第24話:黒猫様と、途切れた呪核の報告
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序章:王城に積まれる黒い報告
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王城。
国王の執務室には、朝から重い空気が沈んでいた。
机の上には三つの報告書が並んでいる。
妖精の森。
リーベル村。
グライム廃鉱。
どれも場所は違う。被害の出方も違う。森では精霊樹が弱り、村では麦畑と井戸が汚染され、廃鉱では鉱脈と坑木に黒い筋が広がっていた。
だが、中心にあったものは同じだった。
黒い結晶状の呪核。
そして、それを砕いた存在も同じである。
国王は三枚目の報告書を持ち上げ、目元を押さえた。
「宰相」
「はい」
「余は今、非常に真面目な災害報告を読んでいるはずだな」
「その通りでございます」
「では、なぜ報告書の中に『遊戯対象として破砕』という一文がある」
宰相は一拍置いた。
「現地で実際に起きたためかと」
「分かっている。分かっているから困っている」
国王は報告書を机に置いた。
グライム廃鉱の呪核は、坑道内の黒く染まった鉱石片を引き寄せたり弾いたりし、転がる音で周囲の生物を誘引していた。
黒猫様は、その鉱石片を追いかけた。
追いかけ、叩き、転がし、最終的には固定を失った呪核本体まで遊戯対象として破砕した。
報告書としては、整っている。整っているのに、読み手の理解が追いつかない。
「つまり、今回は石で遊んだ結果、呪核が砕けたのか」
「結果としては、廃鉱の魔力汚染が停止しております」
「結果を盾にすれば何でも通ると思うな」
「通っております」
「そこを即答するな」
国王は深く息を吐いた。
机の隅には、二本の黒い毛が置かれている。
地下100階層で、黒猫様が国王のマントを寝床にした時に残ったものだ。
捨てられない。
ただし、これを国宝と呼ぶには、国王自身の理性がまだぎりぎり抵抗している。
「……三件だ」
国王の声が低くなる。
宰相の表情も、わずかに引き締まった。
「はい」
「妖精の森、麦畑、廃鉱。偶然にしては、場所の選び方が悪意に満ちている」
「森は精霊と薬草。村は食糧と水。廃鉱は山の地脈と坑道の安全。どれも周辺地域の生活に深く関わります」
「呪核は自然発生ではないな」
「少なくとも、現時点では人工的に設置されたものと見るべきかと」
国王は椅子の背に身を預けた。
窓の外では、王都の朝がいつも通りに動いている。
市場へ向かう荷車の音。遠くの鐘。城壁を巡回する兵士の足音。
その平穏の下で、王国の各地に黒い結晶が埋め込まれている。
そう考えると、執務室の空気は一段冷えた。
「誰かが、森を枯らし、畑と水を腐らせ、山の奥まで壊そうとしている」
宰相は否定しなかった。
「その可能性が高いかと」
国王は指先で机を叩いた。
一度、二度。乾いた音が、報告書の上で止まる。
「黒猫様を兵器のように扱うことは許さん」
「はい」
「だが、黒猫様が現地へ向かわれた時、我々が邪魔をしてはならん」
「調査隊講習は、そのために整えております」
「そして、各地の報告は急がせろ。黒い結晶状のものが見つかった場合、掘り返すな。砕くな。持ち帰るな。周囲を封鎖し、記録し、待て」
宰相が静かに頷く。
「呪核が周囲の魔力や生命力を吸い、地形や素材に沿って汚染を広げることは、三件で共通しております。現場判断で動かすのは危険でしょう」
「そうだ。動かすな。隠すな。燃やすな。祈るな」
「祈るな、も入れますか」
「聖職者が聞いたら浄化を試みるだろう」
「では入れましょう」
国王はしばらく沈黙した。
そして、低く言った。
「ただし、献上品の準備は怠るな」
宰相は表情を変えずに答える。
「すでに地方別の食材候補を整理しております」
「なぜそこだけ仕事が早い」
「結果が出ておりますので」
国王は目を閉じた。
もう、反論の言葉はなかった。
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第一章:報告書の余白に残るカリカリ
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午後。
王城の会議室には、呪核調査隊の関係者が集められていた。
マルセル隊長は、グライム廃鉱から戻ったばかりである。
顔には疲れが残っている。だが、目だけは妙に澄んでいた。
リーベル村で黒猫様を見た者は、だいたい同じ目になる。
国王はそこに気づいていたが、あえて触れなかった。
「報告を聞く」
「はっ」
マルセルは背筋を伸ばした。
「グライム廃鉱の呪核は、古い採掘場の床と壁の境目に半ば埋め込まれておりました。周囲の鉱脈と坑木には黒い筋が広がり、魔力灯はほぼ機能停止。坑道内には転がる鉱石片の音が断続的に響いておりました」
「呪核そのものが増えたわけではないな」
「はい。増殖ではありません。黒く染まった鉱石片が動かされていたものと判断しております」
国王は頷いた。
ここは重要だった。
呪核が自ら増えるなら、王国の対応は一段変わる。だが、今のところ確認されているのは、設置された核が周囲を汚染し、地形や素材を利用するという性質である。
危険であることに変わりはない。ただ、絶望の形が少しだけ絞れる。
「黒猫様は」
国王が言うと、会議室の空気がわずかに変わった。
マルセルは報告書を見ずに答える。
「転がる鉱石片に反応されました」
「……そうか」
「追跡され、前脚で複数回接触。その後、坑道奥の呪核本体へ接近。黒く染まった鉱石片を破砕されたことで固定が緩み、呪核本体が壁際から外れました」
「そこで止めようとは」
マルセルの表情が、少しだけ硬くなった。
「黒猫様の進路を塞がぬこと。セリア殿の指示を待つこと。危険という言葉の対象を間違えぬこと。講習内容に従いました」
会議室の隅で、若い文官が小さく息を呑んだ。
国王は真顔で頷いた。
「講習が役に立ったか」
「命拾いしました」
「そこまでか」
「ヴァルグ殿の声が、一度低くなりました」
会議室の空気が凍った。
マルセルは続けた。
「そのため、すぐに言い直しました」
「何と」
「黒猫様が危険なのではなく、周囲の者が不用意に近づくことが危険である、と」
国王はしばらく黙った。
そして、深く頷いた。
「講習内容が役に立ったわけだな」
宰相が筆を取る。
「承知いたしました」
「公式資料がどんどん妙な方向へ整っていくな」
「現場で有効です」
「分かっている。分かっているから困っていると言っている」
会議室の空気が、少しだけ緩んだ。
その隙間に、王宮料理長が咳払いをした。
「陛下。献上品についても、ご報告を」
国王は嫌な予感と共に視線を向ける。
「聞こう」
「グライム廃鉱では、現地食材として麦、豆、山羊乳、少量の乾燥肉を用い、鉱夫風・麦豆堅焼きカリカリを献上いたしました」
「硬めだったと聞いている」
「はい。坑道内の環境を踏まえ、保存性と香ばしさを重視したものです。ただし塩分は控え、香辛料は使用しておりません」
「黒猫様の反応は」
王宮料理長は、ほんの少し胸を張った。
「完食でございます」
会議室に、静かな感嘆が広がった。
国王は目元を押さえる。
「呪核報告より、そこに達成感を出すな」
「料理人としては、最重要項目ですので」
「否定しきれぬ」
マルセルが補足する。
「食後、黒猫様は製作者の手を舐められました。手荒れが消え、指先の感覚が戻ったとのことです」
国王は、ゆっくりと宰相を見た。
「またか」
「またでございます」
「黒猫様は、本当にただ食べて、礼をしているだけなのだな」
「記録上は、そのように」
「記録上は、という言い方をするな」
宰相は筆を止めた。
「では、実態としても」
「それはそれで頭が痛い」
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第二章:黒猫様、堅焼きの余韻を楽しむ
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その頃。
地下100階層【奈落の淵】。
クロは、ヴァルグの巨大な前脚の間で丸くなっていた。
青白い発光苔が、石床を淡く照らしている。
最深部の空気は冷たい。だが、ヴァルグの鱗のそばだけは、ほんのりと温かい。
クロはその温度をよく知っている。
だから、今日も当然のようにそこを寝床にしていた。
「すぴー……」
黒い耳が、ぴくりと動く。
夢の中で、何かが転がっている。
ころ、ころころ。
前脚が小さく動いた。
(ころころニャ……)
セリアは少し離れた場所で、布を畳んでいた。
廃鉱から戻った後、クロはよく眠った。
たくさん歩いた。たくさん遊んだ。堅焼きのカリカリも食べた。
猫にとって、それは大仕事である。
「楽しかったんでしょうね」
セリアが小さく言うと、ヴァルグが厳かに目を細めた。
『黒猫様は、闇に沈んだ山をお救いになられた』
「転がる石を追いかけて、カリカリを食べただけですけど」
『それで山が救われた』
セリアは少し黙った。
否定できない。否定できないことが、最近増えている。
クロは寝返りを打った。
白い腹の毛が、ほんの少し見える。セリアは反射的に視線をそらした。
「……危ないところでした」
『何がだ』
「お腹を撫でたくなりました」
ヴァルグの黄金の瞳が、わずかに細くなる。
『黒猫様の眠りを妨げるつもりか』
「しません。しませんから、その声を低くしないでください」
クロの鼻が、ひくひくと動いた。
セリアはそっと小皿を取り出す。
そこには、廃鉱で献上されたものと同じ堅焼きカリカリが、数粒だけ入っていた。
予備として持ち帰ったものだ。
麦と豆の香ばしさ。乾燥肉の淡い旨味。山羊乳の丸い甘み。派手さはない。だが、噛めば噛むほど味が出る。
「クロ様。少しだけ、おやつにしますか」
黒い耳が立った。
「ニャ」
クロは目を開けた。
眠気の残る顔で、ゆっくりと身体を起こす。
前脚を伸ばし、背中をぐうっと反らし、尻尾をぴんと立てる。
「ふにゃあ……」
あくびの後、クロは小皿へ近づいた。
鼻先を寄せる。
くん、くんくん。
(ぽりぽりニャ)
クロは一粒を前脚で触った。
ちょい。粒は少しだけ転がった。
クロの瞳が、丸くなる。
「ニャッ」
ちょい、ころ、ちょい、ころり。
「クロ様、食べるものですよ」
セリアが困ったように笑う。
クロは聞いていない。
前脚で追い、鼻先で止め、また前脚で弾く。
堅焼きの粒が石床を小さく鳴らした。
こつ、ころ。
クロの尻尾が左右に揺れる。
『黒猫様は、呪核すら遊戯へ変えられる御方』
「今回も本当に遊んでいただけです」
『それで救われた』
「否定できないのが困ります」
クロはようやく粒を口に入れた。
かり、ぽり。
堅めの表面が割れ、麦と豆の香ばしさが口の中に広がる。
奥から乾燥肉の旨味が少しだけ出てきて、山羊乳の柔らかな甘みが後を追った。
「ニャ……」
クロは満足そうに目を細めた。
(うまいニャ)
もう一粒。今度は転がさず、すぐに食べる。
ぽりぽり、ぽり。
最深部に、小さな咀嚼音が響いた。
セリアはその音を聞きながら、ほっと息をつく。
王国が慌ただしくなっていることも、各地で呪核の報告が増えていることも、クロは知らない。
クロにとって大事なのは、目の前のカリカリが美味しいかどうか。
眠る場所が温かいかどうか。
そして、転がるものが楽しいかどうか。
それだけである。
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第三章:次の報告
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夕刻。
王城の執務室には、まだ灯りがともっていた。
国王は三件の報告書を閉じ、机の上に重ねた。
妖精の森。
リーベル村。
グライム廃鉱。
黒い結晶状の呪核は、場所を変え、形を変え、被害を広げている。
今は黒猫様によって三つとも砕かれた。
だが、それで終わりとは思えない。
「各地への通達は」
「すでに出しております。黒い結晶状のものを発見した場合、動かさず、砕かず、燃やさず、周囲を封鎖して報告するように、と」
「よい」
国王は窓の外を見た。
夕焼けが王都の屋根を赤く染めている。
その色が、少しだけ不吉に見えた。
「次があるなら」
国王は低く呟く。
「今度は、こちらも遅れるわけにはいかんな」
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終章:途切れた反応
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そして、王城から遠く離れたどこか。
光の届かぬ石室で、黒い水盤が揺れていた。
水面には、ひび割れた黒い結晶の影が映っている。
「また、一つ消えたか」
低い声が落ちた。
別の声が答える。
「三つ目です」
「場所は」
「妖精の森、麦畑、廃鉱」
「偶然ではないな」
水盤の中で、黒い影が細く歪む。
「竜か」
「竜の魔力は観測されておりません」
「王国の魔術師か」
「術式の反応もありません」
「聖職者どもは」
「浄化反応も確認できません」
沈黙。
石室の奥で、黒い水がゆっくりと波打った。
「では、何で消えた」
「不明です」
水盤が、ぴしりと音を立てた。
「不明で済むと思うか」
「通常の破壊、封印、浄化のいずれにも該当しません。呪核の反応は、突然途切れています」
「突然?」
「はい。抵抗も、呪い返しも、侵食反応もありません」
低い声は、しばらく沈黙した。
やがて、不快そうに告げる。
「ならば次は、反応が途切れぬ場所へ置け」
「は」
「深く。硬く。外からの干渉を拒む場所だ。消えた理由ごと、こちらへ返せるようにしろ」
報告者が頭を垂れる。
その水盤に、黒い結晶の光がまた一つ灯った。
場所は、北東。
古い神殿跡の、封じられた地下だった。
(第24話 完)
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