2.砂の果実。 それぞれの結末。 1
果実はついにその力を発揮し、浮葉を浮かび上がらせた。内部にラーダンモールの兵士達が残っている状態ではあったが、戦いの帰趨は決したと言っても問題なかった。クレイフの街人は勝利したのだ。羊頭の魔人の侵略やラーダンモールとの戦争、鯨の襲撃や濁眼の脅威、崩落の絶望から逃げ切ったのだ。クレイフの街人は勝利したのだ。そして、今、最後にそれぞれの結末を迎え、登場人物達は、それを受け入れようとしていた。
◆ ホランとコットス。……浮葉起動直後。
……ホラン。
コットスは自身を失っていた。唐突な空虚に飲み込まれてしまった。こうなる事は解っていた。だから、ホランを遠ざけようと考えていた。でも、出来なかった。結局は自身の力と判断力を過信して、盲目となり、毎日は続いていくと信じ切っていた。まさか、ボウモアに踊らされ、自分の手でホランを殺してしまうとは。コットスは倒れたままのホランを見ることが出来ず、ただ天井を見上げていた。コットスは突然、自分の中から活力や意識といったものが消失した事を感じていた。彼は直感する。
(……恐らく、私は生きて行けない。)
何かが壊れ失われてしまった。自分の魂の核を為す何かが。コットスは情け無いと思いながらもどうすることも出来ず、身体から力が抜けて行くに任せた。目を閉じ、その場に崩れ落ちるその瞬間……非可逆的な瞬間……に、ホランは戻った。天為の能力で。ホランは一瞬だけでも体に戻り、コットスに礼を伝えたかった。感謝をして、自身の死について悲しまないように笑いかけたかった。これまで、出所の知れない、正体の無い自身に注いでくれた愛に答えて、コットスに愛を返したかった。今、正に落ちていこうとする虚無の深淵から、救いたかった。ホランは、純粋な愛を胸に、打ちのめされた体に戻った。目を開き、
「コットス、俺は感謝してる。あなたの下で人生を送る事が出来て幸せだった。ありがとう。」
と、伝えられなかった。言葉を発しようとしたホランは激痛と恐怖の檻の中で死に呑み込まれるのを感じた。喋る事など不可能だった。ただ、苦痛。コットスに蹴られた胸が赤熱した炭を押し付けられているかのように、痛みと熱で抉られていく。肉体に戻った筈の魂は死神に再び引き剥がされようとしている。寒い。痛い。熱い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
そこにホランはいなかったただ、死にの呑み込まれていく、苦痛の魂があるだけだった。ホランの肉体は何かどこかからの指令を受けて、ばたばたと痙攣する。目は裏返り、喉は意味不明の絶叫を上げた。果実が鎮座するその部屋は凍りついた。恐怖が世界を支配した。ハルでさえ何も出来ずにそれが暴れまわり絶叫するのを目を反らすことも出来ずに、見つめるだけだった。コットスは、突然暴れ始めたホランを恐怖と苦痛の表情で見つめ……そして、彼から表情が消えた。コットスは痙攣して跳ね回るホランの頭を鷲掴みにし、力を解放した。特異点としての彼の能力を。ホランの魂は停止して、肉体は動きを止めた。ホランは再び死んだのだ。コットスは立ち上がり、恐怖に包まれる果実の部屋を見渡した。
「癒やし手を呼べ!タマウの治療を行う。彼女がこの新しいクレイフの核となる存在なのだ。」
続けて、ラーダンモールに対する対処やウキハの状況確認の命を下した。そこには先程までの弱いコットスはいなかった。スーツを着て、頭髪の乱れを整え、眼鏡の位置を直す彼は、間違いなく……事務屋コットスだった。
……すまんな、ホラン。二度も殺した。だが、助かった。ありがとう、ホラン。
コットスはホランの死への苦しみを通して、現実を感じた。それが彼に為すべき事を思い出させたのだ。
だって、そうだろう?私達は街を守って来た。そうだ。過去の無い私達には未来は無い。今、ここがあるだけだ。ありがとう。ホラン。思い出したよ。苦情はいつか私が死んで、そこに行くときまで、待っててくれ。……私にはまだ、仕事が残っている。
◆
天為は眺めていた。肉体に戻り、そこを追い出されて、またこの場所に来たホランの魂を。ただ、今回は先程とは違い、ぼんやりとした靄のような姿で、流れていくだけだった。そのホランだったものは虚空へと流れて、螺旋に飲み込まれて消えた。天為はそこで目を閉じて、その場所を三界の狭間を離れた。




