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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第二章「まっさらな新しい日」
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末席と嫌われもの2

「おぉ、グレーテル・バイスシタインじゃねぇか。よくできたお人形さんかと思ったぜ」

「へぇ……悪名高き『セルバンテスの狗』、バイスシタイン兄妹の片割れかよ」

「またの名を『セルバンテスの愛猫』とも言うあの兄妹だな。ひひっ、こんなところにひとりできたのかい? お兄ちゃんはどうしたよ」


 三人連れの男たちだ。酔漢なのだろうか。ねっとりと耳にまとわるような、嫌な話し方をする。グレーテルのことを知っているが、知り合いではないだろう。三人の男たちはグレーテルを嘲弄している。


「なぁおい、グレーテルちゃんよ。おじちゃんたちが、ここでなにしてんの? って聞いてるんだぜ? 答えてくれよ。知ってるんだぜ。いつもはお兄ちゃんの言う事をよくきく良い子なんだろ?」

「こんなちっちゃななりして、兄貴に言われた通りにセルバンテスの色子を務めてるってんだからな。末恐ろしい小娘だ。なぁ、グレーテル。ちょっと、やって見せてくれよ。セルバンテスの野郎を骨抜きにした、技術ってやつを」

「セルバンテスが銀蝋の市場を独占したせいで、俺たちは壁外に出て稼ぐことも出来ねぇで、このまま腐っていくしかねぇんだ。気の毒だろう。ご主人さまに変わって、埋め合わせてくれよな。いつもご主人様を喜ばせてるみたいによぉ」


 絶対優位に立っていたいけなこどもを嬲る卑劣な行為に、ルシカンテは怒りを覚えた。矢のように飛び出そうとするが、ギャラッシカはルシカンテの襟首を掴んで離さない。ルシカンテは眦を吊り上げてギャラッシカを睨みあげた。ギャラッシカは山のように静かだ。

 グレーテルは沈黙している。怯えてしまって、声も出ないのかと思っていた矢先、思いがけず大人びた語調でグレーテルは言った。


「わたしに酷いことをしたら、お兄ちゃんが許さないわよ」


 男たちは数瞬、呆気にとられて黙ったが、すぐにげらげらと腹を抱えて笑いだした。


「ひゃっはっは……そうかい、そうかい! なぁ、お前のお兄ちゃんは、いつもはどんな風に怒るんだ!? 俺たちはお前のお兄ちゃんが怒ったとこなんて、一度も見た事がないんだがなぁ」

「いつもコソ泥みてぇにこそこそしてるとこしか、見たことねぇ。見てみてぇな、怒らすと怖ぇんだろ?」

「そら、ひどいことをしてやる。お兄ちゃんに泣きつけよ!」


 グレーテルが大きく息を呑む。悲鳴を上げる前に、男たちがグレーテルを黙らせてしまった。グレーテルの悲鳴はくぐもっていて、水滴の音のように、路地の闇に吸い込まれる。

 ギャラッシカは動かない。ルシカンテも動けない。迷っている暇はなく、ルシカンテは叫んだ。


「ヘンゼル! 来て! グレーテルがかどわかされる!」


 死角からルシカンテがいきなり叫んだので、男たちは仰天した。ギャラッシカが襟元から手を放したので、ルシカンテは転げるように路地に出る。グレーテルは好機を逃さずに口元を押さえる男の手に噛みつき、怯んだ男から逃れると、こちらへ一目散に駆けて来た。ルシカンテは腕を広げて、グレーテルを抱きとめる。勢いが良すぎて支えきれず、尻持ちをついた。グレーテルの顔が、目と鼻の先にある。危機感の無い無垢な笑顔が、がくんと沈んだ。


「……この、バカっ。俺から離れてうろちょろするなって、いつも言ってるのに……!」


 ヘンゼルの雷が、拳になってグレーテルの頭上に落ちていた。

 頭のてっぺんを両手で押さえて、痛い痛いと半べそをかくグレーテルを、ヘンゼルは草を根っこから引き抜くようにして立たせた。ルシカンテは自力で立ち上がり、ヘンゼルを見上げる。ヘンゼルの顔は、はっとする程に青白い。目に光がなく頬が削げていて、墓場から蘇った死体のようだ。

 ヘンゼルは震える拳を解くと、グレーテルの腕をつかみ、引き摺って、来た道を引き返した。すれ違い様に、低く言う。


「行くぞ」


 ギャラッシカはぽかんとしているルシカンテの背に回り、肩に手を置くと、そのまま押して往来へルシカンテを誘導した。

 仕切り壁の前に戻って来ると、いらないものまでついてきていた。グレーテルに絡んでいた男たちが、追ってきたのである。


「おいおい、つれないなぁ。同郷のよしみだろう? 仲良くしようや」


 やにさがった男たちの手の中で、ナイフの刃が鈍く煌めいている。ルシカンテがびくりと竦むと、男たちは俄かに勢いづいた。


「俺らはな、お前ら兄妹の要領の良さを褒めてるのさ。あの大混乱の中でも、お前らは取り入る相手も、取り入る方法も間違えなかった。たいしたたまだぜ。俺にも可愛い妹がいればなぁ。ちょっと言い含めて、セルバンテスの寝台にもぐりこませたのに。そうしたら、末席でごみ漁りして暮らさずに済んだんだろう?」


 ヘンゼルはグレーテルを荷台に放り込むと、くるりと転向した。漂白したように表情を消している。どこまでも無関心だった。それは人が人に向ける感情として、底辺に近い感情である。


「あんたらがここで燻ぶっているのは、ここが無為無策の無能にふさわしい肥溜だからだ。他人の成功を妬む暇を惜しんで、あくせく働かねぇと、いつまでたってもここから抜けられないだろうよ」


 ヘンゼルが冷淡に言うと、男たちの顔色が怒りからぬっと曇った。無理に唇をねじまげて、余裕の嘲笑をこしらえようとしていた。


「今日は随分と、威勢がいいじゃねぇか。いつもなら、兎みてぇにぶるぶる震えて跳ねていっちまうのによぉ」


 男の一人がずいと踏みだし、ヘンゼルとの間合いをつめた。ヘンゼルの胸倉をつかみ、垢にまみれた顔をぐっと寄せ、おどしつける。


「いつものあれやって、俺らを笑わせろよ。びくびくして、ネズミみたいに逃げてみろ」

「ネズミはどっちだ。あんたの呼気から、どぶの臭いがするぜ。こんなとこで腐ってると、肺の中まで腐っちまうのかい。お気の毒さま」


 ヘンゼルはそう唾棄して、男を振り払った。

 ルシカンテはヘンゼルと会って間もない。その短い付き合いでも、ヘンゼルならまぁそれくらい言い返すだろう、という得心する程度の悪口だった。しかし、男たちにとって、ヘンゼルの反撃は予期せぬもので、あってはならぬものだったらしい。男たちは驚き、怒りに燃えた。

 ヘンゼルは数歩下がった。ルシカンテとギャラッシカの斜め前に立ち、振り返らずに言う。


「あんた、三人くらいなら、あっという間にまとめて熨せるよな?」


 ルシカンテは驚いて自身の鼻頭を指さした。こどもの頃は男のように負けん気が強いと言われたが、取っ組み合いの喧嘩なんて長らくご無沙汰している。するような相手がいないと言うのも理由の一つだが。とにかく、三人の大の男をまとめて熨す自信はない。

 ヘンゼルの言葉はルシカンテではなく、ギャラッシカに向けられていた。しかし、ギャラッシカは答えない。固い面の皮が、ヘンゼルの一瞥を跳ね返している。

 ヘンゼルはやれやれだ、と頭を振った。


「その阿呆の娘の言う事しか、聞かないってことね」


 ヘンゼルはルシカンテの髪を引っ張り、ぐいと上向かせた。ヘンゼルは射るような目つきで、顎をしゃくって男たちを指示す。


「その男に、あいつらをぶちのめすように言いな。君だって、ひどい目にあいたくないだろう」

「ルシカンテは自由に決める。指図は受けない」


 ギャラッシカがヘンゼルの手を叩き落とした。これまで、まるでヘンゼルが透明な空気であるかのように取り合わなかったギャラッシカが、はじめてヘンゼルを正面にとらえていた。薄くほほ笑んでいるが、肩が怒り、子連れのクマのように気が立っている。

 ルシカンテは、慌てて二人の間に割って入った。仲間割れをしている場合ではない。にやにやと傍観を決め込む見張りたちは、この見世物が終着をみるまで、ルシカンテたちを通さないだろう。

 ルシカンテは腕まくりをして、鼻息荒く言った。


「やんなきゃなんないんなら、やる。やってやろうじゃねぇの」

「いいのかい、ルシカンテ」


 ギャラッシカが首を傾げる。ルシカンテは、刃物をちらつかせる三人の男たちから目を放さずに、頷いた。


「奴さんらはやる気だもの。やんなきゃ、こっちがやられる。なんも悪ぃことばしてねぇのに。そげなこと、おもしろくねぇべや」

「そうかい」


 ギャラッシカは長い足で無造作に一歩を踏み出した。腕はだらりと胴の横に垂れている。三人の男たちは無防備なギャラッシカを嘲笑した。


「なんだ、こいつ。頭がおかしいのか」


 ギャラッシカは答えない。男の言葉を認識しようとさえしていない。男たちが色めきたち、ナイフを突き出し牽制するが、ギャラッシカはみじろぎもしない。虚勢ではなく、脅威を感じていない様子だった。まるで、鋼鉄の甲冑に身を包んでいるかのように。

 ナイフの鋭い切っ先で刺されたら、皮膚が裂かれ、肉を抉られてしまいかねない。ギャラッシカは脅威を正しく理解していないのだ。ルシカンテはギャラッシカに加勢するべく、武器を探して荷台に腹ばいになって上体を乗り上げた。ヘンゼルの杖を拾い上げようとする手を、ヘンゼルが上から押さえこむ。ヘンゼルの薄いが硬い体がルシカンテの背に乗り、身動きを封じている。

 ヘンゼルはルシカンテの手から杖を奪うと、体をはなした。薄ら笑いを浮かべて、肩越しにギャラッシカを流し見ている。軽い調子で揶揄してきた。


「そんな無駄なことしようとしていないで。念のために、言い含めておいたらどうだい? 殺さないように、ってさ」


 何をバカなことを、とルシカンテは目口はだかった。徒手空拳のギャラッシカに刃物を持った男三人を相手にさせたら、殺されるのはギャラッシカの方に決まっているではないか。

 背後でカエルが潰れたような苦鳴が上がる。ルシカンテはぎくりとして、跳ね起きた。

 繰り広げられていたのは、たがいに罵り合い、少しずつ傷を増やし消耗していく、人間の格闘ではなかった。獲物にとびかかり一瞬で仕留めてしまう、獣の狩りだ。

 ギャラッシカの足元に、三人の男が無様に伸びている。何がおこったか、わからなかったのだろう。手にはしっかりと刃物を握り締めたままで、顔には、醜い慢心の薄ら笑いの残滓がこびりついたままだった。

 ギャラッシカは真っすぐにルシカンテのところへやって来た。呆気にとられているルシカンテに、変わらぬ微笑みを向ける。


「そのうち、目を覚まして動き出すさ。ルシカンテが嫌がることを、僕はしない。大丈夫、大丈夫。」


 ヘンゼルは呆然としている見張りに、ここを通すように言いつけた。その時のヘンゼルの言動には、高慢ちきの片鱗が垣間見えたのだが、見張りたちはそれを咎めなかった。

 間もなく、仕切りが開け放たれる。ルシカンテとギャラッシカはヘンゼルの大声に尻を叩かれ、荷台に乗り込んだ。ヘンゼルは彼に纏わりついて御機嫌とりをするグレーテルを鬱陶しそうにはねつけて、馬車を進める。

 ルシカンテはギャラッシカののっぺりとした、画のような微笑みを横目に見ながら、影の民に鍛えられるとこうなるのか、と舌を巻いていた。

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