第25話:黒猫様と、封じられた神殿跡のひなた石
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序章:北東からの緊急報告
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王城。
早朝の執務室に、硬い足音が響いた。
扉の前で近衛兵が一礼し、封蝋のついた書状を差し出す。
北東地方の紋章。
古い神殿跡を管理する地方官からの緊急報告だった。
国王は封を見るなり、眉間に深い皺を刻んだ。
「宰相」
「はい」
「嫌な封だ」
「まだ中身をご覧になっておりません」
「見なくても分かる時がある」
国王は封を切った。
紙を広げる音が、朝の静かな執務室にやけに大きく響く。
一行目を読んだ時点で、国王の表情が変わった。
「北東の古い神殿跡。封じられた地下区画の入口付近に、黒い筋が滲み出ている」
宰相の目が細くなる。
「黒い結晶状のものは確認されておりますか」
「地下区画の奥で、魔力灯が黒く染まったとある。入口は封印術で閉ざされているため、内部確認はできていない」
「封じられた地下区画」
宰相は低く繰り返した。
古い神殿跡は、かつて地脈の乱れを鎮めるために建てられた場所である。
今では礼拝も途絶え、石壁と柱だけが残っている。地下には古い祭壇があり、地脈の流れが乱れぬよう、王国の封印術で閉ざされていた。
人は入れない。
許可なく開けてもならない。
管理官は月に一度、外側の封印石と魔力灯を確認するだけだった。
その封印石に、黒い筋が浮かんでいる。
国王は報告書を置いた。
「遅れるわけにはいかんと言った翌日にこれか」
「早く見つかった、と考えるべきかと」
「前向きな言い換えにも限度がある」
宰相は書状を受け取り、目を通した。
「通達通り、管理官は地下を開けておりません。黒い筋を削ろうともしていない。周囲を封鎖し、近隣住民を退避させています」
「よい。そこは褒めろ」
「はい」
「調査隊を向かわせる。マルセルを呼べ」
「すぐに」
国王は机の隅に置かれた二本の黒い毛を見た。
小さな黒い毛。
王国のどんな剣よりも、どんな魔術よりも、今のところ呪核を止めているものに近い。
そう考えかけて、国王は自分の思考に嫌そうな顔をした。
「黒猫様に願う、という言い方はするな」
「心得ております」
「黒猫様は命令対象ではない。兵器でもない。国家災害対策の手段として扱うな」
「はい」
「ただし」
国王は少しだけ間を置いた。
「もし黒猫様が散歩されるなら、現地が危険でないよう整えろ」
宰相は深く一礼する。
「そのための調査隊でございます」
国王は椅子の背に身を預けた。
「封じられた地下か」
「敵がいるなら、考えてきたのでしょう」
「人も獣も近づけぬ場所、というわけか」
「そのつもりかと」
国王はしばらく黙った。
やがて、疲れたように呟く。
「猫は、思ったより隙間を見つけるぞ」
宰相は答えなかった。
ただ、筆を取り、調査隊への命令書を書き始めた。
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第一章:封印石の上のひなた
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北東の古い神殿跡。
そこは、低い丘の上にあった。
崩れかけた石柱が、朝の光を受けて白く光っている。壁は半分ほど失われ、屋根もない。かつて祈りの声が満ちていた場所には、今は風と草の音だけが残っていた。
神殿の中央には、円形の広場がある。
その中央に、大きな封印石が据えられていた。
平たい石である。
人が三人並んで寝転べるほど広く、表面には古い紋様が刻まれている。
その紋様の隙間から、黒い筋が薄く滲んでいた。
神殿跡の入口では、マルセル隊長が調査隊を整列させていた。
「封印石には触れるな。削るな。持ち帰ろうとするな」
「はっ」
「黒い筋を発見しても、慌てるな。記録し、距離を取り、セリア殿の指示を待つ」
「はっ」
若い兵士が、少し緊張した顔で手を上げた。
「隊長。黒猫様が封印石へ近づかれた場合は」
マルセルは即答した。
「進路を塞がない」
「しかし、封印石です」
「進路を塞がない」
「はい」
「危険という言葉を使う時は、対象を間違えるな」
兵士たちは真剣に頷いた。
講習は、役に立っている。
役に立っていることが、少しだけ妙だった。
やがて、神殿跡の外側に黒い影が落ちた。
巨大な影ではない。
今日は、ヴァルグは人型である。
漆黒の礼服をまとった美形の執事姿で、片腕に小さな籠を抱えている。
その籠の中から、黒い耳がぴょこんと出ていた。
「ニャ」
クロである。
セリアは籠のそばに立ち、神殿跡を見渡した。
「ここが、報告のあった神殿跡ですね」
マルセルが深く頭を下げる。
「はい。地下区画は封印されています。黒い筋は中央の封印石に出ていますが、地下は開けておりません」
「開けない判断で正しいと思います」
「ありがとうございます」
ヴァルグの黄金の瞳が、封印石へ向けられた。
『地脈の封印か。古いが、まだ機能している』
セリアは封印石の表面を見た。
黒い筋は、細い。
だが、嫌な気配がある。
ぬるりとした影が、石の紋様の隙間に残っているようだった。
「呪核は地下にあるんでしょうか」
『おそらくな。封印そのものを壊すのではなく、内側から地脈に触れようとしている』
「封印石を開ければ」
『開けるな』
ヴァルグの声が低くなった。
調査隊が一斉に背筋を伸ばす。
ヴァルグは封印石を見たまま続けた。
『封じられたものを利用している可能性がある。人の手で開けば、地脈の乱れごと噴き出す』
「では、近づかないほうが」
セリアは言いかけて、口を閉じた。
籠の中で、クロが鼻をひくひくさせていた。
くん。
くんくん。
封印石の上には、朝日が当たっている。
石は温められ、ほんのりとした熱を持っていた。
クロは籠から顔を出す。
黒い瞳が、封印石を見た。
危険な呪い。
封じられた地下。
王国の地脈。
そんなものは、クロには分からない。
分かるのは、ひなたで温まった平たい石があること。
そして、そこがとても寝やすそうだということだった。
「ニャ」
(あったかいニャ)
クロは籠から出た。
セリアがそっと手を添える。
「クロ様、足元に気をつけてくださいね」
クロは聞いていない。
前脚をとことこと動かし、封印石へ向かって歩いていく。
調査隊員たちは息を止めた。
マルセルは片手を上げる。
誰も動くな、という合図だった。
クロは封印石の手前で止まった。
鼻を寄せる。
くん。
黒い筋から、湿った土のような、古い地下室のような匂いがした。
クロは少しだけ顔をしかめた。
「フンッ」
(へんなにおいニャ)
前脚で、ちょいと触る。
黒い筋が、ぴくりと震えた。
調査隊員の一人が息を呑む。
ヴァルグの視線がその隊員に向いた。
隊員は即座に口を閉じた。
クロはもう一度、黒い筋を触った。
ちょい。
石の表面で、爪が小さく鳴る。
かり。
クロの耳が立った。
音が面白かった。
かり。
かりかり。
「クロ様」
セリアの声に、わずかな緊張が混じる。
だが、クロは封印石の上へ前脚を乗せた。
石は温かい。
とてもよい。
クロは迷わず、封印石の上に乗った。
そして、丸くなった。
調査隊の全員が固まった。
マルセルが、ほとんど聞こえない声で呟く。
「寝床にされた」
セリアは額に手を当てた。
「そうですね」
『黒猫様は、封印の要を御座所として選ばれた』
「ヴァルグ様、言い方が大げさです」
クロは目を細めた。
石の温かさが腹に伝わる。
風が耳の先を撫で、草の匂いが鼻をくすぐる。
少しだけ、黒い筋の匂いが邪魔だった。
クロは前脚を伸ばす。
ふみ。
ふみふみ。
封印石の紋様の上で、肉球がゆっくりと沈む。
黒い筋が、細く震えた。
地下の奥で、何かが軋む音がした。
ごく小さな音だった。
人の耳には届かない。
だが、ヴァルグの目が細くなった。
『……動いたな』
「何がですか」
『地下の呪核だ』
セリアの表情が変わった。
クロは何も知らない。
ただ、温かい石の上で、気持ちよく前脚を動かしている。
ふみ。
ふみふみ。
(いい石ニャ)
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第二章:地下で途切れる黒い声
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封印石の下。
深い地下区画の奥で、黒い結晶塊が脈打っていた。
それは祭壇の裏側、古い地脈の流れに触れる位置へ埋め込まれていた。
周囲には黒い筋が伸びている。
筋は石床を這い、壁の紋様に入り込み、封印石の裏側へ達していた。
呪核は、封印を破るために置かれたのではない。
封印の内側で反応を溜め、地脈へ汚染を返すために置かれていた。
人が封印を開ければ、内側に溜められた濁りが一気に噴き出す。
人が開けなければ、黒い筋が少しずつ表へ滲み出し、外側から不安を煽る。
そして、何者かが干渉すれば、その反応を遠くへ返す。
そういう仕掛けだった。
だが、今。
封印石の上で、黒猫が寝ている。
ふみ。
ふみふみ。
小さな肉球が、封印の紋様を押す。
黒い筋が、反応した。
呪いは、触れたものへ絡みつこうとする。
封印石の表面へ伸び、黒い毛並みへ届こうとして。
ふっ、と消えた。
【絶対不可侵領域】。
クロ本人が害と認識するまでもない。
クロを蝕もうとしたものは、クロへ届く前に失われる。
地下の呪核が、わずかに震えた。
遠くの石室へ、反応を返そうとする。
だが、黒い筋の先が消えている。
何に触れたのか分からない。
何に拒まれたのか分からない。
ただ、届かない。
封印石の上で、クロは眠そうに目を細めた。
「ふにゃ……」
(ぽかぽかニャ)
前脚がもう一度動く。
ふみ。
黒い筋が、また一つ消えた。
封印石の紋様が、淡く光る。
古い神殿跡に残っていた封印術が、ほんの少し息を吹き返したように見えた。
マルセルは目を見開く。
「封印石の紋様が」
「触らないでください」
セリアが即座に言った。
「記録だけをお願いします」
「はっ」
調査隊員たちは慌てて書板を構えた。
誰もクロに近づかない。
誰も封印石へ手を出さない。
講習は、本当に役に立っていた。
クロは丸くなったまま、尻尾の先を揺らす。
黒い筋の匂いが薄くなっていく。
代わりに、石の匂いと草の匂いが戻ってきた。
クロは満足した。
眠る。
それが一番よい。
「すぴー……」
セリアは小さく息を吐いた。
「寝ましたね」
『うむ』
「地下の呪核は」
『反応が乱れている。封印石へ伸ばした筋を、黒猫様の御身に触れさせようとして消されたのだ』
「つまり、クロ様は」
『寝ておられる』
「そこは普通に言うんですね」
ヴァルグは厳かに頷いた。
『黒猫様の眠りは、すべてに優先する』
セリアは反論しなかった。
封印石の上で、クロの腹がゆっくり上下している。
黒い筋は、一本、また一本と薄くなっていく。
地下の奥では、呪核が音もなく亀裂を増やしていた。
砕けるには、まだ少し足りない。
だが、機能はもう保てていない。
外へ伸ばした汚染の経路を失い、遠くへ反応を返すための筋も途切れかけている。
封じられた地下は、静かになっていった。
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第三章:ひなた石の献上品
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昼前になると、神殿跡の石はさらに温まった。
クロは封印石の上で、長いこと眠っていた。
調査隊は動けない。
封印石に近づけない。
黒猫様を起こせない。
そして、ヴァルグが見ている。
その三つの理由により、神殿跡は奇妙な静寂に包まれていた。
やがて、セリアが小さく言った。
「そろそろ、お腹が空く頃ですね」
マルセルが即座に振り向く。
「献上品の準備はできております」
「ありがとうございます」
今回の献上品は、神殿跡の管理官と、同行した料理人たちが用意したものだった。
古い神殿では、かつて白身魚と聖麦を薄く焼いた保存食が供えられていたという。
それを黒猫様用に作り直した。
塩は使わない。
香辛料も使わない。
聖麦を細かく挽き、白身魚のほぐし身と山羊乳を混ぜ、薄く伸ばして低温で焼く。
仕上げに、ほんの少しだけ乾燥した薬草の香りを移す。
名は、【聖麦と白身魚の薄焼きカリカリ】。
管理官の老女が、皿を両手で持って近づいた。
足は震えている。
だが、皿は揺らさなかった。
「黒猫様に、失礼のないように」
マルセルが小声で確認する。
「膝をついて、皿を置いたら下がってください。黒猫様が近づかれても手を伸ばさない。選ばれた場合だけ、動かない」
老女は真剣に頷いた。
「講習で聞きました」
「聞いたんですか」
「村の孫が写しを送ってくれまして」
マルセルは一瞬、遠い目をした。
講習資料は、すでに地方へ流れ始めているらしい。
王国は着実に変わっている。
どの方向へ変わっているのかは、考えないほうがよい。
老女は封印石から少し離れた場所に皿を置き、静かに下がった。
焼きたての香りが、風に乗った。
白身魚の淡い甘み。
聖麦の香ばしさ。
山羊乳の柔らかな丸み。
クロの耳が動いた。
ぴく。
「ニャ」
クロは目を開けた。
鼻がひくひくと動く。
くん。
くんくん。
(いいにおいニャ)
クロはゆっくり起き上がった。
封印石の上で背中を伸ばし、前脚をぐうっと前へ出す。
黒い筋は、ほとんど見えなくなっていた。
だが、クロはそんなことを気にしない。
皿を見る。
薄いカリカリが、食べやすい大きさに割られて並んでいた。
クロは封印石から降り、皿へ近づいた。
くん。
一枚を前脚でちょいと触る。
薄い粒は、あまり転がらない。
クロは少しだけ考えた。
(ころころしないニャ)
だが、匂いはよい。
クロは口を開けた。
かり。
薄い生地が軽く割れた。
ぱり。
香ばしい聖麦の香りが先に広がり、白身魚の柔らかな旨味が後から追ってくる。山羊乳の甘みが角を丸め、薬草の香りがほんの少しだけ鼻に残った。
クロの尻尾が、ゆっくり立った。
「ニャ……」
(うまいニャ)
ぱり。
かりかり。
ぱり。
軽い音が、神殿跡に響く。
管理官の老女は、両手を胸の前で握りしめていた。
彼女は長く、この神殿跡を守ってきた。
参拝者のいない石柱を掃き、封印石の埃を払い、誰にも見られない魔力灯の火を確かめてきた。
それが誇りだった。
だが、黒い筋が封印石に浮かんだ時、彼女は初めて足がすくんだ。
守ってきたものが、自分の手ではどうにもならないものへ変わる怖さ。
それを、目の前の黒猫は知らない。
知らないまま、薄焼きのカリカリを美味しそうに食べている。
老女の目に、涙が滲んだ。
「……ありがとうございます」
小さな声だった。
クロは最後の一枚を食べ終えた。
ぱり。
満足した。
とても満足した。
クロは皿のそばで毛繕いを始める。
ぺろ。
ぺろぺろ。
そして、食後のお礼を探すように顔を上げた。
一番近くにいたのは、皿を置いた老女だった。
老女は講習通り、動かなかった。
クロが近づく。
「ニャ」
ぺろり。
クロは老女の指先を一度だけ舐めた。
老女の手は、長年の掃除と石仕事で荒れていた。
節くれだった指。
ひび割れた皮膚。
冬になると痛みで眠れないこともあった。
その手から、痛みがすっと抜けた。
ひび割れが閉じ、こわばっていた指が柔らかく動く。
老女は自分の手を見た。
「あ……」
声にならなかった。
膝が震える。
倒れそうになった老女を、マルセルがそっと支えた。
「動かないでください」
「はい……はい」
老女は涙をこぼしながら、それでも手を伸ばさなかった。
講習は、本当に役に立っていた。
クロは満足げに尻尾を揺らし、また封印石の上へ戻った。
ぽかぽかしている。
しかも、お腹も満ちた。
最高である。
「すぴー……」
クロは再び眠った。
セリアは微笑み、すぐに封印石を見た。
黒い筋は消えていた。
紋様の奥から、淡い光がにじんでいる。
ヴァルグが静かに告げた。
『地下の呪核は砕けた』
「封印は」
『保たれている。むしろ、清まった』
マルセルがその場で膝をつきそうになり、ぎりぎりで踏みとどまった。
「記録します」
「お願いします」
彼は書板に震える手で記した。
黒猫様、封印石を寝床として選定。
黒猫様、封印石上にて休息。
黒猫様、聖麦と白身魚の薄焼きカリカリを完食。
黒猫様、管理官の手を一舐めし、長年の手荒れを癒やす。
黒猫様、再度休息。
その間に、封印石の黒い筋は消失。
地下区画の呪核反応、途絶。
マルセルは筆を止めた。
「隊長」
若い兵士が尋ねる。
「これ、公式報告書にするんですか」
マルセルは封印石の上で眠るクロを見た。
その横で、ヴァルグが静かにこちらを見ている。
「する」
「このままですか」
「事実を書く」
若い兵士は頷いた。
「では、寝床として選定、で」
「そうだ」
「休息により呪核反応途絶、と」
マルセルは少し考えた。
「違う」
「違いますか」
「休息中に、だ」
若い兵士は真剣な顔で書き直した。
王国の公式記録は、今日も少しずつ妙な精度を増していく。
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終章:返らない反応
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王城から遠く離れたどこか。
光の届かぬ石室で、黒い水盤が激しく揺れていた。
水面には、北東の古い神殿跡が映っている。
いや、映っていた。
今は、黒い波紋だけが残っている。
「どういうことだ」
低い声が、石室に落ちた。
報告者は膝をつき、顔を伏せている。
「反応が、返りません」
「封じられた地下だぞ」
「はい」
「外からの干渉は拒むようにした」
「そのはずです」
「人も獣も近づけぬ場所に置いた」
「そのはずです」
水盤が、ぴしりと音を立てた。
「では、なぜ途切れた」
報告者は答えられなかった。
水盤の中で、黒い結晶の光が一つ消えている。
妖精の森。
麦畑。
廃鉱。
そして、北東の神殿跡。
四つ目だった。
「竜の魔力は」
「観測されておりません」
「術式は」
「ありません」
「浄化反応は」
「確認できません」
沈黙。
石室の空気が重く沈む。
やがて、低い声が押し殺すように言った。
「また、突然か」
「はい。抵抗も、呪い返しも、侵食反応もありません。ただ、表層へ伸ばした筋が消え、その後、核の反応が途切れました」
「表層へ伸ばした筋」
「封印石の外側へ、ごく細く」
「そこから消えたのか」
「はい」
長い沈黙が落ちた。
やがて、水盤の奥で、黒い影がゆっくりと歪む。
「次は、表へ出すな」
「は」
「筋も、匂いも、気配も、何一つ外へ漏らすな。触れられる余地を作るな」
報告者は深く頭を下げた。
「次の核は」
低い声が、冷たく告げる。
「水底だ」
黒い水盤の中に、新しい光が灯る。
深い湖。
月の映らぬ水面。
底へ沈められていく、黒い結晶。
その影が揺れた。
(第25話 完)
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