6.
食堂は、まだ早いこともあって、だいぶ空いていた。
紫朗と向かい合わせに着席する。
夕食のトレイを前に、忍は両手を組み合わせた。
短く食事の前に祈りをささげる。
「カトリック?」
藤枝紫朗が箸を渡しながら言う。
「プロテスタント、父が牧師だから。
こういうの気になる? 嫌がる人もいるからそういう時はやめているし」
「別にイヤじゃないけど。
なんからしいな、って」
味噌汁をすすりながら、紫朗は言った。
綺麗な箸使いだ。
やはり、相当いい家に育っているのだろう。
見た目もいいし、頭もよさそうだし、すごくもてるんだろうな、と思う。
「そういえば今月、文化祭だって?
今日いきなり聞かされて、びっくりした。
まだ何も決まっていないって言うし」
「学校全体がけっこうのんびりしているかも。いざとなれば徹夜で寮でやればいいや、ってみんな思っているし。
高校生だともう慣れちゃって、1週間前にやっと決めたりするんだって。
ウチのクラスも朝のHRで」
と言いかけて、ひじょうにイヤなことを思い出した。
アレは本当に決まったのだろうか。
麻井芙弥也のことだから、いちど言いだしたことをひっこめることはまずあり得ない。
ということは。
メイド喫茶をするんだ。
それで、メイド服を忍は着なきゃいけない?
あたまがグルグル回る。
気持ち悪くなる。
「どうした?」
「ちょっと……、イヤなことを思い出して」
「なに」
忍は箸を置いて、俯いた。
「なんかウチのクラス、メイド喫茶をやるとか言ってて、なんでだろう、ぼくがそれをやるとか……」
ごっくん、と音を立てて、紫朗が味噌汁を飲み下した。
目を驚いたように見開いている。
「アンタ、男だろ」
忍はさらに深くうつむいて、頷いた。
「嫌なら嫌だと言えば」
「言いたいけど、麻井くん――発案者が、人の言うこと聞かないから。半端なく、人の言うこと聞かないし。
そもそもぼくのためだって言うから、絶対に引かないだろうし」
「へえ。
どうして」
「ぼくがパソコンばっかやっているから。
みんなと仲良くできるようにって。
先生も賛成するし、理事長も楽しみとか言うんだ。
どうしよう」
ぷっと、紫朗が吹き出した。
「あ、悪い」
とあわてて真顔を取り繕ったが、目が笑っている。
本気で笑っているようだ。
「メイド喫茶って行ったことある?」
「ないよ、藤枝くんはあるの」
「ない。けどそうか。
今度の文化祭で行けるわけだ」
忍は思いっきり身を引いて、ぶるぶると首を振った。
「来てほしくない?」
「そりゃあ」
「じゃあ、行かない。
気が変わったら、行くから教えて」
紫朗は人なつっこく笑うと、食事を続けた。
きれいな作法である。
一緒に食べていて、気持ちいい。
「藤枝くんはなにやるの」
「うーん、まだよく固まっていなくて。
放課後も色々打ち合わせしてみたんだけど」
「すごいね、藤枝くんは。
転校早々みんなと仲良くて」
藤枝紫朗は顔をこわばらせた。
「そうなるようにオレは努力している。
オレには、じぶんでは何ひとつ努力しないのに、まわりがすべて、色々と気づかってくれるアンタの方が、よっぽどすごいと思うけど」
忍は返答できなかった。
紫朗も何も言わない。
無言の食事が続いた。
食べ物の味が分からない。
理事長はどうしてこの少年が忍に必要などと考えたのだろう。
すこし打ち解けても、すぐに衝突してしまう。
相性が非常に悪いとしか、思えない。
ふたりは無言で食事を終え、部屋に戻るとすぐ、磁石のように左右にぱっと分かれた。
忍はパソコンの画面に没頭する。
C言語のプログラミングを延々と続けていくと、気が休まってきた。
ここが忍の世界。
他人の目には不格好な残骸と見える金属の箱が、忍の家族、忍の王国だった。
消灯時間が過ぎても、小さなデスクライトでずっとキーを叩き続け、藤枝紫朗だけでなく寮内が寝静まるまで待って、忍は浴場に向かった。
生活全てにおいて人とは関わりたくない忍だが、とくに入浴時はひとりになりたかった。
だから消灯時間をだいぶすぎてからか、場合によっては早朝に入浴する。
脱衣所に誰もいないことに安心し、服を脱いだあと、Tシャツを着て風呂場へ行った。
湯船につかると、疲れがどっと出てくる。
藤枝紫朗とこれからどうしようか。
文化祭のことも、自分では耐えられるとは思えない。
あれこれ悩んでいると、がらりとドアが開いた。
パジャマ姿の藤枝紫朗が立っていた。
ささくれ立った声で、笑う。
「へえ、ここまで露骨に他人を避けて、なのにTシャツ着たまま風呂に入るんだ。
すごいね。
そこまで自分は特別だと思っている?
いいね人気者で」
「出てって」
忍は両手で体を抱き、浴槽に体を沈めた。
紫朗は着衣のまま湯船に入ってきた。
湯をかきわけ、忍の体を押さえこむ。
「アンタのその綺麗な顔、みているだけで苛つくんだ。
ぶっ壊してやる」
忍はしぶきを上げて抵抗したが、1年下の紫朗の方が体格もよく、圧倒的に力が強かった。
Tシャツがはぎとられる。
あっ、と紫朗が声を立てた。
ぎょっとしたまま、硬直している。
そんなにも、強烈なのか。
その藤枝紫朗の反応に、ぎゃくにショックを受けた。
まだ子どもだし、成長するにつれいずれ体の傷は目立たなくなる、と医者は言ったのに。
一向に、跡が消えない。
「ご、ごめん……」
「返して」
忍が手をのばすと、藤枝紫朗は血の気のひいた顔で、濡れ滴っているTシャツを差し出した。
「ごめ、ごめんなさい、オレ」
「出て行って。
お願いだから、ぼくに、関わらないで」
藤枝紫朗は身をひるがえして、浴場から逃げ去った。
忍はTシャツを固く絞った。
鏡の前に立つ。
色白の、肋骨の浮き出たやせぎすの身体。
白い肌の上を肩から胸に、幾重にも肉をえぐり血を滴らせた鞭の痕。
背にも、縦横無尽に痕跡がはしっている。
だから人には見せられない。
だから人とは深くかかわれない。
(仕方ない)
(仕方がないんだ)
そう、自分で決めたのだから。
藤枝紫朗のことも。
自分から歩み寄ると決めた。
小さなデスクライトがひとつ灯っただけの部屋に戻ると、藤枝紫朗は自分のベッドに腰掛けて頭を抱えていた。
「すみませんでした」
忍が戻ると、立ちあがって、直角に頭を下げる。
あえてそちらへ顔を向けなかった。
「いいよ、もう。
寝よう」
「でも、オレ」
「もう、いいから」
忍は強く言って、デスクライトを切った。




