27.
浅葉檸檬がいないことに真っ先に気がついていたのは、後ろの席の忍だった。
でも、真面目で几帳面な檸檬にしては珍しい、とぼんやりと思うくらいだった。
浅葉檸檬がルールを破るということなど、考えられないからだ。
稲穂先生が教室に入って来て、出席を取ろうとして困惑した。
「浅葉くんは?」
誰ひとりとして答えなかった。
がやがやとざわめきが起きるが、誰も浅葉檸檬がなぜ居ないのか、知ってはいなかった。
「高瀬くん、高瀬くんは浅葉くんと同室だったよね。
なにか知らないのかい」
稲穂先生に名指しされて、高瀬はひどく嫌そうな、面倒くさそうな顔をした。
「さあ……。
っていうか、寮にはいなかった」
「いなかった?」
「荷物はあったから、学校には戻ってきていると思うんだけど」
稲穂先生は顔をしかめた。
「天川くん、かわりに出席をとっておいて。
終わったら始業式だからみんなを講堂に誘導して。ちょっと寮まで見に行ってくる」
あわただしく言って、稲穂先生は出て行った。
忍は教壇に立ち、名簿を手に取った。
なんだか嫌な感じだ。
浅葉檸檬に限って、遅刻やサボリなんて考えられない。
荷物があるというなら、クレマティスには戻ってきたはずだ。
でも、寮にいないのなら、どこに今、いるのだろう。
ぐるぐると頭の中を考えが回るなか、代行者としてひとりひとりの名を呼んで出欠をとって行く。
「高瀬」
呼んだのに返事はなかった。
高瀬は周囲の生徒に、興奮してなにやら自慢げに話しをしていた。
「だから……電車には乗っていたよ、オレのコンパートメントに来たもん。
でも気分が悪いとかいうからそのままひとりにして来たんだ。
もしかしたらそれっきりかな? でも荷物が部屋にあったし」
「気分が悪いって?
それで、そのままほおってきたの、浅葉くんを?」
聞き捨てることができず、思わずキツイ口調で言った。
教室の中ほどの高瀬の席につかつかと歩いて、詰め寄った。
「え……」
見下ろす忍に驚いたか、高瀬は身を縮めて、へらへらと媚びるような笑みを浮かべた。
(コイツじゃない)
とっさにその考えが脳裏に浮かんだ。
浅葉檸檬は、あの学級委員はこんなヤツには惚れたりしない。
「だって、居たって何もできないジャン。
それに酔い止めとか渡そうとしたのに」
最後まで聞いていられず、拳で高瀬のほおを殴りつけた。
高瀬の身体は椅子から吹っ飛んで、斜め後ろの生徒の机にぶつかる。
教室中が静まり返った。
「な、何すんだよ、イキナリっ」
プライドを傷つけられたか、高瀬は真っ赤になって怒鳴り出した。
「なんだよ、自分だけはいつも綺麗で清純なふりしちゃって。
人気者でいい気になって、勘違いしているって、浅葉がいつも言ってた。
ホントは浅葉、天川のこと嫌っていたんだ。
天川がいるから学校に来ないんじゃないのかよ」
忍は教室を出た。
背後でうわあっと凄い騒ぎになったが、戻らなかった。
先生に、皆を講堂に誘導するように言われていたけれども、そんなの、もう、どうでもいい。
右手がジンジンと痺れている。
生まれて初めて、人を殴った。
人だけじゃない、小動物にも植物にも、生命あるものには優しく接するよう、物心ついたときから育てられてきた。
それでも、あの高瀬の態度だけは許せなかった。
浅葉檸檬はいつでも他人のために一生懸命で。
重くてうっとおしい時もあったけど、でもクラスのことを懸命に守ろうとしていた。
そんな檸檬自身が気分が悪いと言っている時に、だれも助けてあげなかったなんて。
だれもそばにいなかったなんて。
どう思ったのだろう。
なにを感じたのだろう。
その時の浅葉檸檬の気持ちを想うと、高瀬を殴らずにはいられないほど、居たたまれない。
――ホントは浅葉、天川のこと嫌っていた。
それは薄々感じることがあった。
でも、檸檬は忍のことを嫌いながらも、それ以上に忍のことを認め、理解してくれていた。
忍は檸檬が嫌いではない。
檸檬が抱えている不満も苛立ちも、理解している。
いつかどこかで理解しあえると、信じていた。
忍は寮に戻った。
ひとり切りになりたかった。
これからのこと、ひとりでちゃんと考えたかった。
空っぽのベッドに腰を下ろす。
半年前にはここで檸檬と並んで話をした。
その前にはいつも、ここに、藤枝紫朗がいた。
何かあるたび。
何もなくても。
いつでも紫朗を想う。
たぶんこの先、重なることのない人生でも、ずっと紫朗を想う。
その想いが忍の力になる。
「まだオレのこと好き?」
「もちろん」
とっさに答えてから、吃驚して振り返った。
藤枝紫朗が立っていた。




