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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第二章「まっさらな新しい日」
21/65

末席と嫌われもの1

 ***


 紆余曲折を経て、入壁の許可がおりた。プリムラが伝声管で見張りのラベンダーにその旨を伝える。釣り鐘が高らかに打ち鳴らされた。跳ね橋が下ろされる合図である。

 鐘の音が聞こえて来ると、ヘンゼルは長居は無用とばかりに踵を返す。ルシカンテはギャラッシカの手を引き、ヘンゼルの薄情な背中を追いかけた。


「お待ちなさい、ヘンゼル」


 ヘンゼルが立ち止まったので、ルシカンテはヘンゼルの痩せた背中に顔をぶつけた。唸ったヘンゼルに、肱鉄砲を食らう。鼻から、ぐきっと嫌な音がした。

 肩越しに振りむいたヘンゼルの億劫だとはっきり書いてある顔を、ママ・ローズは見つめた。ママ・ローズはテーブルに肱をつき、指を組んで口元を隠す。色眼鏡に隠れた瞳で、ヘンゼルをじっと見つめている。


「あんた、厄介な問題を抱えているんじゃない?」


 ヘンゼルが一瞬、息を詰めたのが、すぐ傍にいたルシカンテにはわかった。見上げた先には雷雲のような、険悪な表情がある。ヘンゼルは皮肉な微笑を唇に刻んだ。


「そう。心と体の性別がちぐはぐな、困った奴が、悪戯に俺の私情を侵害しようとして、困ってるんだ。なんとかしてくれるかな?」


 プリムラが俄かに気色ばみ、椅子を蹴って立ち上がる。血気盛んなプリムラを、ママ・ローズが目線で制する。プリムラがぎりりと歯がみする音を聞き流し、ヘンゼルは部屋を後にした。一度もママ・ローズを顧みなかった。


 露台に出ると、入り口を閉ざしていた跳ね橋が降りて、使徒座十二席へと道が通じていた。着衣の事情から、でルシカンテ、グレーテル、ヘンゼル、ギャラッシカの順で降りた。ギャラッシカが地面に降り立つと、縄梯子はするすると巻き取られる。ギャラッシカはルシカンテの隣にやって来ると、心なしか得意そう胸を張った。


「ちゃんと我慢したよ」


 ルシカンテが見上げると、ラベンダーがほくほくした笑顔で手を振り、ルシカンテたちを見送っている。呆然と見上げていると、ヘンゼルに家畜のように追い立てられ、馬車の荷台に詰め込まれた。

 門を潜るにも、関所での手続きが必要だった。また脱がされるのか、とルシカンテは身構えたが、今度の手続きはヘンゼルが一人で済ませるものだった。

 門番はルシカンテとギャラッシカに、鉄の付け札を投げて寄越した。「ヘンゼルの所有物」として、壁内に入る証明らしい。ヘンゼルはその付け札は肌身離さず持っていろと言いつけて、手綱をふるった。

 通過する際に、窓から関所の内部を覗きこんでみる。静かで分からなかったが、関所には五人もの人が詰めていた。皆一様に覇気のない、暗い顔をしていて、無口だった。


「末席に馴染んだ人間は、だいたい、ああなるんだ」


 ヘンゼルの声には感情が籠らない。門を潜ってから、門番たちの憂鬱質が伝染したかのようで、溜息が多い。

 一時でも寝食をする国のことなら、上辺だけでも知る必要があるとして、ヘンゼルは使徒座十二席について説明をした。

 使徒座十二席は「天使」が至尊として君臨する都市群である。円形の土地は同心円状の十二の区画に分かれている。

 天使、すなわち「神の使徒」が住まう「首席」を中心とする。

 首席を包囲するのは、天使に仕える「聖職者」が住まう、第二席、第三席。

 ここまでが特権席とされ、原則的には、下席の者は特権の輪を踏み超えることすら許されない。

 特権階級を取り囲むのは、豪農、豪商ら富裕層が住まう第四席、第五席である。

 その外側の第六席、第七席、第八席は農耕地として用いられており、農民が生産活動に励み、使徒座の食糧基地の役割を担っている。

 そして、護壁に面した土地を割り振られたのは「賤席」とひとくくりにされる、席字である。

 入口の反対側の南に、第九席。商人たちが盛りたてる繁華街である。

 職人たちの工房の軒を連ねるのは、東の第十席、西の第十一席だ。

 そして、貧民窟である末席は北の門に面している。

 そもそも末席は、食いぶちを失くした賤席が追いやられる流刑地だった。護壁の外と関わる危険な仕事に従事することで、特権席から施しを受けて、辛うじて糊口を凌いでいたのだ。

 それが、ヴァロワから大量の難民が流れてきたことによって、事情が変わった。末席は自ずと、難民の受け皿としての役割を果たすようになったのである。人口が膨れ上がり、手が行き届かなくなった。そこで特権席は、末席への干渉を最低限に留め、門前の生活者にある程度の自由を認めた。 


「結局のところ、末席は見捨てられたってことさ」


 ヘンゼルは、軽い調子で言った。


「使徒座が、移民にむごかったってことじゃない。むしろその逆だった。他の国じゃ、ヴァロワから逃げて来たってだけで、門前払いだ。ヴァロワは、擬態する人喰いが跳梁跋扈していた国だったからね。ヴァロワからの移民たちに、人に擬態した人喰いがまぎれているんじゃないかって、懐疑的にもなる。使徒座は寛容だったよ。移民の中には使徒座でうまいこと成功して、偉くなった人間もいる。特権席に招き入れられた奴がいるって噂もあるくらいだ。だが、天使様のご慈悲をもっても、全ては救いきれないだろうよ。特に、身の不幸を嘆いて、救いをひたすら待つだけの愚かな連中は」


 ヘンゼルらしく、言葉には遠慮がない。だが、多聞を憚って声を落としている。御者席の背凭れに顎をのせるルシカンテの耳に、辛うじて届く程度の声量だ。

 シカンテはヘンゼルの話に集中して、饐えた臭いに眉を潜めそうになるのを、懸命に我慢していた。

 錆色の建物が肩をぶつけ合うように櫛比し、入り組んだ路地が蜘蛛手に張り巡らされている。銅色の闇が閉ざした路地から、往来を歩くルシカンテたちを見つめる瞳だけが、夜走獣のそれのように光っていた。

 建物と建物の峡谷。渡されたトタン板のかけ橋。雨水排水のために張り巡らされた金属の管が蔓草のように絡み合う。末席の闇は、金属でできた「淵」のように、危険な野性味と奇妙な威厳に満ちている。

 路地裏から、視線を感じる。体中に、冷え冷えとして纏わりついていた。忍び寄る恐怖の実態を見極めようとして、ルシカンテは街並みを見回した。ルシカンテの頭を、ヘンゼルが上から押さえつける。


「きょろきょろするな。因縁をつけられる。ただでも、俺には敵が多いんだ」

「あんた、ここでも嫌われてるの?」


 思いついたことが、ぽんぽんと口をついて出た。しまった、と青褪めたが、ヘンゼルはルシカンテの失言に目くじらを立てなかった。皮膚の下から浮かび上がった表情は、自嘲の笑みに見えた。


「俺は出世頭だから、僻まれているのさ。仕方がないことだ」

「そうそう。覚えておいて、ルシカンテ。お兄ちゃんみたいに根性がひんまがってないと、偉くなれないのよ」

「俺の根性がひんまがっているお陰で、お前はこんな汚い処で寝起きせずに済むんだ。お兄ちゃんに、惜しみない感謝を忘れるな」

「ははー! ありがたやー、ありがたやー!」


 ヘンゼルの隣に腰かけたグレーテルが、弾むように笑う。鈴振る可愛らしい笑声がそらぞらしい。殺伐とした末席で、それがひどく挑発的な響きをもつような気がして、ルシカンテはぞっとした。怒りを招いてしまうような予感がしたのだ。

 しかし、ヘンゼルは気にしていない。むしろ、グレーテルの無邪気な振舞いは、焦土に染みる水のように、彼の毛羽立った心に作用している。

 ヘンゼルはグレーテルに対しても、すぐに苛立ち、怒鳴りつけ、意地悪な言い方をするが、矢張りそこは、血の繋がった妹だ。かわいいらしい。グレーテルが天真爛漫な振舞いをすると、心配事が取り除かれたように、雰囲気の刺々しさが和らぐ。

 錆を含み、血の色をした水たまりが、往来のそこかしこに点々としている。アーサーが跨ぎ超えると、水面がさわさわと騒いだ。下を覗きこんだルシカンテの輪郭を、怯えるように波打たせる。

 ヘンゼルとグレーテルの住まいは、西の第十席にあるそうだ。商人の区画ではなく、職人の区画である。ルシカンテが疑問に思って尋ねると、ヘンゼルは、器用に片眉をひょいと持ち上げた。


「俺は装身具職人だぞ? 外には、原料になる輝石を探しに行っているのさ。加工の為に、それ用の工房をもって、そこに住んでる。外に出るついでに、商人の真似事もするがね。俺の本質は、きっと職人なんだよ。俺みたいな気難し屋には、そっちの方がむいてる。職人に、愛相は要らない。偏屈でも、腕がたてば、誰も文句はつけないからね」


 気難し屋の自覚はあったようだ。

 そんなことを話しながら、第十席と末席を隔てる、仕切り壁の前までやって来た。分厚い壁を護る関所の見張りは末席の人々とは異なり、身形が小奇麗で、物々しく武装している。

 基本的に、使徒座内の各席の移動は自由だが、末席を隔てる仕切り壁と特権席を隔てる境界壁は、分厚く高く聳え立ち、武装した見張りがついている。席字の下のものは、上の席へ進むことは許されない。余計なもめごとを起こさない為の用心だという。

 ヘンゼルは、道の脇に馬車をとめると、御者台を降りて、見張りに声をかけた。見張りは、ヘンゼルをまともに見ない。酷い応対だった。不親切なだけではなく、下に見ているのが明らかなのだ。ヘンゼルは、当然、腹を立てて食ってかかるかと思われたが、彼は予想外に静かだった。見張りに待たされている間に、ヘンゼルはきりきりしているルシカンテの傍に来て、耳元でこっそりと囁いた。


「誰に媚を売って、誰をコケにすればいいのか、俺はそこのところを、ちゃんと弁えている。頼むから、分別の無いことをしてくれるなよ」


 ルシカンテに釘をさすと、ヘンゼルは手続きの為に、詰め所に連行されて行った。

 待っていろと言いつけられたので、ルシカンテとギャラッシカ、グレーテルは、馬車でヘンゼルが出て来るのを、おとなしく待っていた。

 手続きは護壁の門を潜るときよりも、時間がかかった。嫌がらせでもうけているのではないだろうか、と心配になってくる。護壁の門を潜るまで、あんなに威勢が良かったヘンゼルが、借りて来た猫のように大人しくなってしまったことが、なんとも心許なかった。

 待ち時間が長くなると、グレーテルは、じっとしていられない。爪先と踵に自重を交互にのせてゆらゆら揺れていたかと思うと、きょろきょろそわそわしだした。そしてついには、路地に何かいると言って、荷台から飛び降り駆け出してしまう。すぐ脇の路地に飛び込んで行った。

 ルシカンテは泡を食って追いかけようとしたが、ギャラッシカに襟首を掴まれた。


「ルシカンテ、僕も一緒に連れていって」


 いちいち止めないで、勝手に追いかけて来ればいいのに。そのうちくしゃみをするにも、ルシカンテの許可を求めてきそうだ。

 ぐちぐち文句を言っては始まらない。影の民の里で暮らしていたギャラッシカが、人間たちに囲まれて心細くなり、唯一の知己であるルシカンテのみを頼りにする気持ちは、よくわかる。後ほどよく言い聞かせることにして、ルシカンテは、ギャラッシカの手を引いて、グレーテルを追って路地へ入った。

 グレーテルは、すぐに見つかった。道端にしゃがみこみ、毛を逆立てる黒い毛玉に話しかけている。


「猫さーん。猫さん、こんにちは。わたしはグレーテルって言うの。あなたのお名前は、なんて言うの? ひとの言葉じゃ、わからないかしら。にゃーお、にゃんにゃん、ごろにゃーご?」


 ルシカンテの緊張が、鼻から抜けた。連れ戻して、今度はルシカンテが、グレーテルとギャラッシカの手をしっかり握っていなければなるまい。と心に決めて、のしのしと歩み寄ろうとしたが、また、ギャラッシカの手で子猫のように摘み上げられる。ギャラッシカは、ルシカンテを自分の背後におろすと、後退して半壊した家屋の影に隠れた。

 ギャラッシカは、何をしているのだ。ルシカンテが、いぶかって見上げると、路地から、下卑た声が聞こえて来た。

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