第31話:老婆
これでいいんだ。
これで、いつ死ぬかも分からないような社会から解放される。
垂直に切り立った崖をしっかりと掴みながら、ロレンは周囲を見回す。
「この不自然な崖を昇り降りするのも、ここからの景色を見るのも今日で最後か」
旅行が終わって帰る道中、車窓から流れる景色を観ているような、アンニュイな気分になりながら溜め息をつく。
寂しくない、と言ったら嘘にはなるが、代わりに、防具が云々・武器が云々・仲間が云々という柵から解放された、という解放感が顔を覗かせた。不思議にも少しだけ気分が高揚する。
「村に戻ったらどうしようかな……。母さんが作った料理食べたいな……」
なんて、妄想を膨らませながら崖を降りると、
「うーん……。どうしたものかねぇ……」
荷物を持ったまま空を見上げる老婆が目に入った。
「どうしたんですか?おばあさん」
「んん?あぁ、」
自分が話し掛けられていると、やっと認識したようだ。ロレンの方を見ながら言葉を紡ぐ。
「ちょっと、なんちゃら英雄学園っていう場所に用があって、探し回っていたんだけど、まさか、こんな崖の上にあるなんてねぇ。私みたいな老い耄れには、ちょっと無理だなぁ、なんて考えていたんだよ」
「その、なんちゃら英雄学園というのは、ムスターハ英雄学園のことでしょうか?」
「そうそう、そこそこ!!ちょっと、その学園に用があってねぇ」
「なるほど。そういうことなら、オレが送り届けてあげたいんだけど……」
先ほど自分が降りて来た崖を見上げる。
荷物を背負いながら登頂するのにも相当の体力を使うというのに、155パウンド(約70kg)程度の人間を背負って、もう一度登らなければならないのだ。並大抵のことではない。
そこに、
「よぉ、ロレンじゃないか」
ちょうど、崖から降りたアレクが言葉を投げ掛けてきた。
「そんな所で何やってるんだ?」
「このおばあさんを崖の上まで案内するところだぜ!そういうアレクは、どうしてこんな時間まで学園に残ってたんだ?」
「選択学科の説明とか見学の集会があってな。ロレンは参加しなくて良かったのか?」
「オレは剣術科と決めているからな!説明なんて聞く必要はねぇのさ」
「……クルストを見て鼻の下伸ばしながら、「聖職科にしようかな……」とか「楽するために魔術科にしようかな」とか言ってた癖にか?また、かわいい女の子でも見つけたのかよ……?」
アレクが怪しむように目を細める。
「……で、話は変わるけど、このおばあさんを崖の上まで案内したいから、幽幻斬りでおばあさんの体重を斬ってくれないか?」
「??別にいいけど、ロレンが上まで連れて行くのか?何なら、俺が行ってもいいけど」
「いいや。オレにやらせてくれよ。この学園に居た、っていう思い出を作るためにさ」
そんなもの、この学園に通う以上は日常茶飯事なのではないのか。
頭の上にハテナを浮かべながらも、アレクは老婆に幽幻斬りを使用する。
剣を抜いて罪のない女性に刃を向けるのには抵抗があったが、無刃剣フセツは文字通り刃のない剣。刃が当たったところで誰かを傷つけるようなことはない。
「幽幻斬りは少しの間しか効果がないから、なるべく早く登っちまえよ?」
「助かったぜアレク!じゃ、行って来るぜ!!」
落下しないように紐をしっかりと身体に結びつけ、背中の女性の位置を確認しながら、ゆっくりと崖を登る。
☆★☆★☆
朝の豪雨は嘘のように止んでいた。本来であれば降り続いた雨が岩肌に染み込んでおり、手足が非常に滑りやすい状態になっているはずだが、魔法により岩の状態は晴天下と変わらず、容易に登ることができる。
「あの子とは随分と仲が良さそうだったねぇ。お友達かい?」
崖を登るのにも慣れてきたため、背中に体重を預けたおばあさんと与太話をしながら頂上を目指す。
「えぇ、そうです。入学試験を一緒に受けて、寮も同じなんです」
「そうかいそうかい。私には、兄弟のように見えたよ」
「そんな。そこまで仲良くはありませんよ」
幽幻斬りの効果によって、まるで一枚の布を背中に載せているかのように軽い。休憩することもなく順調に進む。
「お前さんも、この上にある学園の生徒なんだろう?ああいう兄弟のような友達がいたら、さぞ楽しんじゃないかい?」
「それが、その……」
この老婆と会うことも二度とないのだ。自分が学園を退学したこと等を、洗い浚い吐露する。
「そうかい……。じゃあ、私は、学生でもない人間に頼んでしまったんだね。何だか申し訳ないなぁ……」
「心配要りませんよ。オレ、結局誰の役にも立てなかったから、せめておばあさんの役に立ちたくて、オレ自らの意思で選んだんですから」
それでも後ろめたさがあるのか、しばらくの間沈黙が流れる。
「なぁお前さん。お前さんは、そのアレクって男の子とリチレンって子を見捨てて逃げた、って言っていただろう?」
「うん」
「もし逃げなかったら、お前さんは死んでいたのかもしれないんだろう?それって、恥ずかしいことなのかい?」
「えっ?」という疑問符が、意図せずロレンの口から突いて出る。
「私なんかは生い先短くて、「もういいかな」なんて思う時があるけど、お前さんには、あと2、30年寿命があるんだろう?だったら、「死にたくない」とか、「まだやりたいことがたくさんあるんだ!」って思うのは、ごく当たり前のことなんじゃないかね?」
モンスターの出没や戦争などによって、若くして死ぬことも珍しくないこの世界では、40歳まで生きれば長寿の域である。
ロレンは今年誕生日を迎えると17歳になるので、天寿を全うするのであれば、寿命は、あと30年くらいという意味だ。
「でも、オレは仲間を見捨てて逃げたんですよ?そんな根性なし、英雄になる資格なんてありませんよ」
「命あっての物種という言葉があるだろう?死んでしまったら人生そこで終わりだけど、生きてさえいれば、人間間違えることだって、立ち直る機会だってある。お前さんは間違ったかもしれないけど、その間違いを正す時間だって、これからの人生でたくさんあるんだよ」
「おばあさん……」
重さに耐えられないわけではないのに、岩肌を掴む指が不思議と震える。
「だから、別に学園を辞める必要はなかったんじゃないか、って私は思うんだよ。それよりも、自分が犯した間違いを、どうやって清算するかを考えながら、アレクくんや他の仲間と一緒に過ごした方が、仲間のためにも、そして、お前さんのためにもなるんじゃないかい?」
「ま、もう辞めてしまったのだから、何を言ったって後の祭りなんだけどねぇ」と、老婆は小声で呟く。
日が少しずつ傾き始め、空がオレンジ色に染まり始めた頃に、崖の上に到達した。
「おや?ロレンくんじゃないか?それと、一緒にいる淑女のお方は……?」
まるで、迷宮を守護するかのように石造りの建物の前に立つ担任教師・ミノスが不思議そうな瞳で視線を送る。
「理由は分からないですけど、学園に用があるそうなので、ここまで案内しました」
「ご苦労だったねぇ。若いのに偉いよ」
両肩に添えられていた腕をそろそろと降ろし、切り立った崖の上に着地する。
「私が困っていたところを、この少年に助けてもらったんだよ。いやぁ、本当に助かったよ」
「……失礼ですがロレンくん。僕から一つ質問してもいいでしょうか?」
いつでも臨戦態勢を取れるように握っている戦斧を構えながら、こう告げた。
「その貴婦人、モンスターじゃありませんよね?」




