第27話:黒猫様と、混ざってはいけない献上品
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序章:献上品検分所
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王城の一角に、新しい部屋が用意された。
名を、献上品検分所という。
正式な看板はまだない。
だが、王宮料理長がそう呼び、宰相が書類にそう記し、国王が深いため息と共に承認したため、実質的にはもうその名で定着していた。
部屋の中には、長い調理台が三つ並んでいる。
清潔な白布。
銀の小皿。
密閉用の硝子瓶。
香りを逃がさぬための箱。
そして、各地から届いた黒猫様への献上品候補。
王国中で、黒猫様の噂は広がっていた。
呪核を砕いた。
村を救った。
湖を清めた。
ただし、黒猫様本人は何も知らない。
そのことを知っている者ほど、献上品の扱いに慎重になっていた。
「塩分は」
王宮料理長が、干し魚の薄片を見ながら尋ねる。
「基準内です」
アルフレッドが答えた。
「香辛料は」
「使用されていません」
「乾燥の具合は」
ノエルがそっと指先で確かめる。
「少し硬めですが、小さく砕けば問題ないと思います。ただ、香りが強いので、一度湯気で少し抜いたほうがよいかもしれません」
王宮料理長は真剣に頷いた。
「記録しろ」
書記役の料理人が、慌てて筆を走らせる。
エレナは隣で、ふやかし用の水を確認していた。
「猫用の穀粉も、産地ごとに香りが違いますね」
「黒猫様は、強すぎる匂いを嫌われることがあります」
アルフレッドが静かに言う。
ノエルも頷いた。
「不自然な匂いには、とても敏感です」
王宮料理長は腕を組む。
「不自然な匂い、か」
部屋の空気が少しだけ重くなった。
月影湖の報告は、すでに届いている。
黒猫様が水面の浮きに反応し、前脚を濡らし、嫌がった直後に湖底の呪核反応が途絶えたという、またしても読み手の理解を試す報告である。
そして、その件以降、王城では献上品の受け入れ手順が厳しくなっていた。
黒猫様へ届くものは、まず検分所で見る。
出所を確認する。
材料を確認する。
匂いを確認する。
必要なら、地下100階層へ持ち込む前にセリアへ相談する。
王宮料理長は、積み上がった箱を見た。
「次は」
「西方商会からの干し肉カリカリです」
書記役が札を読む。
箱は上等だった。
木目のよい小箱。
金色の紐。
封蝋には、見覚えのある商会印。
中には、薄く焼かれた干し肉の粒が整然と並んでいる。
見た目は美しい。
色もよい。
脂も浮いていない。
王宮料理長は一粒を摘み、鼻へ近づけた。
「……」
眉が動く。
アルフレッドもすぐに気づいた。
ノエルは、さらに早かった。
彼の表情が静かに強張る。
「待ってください」
部屋の手が止まった。
王宮料理長がノエルを見る。
「何だ」
ノエルは一歩近づき、箱の中を覗き込んだ。
「香りが、変です」
「腐敗か」
「違います。肉は悪くありません。焼きも丁寧です。けれど、奥に……焦げた薬草のような、金属のような匂いが混ざっています」
アルフレッドが目を細めた。
「保存魔術の匂いにも似ているが、違うな」
エレナが箱へ手を伸ばしかけ、すぐに止めた。
「触れないほうがいいです」
王宮料理長は短く言った。
「封を戻せ」
書記役が慌てて動こうとしたが、アルフレッドが制した。
「手袋を」
部屋の空気が一段冷える。
王宮料理長は箱の札を見た。
西方商会。
王城とも取引のある、実在する商会である。
だが、封蝋の縁がわずかに違う。
本物より、線が浅い。
「宰相へ報告する」
王宮料理長は低く言った。
「これは、黒猫様へお出しできん」
ノエルは箱から目を離せなかった。
嫌な匂いは、ごく薄い。
普通の料理人なら、上質な肉の香りに紛れて気づかないかもしれない。
だが、クロに舐められてから研ぎ澄まされたノエルの感覚には、はっきり分かった。
これは、食べ物の匂いではない。
食べ物の顔をした、別のものの匂いだった。
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第一章:出所不明の干し肉
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国王の執務室に、箱が運ばれた。
もちろん、そのままではない。
封じの布で包み、魔術師が外側から簡易結界を張り、王宮料理長とアルフレッドが立ち会っている。
ノエルも呼ばれていた。
彼は緊張した顔で、部屋の端に立っている。
国王は箱を見た。
「献上品に混ざっていたと」
「はい」
王宮料理長が答える。
「西方商会の名を騙ったものと思われます。封蝋がわずかに違います」
宰相が書類をめくる。
「確認を取ったところ、西方商会はそのような品を送っておりません」
国王の顔が険しくなる。
「つまり、黒猫様への献上品に紛れ込ませた者がいる」
「その可能性が高いかと」
「中身は」
アルフレッドが一礼した。
「干し肉カリカリとしては、よく作られております。肉の質も悪くない。ですが、香りの奥に不自然なものがあります」
国王の視線がノエルへ向く。
「気づいたのは、そなたか」
ノエルは慌てて頭を下げた。
「は、はい。ですが、私だけではありません。アルフレッド様も、王宮料理長様も」
「最初に止めたのはそなたなのだな」
ノエルは小さく頷いた。
「……黒猫様に、お出ししてはいけない匂いでした」
国王はしばらくノエルを見た。
そして、静かに頷く。
「よく止めた」
ノエルの肩が震えた。
「もったいないお言葉です」
国王は箱へ視線を戻した。
「魔術師の検分は」
宰相が答える。
「通常の毒は検出されておりません。呪いも、表面上はごく薄い。人が食べても、すぐに害が出るものではないようです」
「では何だ」
「食べた者の魔力に、ごく細い印を残すものかと」
執務室の空気が止まった。
王宮料理長の顔から血の気が引く。
アルフレッドの目が鋭くなる。
ノエルは拳を握った。
国王は低く言う。
「黒猫様を追跡するためか」
「あるいは、反応を見るためか」
宰相の声も硬い。
「食べた場合、どの程度の影響があるかは不明です」
「食べさせるわけにはいかん」
「当然でございます」
国王は机を指で叩いた。
一度。
二度。
乾いた音が、部屋に響く。
「焼却は」
「危険です。呪いが薄く広がる可能性があります」
「封印は」
「できます。ただし、仕掛けた者に反応が返るかどうかは不明です」
国王は目を閉じた。
「黒猫様へ持っていくなど論外だ」
その時、執務室の扉が控えめに叩かれた。
近衛兵が顔を出す。
「陛下。地下100階層より、セリア殿が到着されました」
国王は目を開けた。
「早いな」
宰相が静かに答える。
「念のため、報告を送っておりました」
「なぜそういう手配だけ早い」
「必要かと」
国王は反論しなかった。
反論できなかった。
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第二章:黒猫様、食べない
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地下100階層【奈落の淵】。
問題の箱は、最深部へ持ち込まれた。
ただし、クロへ食べさせるためではない。
ヴァルグの前で、セリアが確認するためである。
王城で封じられた箱は、黒い石床の上に置かれていた。
その周囲には、セリア、ヴァルグ、アルフレッド、ノエル、王宮料理長が立っている。
国王は来ていない。
来たがったわけではない。
来てはいけない、と宰相に止められた。
王国の頂点が毎回地下100階層へ降りるわけにもいかない。
それは正しい。
ただし国王は、執務室でかなり不機嫌な顔をしていた。
クロは、ヴァルグの前脚の間で寝ていた。
「すぴー……」
白い腹が、ゆっくり上下している。
セリアは箱を見下ろした。
「これが、混ざっていた献上品ですね」
アルフレッドが頷く。
「はい。見た目は上等です」
王宮料理長は低く言う。
「だが、黒猫様へ出すものではない」
ノエルは黙っていた。
彼の鼻には、まだあの嫌な匂いが残っている。
ヴァルグの黄金の瞳が、箱へ向けられた。
『薄いな』
セリアが顔を上げる。
「呪いですか」
『呪いというより、印だ。喰らったものに残り、遠くから反応を見るためのものだろう』
王宮料理長の拳が震えた。
「料理を、そのようなものに」
アルフレッドも静かに目を伏せた。
「許しがたいですね」
ヴァルグの声が、さらに低くなる。
『黒猫様の御口へ入れるつもりであったなら』
空気が重く沈んだ。
セリアはすぐに言った。
「ヴァルグ様。まだ入っていません」
『入る前に止めた者がいる』
黄金の瞳がノエルへ向いた。
ノエルはびくりと肩を跳ねさせる。
『よく気づいた』
ノエルは深く頭を下げた。
「黒猫様に、変なものを食べてほしくなかっただけです」
その声に、クロの耳がぴくりと動いた。
「ニャ……」
(カリカリ?)
クロが目を開けた。
寝ぼけた顔で、ゆっくり身体を起こす。
背中を伸ばす。
前脚をぐうっと前へ出し、爪を軽く開く。
「ふにゃあ……」
あくびをしたクロの鼻が、ひくひく動いた。
くん。
くんくん。
箱の匂いがする。
肉の匂い。
焼いた匂い。
その奥に、嫌な匂い。
クロは目を細めた。
「フンッ」
(へんなにおいニャ)
セリアがすぐに膝をつく。
「クロ様、これは食べないでくださいね」
クロは聞いていない。
とことこ歩いて、箱の前へ来る。
全員が固まった。
セリアは手を伸ばしかけて、止める。
進路を塞がない。
だが、食べさせない。
その二つの間で、セリアの表情が少しだけ真剣になる。
クロは箱の端をくんくんした。
嫌な匂い。
でも、肉の匂いもする。
少し気になる。
前脚を上げる。
ちょい。
箱の端を触った。
その瞬間、箱の中に仕込まれていた薄い印が動いた。
食べさせるためのもの。
口に入ったものへ絡みつき、魔力に細い印を残すもの。
それが、クロの前脚へ伸びようとして。
ふっ。
消えた。
【絶対不可侵領域】。
クロ本人が害と認識するまでもなく、クロへ届こうとしたものは失われる。
箱の中の干し肉カリカリから、嫌な匂いがすっと抜けた。
残ったのは、ただの肉の匂い。
けれど、クロはもう興味を失っていた。
一度「へんなにおい」と思ったものは、あまり食べたくない。
クロは鼻を鳴らす。
「フン」
そして、箱から離れた。
セリアはほっと息を吐いた。
「食べませんでしたね」
『黒猫様は毒餌を見抜かれた』
「変な匂いがしたんだと思います」
『そして触れるだけで、仕込まれた印を消された』
「ちょっと触っただけです」
『それで消えた』
セリアは黙った。
また、否定できない。
王宮料理長が箱へ近づき、慎重に匂いを確かめた。
「……嫌な匂いが消えている」
アルフレッドも頷く。
「印も消えたようです」
ノエルは、胸を押さえた。
黒猫様が食べなかった。
それだけで、全身から力が抜けそうだった。
クロはノエルの足元へ来た。
すり。
ノエルは固まる。
「クロ様」
クロはノエルを見上げた。
(カリカリの人ニャ)
食べるもの。
ちゃんとした匂いのもの。
クロはそれを思い出していた。
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第三章:ちゃんとしたカリカリ
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ノエルは慌てて調理台へ向かった。
最深部には、非常用の食材が少し置かれている。
アルフレッドが選んだ白身魚。
エレナから分けてもらった猫用の穀粉。
セリアが管理している清水。
そして、香りの淡い乾燥草。
「すぐ作ります」
ノエルの声は小さかったが、迷いはなかった。
王宮料理長が腕を組む。
「手伝おう」
アルフレッドも袖をまくった。
「火加減を見る」
セリアは少し微笑んだ。
「お願いします」
ヴァルグは箱を見下ろしたままだった。
『偽りの献上品の後に、真なる献上品を捧げるか』
「普通にお口直しだと思います」
『口を清める儀である』
「お口直しです」
ノエルは魚を細かくほぐした。
余計な脂を取り、穀粉と混ぜる。
清水を少しずつ加え、柔らかすぎない生地にする。
香りは淡く。
形は小さく。
転がりすぎない楕円。
王宮料理長が横から低く言う。
「焼きすぎるな。今日は香りを立てすぎないほうがいい」
「はい」
アルフレッドが火を調整する。
「表面だけ軽く。中は少しふわりと残す」
「はい」
ノエルの手は落ち着いていた。
さっきまで震えていた指が、今は正確に動く。
クロは調理台の下で待っている。
尻尾が、ゆっくり左右に揺れていた。
(まだニャ?)
焼き上がった粒は、淡い黄金色だった。
白身魚のやさしい匂い。
穀粉の香ばしさ。
清水の澄んだ香り。
ノエルは皿に盛り、小さく息を吐いた。
名をつけるなら、【清水白身魚の安心ふわカリカリ】。
派手ではない。
豪華でもない。
だが、変な匂いは一つもなかった。
「クロ様」
セリアが皿を置く。
クロはすぐに近づいた。
くん。
くんくん。
さっきの箱とは違う。
ちゃんと美味しそうな匂い。
クロは一粒を前脚で触る。
ちょい。
少し転がる。
だが、逃げすぎない。
クロの耳が立った。
「ニャ」
口に入れる。
かり。
表面が軽く割れた。
中から白身魚の柔らかな旨味が広がる。穀粉の香ばしさが後から追い、清水のようなすっきりした余韻が残った。
クロの尻尾が、ぴんと立つ。
「ニャ……」
(うまいニャ)
かり。
ぽり。
かりかり。
最深部に、心地よい咀嚼音が響く。
ノエルはその音を聞いて、ようやく息を吐いた。
王宮料理長も、肩の力を抜く。
アルフレッドは静かに目を細めた。
クロは完食した。
皿の匂いをもう一度確かめ、満足そうに舌で口元を舐める。
それから、とことことノエルの足元へ戻った。
ノエルは膝をつく。
「クロ様」
クロはノエルの指先を、ぺろりと舐めた。
傷はない。
呪いもない。
ただ、指先に残っていた緊張が、ふっと抜けた。
ノエルの胸の奥に固まっていた恐怖が、少しほどける。
自分が気づけなかったら。
黒猫様が食べていたら。
そんな想像で冷えていた心が、じんわり温かくなった。
ノエルは目を伏せた。
「ありがとうございます」
クロは何も知らない。
ただ、美味しいカリカリを作った人に、食後のお礼をしただけだった。
セリアはその様子を見て、静かに微笑んだ。
『黒猫様は、献上品を偽る者の企みを退け、真なる料理人を嘉された』
「美味しかったから、お礼をしたんだと思います」
『それで心が救われた』
セリアは少しだけ困った顔をした。
「……それは、そうですね」
クロはノエルの膝の上へ前脚を乗せた。
ふみ。
ふみふみ。
ノエルは動かなかった。
もう、講習資料を見るまでもない。
経験で知っている。
選ばれたら、動かない。
クロは膝の上で丸くなった。
「すぴー……」
お腹いっぱい。
変な匂いのものは食べなかった。
ちゃんと美味しいものを食べた。
膝は温かい。
それだけで、クロは満足だった。
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終章:食わぬ猫
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王城から遠く離れたどこか。
光の届かぬ石室で、黒い水盤が揺れていた。
水面には、途切れかけた断片だけが映っている。
仕込んだ印が消える直前に返した、わずかな像だった。
完全ではない。
竜の気配が濃すぎるせいで、映像は何度も黒く潰れる。
それでも、必要なものだけは見えた。
黒い猫。
箱。
前脚。
そして、印が消える瞬間。
低い声が、静かに言った。
「食わなかったな」
報告者は膝をついている。
「はい」
「餌としては悪くなかったはずだ」
「肉質、焼き、形状、いずれも猫に近づけるため調整しております」
「だが食わなかった」
「はい」
水盤の中で、黒い猫が箱を触る場面が繰り返される。
ちょい。
その一度で、仕込まれた印が消える。
低い声は、長く沈黙した。
「食わせる必要はないのか」
「少なくとも、接触だけで印は消失しました」
「触れたものを消す」
「触れようとしたものが消えた、というべきかと」
「違いは」
報告者は少し迷った。
「分かりません」
水盤の縁に、細い亀裂が走る。
だが、低い声は怒鳴らなかった。
怒りよりも、観察が勝っていた。
「あの猫は、不自然なものを食わない」
「そのようです」
「だが、別のカリカリは食った」
水盤に、別の皿へ近づく黒い猫の影が映る。
そこで映像は大きく歪み、黒く途切れた。
印が失われた以上、その先は見えない。
低い声が、わずかに低くなった。
「選んでいる」
「味、匂い、あるいは作り手でしょうか」
「猫のくせに」
沈黙。
水盤には、もう何も映っていない。
黒い水だけが、静かに揺れている。
「次は、餌ではない」
報告者が顔を上げた。
「では」
「あの猫が何を好み、何を嫌うかを調べろ」
「は」
「食い物だけではない。動くもの、匂い、音、寝床。すべてだ」
水盤の黒が、ゆっくり揺れた。
「猫であるなら、癖がある」
低い声は、吐き捨てるように続けた。
「猫でないなら、その癖こそ正体を暴く」
その頃、地下100階層では。
クロがノエルの膝の上で寝返りを打った。
「ふにゃ……」
もちろん、何も知らない。
(第27話 完)
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