手の温もり
灯と並んで歩きながらも、頭の中は弓月先輩のことでいっぱいだった。。
その意味が分からない。でも、胸の奥がざわざわして、落ち着かなかった。
灯はそんな僕の横顔をちらりと見て、少しだけ唇を噛んだ。
「……星凪」
「ん?」
「さっきの……弓月先輩のこと、まだ気にしてる?」
「……気にしてないって言っただろ」
「嘘。顔に出てる」
灯はそう言って、僕の前に回り込んだ。夕方の光が灯の髪を照らして、少しだけ大人っぽく見えた。
「ねぇ、星凪」
灯はそっと手を伸ばした。僕の袖をつまんでいた指が、今度は――僕の手を、そっと握った。
「……っ」
心臓が跳ねた。灯の手は小さくて、温かかった。
「星凪が落ち込んでるときは、私が隣にいたいの。……ダメ?」
その声は震えていた。でも、逃げる気配はなかった。
灯は僕の目をまっすぐ見つめる。
「今日ね、すごく楽しかったんだよ。星凪と一緒に歩いて、笑って……それだけで、胸がぎゅってなるくらい」
胸がまた跳ねた。
――なんでだよ。なんで……弓月先輩と同じことを……。
灯はただの友達だろ。なのに、なんでこんなにドキドキしてるんだ。
灯は僕の手を握ったまま、ほんの少しだけ距離を詰めてきた。
「星凪……私ね、もっと星凪のこと知りたい。もっと近くにいたいの」
その言葉は、告白じゃない。でも、告白よりずっと近い。僕は言葉を失った。灯は不安そうに僕の顔を覗き込む。
「……迷惑だった?」
「迷惑じゃないよ」
気づけば、そう答えていた。灯の目が大きく開く。その瞳が揺れて、光を反射していた。
「ほんとに……?」
「うん」
灯はほっとしたように笑った。その笑顔は、さっきよりずっと自然だった。
そして――灯は僕の手を、もう少し強く握った。
「じゃあ……もう少しだけ、このまま歩こ?」
僕は頷いた。
灯は嬉しそうに微笑んだ。その横顔が、夕陽に照らされて綺麗だった。
でも――弓月先輩のあの表情が、頭から離れなかった。
灯の温度と、弓月先輩の影。そのどちらも、僕の胸を揺らしていた。
灯と手を繋いだまま歩いていると、胸の奥がじんわりと熱くなっていくのを感じた。
灯の手は小さくて、温かくて、その温度がじわじわと僕の心臓に伝わってくる。
「星凪……今日は、すごく楽しかったよ」
灯がそう言った瞬間だった。
胸の奥で、何かが――弾けた。
光。
手。
泣き声。
誰かの影。
冷たい風。
あの夜の星の瞬き。
そして――誰かが僕の手を握っていた感触。
「……っ」
息が詰まる。
灯の声が、あの夜の声と重なった。
『星凪、こっち……!』
『離れないで……!』
『大丈夫だから……!』
断片的な記憶が、灯の言葉に引っ張られるように蘇る。
胸が苦しい。呼吸が浅くなる。
「星凪……?」
灯が心配そうに覗き込む。その顔が揺れて見えた。
「……ごめん。ちょっと……」
言葉がうまく出ない。頭の奥がじんじんと痛む。
灯は僕の手をぎゅっと握り直した。
「星凪、大丈夫? 苦しいの?」
その優しさが、さらに記憶を刺激する。
――あの夜も、誰かが僕の手を握っていた。
温かい手。必死に引っ張る力。 泣きそうな声。
灯の手と重なる。 でも、違う。 灯じゃない。
じゃあ、誰だ。
「……っ、あ……」
胸が締めつけられる。息が苦しい。
灯は僕の肩に手を置き、必死に支えてくれた。
「星凪、落ち着いて……!大丈夫、大丈夫だから……!」
その言葉が、また重なる。
『大丈夫だから……!』
あの夜の声と。
灯の声と。
そして―― 弓月先輩の声と。
全部が混ざって、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「……っ、やめ……」
「星凪……?」
灯の顔が近い。 その優しさが痛い。
僕は震える声で言った。
「……ごめん。ちょっと……思い出しそうになって……」
灯の表情が一瞬で変わった。驚きと、心配と、そして――痛み。
「……星凪。私、何か……しちゃった?」
「違う……灯のせいじゃない」
「じゃあ……なんで泣きそうなの……?」
灯の声が震えていた。僕の胸も震えていた。
灯はそっと僕の手を包み込む。
「星凪……苦しいときは、言ってよ。私、星凪のこと……」
言いかけて、灯は唇を噛んだ。
「……隣にいたいんだよ」
その言葉が、また記憶を揺らす。
『隣にいるから……!』
僕は目を閉じた。
灯は、震える僕の肩にそっと腕を回した。
「星凪……大丈夫。大丈夫だから……」
その声は優しくて、あの夜の声と同じで、でも違っていた。
灯の腕の中は温かかった。でも、その温かさが逆に胸を締めつけた。
――あの夜、僕の手を握っていたのは誰だったんだ。
灯じゃない。でも、灯の声は重なる。
弓月先輩の声も重なる。
全部が混ざって、苦しい。
灯は僕の背中をそっと撫でながら、震える声で言った。
「星凪……苦しいなら、泣いてもいいよ」
その優しさが、また胸を刺した。
灯の腕の中で、僕はただ、呼吸を整えることしかできなかった。
まるで、星の夜がまた近づいているみたいに。




