第11話:『加減を知らぬ怪力少年と、神様がくれた優しい奇跡』
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第一章:巨竜の頭上と、気まぐれな神の降臨
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地下100階層。そこは人間であれば足を踏み入れた瞬間に、漂う濃密な魔気と底知れぬ圧迫感によって正気を失うと言われる、暗黒竜ヴァルグの絶対領域であった。
しかし――現在の最深部に漂っている空気は、拍子抜けするほどに穏やかで平和なものであった。
見上げるほどに巨大な、山と見紛うばかりの漆黒の鱗に覆われた暗黒竜。その恐ろしい頭頂部、鋭い角と角の間のわずかな窪みで、一匹の小さな黒猫――クロが丸くなってスースーと寝息を立てていた。
「…………」
暗黒竜ヴァルグは、息を殺していた。
一呼吸でも大きく肺を膨らませれば、頭上の黒猫様を起こしてしまうかもしれない。そう考えた巨竜は、横幅だけでも数十メートルはある巨体を微動だにさせず、ただ巨大な眼球だけをそっと動かして静寂を保っていたのだ。
ヴァルグにとって、クロはこの世界の理を超越した絶対者であった。
一見すればただの無垢な仔猫にしか見えないが、その体内に秘められた絶大な存在感と、どんな超常現象も意に介さない泰然とした佇まい。ヴァルグは心の底からクロを敬愛し、同時に恐れていた。
その時である。
――ピキッ。
何の前触れもなく、最深部の空間そのものに目視できるレベルの巨大な亀裂が走った。
空間がガラスのようにひび割れ、そこから目が眩むほどのまばゆい黄金の光が溢れ出してくる。
「な……ッ!?」
ヴァルグの漆黒の鱗が一斉に逆立った。
竜としての本能が、全身の全細胞が、猛烈な警告のアラートを鳴らし響かせる。
亀裂の中から漂い出てきたのは、世界の法則そのものを書き換えてしまいかねない、文字通りの『神威』であった。息をするだけで、この地下100階層の空間ごと存在を消滅させられるような、恐ろしいほどの圧迫感。
黄金の光の中から、どこか軽妙で、場違いなほど親しみやすい声が響いた。
「やあやあクロちゃん! 元気にカリカリ食べてる〜?」
光が収まると、そこに立っていたのは一見するとどこにでもいそうな「光り輝くおじさん」――かつてクロをこの異世界へと転生させた神様であった。
(な、なんだあのお方は……!? 黒猫様と同等……いや、世界の概念や因果そのものを司る上位神……!? 息をするだけで我の存在ごと消滅しそうだ……ッ!!)
暗黒竜ヴァルグは、あまりの恐怖と圧迫感にガタガタと全身を震わせ、巨体から滝のような冷や汗を流した。爪の一本すら動かすことができない。
そんな巨竜の絶望的な恐怖を他所に、頭上で丸くなっていたクロが「ニャっ?」と耳をぴくつかせ、ゆっくりと目を覚ました。
クロは黄色の目をしばたたかせ、降臨した光るおじさんを見つめる。
(あ、前においしいご飯くれたおじさんだニャ〜。またご飯くれるのかニャ?)
クロは人語など解さない。ただの無垢な猫思考のまま、ひょいと暗黒竜の巨大な頭から飛び降りると、トコトコと軽やかな足取りで神様の元へと歩み寄った。そして、「ニャ〜ン」と喉を鳴らしながら、神様の足元にすりすりと体を擦り付けた。
「よしよし、可愛いねぇ〜。元気に過ごしているみたいでオジさんは嬉しいよ」
神様は目尻を下げ、嬉しそうに目線を下げると、クロの顎の下を指先でゴロゴロと優しく撫でた。
クロは「ふにゃ〜」と目を細め、満足そうに尻尾をパタパタと振るのだった。
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第二章:力に呪われた少年と、壊れた手ざわり
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その時、最深部へと続く重厚な大門が、ギギギ……と重い音を立てて開いた。
「ハァ……ハァ……っ」
静まり返った大空間に、荒い息遣いと、おぼつかない足足音が響く。
現れたのは、ボロボロの布を纏ったひとりの少年――アレンであった。
アレンは生まれつき、人間には扱いきれないあまりにも強大な「神力」を宿して生まれてきた。
しかし、その力を制御する術を知らなかった。
幼少期、可愛がろうとした小動物を優しく撫でようとして押し潰してしまった。友情の証に握手を交わそうとした友人の手骨を粉々に砕いてしまった。悲鳴を上げて逃げ出す人々、アレンを「化け物」「呪われた子」と呼んで石を投げる大人たち。
誰かを愛したい、優しく触れ合いたいと願えば願うほど、その強力すぎる力は触れた対象を無残に破壊していった。
(僕の存在は……誰も幸せにしない。誰も……抱きしめられない……)
故郷を追われ、世界の果てであるこの地下最深部まで辿り着いたアレン。
彼の目的は「死」であった。誰のことも傷つけない、誰もいない最深部で、静かに消え去ること。
しかし、そんな絶望の淵に立ちながらも、アレンの手には固く抱えられた一つの小さな器があった。
最後に自分を受け入れてくれる存在がいるのなら――そう願い、必死に力を抑え込み、何百回も手指を破損させながら肉を捏ねて作った『手作りやわらかナゲット』であった。
「……ッ!?」
最深部に踏み込んだアレンは、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
山のように巨大な漆黒の暗黒竜。
空間を歪めるほど眩い光を放つおじさん。
そして、その足元で丸くなり、喉を鳴らしている小さな黒猫。
アレンの全身に鳥肌が立った。言葉にならないほどの圧迫感と神威。だが、もう引き返すつもりはなかった。アレンは震える足で一歩前へ出ると、膝を突き、床にそっとお皿を置いた。
「……僕の……最後の献上品です……」
アレンが震える手でお皿の蓋を開けると、香ばしくジューシーなお肉の匂いが最深部全体にふわりと広がった。
「ニャッ!?(凄く美味そうなお肉の匂いだニャ!)」
神様に撫でられていたクロの鼻がぴくぴくと動いた。
クロは目を輝かせると、神様の足元を離れ、アレンの置いたお皿に向かってまっしぐらに駆け寄った。
「パクリ! モグモグ、モグモグ……ッ!」
クロはお皿に顔を突っ込み、アレンが必死に加減して柔らかく仕上げたナゲットを、大喜びで夢中になって食べ始めた。
(あ……食べた……! 僕の作ったものを……壊さずに……食べてくれた……!)
アレンの目から、ポロポロと大きな涙が零れ落ちた。
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第三章:神様の調律と、奇跡の「撫で撫で」
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「ふむふむ。なるほどねぇ」
クロが美味そうにナゲットを頬張る様子をニコニコと眺めていた神様は、涙を流して崩れ落ちるアレンを見つめ、その過去と絶望をすべて察した。
「君は力が強すぎて、加減ができずに困っていたんだね。……触れたものを壊してしまうのは、切ないよねぇ」
アレンはハッと息を呑み、神様を見上げた。
「クロちゃんにこんなに美味しいご飯を作ってくれたお礼だ。ちょっと君の『力』を調整してあげようか」
神様がひょいと手を伸ばし、アレンの頭の上にそっと手を置いた。
その瞬間、アレンの全身を貫いたのは、苦痛ではなく――どこまでも温かい包容感だった。
体内で暴走し、常に溢れ出そうとしていた強大な神力が、神様の指先から流れ込む光によって、みるみるうちに綺麗に調律されていく。
100%の出力しか出せなかった破壊の力が、0.1%から100%まで、思い通りに、滑らかにコントロールできるよう意識に馴染んでいった。
「これで大丈夫。君の力はもう、君の意思に従うよ」
「あ……ああ……っ」
アレンが自分の手を見つめていると、ナゲットをきれいに平らげたクロが「ごちそうさまニャ〜」とばかりに歩み寄ってきた。
クロは「ニャ〜ン」と喉を鳴らし、アレンの膝に体を預け、頭を擦り付けてくる。
「っ……!」
アレンの体が恐怖で強張った。また潰してしまうのではないか、また壊してしまうのではないか。
しかし、神様の言葉を信じ、アレンは震える右手を伸ばした。
力を極限まで抑える。優しく、柔らかく、まるで羽毛に触れるかのように。
そっと――アレンの手指が、クロの小さな頭に触れた。
ふんわりとした、温かく柔らかい毛並みの感触が、アレンの手のひらに伝わってくる。
クロは潰れることもなく、壊れることもなく、「ふにゃ〜〜〜」と気持ちよさそうに目を細め、アレンの手のひらに頭を押し付けてきた。
「撫でられた……! 壊さずに……僕の手で、優しく撫でられた……ッ!!」
アレンは声を上げて泣いた。
生まれてから一度も叶わなかった「優しく触れる」という当たり前の奇跡。それを今、目の前の小さな黒猫に果たすことができたのだ。
クロは「(うむ、撫でるの上手だニャ〜)」とばかりに、アレンの手元でゴロゴロと喉を鳴らし続けたのだった。
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第四章:新たな旅立ちと誓い
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「じゃあクロちゃん、また美味しいもの貰ったら遊びに来るね〜」
アレンとクロの微笑ましいやり取りを見届けた神様は、満足そうに頷くと、再び空間の亀裂を通って光の中に消えていった。
「フシュー……ッ!!」
神威が完全に消え去った瞬間、固まっていた暗黒竜ヴァルグが、崩れ落ちるように巨大な息を吐き出した。滝のような冷や汗が最深部の床に水たまりを作っている。
(助かった……! 我の命があったのは、ひとえに黒猫様がご機嫌であられたお陰……ッ!)
一方、アレンは涙を拭い、床に深々と平伏していた。
目の前にいる黒猫様と、去っていった神様に向かって、心からの感謝を捧げているのだ。
「黒猫様……神様……ありがとうございます。僕のこの手は、もう誰も傷つけません」
アレンは立ち上がった。その瞳には、かつての絶望の影は微塵もなく、強い決意と希望が宿っていた。
力を制御できるようになった今なら、故郷へ戻り、これまで傷つけてしまった人々や小動物にお詫びをし、彼らを守るために力を使うことができる。
(そして……また必ず、ここへ戻ってきます)
アレンは足元で満足そうにあくびをするクロを見つめた。
(黒猫様がもっと喜んでくれるような、世界一柔らかくて美味しいカリカリとお肉を作って……また撫でていただくために!)
アレンは晴れやかな笑顔で深々と一礼すると、最深部を後にし、光の差す地上へと歩み出していくのだった。




