22.
終業式が済み、みじかい春休みが終わると、一挙に学園は賑やかになった。
初々しい新入生たちが続々と寮に入ってくる。
山の小枝にも、透き通る新緑の葉が芽吹き、きらきらと春の陽光を反射させる。
一学年あがり、忍は中等部では最年長となった。
アスコットタイの色も変わる。
本来なら気合が入って活気が出てくるはずなのに、ものすごく気が重い。
忍だけではない。
新中三a組は奇妙なほどに静かだった。
理由は誰もが分かっていた。
皆がみないように、話さないようにしている、麻井芙弥也の机だった。
休み明けに、中身が空っぽになっている。
名簿からも消えている。
疲れきった顔の担任教師は口数少なくHRを終わらせ、みなを講堂に急きたてた。
あの事件から、時間が立って、みな、冷静になった。
誰もが、本心では麻井芙弥也が人殺しなんかしないことを、分かっていた。
熱病に犯されたように、芙弥也を罵った自分の言動を思い出したくないと、自分の行動から逃げている。
それは天川忍もだった。
いや、忍の責任はただ芙弥也を悪く言った生徒たちより、はるかに重い。
忍が教師にちゃんと説明をすれば、こんなことにはならなかったはずだ。
けっきょく、麻井芙弥也からの連絡はなにもなく、というより、いちども寮にすら戻ってこないまま、転校して行った。
忍は浅葉檸檬を視界に入れないように、逃げ続けた。
浅葉檸檬の視線が、表情が、背中が、忍を責め続けているように見えた。
――ぼくは言ったのに。
――キミが甘いから、こんなことになったんだ。
現実には、檸檬はなにも言わなかったが、無言のプレッシャーをかけ続けられている気がする。
幻聴のように、檸檬の声を聞く。
講堂では校長のあいさつの後、理事長が交代したと紹介があった。
そういえば、紫朗がそんなことを言っていたな、と思い出した。
講堂内がざわめく。
耳障りな金属音を響かせながら、銀髪の少年が金属の松葉杖をついて、演台に立った。
異形の少年だった。
銀の髪に、濃いエメラルドグリーンの瞳。
人形のような、人工的な皮膚をしている。
クレマティスの制服を着て、中学一年生のタイを締めている。
新理事長は変声期前の甲高い声で、用意された原稿を読み上げた。
視線を一度もあげない。
生徒たちを見ることもない。
誰かが用意したのであろう、就任挨拶を棒読みすると、またそのままガシャガシャと松葉杖の音を響かせて、下がっていった。
なんなのだろう、あのコは。
なんとはなしに、イヤな感じが残る。
理事長は遠い存在で、直接生徒にかかわったりはしないけれど、でも、あの優しい綺麗な理事長がこの学園のトップだと思うだけで、なんだか安心できた。
そもそも入学してきたばかりの、中学一年生が理事長になると言うのもイヤな感じだ。
あの声も。
そっけなさも。
松葉杖の音も。
なにひとつ、好感を持てない。
忍は膝の間で、両手を固く組み合わせた。
もう理事長には会えないのだろうか。
じぶんにできることは、何もないのだろうか。
麻井芙弥也と約束をしてしまったまま、檸檬がせっかくアドバイスをしてくれたのにもかかわらず、なにもしなかった過ちを、償うことはできないのか。
稲穂先生はなにひとつ芙弥也のことは触れずに、一日目を終わらせた。
誰も、なにも質問しなかった。
答えを聞くのが、怖かったのだろう。
掃除当番の生徒は残り、あとの生徒は静かに、逃げるように教室を出ていく。
いったい、このクラスはどうなってしまうのだろう。
ぼんやりとしていると、浅葉檸檬が教室を出ようとして足を止め、振り返った。
忍を見る。
とっさに目を逸らせた。
浅葉檸檬の、糾弾するような視線から逃げ出す。
誰にも会いたくない。
誰とも会話をしたくない。
すべてから、逃げていたい。
そのまま人気がない方へ早足に歩いて、校舎内の端へ来た。
これからどうしようと、ぼんやり考えていると、ガシャンガシャンと耳障りな金属音が響いてきた。
新理事長の架奏香紀が、松葉杖をつきながら忍の前を通り過ぎる。
横には架奏恭一郎がいた。
ものすごく嬉しそうに、息子にまとわりつきながらしゃべり続けている。
穏やかな笑顔。
懐かしい声。
「あ、あの、あのう、理事長。
すみません、ぼく、お話が」
忍がおずおずと呼びかけると、架奏恭一郎はぱっと振り返って、笑顔をみせた。
「なに」
とキンキンに響く声で、つっけんどに言ったのは架奏香紀だった。
歩くのを止め、濃いエメラルドグリーンの瞳でキツく睨むように忍を見る。
「ぼくが理事長だよ」
舌足らずな声が言う。
「ああ、そう、そうなんだけど。
そうじゃなくて、ええと、その、そうじゃなくて」
「ぼくが理事長だ。
ぼくが聞く」
幼い理事長は、意固地に言い張った。
(どうしよう)
忍は困った。
麻井芙弥也との約束を破っても、やはり真実を架奏恭一郎には伝えたい。
伝えなきゃいけない。
それがいま、忍にできる唯一のこと。
でも、この幼い、あたらしい少年にその話を聞かせたくはない。
芙弥也の個人的な話を、誰にも言わないと約束した話を、新しい理事長だろうと、恭一郎の息子だろうと、聞かせる気にはなれない。
「わたしに話があるのですか」
穏やかな声で、架奏恭一郎は言った。
忍はうなずく。
「香紀、寮に戻りなさい。
わたしが忍くんの話を聞きましょう」
ガンっ、と、香紀は松葉杖で大きな音を鳴らした。
「ぼくが理事長なんだ。
パパは関係ない」
架奏香紀は小さい身体を反らして、心底怒ったように、ぎらぎらと、架奏恭一郎と忍を交互に睨みつけた。
「そのう、ごめんなさい。
ぼくの言い方が悪かったんだ。
ぼくが言いたかったのは、理事長、じゃなくて、前の理事長に個人的に相談があって。
そのう、理事長だから相談したいんじゃないんだ。
ごめんなさい」
忍はきゅっと身を縮こめて、頭を下げた。
「忍くん、頭をあげて。
香紀、行きなさい」
架奏恭一郎が諭すように言うと、
「知らない。
勝手にすれば」
吐き捨てるように言って、架奏香紀はガシャガシャと金属音を響かせながら、去っていった。
「ごめんなさい。
ぼく……、傷つけてしまったかしら」
「構いませんよ、香紀は反抗期なんです。
ここ五十年くらい、わたしの言うことをちっとも聞いてくれなくて」
ため息をつきながら架奏恭一郎は言って、理事長室へ忍を案内した。
冗談、と理解するが、真顔で心底困ったように言うので、笑っていいかどうか分からない。
「芙弥也くんのことですよね」
架奏恭一郎の問いに、忍はうなずいた。




