第4話:危険な通学路
「……ーい、」
誰かの声が聞こえる。
激しい風に揺れる水面のように朦朧とする意識の中、視覚がないことで研ぎ澄まされた聴覚が、男の声を捉える。
「おーい、こんなところで何やってんだ?もしかして、行き倒れとか追剥の類か?」
ゆっくり目を開けると、目の前に見知らぬ少年がいた。頭の回転が追い着かず、ぼんやりとした口調で問い掛ける。
「あれ?俺、崖の上にいたはずなんだけどな……?」
「崖?確かに、これを崖と呼ぼうと思えば、そう呼べるかもしれないな。……もしかして、上から落ちて頭でも打ったのか?お前、木箱に凭れ掛かって寝てたんだぜ?」
少年が別の場所に目線を向けたので、アレクも目で追い駆ける。
眼前には、大量の木箱が乱雑に詰まれ、小山を形成していた。どうやら、小さい広場の一角で、不要となった空の木箱を詰んでおき、必要となった時に必要となった分だけ持って行けるようにしてある場所らしい。
「それとも、あそこの崖のことじゃないだろうな?」
恐る恐る一方を指す少年。
空いた木箱で形成された小山のさらに奥には、まるで、こちらの様子を空から覗き込んでいるように、ほぼ垂直に切り立った崖が石造りの街並みの中に天高く屹立している。
「あぁ、その通りだ。俺は、あそこから降りてきた」
「ぷくくっ!さては、楽しみ過ぎて一日間違えたんだな?!クールそうな見た目に反してうっかりさんなんだなお前!!」
……今すぐにでも殴ってやろうかと内心業を煮やしたアレクだが、向こうはこちらの事情を知らない。仕方がないので、話の主導権を目の前の少年に譲りながら清聴する。
「あそこを登ったということは、今日開催される、ムスターハ英雄学園の入学試験を受けに来たんだろ?だったら、目的はオレと同じだな!」
座っているアレクに手を差し伸べながら、歯を見せて笑う。嘲笑や冷笑とは違う、心の奥底から出てきたような笑顔だった。
「オレの名前はロレン。旅は道連れ世は情け、って言うし、折角なら一緒に行こうぜ!」
「ちょ……っ!ちょっと待て!!俺は別に入学試験を受けたいんじゃない!!あの学園の学園長に用があるだけだ!!」
青年の涼やかな表情に釣られて手を取りそうになるが、既の所で手を止める。
アレクの目的は、ムスターハ英雄学園のトップである、ムスターハ学園長と会って話をすることだ。
魔王軍に対抗しうるための人材を育成する養成機関に入学したいわけでもなければ、同輩たちと汗水垂らして切磋琢磨したいわけでもないし、自身の腕を研鑽したいわけでもない。
この誤解を払拭すべく弁明しようとするが、
「おいおい……。手元にそんなものを持ちながらそんなことを言われたって、説得力は皆無だぜ?」
アレクの脇に落ちている小冊子・『入学の手引』(ムスターハ英雄学園の変遷や、学科についての説明が掲載されたパンフレットのようなものだ)を指しながら肩を竦める。
風で捲れたのか、それとも、最初からそうなっていたのかは判然としないが、入学試験の日程が書かれたページには、如何にも女性が書いたと分かるタッチの赤いインクで、「いよいよ明日!準備万端!!」と書かれ、日にちの部分が何重にも丸印で囲んであった。無論、アレクは『入学の手引』など持っていなかったし、そもそも、筆記に用いる赤いインクなど持ち合わせていない。
(ちっ……、あの女性魔法使いに一枚嚙まされたか…………)
どうやら、魔法で気絶させられている間に崖から降ろされ、何だか生活感満載に書き込まれた『入学の手引』を渡されたらしい。……まぁ、昏睡している間に行われたことなため、全て憶測に過ぎないのだが。
「つまり、ムスターハと話をしたかったら、入学して生徒になれ、ってことか。くくく……」
肩を揺らして笑いながら、伸ばされた手を取って立ち上がる。
事情が分からないため、アレクが「突然呟いて笑い出したヤベーやつ」にしか見えないロレンが、頭の上にハテナを浮かべていた。
☆★☆★☆
時間を置いていると言えども、もう一回同じように崖を登るのは、さすがに疲れる。
アレクは岩肌を両手でがっしり掴みながら、半ば現実逃避気味に空を見上げる。
頭上には、自分と同じように入学試験を受けに来た受験者たちが荒い息を吐きながら、目前に聳える断崖絶壁に張り付いていた。勿論、張り付いていた、と言えどもセミの真似事ではなく、その頂にある建物を現在進行形で目指しているわけだが。
「驚くよな……。『入学の手引』曰く、「如何なる悪でも滅せられる、強靭な肉体を身に付けさせるために、校舎は小高い山の上に立っており、生徒たちは登下校のたびに、毎回この山を登っている」んだってよ。学年や年齢に関係なく、通学するためには生徒全員が毎回登るみたいだぜ」
「凄いな。「小高い山」っていう部分以外、間違っていないじゃないか」
だが、夜に最低限の明かりだけを使って一人で登るよりも、隣の少年に話し掛けて気を紛らわせられる分、気持ちの面では楽である。
「……ったく。剣やら魔法やらを教える養成学校だっていうくらいなんだから、てっきり、頂上まで移動できる魔法陣とか、空飛ぶ魔法の絨毯みたいなやつで移動できるかと思ったぜ。こんな時、背中に翼が生えているようなやつらや、空飛ぶ魔法が使えるようなやつは便利でいいよなぁ……」
頭を動かしても、思わず竦んでしまうほど後方にある地面と、本当に生身の人間が登ることを想定しているのかも怪しいほどに荒れた岩肌、そして、憎らしいほどに燦燦と照り付ける太陽と、鮮やかな青空しかないため、気分を紛らわせようにも方法がない。
晴れ渡る空とは対照的にアンニュイな気分になったロレンが、終着点である頂上を見据える。
相も変わらず、頭上には荒い息をしながら登る先人たちの脚と尻しか見えず、残念ながら岩肌の景色もそれほど大した変化はない。
「ん……、待てよ…………?」
急に神妙な面持ちになって空を見上げるロレン。
ムスターハ英雄学園の入学試験は、15歳以上、という条件を満たしていれば、老若男女・種族を問わず受けることができるため、筋骨隆々な鍛冶屋風のおっさんもいれば、商売道具らしき物をたくさん詰め込んだ商人風のお姉さん、猫のような耳を頭頂部に生やした少年など、様々な職業・人種のモノたちが集まる。
無論、その中には、お洒落したいお年頃の女の子もいる。
「やはりそうか……」
「ん?どうしたんだロレン?」
隣の不真面目な男が、あまりにも真剣な顔をしているため、アレクは少し心配になって声を掛ける。
「頭上を見てみろよ」
まさか、大規模な崖崩れでも発生して、迂回をせざるを得なくなったか。
身の危機を感じて上空を見上げるも、そのような危険な箇所は見受けられない。
「??何もないじゃないか?」
「あるだろう。男なら誰もがロマンとする、白い布切れがっ!!」
頭上にいる者たちを、下から覗くことが可能になっている状態。
男が憧れる「白い布切れ」というワード。
「…………っ」
アレクは別段見たいとは思わないが、この男にとっては憧れらしい。ロレンの双眸は、得物を狩る前のライオンの如く、一点を捉えたまま離さない。
ロックオンしたのは、遥か頭上にいる少女の柔らかそうなお尻。
魔術科を志望する娘なのか、それとも、入学試験と聞いてお粧ししてきてしまったのか、レースが着いた少し短めのスカートを身体の動きに合わせて揺らしている。
「この崖登り、スカートを穿いている娘の下を登って行けば、パンツが見放題じゃねぇか……!うおおぉおお!!元気が漲ってきたぞぉぉぉぉぉ!!」
漲ってきたのは、元気ではなく一物なのではないか。
そうツッコもうとしたが、水を得た魚のように元気になったロレンの姿は、もう隣にはない。
『頂上にある学園を目指す』、『命綱なしのロッククライミングを満喫(?)する』以外の第三の選択肢を垣間見た瞬間だった。




