【14】博士は言った『For S』僕のために。〜火の粉は主任だけに降る〜
それから一時間後。
ギャレットはヴェイル博士の一軒家のリビングのソファに座っていた。
あの後、マーカスはヴェイル博士のオフィスにギャレットを案内したが――
ヴェイル博士は自分のオフィスに着いた途端、アスピリンをガリガリと噛みだしたのだ。
マーカスはまるで自分のオフィスのデスクのように、ヴェイル博士の引き出しを開けると、体温計を取り出し、焦った口調で言った。
「セオ!
熱があるのか!?」
ヴェイル博士は、ポツリと答える。
「頭が少し痛いだけです。
大丈夫。
ローク主任捜査分析官、どうぞ、ソファにお座り下さい」
ギャレットは立ったまま、動けなかった。
自分が揺さぶろうとしている相手が、"繊細な"病人であるという事実に。
すると、マーカスは次にヴェイル博士のパソコンを開いた。
「セオ。
今日は帰りなさい。
もう講義はない。
教務担当職員には私から連絡しておく」
ヴェイル博士がスッと横を向く。
サラサラと揺れるアッシュブロンドのストレートの髪。
ヴェイル博士はまたポツリと言った。
――ガリガリと噛んでいたアスピリンを飲み込んで。
「でも、ローク主任捜査分析官に聞きたいことがあるんです。
どうしても」
マーカスが困った顔になると、ヴェイル博士の横顔に向かって問う。
「どうしても、か?」
「ええ」
マーカスが素早くギャレットに振り返る。
「君は空港から何で来た?」
ギャレットが即答する。
「タクシーです」
途端にマーカスがホッとした顔になる。
「君はどんな車でも運転出来るだろう!
例え飛行機でもな!
ヴェイル博士を自宅に送り届けてくれないか?
私も仕事が終わったら、ヴェイル博士の家に行く。
そうだ!
君はヴェイル博士の家に泊まれば良い。
ヴェイル博士は一軒家に住んでいて、ベッドルームは三つある。
ヴェイル博士、ローク主任捜査分析官を泊まらせてもいいかね?」
ヴェイル博士はまだ横を向いたまま、「ええ。マーカスがそう言うなら」と答えた。
ギャレットが珍しく戸惑った声を出す。
「ですが……ホテルも予約してありますし、ヴェイル博士とは初対面同然ですので。
ご自宅に泊まるのはどうかと思いますが」
マーカスがワハハと笑う。
行動分析課のオフィスでの、"ローウェル課長"の方が別人であるかのように。
マーカスはそんなギャレットを気にするふうもなく、言った。
「キャンセル料はうちで支払おう。
それに――」
マーカスが声を落として続ける。
「君に行動分析課をウロウロされるよりはマシだ。
ヴェイル博士を頼んだぞ!」
そして、ヴェイル博士は、「ナビの通りに運転して下さい」と設定だけを済ませると、後部座席で呆気なく眠ってしまった。
ギャレットは運転しながら考える。
ローウェル課長を揺さぶろうとしたら、ヴェイル博士が自分から来てしまった。
これは、"チャンス"と言うより"難しくなった"と言える。
あのままの氷のような沈黙と緊張感の中で、ヴェイル博士の名前を口にする方が、ローウェル課長を何倍も揺さぶることが出来たからだ。
しかも、ヴェイル博士から来てしまったことで、ローウェル課長はトッププロファイラー同士の"セッション"から、一転して、ヴェイル博士の"保護者"になってしまった。
しかも、俺が、ヴェイル博士の家に泊まる?
"親密さ"はプロファイルでは危険しかないと、ギャレットの中で警報が鳴り響く。
だが――
アスピリンのせいか、ぐっすり眠っているヴェイル博士を放り出すわけにもいかない。
ギャレットは、気を引き締める。
ヴェイル博士の"本拠地"に入ろうとも――
冷徹に観察を怠らず、マーカスが来る前に、ベストなタイミングでヴェイル博士を、"揺さぶる"のだと。
そうして、ヴェイル博士の家に到着すると、一匹のジャーマン・シェパードが飛び出して来た。
ギャレットは一目で軍用犬だと分かった。
ギャレットが即座に身構えると、後部座席のヴェイル博士が「ドアを開けて下さい」と言って、車から降りる。
ギャレットも素早く車から降りた。
だが、そのジャーマン・シェパードはヴェイルの前できちんと座った。
ヴェイル博士がふわりと笑い、「ロドン。ただいま」とやさしく言って頭を撫でてやると、ロドンと呼ばれたシェパードは嬉しそうに目を細めている。
だが、ロドンはギャレットには警戒心を丸出しにしていた。
すると、ヴェイル博士がロドンに向かって、やさしく言った。
「ロドン。
ローク主任捜査分析官はね、大切なお客様なんだよ。
失礼な態度は取っちゃ駄目だよ」
ロドンがクゥーンと小さく鳴いて、上目遣いでヴェイル博士を見る。
ヴェイル博士はチラリとギャレットを見て、「さあ、どうぞ」と素っ気なく言うと、ロドンと共にスタスタと歩き出す。
ギャレットは、後部座席に置きっぱなしのヴェイル博士の鞄と、自分の荷物を持つと、ヴェイル博士の後に続いた。
ヴェイル博士の自宅は、ギャレットの想像を見事に裏切った。
博士の家は、まるで中流階級の平和な家族が暮らす家の中のように、"暖かみ"に満ちていた。
高級品には違いないが――
お洒落でかわいい家具、真っ白なソファにアイボリーのラグ。
そこかしこにある、観葉植物と、飾られた花。
ロドンの為のおもちゃが入った、網代編みの持ち手付きの丸いカゴ。
飾り用の小さな暖炉まで備え付けられてあった。
ヴェイル博士は、「ありがとうございます」とギャレットに言うと、真っ白な細い手を差し出した。
ギャレットは「博士の鞄はどちらに置きますか?」と訊いた。
ヴェイル博士がほんの少し瞳を見開く。
丸み掛かったアーモンドアイの中で、淡いヴァイオレットグレーがきらきらと輝いている。
ヴェイル博士は小さく微笑むと、「ソファにでも置いておいて下さい」と言って、続けた。
「ローク主任捜査分析官もどうぞ、ソファに。
荷解きは後で良いでしょう?」と。
そして、ギャレットが真っ白なソファに座ると、ほんの二、三分で、ヴェイル博士がトレイを持って戻って来た。
ギャレットの前に置かれる、草花の模様の入った白いマグカップ。
「エスプレッソです。
お口に合えば良いけど」
ヴェイル博士が、はにかんで告げる。
ギャレットは静かに返す。
「ありがとうございます」と一言。
ヴェイル博士も対面のソファに座る。
彼はいつの間にか、裸足になっていた。
ギャレットが思わず口を開く。
「博士のお宅は土足では駄目でしたか?
だとしたら……」
そこまで言って、ギャレットは内心舌打ちしていた。
俺は何を言っているんだ?
博士を"思いやって"しまっている……!
ヴェイル博士が微笑む。
「僕はね。
お客様は別に」
そして、ホットミルクの入ったマグカップを両手で持って、ふうふうと吹いている。
立ちのぼる、柔らかな湯気。
ギャレットはエスプレッソに口を付けずに切り出す。
「私に聞きたいこととは何ですか?」
ヴェイル博士はキョトンとすると、「今?」とだけ言った。
ギャレットが「ええ」と答える。
ヴェイル博士がじっとギャレットを見つめる。
淡いヴァイオレットグレーの瞳が、くっきりと紫色に光る。
ヴェイル博士は、やさしく言った。
「why?」
なぜ?
ギャレットは答える。
「For L」
Lのために。
ヴェイル博士がクスッと笑う。
「For S――僕のための質問です」
ギャレットが静かに訊く。
「S?」
ヴェイル博士は、変わらずやさしい声で答える。
「セオドアのSです。
おかしいですか?」
見えない火花が散る。
オーラの主任捜査分析官と、FBIの天才博士の間に。
しかし、火の粉が降りかかっているのは、ギャレットの方だけだった。
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