【24】週末の爆弾魔と満ち足りた世界。〜裸足の夜に気づくもの〜
そうして、ダイニングルームのテーブルに置かれた料理に、ヴェイル博士は瞳を輝かせた。
「すごい……!
ローク主任捜査分析官って本当にお料理が上手なんですね!」
テーブルの上には、鶏肉の白ワイン煮込み――フリカッセ――とじゃがいものガレット、キャロットラペが一分の隙もなく並べられている。
ギャレットが「普通です」と答えると、ヴェイル博士が上目遣いでギャレットを睨んだ。
ギャレットが苦笑する。
「いえ。
一通りのことは出来ます。
お褒め頂きありがとうございます。
どうぞ」
そうして二人はワイングラスに入ったミネラルウォーターで乾杯する。
ロドンも自分の定位置で食事をしていた。
ヴェイル博士はゆっくりと、小さくカットした料理を口に運ぶ。
ギャレットはそれを待つ時間すら、なぜだか楽しかった。
ヴェイル博士が美味しそうに微笑む。
ギャレットの料理に、目を丸くし、子供のように無邪気に感想を口にしてくれる。
食事は栄養補給だと考えていた自分が、目の前の食事を本当に楽しんで、美味しいと感じていることを、ギャレットは自然と受け入れていた。
そして、手伝うというヴェイル博士を何とかソファに座らせ、ギャレットが後始末を終えると、ヴェイル博士が言った。
「ロドンを裏庭から放します。
ローク主任捜査分析官も一緒にどうですか?」
ロドンは博士の足元に座り、ギャレットを見上げて尻尾を振っている。
ギャレットが柔らかく「良いですよ」と答える。
博士は裸足のまま芝生に降り立つと、ロドンに「さあ、行っておいで」とやさしく告げる。
ロドンは一度「ワン」と小さく鳴くと、裏庭から暗い森へと駆けて行く。
ヴェイル博士が嬉しそうに笑う。
裏庭の温かな照明に照らされる、ヴェイル博士の横顔。
ギャレットは何かを話さなくては、と思った。
この空間で、突っ立っている自分が不釣り合い過ぎて。
だから、思わず言ってしまった。
「博士はいつも、裸足ですね」
言った瞬間、後悔する。
ライフスタイルに口出しするなんて、と。
だが、ヴェイル博士はにこりと微笑むと、やさしく言った。
「ローク主任捜査分析官も、裸足になれば、分かります。
靴を脱いでみて」
「今、ですか?」
「ええ、そう」
ギャレットが素早く靴と靴下を脱ぎ、裸足で芝生の上に立つ。
ヴェイル博士の裏庭の芝生は――
信じられない程、柔らかかった。
「どうですか?
ローク主任捜査分析官」
そう言う、ヴェイル博士は悪戯に成功したように、楽しげだ。
ギャレットが小さく答える。
「とても気持ちが良いです。
それと――」
「それと?」
「私のことは――ロークと呼んで下さい。
博士に、この家で、役職名を呼ばれると、何だか違和感がするので」
ヴェイル博士はあっさり言った。
「ええ。
それなら、あなたも僕をヴェイルと呼んで下さい」
「博士では?」
「それは、ルール違反です。
ギャビー」
ギャレットはくらくらしそうになるのを堪える。
そして慌てて言い返す。
「いえ!
ロークで!」
ヴェイル博士はひらりと家の中へと走る。
ギャレットも後を追う。
「博士!
走らないで下さい!
安静にして……!」
「じゃあ、追いかけっこしましょう。
あなたが僕を捕まえたら、ソファに座るし、寝室にでも戻ります」
ヴェイル博士の甘ったるい声は、楽しそうで、やさしくて――
ギャレットが本気で追いかければ、ヴェイル博士なんて直ぐに捕まえられる筈なのに、手が届きそうになると、ひらりと舞うように走る、ヴェイル博士を捕まえられない自分に驚く。
最年少で少佐になった自分が。
戦場でも、オーラでも、どんなにも冷徹になれる自分が。
ギャレットの頭に蘇る。
裏庭で蝶を見ていたヴェイル博士。
そう、蝶は目で追えば良い。
自分のように――
だが、追いかけっこは長くは続かなかった。
言い出したヴェイル博士が頬を真っ赤にして、「……降参〜……」と言って、ペタンと床に座ったからだ。
ギャレットはフッと笑うと、素早く氷水を作り、博士に手渡す。
ヴェイル博士はちょっと膨れた顔をして、小さく「ありがとうございます」と言うと、氷水を飲んだ。
「……冷たい……」
そう言って、ヴェイル博士は長い睫毛を伏せると言った。
「僕の負け……。
ソファ?寝室?」
「お好きなところに。
博士」
「やさしいんですね。
ローク」
「私にそんなことを言うのは、あなただけです」
ギャレットが差し出した手に、ヴェイル博士の白い手が乗る。
ヴェイル博士は立ち上がると、言った。
「じゃあお礼に、明日、バイオリンを弾きます。
リクエストを考えていて下さい」
そして、ヴェイル博士はギャレットが作った氷水を持って、寝室に向かった。
やはり疲れているのだろう。
ギャレットは真っ白なソファに寝転んで、自分が裸足だったと気づく。
高い天井の木の梁を見て、思う。
俺はNYのあの部屋には、もう耐えられないかもしれないと。
そんな自分が、信じられないと共に、この家の中では、それが正しく思える。
ふと、マイク・ジャコビーが頭を過ぎり、嫌になると同時に思った。
ジャコビーの『週末の爆弾魔』の始まりのストレス要因は、妻との離婚だった。
彼女は子供二人の親権も取り、ジャコビーに言った。
「養育費は1セントもいらない。
だから、別れて」と。
彼女は建築デザイナーとして成功していた。
ジャコビーは修士号を持つ理科の高校教師。
けれど、妻は彼が『週末の爆弾魔』になった時、FBIの聴取に答えて言った。
「私は彼を愛して尊敬していたのに、彼は私の成功に引け目を感じて、『素敵な家族』を演じることを強要していた。
皺一つ無い服で家族揃って人前に出ることに、命を懸けていた。
強迫観念と虚栄心の塊よ。
まるで刑務所暮らしのようだった」と。
そうしてジャコビーは妻が良く手掛けていた、公共施設を標的にした。
“真の”理解者が――
『マイク・ジャコビー』を受け入れてくれ、虚栄心などいらない、見知らぬ世界へ連れて行ってくれたとしたら?
今、俺が裸足で追いかけっこなんてして、満ち足りた気持ちでいるように、ジャコビーも満ち足りていたら?
俺はヴェイル博士とロドンを、いや――ヴェイル博士の世界を絶対に守り抜くと誓った。
ジャコビーも誓っていたら?
ジャコビーはどんなことをしても、その人物を庇うだろう。
『週末の爆弾魔、マイク・ジャコビー』として、死を選ぶ。
そうすれば、“真の”理解者といた世界を守ることが出来る。
ギャレットは、裏庭に出ると、スマホを手にした。
「ノラ、遅くに悪い。
ジャコビーが掛かっていた精神科医は見つかったか?」
ノラが驚いたように答える。
「えっ!?
それってFBIの案件ですよね!?
調べて良いんですか!?」
ギャレットが厳しい声で答える。
「一度なら、偶然だ。
だが、リアムとエレナがマイアミにいて、ジャコビーのかかりつけの精神科医もマイアミ大学を出ている。
こんな偶然はない。
明日、ローウェル課長に正式に訊く。
その前に見つかったかどうか知りたい」
「弁護士お願いしますよ!?
えーと……見つかっています!
FBIに協力していますね!」
「成る程。
ご苦労」
「いいえ!
おやすみなさいっ!」
ノラからブチッと通話が切れる。
そして、ギャレットは、今更気づいた。
裸足で夜の裏庭に立っている自分に。
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