第14話:影の造船
第14話です。
大坂での開戦を察知し、ついに八丈島の裏側に隠し続けた「牙」を顕にする主人公。
絶海の孤島という過酷な環境下で、老いを拒絶し、狂気的な執念で鍛え上げられた肉体と、幕府の目を盗んで建造された異形の軍船の姿を描きます。
嵐の前の静けさの中にある、極限の熱量をお楽しみください
八丈島の裏側。
幕府の役人たちが見回りに来る平地からは険しい山を隔て、島民すら滅多に近づかない切り立った断崖の奥に、波に浸食されてできた巨大な海蝕洞がある。
黒潮の荒波が容赦なく打ち付けるその暗がりの奥底で、八年という途方もない歳月をかけて密かに育て上げられた「怪物」が、ついに出航の産声を上げようとしていた。
「……覆いを外せッ!」
松明の炎が揺らめく中、海賊衆の隻眼の頭目が野太い声で怒鳴った。
次郎吉をはじめとする島の男たちと海賊たちが、一斉に太い麻縄を引き絞る。
ギギギギギッ、という重い摩擦音と共に、洞窟の奥を隠していた巨大な偽装網――蔦や流木、そして岩肌に似せて塗られた帆布の壁が、重力に従って崩れ落ちた。
もうもうと舞い上がる土埃と潮風の向こうから、黒光りする巨大な影が姿を現す。
それは、日本の海では決して見ることのない、異形の軍船であった。
「……何度見ても、背筋が凍るぜ、こいつぁ」
隻眼の頭目が、松明を掲げながら感嘆と畏怖の入り混じった溜息を漏らした。
戦国時代から江戸初期にかけて、日の本で運用される関船や安宅船といった軍船は、瀬戸内海などの波の穏やかな内海での戦闘を前提としている。そのため船底が平らであり、波のうねりに対して極めて脆い。外洋の荒波、とりわけ八丈島を取り囲む凶暴な黒潮を乗り越えることなど、到底不可能な構造であった。
だが、眼前に鎮座するその船は違う。
船底には、南蛮船(ガレオン船)の構造を取り入れた太く頑強な「竜骨」が背骨のように一本貫かれており、荒波を鋭く切り裂くためのV字型の船体を形成している。防水と防腐のために松脂と墨が幾重にも塗り込められた船体は、さながら深海から浮上した巨大な黒鯱のようであった。
「日本の船大工の技術と、前田の黄金で買い集めた南蛮の造船図面。そして、お前たち海賊衆が外洋を渡る上で培ってきた経験。……それら全てを融合させた、俺の最高傑作だ」
俺は、黒光りする船の舷側に手を触れ、冷たく笑った。
「竜骨さえ折れねば、この船は絶対に沈まない。黒潮を真正面から断ち割り、徳川の敷いた海の関所を全て置き去りにして、一直線に大坂の海へと辿り着く」
「全くだ。こいつの帆に風を受けりゃ、幕府の鈍重な関船なんぞ、立ち止まってるように見えるだろうぜ。……だが、殿様」
隻眼の頭目が、船首と船尾に据え付けられた鈍色の筒を指差した。
「いくら前田の黄金があったとはいえ、よくもまあ、これほどの『大筒』を薩摩から島へ運び込めたもんだ。……こいつを一発ぶっ放せば、幕府の船なんぞ一溜まりもねえが、反動でこっちの船まで木っ端微塵になりかねねえぞ」
「案ずるな。大筒を載せる甲板の床下には、船体を貫くように補強の梁を何十本も通してある。……この船は、敵の船に横付けして斬り込むためのものではない。遠距離から一方的に砲弾を叩き込み、敵の船体を物理的に粉砕するための『浮かぶ砲台』だ」
俺が関ヶ原で小早川秀秋や福島正則の軍勢を蹂躙した、鉄と鉛による絶対的な火力制圧。
それを海上において再現し、徳川の水軍を消し炭にするためだけに特化した、悪魔の兵器である。
「……備前様」
次郎吉が、震える声で俺に声をかけた。
「水と食糧、それに前田様から届いた黄金の積み込みは、全て終わりやした。……大坂の陣が始まるというなら、出立は明日にも?」
「いや、まだだ」
俺は首を振り、洞窟の入り口――漆黒の海原の向こうを睨みつけた。
「今動けば、幕府の警戒網に引っ掛かる可能性が高い。大坂の陣が本格的に火蓋を切り、家康自身が江戸から数十万の大軍を率いて西へ向かうその瞬間。……徳川の兵站と警戒網が、大坂という一点に集中し、海上の守りが最も手薄になる『致命的な隙』が必ず生まれる。その時まで、この牙は隠しておく」
俺の言葉に、海賊たちも次郎吉も、無言で深く頷いた。
彼らはすでに、俺という男の思考の深淵に完全に飲み込まれ、己の命すらも俺の狂気の一部として捧げることを受け入れている。
八年という歳月は、彼らをただの島民や海賊から、徳川を滅ぼすための完璧な「死の歯車」へと変貌させていた。
◇
翌朝。
幕府の役人たちがまだ眠りこけている冷たい夜明け前、俺はいつものように島の裏側の砂浜に立ち、一人、己の肉体を限界まで苛め抜いていた。
「……シッ! ……ハァッ!」
両手で抱え込んでいるのは、大の男三人がかりでようやく持ち上がるほどの巨大な岩である。
俺はその岩を肩に担ぎ上げ、砂浜に深く足を取られながら、ゆっくりと腰を落とし、再び持ち上げるという動作を、すでに数百回も繰り返していた。
筋肉の繊維が悲鳴を上げ、全身から噴き出した汗が、朝の冷気に触れて白い蒸気となって立ち昇る。
肺が焼け焦げるように痛む。心臓は肋骨を突き破らんばかりに早鐘を打っている。
――老い。
それは、いかなる権力者であろうとも、決して抗うことのできない絶対的な自然の理である。
この時代、四十を過ぎれば「初老」と呼ばれ、五十を迎えれば隠居して仏門に入るのが常識だ。筋力は衰え、目は霞み、かつて戦場を駆け回った猛将たちでさえ、やがては病と寿命の前に朽ち果てていく。
今や五十路を迎えようとしている俺の肉体も、本来であればその例外ではない。
関ヶ原の戦いから十四年。流人としての粗末な食事と過酷な環境は、人間の身体を急速に老化させるには十分すぎる条件だった。
だが、俺は断固として、その自然の理を拒絶した。
『老いなどという脆弱な言い訳で、あの狸の首を獲り逃すことなど、絶対に許さん』
俺は岩を担いだまま、奥歯が砕けそうになるほど強く噛み締めた。
足りない栄養は、島の野犬や猪を自らの手で狩り、その生血を啜り、生肉を咀嚼することで補った。
海水を煮詰めた塩を舐め、痛む関節には冷たい海水をぶっかけて麻痺させ、無理やり動かし続けた。
武将としての体面も、人間としての品格も、全てを削ぎ落とし、ただ「徳川家康を殺すための純粋な暴力」として、己の肉体という刃を研ぎ澄まし続けたのだ。
その結果、俺の身体は、この時代の常識では考えられないほどの異常な発達を遂げていた。
腹部には分厚い筋肉の鎧が張り付き、丸太のように太くなった腕は、大剣を片手で軽々と振り回せるほどの圧倒的な筋力を秘めている。関ヶ原の時よりも、確実に重く、そして速く動ける。
「……九百九十九……! ……千ッ!!」
ドォォォンッ!!
俺は最後の回数を数え終えると同時に、肩の巨岩を砂浜に叩き落とした。
地響きが鳴り、砂が爆発したように舞い上がる。
「……ふぅ……」
俺は荒い息を吐きながら、血のにじむ掌を握り込み、その確かな感触を確かめた。
素晴らしい。これならいける。
家康の周囲を固める本多忠勝や井伊直政といった猛将たちは、すでに病や老いでこの世を去っている。家康自身もまた、七十を越える老体だ。
大坂の陣において、あの老狸を守る盾は、圧倒的な「兵の数」だけだ。
ならば、その軍勢の真っ只中へ単騎で斬り込み、兵の波を物理的に掻き分けて家康の首に届くための「個の絶対的な暴力」さえあれば、歴史の因果は必ず俺の手で書き換えられる。
「……備前様」
岩陰から、次郎吉が恐る恐る顔を出した。
彼は毎朝、俺のこの常軌を逸した鍛錬を見るたびに、本物の鬼神でも見るかのような畏怖の目を向けてくる。
「何事だ」
「はっ。表の平地の役人小屋が、朝からやけに騒がしいんでごぜぇます。……どうやら、江戸から臨時の早船が着いたようで」
「早船だと?」
俺の目が、鷹のように鋭く細められた。
通常、本土からこの島へ船が来るのは、年に数回の定期便だけだ。それがこの時期に、嵐のリスクを冒してまで早船を出してくるということは、幕府に何らかの重大な動きがあった証拠に他ならない。
「役人どもは、何と言っている」
「それが、ひどく慌てた様子で、島中の者に『不審な船が近づかぬよう、海を厳重に見張れ』と喚き散らしておりやす。……風の噂では、ついに大坂と江戸の間で、取り返しのつかぬ諍い(いさかい)が起きたとか……」
俺の口角が、ゆっくりと吊り上がった。
方広寺の鐘銘事件を口実にした、家康の大坂攻めの号令。
ついに、天下が真っ二つに割れる時が来たのだ。
「次郎吉。……俺の六畳小屋に、布団を敷いておけ。俺はひどい熱を出して、一歩も動けない病の床にあるとな」
「は、ははッ! 役人どもの目を欺くのでごぜぇますね」
俺は砂浜に落ちていた粗末な着物を羽織り、島民の前で見せる「哀れな流人」の背中へと、瞬時に自らの姿勢を折り曲げた。
「時は満ちた。だが、幕府の警戒が最も高まっている今、焦って動くのは下策だ」
俺は、血と汗にまみれた手で、胸元に隠し持った秀吉様の数珠を固く握りしめた。
「俺たちが動くのは、大坂城が完全に包囲され、家康が『勝利』を確信して油断しきったその瞬間だ。……それまでは、俺はこの島で静かに死を待つ亡霊でい続ける」
俺は、吹きすさぶ潮風の中、狂おしいほどの歓喜を噛み殺しながら、六畳一間の檻へと戻る歩みを進めた。
八丈島の裏側に潜む巨大な軍船。そして、大坂の地下で一万の鉄砲を抱えて俺を待つ明石全登。
全ての手駒は揃った。
因果をへし折るための導火線に、いよいよ火が放たれようとしていた。
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