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【連載版】ダンジョン最深部の黒猫様は極上のカリカリをご所望です  作者: あずきまんま


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20/24

閑話:黒猫様、くしゃみをする

地下100階層――【奈落の淵】。


今日も最深部は平和だった。青白い発光苔が淡く光り、巨大な暗黒竜ヴァルグはいつもの場所で身体を伏せ、セリアはクロの寝床を整えている。


そして、当のクロはといえば――


「ニャ〜」


朝ご飯を食べ終え、満足そうに最深部を歩き回っていた。


くんくん、岩を嗅ぐ。ちょい、発光苔を前脚で触る。ひらりと舞った小さな苔の欠片を追いかける。


「ニャッ」


ぺし。


「ニャニャッ」


ぺしぺし。実に平和な朝である。


――その時だった。クロの鼻先に、ふわりと細かな埃が舞った。


「……ニャ?」


鼻が、むず。


「ニャ……」


むずむず。


「ニャ……ニャ……」


そして――


「くしゅんっ!」


小さなくしゃみが、最深部に響いた。


「…………」


セリアの手が止まった。


「…………」


ヴァルグの巨大な黄金の瞳が見開かれた。


クロは。


「ニャ?」


何事もなかったように前脚を舐め始めた。


沈黙。数秒。


『…………セリア』


「はい」


『今のを聞いたか』


「聞きました」


『今のは何だ』


「くしゃみですね」


『そうではない』


「くしゃみです」


『黒猫様が、くしゃみをなされたのだぞ!?』


「はい。ですから、くしゃみですね」


ズズズズズ……。ヴァルグが立ち上がった。最深部が震える。


「ヴァルグ様?」


『一大事だ』


「一回くしゃみしただけですよ」


『一回!?』


ヴァルグがセリアを見る。


『一回“も”だ!』


「そういう数え方するんですね……」


『これまで黒猫様が、このような苦しげな御声を上げられたことがあったか!?』


「苦しげでした?」


「ニャ?」


クロも首を傾げる。


『御病気かもしれぬ!』


「たぶん違います」


『なぜ断言できる!』


「今、普通に毛繕いしてますから」


見る。クロは、ぺろぺろと前脚を舐め、顔を洗っていた。


「ニャ〜」


『…………』


「元気そうですね」


『いや、まだ分からぬ』


「分かると思いますけど」


ヴァルグが低く唸る。


『治癒術師を呼ぶ』


「どこからですか」


『王都だ』


「ここ地下100階層ですよ」


『我が連れてくる!』


ヴァルグが翼を広げようとする。


「やめてください!」


『なぜ止める!』


「ヴァルグ様が王都まで飛んでいったら、クロ様のくしゃみより大事件になります!」


『だが黒猫様が――!』


「まず私が様子を見ますから!」


『…………』


ヴァルグは不満そうだった。だが、クロのお世話についてはセリアを信頼している。


『……任せる』


「最初からそうしてください」


セリアはクロの前にしゃがんだ。


「クロ様」


「ニャ?」


そっと抱き上げる。鼻――異常なし。目――異常なし。耳――いつも通り。毛並み――つやつや。肉球――ぷにぷに。


「……ニャ?」


セリアが身体を確認している間、クロはされるがままだった。


『どうだ』


「特に異常はありません」


『本当か』


「はい」


『熱は』


「ありません」


『呼吸は』


「普通です」


『御心臓は』


「元気に動いてます」


『食欲は』


「それなら――」


セリアがクロを床へ下ろし、カリカリの入った袋へ手を伸ばした。


カサッ。


「ニャッ!!」


クロの耳が立った。


ダダダダッ! 一瞬でセリアの足元へ。


「ニャ! ニャ!」


尻尾を立てて、目を輝かせる。


セリアがヴァルグを見る。


「食欲ありますね」


『…………』


「ものすごくありますね」


『……念のため、もう一袋』


「ただ食べさせたいだけですよね?」


『違う』


「本当ですか?」


『黒猫様の御身体の状態を確認するためだ』


「じゃあ一粒で十分です」


『…………』


「ヴァルグ様?」


『……三粒』


「一粒です」


『二粒』


「何の交渉ですか」


クロは二人を交互に見る。


「ニャ?」


(カリカリまだかニャ?)


結局、一粒だけもらった。


サクッ。


「ニャ〜!」


完食。


セリアが頷く。


「やっぱり元気です」


『…………』


ヴァルグは、まだ納得していなかった。


『では、なぜくしゃみを』


「たぶん埃か何かでしょう」


『埃……?』


二人は、クロが先ほど遊んでいた場所を見る。発光苔、小さな岩、そして――クロが前脚で叩いていた、少し古い乾燥した苔。


セリアが指先で触れる。ふわっ。細かな粉が舞った。


「これですね」


『…………これが』


「鼻に入ったんでしょう」


『黒猫様を苦しめたのか』


「苦しめたというほどでは……」


ヴァルグの黄金の瞳が、細くなる。


『許せぬ』


「苔に怒らないでください」


『塵一つたりとも残さん』


「だから大げさですって」


だが、ヴァルグは本気だった。その日の午後、地下100階層【奈落の淵】では、SSSランク魔獣・深淵の暗黒竜ヴァルグによる、史上最大規模の大掃除が始まった。


『セリア! そちらの岩陰は確認したか!』


「しました!」


『もう一度だ!』


「十分綺麗です!」


『黒猫様の鼻へ入る可能性が一欠片でもある以上――』


「掃除しすぎて逆に埃が舞ってます!」


『何!?』


「ほら!」


「ニャ?」


クロは少し離れたところで、ころころ転がる小石を追いかけていた。


「ニャッ!」


ぺし。ころころ。


「ニャニャッ!」


本人だけは、いつも通りだった。


翌朝。セリアが目を覚ます。


ザッ。ザッ。ザッ。


「…………?」


何か音がする。セリアがクロの寝床の方を見る。


「……ヴァルグ様?」


『起こしたか』


巨大な暗黒竜が、前脚の爪先を信じられないほど器用に使い、クロの寝床周辺を掃除していた。


「何してるんですか?」


『清掃だ』


「見れば分かります」


『塵一つ残さぬ』


「昨日あれだけ掃除したじゃないですか」


『一晩経った』


「一晩しか経ってません」


『新たな塵が生じている可能性がある』


「ありませんよ」


『断言できるのか』


「少なくとも毎朝SSSランク暗黒竜が掃除する必要はありません」


ヴァルグの手が止まる。


『昨日』


「はい」


『黒猫様は苦しまれた』


「くしゃみ一回です」


『二度と繰り返してはならぬ』


「だから、くしゃみ一回ですって」


『我は誓ったのだ』


「いつですか」


『昨日だ』


「誰にですか」


『我自身に』


「知らないですよ」


その時。


「ニャ〜……」


クロが起きた。寝床から、のそのそと前脚を伸ばし、お尻を高く上げる。尻尾の白い先が、ぴん。


「ニャ」


ヴァルグが掃除を止める。


『黒猫様。おはようございます』


「おはようございます、クロ様」


「ニャ〜」


クロが二人の方へ歩いてくる。その瞬間、ヴァルグが動いたことで、巨大な翼の下に残っていたほんの僅かな埃が、ふわっと舞った。クロの鼻先へ。


「……ニャ?」


むず。


「ニャ……」


セリアの目が、細くなる。


「まさか」


「ニャ……ニャ……」


『黒猫様?』


「くしゅんっ!」


「…………」


『…………』


「ニャ?」


「…………ヴァルグ様」


『…………』


「原因、ヴァルグ様じゃないですか」


『…………』


「掃除しすぎです」


『…………』


「昨日より大きなくしゃみでしたよ」


『…………我が』


「はい」


『我が黒猫様を……』


ヴァルグの顔が、絶望に染まる。


「そこまで落ち込まなくても」


『黒猫様……! 申し訳ございませぬ……!』


巨大な頭を地面へ――ズンッ!!


「だから大げさですって!」


「ニャ!?」


突然謝られたクロは、何のことか分からない。とりあえず、目の前に降りてきたヴァルグの巨大な鼻先へ、すりっと身体を擦りつけた。


「ニャ〜」


『…………!』


ヴァルグの黄金の瞳が見開かれる。


『黒猫様……我をお許しくださるのですか……!』


「たぶん何も分かってません」


『なんという慈悲……!』


「聞いてます?」


「ニャ?」


クロは、やっぱり何も分かっていなかった。ただ、朝ご飯はまだかニャ、と思っていただけである。


(閑話 完)


ご覧いただきありがとうございます!


「面白い!」「クロ様がかわいい!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、

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