2.砂の果実。 それぞれの結末。 7
◆ストクフ ……崩落する大地の中で。
大きな音が響いて、大地が崩落した。クレイフが存在していたその場所は、崩れて奈落へ堕ちていく。今、一つの首が奈落へと落ちて行く。ストクフの首だ。フィンドアの第三旅団の団長であったストクフの首はゆっくりと落ちていった。既にその頭に魂はなく、表情は虚ろだ。それは、ゆっくりとゆっくりと落ちていった。遥か上空では浮上したウキハが大気を飲み込むような音を立てて、遠ざかっていった。
◆ガンウェル ……浮上したウキハの中で。
ガンウェルはその暗がりにいた。ウキハ内部の最奥の闇の中に。死んでいた。
が。
切断された筈の首は繋がり、失われた筈の右腕は見たことも無いような何かで置き換えられていた。その瞳はうっすらと開かれていた。ストクフとの決闘で見せた、活力や魂の輝きや、狂気の中にも確かにあった、ヒトらしい間違った正しさは存在しなかった。そこにあったのは、誤りであり、負であり、歪みだった。何故、ガンウェルがウキハの闇で眠るのか。答えは彼の口の中にあった。
……黒鉄の杭は打ち込められ、その杭には古の呪印が刻まれていた。そして、彼は眠る、最後のその時が訪れるまで。
◆最終話 サザ。 ……始まり。
サザは王杯を砂漠の蒼穹に掲げた。
そして、最愛の妻に乾杯し、グラスを彼の玉座に置いた。後に伝説となる熱砂の国の初代国王、サザ、その人だ。歴史の中では、男の中の男として強靭な体躯を持つ超人として語られるが、実際の彼は優男だった。若く細く優しい。だが、彼は命を懸けてオ・オーに挑み果実を手に入れた。彼はその力を使い、ララコの哄笑に沈む国から、人々を救ったのだ。
今、浮葉は滅んでしまったフォートレントの土地を離れた。ララコの狂った目の届かない場所へと移動していた。サザは、その屋上で砂漠の光を浴びながら、最愛の妻に杯を捧げたのだ。彼の玉座の前に整列する兵士や国民は不動で何かの心の動きを伝えることはなかった。サザは困難な冒険に挑み、不可能を通り越して、果実を持ち帰り、国を動かしたのだ。彼は妻に語りかける。
「サーシャ。僕は成し遂げたよ。多くが死んでしまった。僕が弱いばかりにたくさんの命が失われた。でも、こうやって、未来に繋げることができた。国を移動させる事ができた。」
若いサザの瞳は虚ろ。涙は枯れている。美しい妻の横顔に彼は話しかける。妻の傍らには最愛の息子もいる。いる?いた?
……みな、死んでいた。妻も息子も国民も。ウキハの屋上は巨大な墓場。全員が死に横たわり油と藁をかけられていた。サザが命懸けで冒険をして果実を持ち帰る間に国は不滅ララコではなく、強欲な隣国に攻め込まれ、疫病がばらまかれ、殆どの国民が死んでしまった。サザもララコの毒気に犯され、身体が腐り、命が尽きようとしていた。彼もまた、病に冒されていたのだ。妻に捧げたグラスは玉座から滑り落ち、砕け散った。サザはゆっくりとその玉座から立ち上がり、積み上げられた幾つもの松明を手に取った。愛しい妻と我が子の側に進む。ウキハ内部にはまだ生き残っている人々がいる。大勢いる。そして、僕はいずれ死ぬ。近い内に。だから、今、死んでしまうのもいいのかもしれない。後を託せる人間ならいくらでもいる。果実の置き場所についても十分に協議した。僕が居なくても、みんなは国として、上手くやっていくだろう。もうじき、僕は死ぬ。君は死んだ。……最善を望めばきりがなく、苦痛が増すばかりだ。そうだね。僕も死んで終おうか?愛しい妻も愛くるしい息子も、何も言わず瞳を閉じたまま、ただ、天を向いている。その奥に並ぶ兵士や国民達も。
「……私が火を付けましょうか?」
サザに声が掛かる。振り返ると、サザがまだ幼かった頃から面倒を見てくれた教育係のレスタがいた。今更だが、随分と年を取った、と感じた。彼の後ろには仲間達がいる。ぞろぞろと付いて来ている。共に旅をした仲間もいた。サザは胸の中に何かが広がるのを感じながらも、ぴりぴりとした声色で言った。
「これは、僕の仕事だ。僕の判断で、皆死んだ。せめてその責任を忘れないよう、僕が皆に火をつけ燃やして、葬送しなくてはいけないんだ。これは……
やれやれと、溜め息混じりに余裕を演じながら、教育係のレスタは進み出て、サザから松明を一つ奪った。
「では、これは私の分の責任です。」
レスタの後を仲間達が続く。私の分、俺の分、自分の。最後の一本さえ奪われて、サザは苦情を言おうとして、言えなかった。レスタに肩を組まれた。
「私達は君に命を与えられた。新しい人生を与えられた。そうであれば、分け合うべきだ。苦痛も、後悔も、悲しみも。そして、今日から先に続く、幸せや笑顔も。」
サザは王としての条件反射で、涙をこらえていた。でも、
「死なないで下さい……。」
レスタの最後の一言で泣き崩れてしまった。ひざを突き、顔を覆って、号泣した。皆寄り添い、サザを抱きしめた。もう、そこには言葉はなかった。いらなかった。サザは、長く長く、泣いて泣いて。そして、立ち上がった。全ての苦痛が消え去り、後悔が払拭された訳では無い。彼の表情の中に、それは確かに残っていた。が、でも、彼は立ち上がった。松明に火をつけて掲げる。何時の間にか太陽は砂漠の地平に落ちようとしていた。振り返るとそこに仲間がいて同じように……ああ、これは、傲慢などではなく、確かに……同じ気持ちでウキハを踏みしめていた。サザは思った。
僕は暫くで死ぬ。でも、死ぬまで生きよう。死ぬまで生きたら死ぬ。皆には、長生きしてもらって、そうだね……国を愛して欲しい。どれだけ恐ろしい事が起ころうとも、国は人が作るのだから。その愛で国を、ヒトを、包み守って欲しい。ああ。皆には恋人を守り、家族を守り、街を国を守って欲しい。愛して欲しい。
サザは、彼らは手にした松明で最愛の人々の亡骸にお別れの火を灯した。途端に夕暮れの砂漠は亡骸が上げる黒煙で暗くなり、サザは一瞬、何か大きな間違いを犯し、取り返しのつかない不吉に取り付かれたのでは?と恐怖した。辺りを見やる。皆、泣きながら、或いは涙を堪えながら、火をともしていた。かつて自分の生活の一部だった人々に。サザは探す。不吉の影を。どうだろう?得体の知れない恐怖は近づいているのだろうか?潜んでいるのだろうか?わからない。想像もつかない。それは、きっと、後世が知るべきことなのだ。当事者に見えるものではないのだ。
暫くで別れ火を灯す作業は終わり、仲間達はサザのまわりに戻って来た。別れ火は炎となり、大きな風を呼び、黒煙を巻き上げる。妻や息子が小さな粒子となり砂漠の空に、大きな大きな空に帰っていく。それを一瞬だけ見送り、サザは仲間の背を押して、ウキハの中へ、新しい我が家へ降りて行った。サザは祈る。
ああ。この国の子達が幸せな人生を過ごしますように。僕が死んでしまったその後も。そして、人々の命を願い行動して、国を守りますように。
人の居なくなったウキハの屋上は、大きな炎に包まれている。悠々と砂漠の空を舞うウキハは炎に包まれ、不吉な黒煙を上げる。でも、それでも、サザは微笑んだ。死を覚悟した旅から帰り、亡骸とは言え愛しい妻と子に再開出来たのだ。不滅の哄笑の真下を思えばここは楽園だった。無論、最善ではない。でも、上出来じゃないかな?サザは微笑む。
……きっと子達がその愛で、国を人々を守ってくれる。
そうやって、ウキハは目的地に到着し、ゆっくりと大地にその巨体を置いた。地響きが轟き、熱砂が舞った。この瞬間、熱砂の国は始まったのだ。
その後、サザは6年生き延びた。病に苦しみながらも、3人の子供に恵まれ、熱砂の国サザの礎を築いた。彼の死後、醜い内乱が起きて、後の王都とクレイフに街は分断されてしまったが、それでも熱砂の国サザは栄えた。北方大陸ノースラドの強国として栄えるのだ。サザは死の間際、不滅の病が与える大変な苦痛の中で、最後に微笑み、呟いた。
……サーシャ。君が僕がこの人生の全てを賭けて守ったこの国は、もう、大丈夫……子達が、守ってくれる。愛で、国を……ああ……そうだね……きっと。……きっと。
サザが亡くなったこの日も、砂漠の空は良く晴れていた。魂の螺旋が解け、このコナゴナになった世界に帰っていくサザの真上には、深い深い蒼穹が広がっていた。蒼穹は何も語らない。サザの望みの帰趨さえも頓着しない。ただ、空はそこに広がり続けていくのだ。
世界はコナゴナになってなお……美しかった。
世界が生まれ変わる物語。
第二章。 砂の果実。
……おしまい。




