第30話:もう一人の朝
時と場所は、登校する前の朝、ロレンの部屋の中に遡る。
「オレ、ムス学を止めようと思っているんです」
一部屋に一つ置かれた、椅子のない簡素な机を挟みながら、ロレンはムスターハ英雄学園第08番寮の管理人・スィムと相対する。
「この二日間、ずっと考えて思ったんです。やっぱり、オレには英雄に素質なんてないし、モンスターと戦うのは向いていないって」
眼前の女性は身動ぎすることも、驚いたような表情をすることもなく、静かに少年の口から吐露される言葉に耳を傾ける。
「そもそも、オレには敵と戦えるほどの優秀な能力もないし、突出した剣の技術もない。そんな人間には、誰かを救うことなんてできなくて、アレクみたいな強い能力を持ったやつしか英雄になれないんだって。オレには無理なんだって、そう思ったんです」
自分には、二択を制する者しか取り柄がない。
そんな使い物にならない能力よりも、剣の技術に秀でていて、強力な能力を持っているモノの方が、救える命が多ければ、倒せる敵の数も多い。
そんなこと、年端のいかない子供でも考えれば分かることだ。
一方で、
「……君の気持は良く分かったよ。じゃあ、これはもう必要ないね」
スィムは机の上に置かれた202号室の鍵を受け取ると、トレンチコートのポケットの中に仕舞う。
「故郷に帰ったら、母親の手料理でも食べて、ぐっすり眠るんだね。そして、一昨日のことなんて、綺麗さっぱり忘れちゃいな」
「あれ……?オレのことを引き留めないんですか?」
「ま、そうやってムス学を去る生徒は、君だけじゃないからね。私も慣れっこだから、別に止めたりはしないさ。それに、」
踵を返して数歩歩くと、トレンチコートの裾が揺れる。
「私に話に来たということは、自分の中で折り合いをつけているってことだろう?だったら、私が止めたところで、君は止まる気がないんでしょう?それとも、私が「行かないで!!」って大粒の涙を零しながら哀願したら、君は寮に残ってくれるのかい?」
「そ、それは……」
「……なんてね。きつく当たっちゃってゴメン」
探偵帽の位置を整えながら振り向く。
「君なりに一生懸命考えて出した答えなんでしょ?私も頭を使って仕事をする探偵だからさ。君の意見を尊重したいな、と思ったんだ」
コツ。コツ。
靴が木の板を踏み締める音が部屋に響く。この音を聴くのも最後だと思うと、ロレンは心臓が、ぎゅっと縮むような気分になった。
「君が住んでいる村がモンスターに襲われたら、08番寮の生徒たち全員を差し向けてあげるよ。だから、ロレン君は村で安心して暮らしてね。そして、」
机に肘をつくと、青色の瞳で真っ直ぐ見つめる。
「向こうに付いたら手紙を出してよ。じゃないと、私たちは君が無事に村に戻れたか心配で、夜も眠れなくなっちゃいそうだからさ」
「オレ、これでも素人程度には剣の腕があるんですよ?途中でくたばったりなんてしませんって」
歯を見せて笑ったつもりだったが、目から涙が止まらなかった。
☆★☆★☆
時と場所は移り、放課後・学園長室。
「そうか。それがお主の選択なのじゃな」
執務用デスクの上に立った灰色のハムスターが口を開く。
「このまま居てもみんなの足を引っ張るだけ。それで仲間を傷つけちまうくらいだったら、オレなんかいない方がいい。そう思ったんです」
「別に、儂はお主のことを咎めたりもせんし、無理に残れとも言わん。誰だって自分の命が惜しいものじゃし、何せ、お主はまだ若い。魔王軍だ何だというのは無縁な地で、余生をゆっくりと過ごすのもよいじゃろう」
机の上をゆっくりと歩き、小さな背中を見せる。
「ただ、魔王軍と戦う仲間が一人減ってしまった。それだけは悲しいことだと思うがな」
「オレが残ったって、餌として魔王軍の連中に協力しちゃうだけじゃないですか?」
「でも、お主の肉に気を取られている間に、仲間は逃げることができるじゃろ?」
「やっぱり、オレは囮くらいでしか役に立てないんですかね……」
「……冗談じゃよ。儂らは味方を捨て駒にして逃げるようなことは絶対にせんから、そう気を落とすな」
杖を突きながら振り向き、肩――ハムスターにあるかどうかは分からないが――を揺らして笑う。
「では、本日限りでお主を退学処分にする。これで異論はないし、後悔はないのぅ?」
後悔とは、「後」で「悔いる」から後悔なのだ。川のように一つの方向に流れる時間の中で、今この瞬間に分かるものではない。
「はい。メクイシ村出身のロレンは、本日限りでムスターハ英雄学園を退学致します。悔いはありません」
広い学園長室の中に虚しく響く。
「……よく踏み切った。自分の意思を正確に貫けるかどうかというのも、英雄に試される素質の一つじゃ」
「学園長。オレは、もう英雄でも英雄候補でもありませんよ」
少年は乾いた笑いを零す。
「おっと、これは失礼。つい癖でな。……ところで、入学試験の時に配った無地のカードがあったじゃろ?あれ、この学園の学生証でもあるから、そいつを渡してくれないかの」
斯くして、退学にまつわる手続きが始まった。




