第16話:豊臣の亡霊、海を渡る
第16話です。
いよいよ最終章、第三章「大坂の陣、華々しき終焉」の幕が開きます。
十四年の長きにわたる絶海での流人生活を自らの手で終わらせ、ついに本土へと迫る宇喜多秀家。彼を阻もうとする徳川の海上封鎖網を、異形の軍船と圧倒的な火力で文字通り「粉砕」する、蹂躙の海戦をお楽しみください。
慶長十九年、冬。
紀伊水道の沖合、黒く沈む夜の海原を、一隻の異形の船が音もなく滑るように進んでいた。
八丈島の裏側で、八年の歳月をかけて密かに建造された黒光りする軍船。
南蛮船の骨格である太い竜骨を持ち、波を鋭く切り裂くその船首に立ち、俺は十四年ぶりに嗅ぐ「本土の風」を肺の奥深くまで吸い込んだ。
潮の匂いの中に、微かに混じる鉄と硝煙、そして人の血の気配。
大坂の陣。天下を二分する最大の戦火が、すでにこの海の先で燃え上がろうとしている証左であった。
「……備前様。前方に灯りが見えやす。幕府の水軍、関船の群れにござんす」
操舵を握る海賊衆の隻眼の頭目が、暗闇の奥を睨みつけながら低い声で報告してきた。
彼の言う通り、本土へと続く海峡の入り口には、無数の篝火を焚いた徳川の関船が数十隻、横一列に並んで強固な海上封鎖網を敷いていた。
大坂城へ向かおうとする牢人や、西国大名からの密かな支援物資を完全に遮断するための、江戸幕府による絶対的な「海の関所」である。
「どうしやす? 闇に紛れて迂回するルートもありやすが……」
「不要だ」
俺は、冷たい海風に黄金の陣羽織を翻しながら、極めて平坦な声で命じた。
「迂回すれば、それだけ大坂への到着が遅れる。我々の目的は、あの老狸の首を物理的に刎ね飛ばすことだ。……立ち塞がる障害物は、全て正面から挽き潰して進む」
俺の言葉に、海賊たちと次郎吉の顔に、凶悪で歓喜に満ちた笑みが浮かんだ。
彼らはすでに、関ヶ原で児島党が見せたのと同じ「純度百パーセントの死神」へと変貌している。幕府の権威への恐れなど、とうの昔に八丈島の荒波の底へ投げ捨てていた。
「野郎どもッ! 大筒の火蓋を切れ! 帆を全開にして、真っ向から突っ込めェッ!」
頭目の号令と共に、黒き軍船がさらに速度を上げる。
波を蹴立てて直進してくる正体不明の巨大な影に、徳川の関船群もついに気づいたようだった。
『何者か! 此度は公儀の命により、海上の通行を固く禁じておる! 直ちに帆を下ろし、船を止めよ! さもなくば撃ち沈めるぞ!』
先頭の巨大な関船から、幕府の水軍大将らしき男の傲慢な怒号が響き渡る。
彼らは、自分たちが天下の覇者たる徳川の軍勢であり、いかなる海賊や密貿易船であろうとも、この圧倒的な数の前には平伏するしかないと信じ切っている。戦国の世が終わり、泰平の常識に浸りきった、酷く甘い油断。
「……撃ち沈める、だと」
俺は兜の下で、喉の奥を鳴らして冷笑した。
「平底の脆い関船で、この竜骨を持つ外洋船を沈められると思っているのか。……時代遅れの木屑どもに、圧倒的な質量の差というものを教えてやれ」
距離が、三町(約三百メートル)を切った。
徳川の関船から、威嚇のための火縄銃が数発放たれ、鉛玉が海面に虚しい水柱を立てる。
彼らが刀を抜き、斬り込みの準備を始めたその瞬間。
「……放て」
俺の無機質な号令が、夜の海に落ちた。
刹那。
我が軍船の舷側に並べられた十門の大筒が、一斉に鼓膜を物理的に破壊するような轟音を上げ、恐るべき閃光と共に火を噴いた。
ズドォォォォォンッ!!
それは、日本の海戦の常識を根底から覆す、絶対的な破壊の光景だった。
薩摩から密かに買い入れた莫大な硝石がもたらす、規格外の爆発力。射出された巨大な鉄弾は、目にも留まらぬ速度で海原を駆け抜け、横一列に並んでいた徳川の関船群に真っ向から突き刺さった。
「な、なんだッ!? ぐわァァァァッ!」
悲鳴など、一瞬で掻き消された。
大筒の直撃を受けた関船の薄い船体は、まるで紙細工のように容易く粉砕され、木端微塵に吹き飛んだ。甲板に整列していた幕府の兵士たちは、爆風と飛び散る巨大な木片の散弾を浴び、名乗る暇すら与えられずに上半身を消し飛ばされ、あるいは赤黒い肉の塊となって冬の海へと放り出されていく。
「ひぃッ!? ば、化け物だ! 南蛮の黒船か!?」
「陣形を崩すな! 撃て! 鉄砲を撃ち返せェッ!」
一撃で数隻の関船を文字通り「蒸発」させられた幕府水軍は、完全な恐慌状態に陥った。
彼らも必死に火縄銃や焙烙火矢で反撃を試みるが、俺の軍船は分厚い松脂と防弾用の装甲板で覆われており、彼らの攻撃は虚しく弾き返されるだけだった。
「次弾、装填完了しやしたッ!」
「構わん。そのまま撃ち続けながら、敵陣の中央を突破しろ」
俺は、燃え盛る関船の群れを冷徹に見据えながら、船首から一歩も動かなかった。
第二射、第三射。
大筒の容赦ない連射が、海上封鎖網に致命的な大穴を空けていく。
戦術も、駆け引きも存在しない。ただひたすらに、純粋な火力と質量による一方的な「蹂躙」である。関ヶ原の松尾山で、小早川秀秋の軍勢を一万五千の肉塊に変えたあの死の機構が、海の上で完全に再現されていた。
「……邪魔だ。道を開けろ」
俺の軍船は、速度を一切緩めることなく、大筒で半壊した関船の残骸に船首から激突した。
メキメキメキッ! という凄まじい破壊音。
頑強な竜骨を持つ俺の船は、幕府の関船を文字通り「真っ二つ」に叩き割りながら、炎と血の海を強引に押し通っていく。
海面に投げ出された幕府の兵たちが、俺の船の巨大な波に巻き込まれ、次々と海の底へと引きずり込まれていった。
「……抜けたぞォッ!!」
海賊衆の頭目が、狂ったような歓喜の叫びを上げた。
背後には、炎上し、沈みゆく徳川水軍の無惨な残骸だけが残されている。
天下の覇者が敷いた絶対の封鎖網は、わずか数分の間に、一隻の異形の軍船によって完全に物理的消滅を遂げたのである。
「帆を緩めるな。このまま和泉国、堺の南の浜へ上陸する」
俺は、前方の暗闇の中に浮かび上がり始めた、本土の黒い稜線を見つめた。
胸の奥で、十四年間抑えつけ、発酵させ続けてきた巨大な狂気が、ついに臨界点を迎えようとしていた。
◇
夜明け前。
堺の南に位置する、人気のない荒涼とした砂浜に、巨大な黒い軍船が静かに錨を下ろした。
冷たい波が打ち寄せる中、俺は小舟に乗り換え、ついに本土の地を踏んだ。
ザクッ、と。
足袋越しに伝わる、凍てついた砂と土の感触。
八丈島の粗末な六畳一間から、途方もない屈辱と怨念の泥水だけを啜り続けてきた十四年間。
その全てが、この一歩のためにあった。
「……よくぞ、よくぞご無事で、お戻りになられましたッ……!」
砂浜の暗がりから、低い、だが激しい感情の籠もった声が響いた。
松明の火が灯され、そこに十数名の黒装束の男たちが姿を現す。
先頭で砂浜に両手をつき、地に額を擦り付けるようにして平伏している男。
右腕は不自然に曲がったままだが、その瞳に宿る狂信の光は、関ヶ原の折と何一つ変わっていない。
明石全登であった。
「……待たせたな、全登」
俺は、砂浜を歩み寄り、十四年間大坂の地下で暗躍し続けてくれた忠臣の肩に、そっと手を置いた。
「閣下……ッ! あぁ、御仏よ、天の主よ……! 私は、私はこの日を、一日たりとも忘れたことはございませぬ!」
全登は、俺の顔を見上げ、泥まみれの顔に大粒の涙をボロボロとこぼしながら男泣きに泣いた。
五十路を迎えた彼もまた、白髪が混じり、顔には深い皺が刻まれている。だが、その背後に控える男たち――全登が大坂の地下で鍛え上げたであろう牢人たちの気配は、かつての児島党を彷彿とさせる、一切の感情を排した恐るべき死兵のそれであった。
「全登。泣くのは、あの老狸の首を刎ねてからにしろ。……情勢を報告せよ」
「は、ははッ!」
全登は乱れた呼吸を整え、冷徹な軍師の顔へと瞬時に戻った。
「現在、大坂城には十万を超える牢人衆が集結しております。対する徳川は、家康自身が二十万の軍勢を率いて江戸を出立。すでに大坂の周囲に陣を敷き始め、完全包囲は時間の問題にございます」
「真田左衛門佐は、どう動いている」
「大坂城の南、平野口に巨大な出丸『真田丸』を築き、自らその最前線に立って徳川を迎え撃つ構え。……左衛門佐殿は、閣下の合流を今か今かと待ちわびております」
俺は、北の空を見上げた。
まだ夜明け前の暗闇の中だが、遠くの方角に、大坂城の巨大な威容と、それを取り囲む徳川二十万の軍勢が焚く、星の数ほどの篝火の光が、血のように赤く空を染め上げているのが見えた。
「俺たちが大坂の地下に集めた『牙』は、無事だろうな」
俺の問いに、全登は極めて残忍な笑みを浮かべた。
「無論にございます。……一万丁の種子島、十万発を超える鉛玉と極上の硝石。堺の商人どもを脅し、大坂の地下蔵に全て運び込んでおります。あとは、閣下がその火蓋を切るのみ」
「重畳」
俺は愛刀の柄を握りしめ、ゆっくりと大坂の方角へ向かって歩み出た。
海賊衆の頭目、次郎吉、そして全登が率いる死兵たちが、俺の背後に音もなく付き従う。
「ただの数の暴力だ。徳川が二十万いようが、百万いようが関係ない。……俺が関ヶ原でやり残した『作業』の続きを、今ここから再開する」
豊臣秀吉という男が俺の魂に刻み込んだ、底なしの恩義。
それを守るためだけに自らの人間性を殺し、狂犬へと堕ちた転生者の、最後の大反逆。
絶海の孤島から蘇った宇喜多秀家という巨大な亡霊は、天下の覇者が待ち受ける史上最大の死地へと向けて、一切の迷いなく、その血塗られた歩みを進め始めたのであった。
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