


王城。


国王の執務室には、昨夜よりさらに紙が増えていた。


地脈図。


水路図。


先王時代の人事記録。


王宮地脈術師の俸給台帳。


そして、なぜか黒猫様の献上品反応記録。


国王は最後の一冊を見て、眉間を押さえた。


「なぜこれが同じ机にある」


宰相は平然と答えた。


「黒猫様が何に反応されたかは、近頃の調査において無視できない情報でございます」


「無視したい」


「お気持ちは」


「理解だけするな」


国王は深く息を吐き、地脈図へ視線を戻した。


王都第四地下水路の件は、黒色汚染の停止という形でひとまず収まった。


しかし、呪核本体を回収したわけではない。


水脈との接続を切っただけである。


本体が再びどこかへつながる可能性も、ゼロではなかった。


「各調査隊は」


「三箇所とも、拡大防止を継続中です。西の牧草地、南の古井戸、東の果樹園。いずれも呪核本体は未回収ですが、黒い筋の伸長は抑えています」


「人の手で、か」


「はい」


国王は小さく頷いた。


その事実だけは、悪くない。


黒猫様へすべてを預けるのではなく、人が踏みとどまっている。


ただし、踏みとどまるたびに報告書が奇妙になる。


そこが問題だった。


扉が叩かれた。


入ってきたのは、古文書管理官である。


彼は寝不足の目をしながら、古い帳簿を抱えていた。


「陛下。メルト・マッドンの弟子に関する記録を追っていたところ、旧測脈塔の名が出ました」


「旧測脈塔?」


「先王時代、地脈の揺れを測るために使われていた観測塔です。現在は廃止されています」


宰相が地図を広げる。


王都から少し離れた街道沿いに、小さな印があった。


「ここか」


「はい。メルトの研究室から押収された資料の欠けた部分と、旧測脈塔の点検記録の日付が一致します」


国王は目を細めた。


「呪核の反応は」


「未確認です」


古文書管理官は、慎重に答えた。


「ただ、昨夜から、塔の周辺で奇妙な音がするとの報告が出ています」


「音?」


「石が転がるような音、細い鐘のような音、地面の下で何かが鳴るような音。報告は一定しておりません」


宰相の眉が、わずかに動いた。


「黒色反応は」


「出ていません」


「では、呪核とは限らんな」


「はい。ですので、まずは確認のみを」


国王は机の上の連絡魔石を見た。


丸い。


光る。


そして、前回は転がった。


国王は目を閉じた。


「黒猫様には」


宰相が先に言った。


「まだ連絡しない方がよろしいかと」


「余もそう思った」


「ですが、音である以上、黒猫様が反応される可能性が」


「言うな」


「旧測脈塔は、音に関する報告です」


国王は額を押さえた。


前回、黒猫様は水音に反応した。


そして、連絡魔石が転がり、接続点が見つかった。


今回、報告は音である。


嫌なほど、黒猫様向きだった。


「調査隊を送れ」


国王は静かに命じた。


「黒猫様へは知らせず、まず人の手で確認する。連絡魔石は固定しろ。絶対に転がすな」


宰相は一拍置いた。


「その指示を、正式文書にいたしますか」


「するしかあるまい」


国王は低く言った。


「王国史上初だろうな。連絡魔石を転がすな、という王命は」


------------------------------

第二章:転がらない玉

------------------------------


地下百階層、奈落の淵。


クロは、朝から退屈していた。


お腹はいっぱい。


眠くはない。


毛繕いも終わった。


ヴァルグの前脚の間は暖かいが、ずっと同じ場所にいると、少しだけ飽きる。


クロは、前脚を伸ばして床をちょいちょいと触った。


「ニャ」


(ころころ、ないニャ)


昨日の丸い石は楽しかった。


光った。


声がした。


水の音もした。


しかも、どこか遠くで、ころころという音が返ってきた。


もう一度やりたい。


クロはそう思った。


もちろん、猫として。


セリアは、クロの様子を見てすぐ察した。


「クロ様、連絡魔石はおもちゃではありません」


「ニャー」


(ころころニャ)


「だめです」


クロは不満そうに尻尾を揺らした。


ヴァルグは厳かに目を細める。


『黒猫様は、昨日の奇跡を再び望まれている』


「昨日の奇跡ではなく、昨日のころころです」


『奇跡ところころに、どれほどの違いがある』


「あります。かなりあります」


そこへ、転移の光が開いた。


現れたのは、王城からの小さな箱だった。


セリアが受け取ると、添えられた紙にこう書かれている。


『黒猫様のご機嫌伺い。音の鳴らない遊戯玉』


セリアは、ゆっくり目を閉じた。


「王城も学習していますね」


箱の中には、布で巻かれた小さな玉が入っていた。


丸い。


だが、転がらない。


底に重りが入っていて、少し揺れてもその場で戻る。


音も鳴らない。


クロは目を輝かせて近づいた。


すん。


すんすん。


匂いは、少しだけ木。


少しだけ布。


食べ物ではない。


クロは前脚で、ちょいと押した。


ころ。


……とは、いかなかった。


玉はその場で、ゆらりと揺れる。


そして、戻る。


クロの耳が、ぴくりと動いた。


「ニャ?」


もう一度、ちょい。


ゆら。


戻る。


「ニャッ」


クロは少し本気になった。


ちょいちょい。


ゆらゆら。


戻る。


ちょい。


ゆら。


戻る。


クロの瞳が、まん丸になった。


(にげないニャ)


これは、転がらない。


でも、揺れる。


逃げない。


叩くと戻る。


なかなか腹立たしい。


つまり、少し楽しい。


クロは姿勢を低くした。


尻尾の白い先が、ゆっくり左右に揺れる。


セリアはほっと息をついた。


「よかった。転がらないなら安心ですね」


『黒猫様の遊戯を制限するとは』


「王城が必死なんです」


『転がらぬものに価値があるのか』


「今はあります」


クロは、そんな会話など聞いていない。


前脚で玉を叩く。


ゆら。


戻る。


もう一度叩く。


ゆら。


戻る。


「ニャッ」


(もどるニャ!)


クロは楽しくなってきた。


その小さな前脚が、布巻きの玉を一定の調子で叩き始める。


ちょい。


ゆら。


ちょい。


ゆら。


音は鳴らない。


だが、揺れだけが静かに床へ伝わっていった。


------------------------------

第三章:旧測脈塔

------------------------------


旧測脈塔は、王都の北西にあった。


街道から外れた丘の上に、細長い石の塔が立っている。


かつては地脈の揺れを測るため、塔の中に魔石の振り子が吊るされていたという。


今は鐘も振り子も外され、入り口には古い封鎖札が貼られている。


調査隊長ライオネルは、塔の前で足を止めた。


同行しているのは、地脈術師二名、記録官一名、兵士四名。


そして、王命によって固定具でぐるぐる巻きにされた連絡魔石である。


記録官が、気まずそうに木箱を抱えていた。


箱の中には、布と革紐で固定された魔石がある。


「……ここまで固定する必要があるのでしょうか」


ライオネルは短く答えた。


「王命だ」


「はい」


「転がすな」


「はい」


地脈術師の一人が、塔の石壁へ手を当てた。


「黒色反応はありません」


もう一人が、足元の土を調べる。


「地脈の濁りも弱いです。呪核があるようには見えません」


ライオネルは頷いた。


「音の原因は」


その時だった。


塔の中から、かすかな音がした。


ちり。


ころ。


ちり。


記録官が息を呑む。


「石が、鳴っている?」


ライオネルは剣に手をかけた。


「開ける」


封鎖札を剥がし、重い扉を押す。


ぎぎ、と嫌な音を立てて扉が開いた。


塔の中は、暗かった。


床には埃が積もり、古い測定器の跡が円形に残っている。


その中央に、小さな黒い石がいくつも散らばっていた。


ころ。


ちり。


風もないのに、石が少しずつ動いている。


地脈術師が眉を寄せた。


「呪核ではありません」


「黒いが」


「魔力を吸っていません。周囲を腐らせてもいない。ただ、地面の揺れを拾って鳴っています」


ライオネルは塔の奥を睨んだ。


「では、何のために」


その問いに答えるように、塔の壁に吊るされた古い測定板が震えた。


ちり。


ちりちり。


地脈術師の顔色が変わる。


「まずい。これ、地脈の揺れに似せた偽音です」


「偽音?」


「本物の黒い筋を探す時、私たちは魔力だけでなく、地面の細かな揺れも見ます。これをばらまかれると、接続点の候補が増えすぎる」


記録官が紙に走り書きする。


「つまり、呪核ではないが、調査妨害」


「はい。しかも、壊していいか分かりません」


ライオネルが目を細めた。


「なぜだ」


「呪核ではないなら、壊した反動は少ないはずです。ですが、測脈塔そのものが古い観測器です。塔全体に揺れが回っている。雑に壊せば、どの音が本物か分からなくなる」


その時、固定された連絡魔石が、箱の中でかすかに震えた。


ころ、と鳴りかけて、革紐に押さえられる。


記録官が、びくりと肩を跳ねさせた。


「固定してあります」


「そのままにしろ」


ライオネルが命じる。


だが、連絡魔石の向こうから、小さな音が返ってきた。


ちょい。


ゆら。


ちょい。


ゆら。


音ではない。


揺れだった。


一定の、軽い揺れ。


まるで小さな前脚で、何かを叩いているような。


地脈術師が顔を上げた。


「この揺れ……」


「どうした」


「偽音と、ずれています」


塔の中で鳴る黒い石は、不規則だった。


ちり。


ころ。


ちりちり。


だが、連絡魔石の向こうから返る揺れは、単純だった。


ちょい。


ゆら。


ちょい。


ゆら。


余計な意味などない。


計算された術式でもない。


ただ、遊んでいるだけの揺れ。


地脈術師は、はっと息を呑んだ。


「偽音が、崩れています」


黒い石が、一つ止まった。


また一つ、止まる。


一定の揺れに合わない偽音だけが、塔の床の上で浮いたように見えた。


ライオネルは目を細める。


「本物ではない音が、分かるのか」


「はい。黒猫様の揺れが単純すぎるんです」


記録官が筆を止めた。


「その表現、書いていいんですか」


地脈術師は真顔で言った。


「他に言いようがありません」


連絡魔石の向こうで、セリアの声がした。


『クロ様、叩きすぎです』


続いて、小さな鳴き声。


『ニャッ』


ちょい。


ゆら。


ちょい。


ゆら。


塔の中の黒い石が、次々に動きを止めていく。


呪核ではない。


だから、黒猫様の力で消えたわけではない。


ただ、余計な音が、あまりにも素直な猫の遊びの揺れに負けて、紛れられなくなっただけだった。


「回収しろ」


ライオネルが命じた。


兵士たちが慎重に黒い石を拾い上げ、布袋へ入れていく。


地脈術師は、測定板を確認しながら頷いた。


「黒色反応なし。呪核なし。偽音石、十二個」


記録官が筆を走らせる。


「偽音石」


「正式名称ではありません」


「では」


「鳴り石、で」


記録官は少し考え、頷いた。


「鳴り石、十二個。黒猫様の一定の揺れにより偽音の識別が可能となり、全数回収」


ライオネルは空を見上げた。


旧測脈塔の割れた窓から、昼の光が差し込んでいる。


「また、正確に書いても意味が分からない報告書だな」


「はい」


連絡魔石の向こうで、セリアが小さくため息をついた。


『たぶん、ただ遊んでいるだけです』


ライオネルは深く頭を下げた。


「存じております」


少し間を置いて、彼は続けた。


「ですが、その遊びに助けられました」


------------------------------

第四章:戻る玉と戻らない評価

------------------------------


地下百階層では、クロが夢中になっていた。


ちょい。


ゆら。


ちょい。


ゆら。


布巻きの玉は逃げない。


どれだけ叩いても、必ず戻ってくる。


クロは低く身を伏せ、前脚を交互に出した。


「ニャッ」


(もどるニャ)


ちょい。


ゆら。


「ニャッ」


(またニャ)


セリアは、その様子を見守りながら連絡魔石を押さえていた。


「クロ様、そろそろ休みませんか」


「ニャ」


(まだニャ)


ヴァルグは厳粛な面持ちで頷く。


『黒猫様は、偽りの響きを退けるため、御自ら律を刻んでおられる』


「遊んでいます」


『単純なる律こそ、偽りを暴く真理である』


「玉が戻ってくるのが楽しいだけです」


『戻るものを許し、戻らぬものを暴く』


「だんだんそれっぽいことを言うの、やめてもらえますか」


そこへ、王城側の連絡魔石から国王の声が響いた。


『セリア殿』


「はい」


『旧測脈塔の鳴り石は、すべて回収された。呪核ではなかった』


「それはよかったです」


『黒猫様が一定の揺れを刻まれたことで、偽の音が判別できたとの報告だ』


セリアは、クロを見た。


クロは布巻きの玉を叩いている。


ちょい。


ゆら。


ちょい。


ゆら。


とても真剣である。


ただし、世界の危機についてではない。


玉が戻るかどうかについてである。


「クロ様は、戻る玉で遊んでいるだけです」


『分かっている』


国王の声は、疲れていた。


『分かっているが、報告書にはそう書けぬ』


「書いてください」


『書いた上で、意味が分からなくなっている』


セリアは少しだけ同情した。


ヴァルグは重々しく告げる。


『王よ。黒猫様は、偽りの響きに惑わされぬための真なる調べをお示しになった』


『そういうことに、なりそうで怖い』


「ならないようにしてください」


『努力する』


その時、転移の光が小さく開いた。


王城から、追加のご機嫌伺いが届いたのである。


今度は、細長い皿に乗せられた焼き魚のほぐし身と、小粒のカリカリだった。


香ばしい匂いが、地下百階層にふわりと広がる。


クロの前脚が止まった。


耳が、ぴんと立つ。


「ニャ?」


(ごはんニャ?)


布巻きの玉は、目の前でゆらりと戻った。


でも、ごはんの匂いがした。


クロは迷った。


一秒。


二秒。


三秒。


そして、あっさり玉を捨てた。


「ニャッ」


(ごはんニャ!)


セリアは器を置き、苦笑する。


「切り替えが早いですね」


『黒猫様は、偽りの遊戯に執着されぬ』


「ごはんが来ただけです」


クロは皿の前に座り、鼻先を近づけた。


すん。


すんすん。


焼き魚。


ほんのり塩気。


香ばしいカリカリ。


うまそう。


クロは満足そうに尻尾を立てる。


「ニャ」


そして、ぱくりと食べた。


ほろほろの魚の身が舌にほどけ、続いて小粒のカリカリが奥歯に当たる。


かり。


こり。


かりこり。


クロは目を細める。


(うまいニャ)


ヴァルグは深く頭を垂れた。


『偽りの音を退けた後、真なる香りを選ばれた』


「普通に、遊びよりごはんが勝っただけです」


『黒猫様にとって、真理とは常に明快である』


「そこは少し否定しづらいですね」


セリアは小さく笑った。


クロは皿の上をきれいに食べ終えると、満足そうに口元をぺろりと舐めた。


それから、戻る玉のそばへ戻る。


ちょい。


ゆら。


「ニャ」


(まだいたニャ)


玉は、ちゃんと戻ってきた。


クロは満足した。


------------------------------

第五章:鳴らない報告書

------------------------------


王城。


国王は、新たな報告書を読んでいた。


表情は、たいへん静かだった。


静かすぎて、宰相が少しだけ心配になるほどだった。


「陛下」


「読んでいる」


「はい」


「読めば読むほど、意味が分からない」


「はい」


国王は紙を持ち上げた。


『旧測脈塔にて、呪核ではない黒色の鳴り石十二個を確認』


ここまではよい。


『鳴り石は地脈の揺れに似た偽音を発し、調査隊の判断を妨害する目的で置かれた可能性』


これも分かる。


問題は次である。


『同時刻、黒猫様が地下百階層にて音の鳴らない遊戯玉を一定間隔で叩かれる』


国王は、そこをもう一度読んだ。


「音の鳴らない遊戯玉」


「王城からお送りした品でございます」


「余が許可したのか」


「はい」


「記憶にない」


「昨日、連絡魔石を転がさぬために代替品を、と」


国王は目を閉じた。


「余か」


「陛下です」


国王は続きを読んだ。


『黒猫様の一定の揺れにより、鳴り石の偽音が識別可能となる』


「なぜだ」


「現場の地脈術師いわく、鳴り石の偽音は不規則で、黒猫様の遊戯玉の揺れが基準になったとのことです」


「基準」


「はい」


「黒猫様の遊びが」


「はい」


国王は紙を置いた。


「別紙だ」


宰相がすぐに頷く。


「献上品反応記録とは別に、黒猫様遊戯反応記録を」


「なぜ増やす」


「一緒にすると、かえって混乱します」


「分けても混乱する」


「ですが、分類された混乱になります」


国王は天井を見上げた。


分類された混乱。


それは、王国の行政が敗北を認めた時に使う言葉である。


「それで、鳴り石は」


「解析中です。呪核ではありませんが、地脈調査を妨害するための道具である可能性が高いかと」


「メルトか」


「断定はできません。ただ、旧測脈塔を知り、地脈の揺れを偽装できる者となると、かなり絞られます」


国王は頷いた。


「三箇所の呪核、本命、鳴り石。相手は、我々が調べることまで計算に入れ始めた」


「はい」


「ならば、こちらも調べ続けるしかない」


宰相は静かに一礼する。


その時、扉の外から慌ただしい足音が近づいた。


古文書管理官が、息を切らして入ってくる。


「陛下。メルト・マッドンの弟子の名が、一つ判明しました」


国王の視線が鋭くなる。


「申せ」


古文書管理官は、紙を握り締めていた。


「リオル・カーマン。先王時代の王宮地脈術師見習い。旧測脈塔の保守記録に署名が残っています」


宰相が眉を寄せる。


「現在は」


「不明です。ただ、同じ名が、十年前の国境都市の戸籍記録にありました」


国王は、地図へ目を向ける。


国境都市。


王国の外へ抜ける道。


メルトが逃亡した後、消えた弟子たち。


ようやく、一本の細い糸が見えた。


「追え」


「御意」


国王は、報告書の上に手を置いた。


黒猫様の遊び。


王国の調査。


メルトの過去。


その三つが、妙な形で絡み始めている。


「黒猫様には」


宰相が尋ねる。


国王は、しばらく考えた。


「今は知らせるな」


「よろしいので」


「猫に人探しをさせる国王にはなりたくない」


「すでに、黒猫様遊戯反応記録を作る国王ではございます」


「黙れ」


宰相は深く頭を下げた。


口元だけが、ほんの少し笑っていた。


------------------------------

終章:鳴らぬもの

------------------------------


光の届かぬ石室で、報告者が頭を垂れていた。


黒い水盤は、割れたまま机の上に置かれている。


代わりに、薄い石板がいくつも並べられていた。


それぞれの石板には、王国各地へ置いた鳴り石の反応が刻まれている。


そのうち一枚だけ、反応が途切れていた。


旧測脈塔。


報告者は、喉を鳴らすように言った。


「旧測脈塔の鳴り石、全数回収されました」


メルト・マッドンは答えなかった。


「呪核との接続はありません。こちらへの逆流もありません。ただ、王国の調査隊に、偽音と見抜かれました」


「何を基準に」


「不明です」


報告者は、さらに頭を下げた。


「ただ、一定の揺れが混じった後、鳴り石の偽音が乱れた、と」


メルトは、石板を見下ろした。


一定の揺れ。


水ではない。


地脈でもない。


術式でもない。


余計な意図を持たぬ、単純な揺れ。


「……」


沈黙が落ちた。


報告者は、息を殺す。


メルトは、石机の端に置かれていた鳴り石を一つ摘まみ上げた。


指先で軽く弾く。


ころ。


ちり。


鳴る。


もう一度弾く。


ころ。


ちり。


やはり、鳴る。


メルトは、その石を握り込んだ。


「鳴るものは、見破られる」


低い声が、石室に落ちた。


「ならば、次は鳴らぬものだ」


報告者が顔を上げる。


「鳴らぬもの、でございますか」


メルトは答えなかった。


古い地脈図の上で、黒い指が一つの場所を押さえる。


そこは、地図の端だった。


王国の外れ。


人があまり住まぬ、白い霧の谷。


地脈の流れが弱く、音も水も届きにくい場所。


「見えぬものを浮かせるなら、浮かぬものを沈める」


メルトは、静かに言った。


「白霧谷へ向かわせろ」


その頃、地下百階層では。


クロは、音の鳴らない遊戯玉を前脚で押していた。


ちょい。


ゆら。


戻る。


ちょい。


ゆら。


戻る。


「ニャ」


(もどるニャ)


楽しい。


とても楽しい。


だが、少しだけ物足りない。


音がしない。


転がらない。


クロは玉をじっと見つめた。


それから、顔を近づけて鼻先で押した。


ゆら。


戻る。


「ニャ……」


(ちり、しないニャ)


クロは、少しだけ不満そうに尻尾を揺らした。


もちろん、その小さな不満が次の騒動の種になることなど、誰も知らない。


(第30話 完)


ご覧いただきありがとうございます!


「面白い!」「クロ様がかわいい!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、

ページ下部の【ブックマークに追加】や、評価欄の【★★★★★】で応援していただけると、執筆の大きな励みになります!


ぜひブックマークしてお待ちいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。