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21.

 翌朝。

 教室に入ると、田儀東弥の話で持ちきりになっていた。

 麻井芙弥也がつきとばしたとか、警察に連行されたとか、どんどん話が膨らんでいる。

 閲覧室にそのときいたのは何年生の誰それで、その人はこう言っていて、と噂が噂に重なっている。


 浅葉檸檬が言ったように、たしかにそのなかに忍の話は出て来なかった。


 あのとき自分はまぎれもなくあの場にいたのに。

 誰よりも近くで見ていたのに。

 透明人間にでもなったように、すっぽりと消えている。


 おそらく皆、田儀東弥が身を投げたあとの騒ぎの記憶が鮮明で、その前のことは見ていないのだ。

 先生たち、警察、レスキュー隊が来て、騒ぎになって、いろいろ会話をしたり、質問されたりした場所にいた生徒だけを覚えているのだろう。

 ほんとうは見ていないのに、想像と噂だけで、見ていたかのように話が構成されているのだ。


 芙弥也がどこまで予期していたかは分からないが、たしかにこう言った騒動に巻き込まれることに、忍は耐えられそうもない。

 ましてやその真っただ中で嘘をつき続けることは、不可能だろう。


 浅葉檸檬はなにも聞かないふりをして、予習をしていた。

 忍にも話しかけて来ない。

 ぴしっと伸びた檸檬の背に、忍もちゃんとしなきゃ、と気が引き締まる。


 稲穂先生が入って来ても、麻井芙弥也の席はぽっかりと空いたままだった。


 知っていると思うけど、と先生は田儀東弥が亡くなったことだけを簡潔に話した。


「麻井くんが殺したってホントですか」


 いきなりクラスメイトが言った。

 忍はぎょっとなって振り返った。


「そんなはずがないだろう。

 麻井くんはそんなことをする生徒じゃない、みんなもよく知っているはずだ」


 疲れ切った、くまの浮き出た顔で稲穂先生が言った。


「でも、じゃあ、なんで警察に連れてかれたんですか」

「だって、学校に来てないじゃないですか」

「麻井が突き落としたのを見たって」


 口々に皆が言いはじめる。


 背筋がぞっと凍った。


(みんな、本気で言っているの)

(冷静になって。昨日まで、一緒にいたじゃない。

 よく知っているじゃない、麻井くんのこと)


「落ちつきなさいっ」


 苛々とした口調で、稲穂先生が怒鳴った。

 先生が怒鳴るのは初めてだった。

 一瞬静まり返って、さらにわっと教室中が騒ぎだした。泣いているコもいる。


 思わず立ち上がりかけたとき、檸檬の視線に気づいた。

 わずかに首を振る。


 息を整えた。

 椅子に座りなおした。

 いま、忍が何かを言ったところで、事態は変わらない。

 もっと悪化するかもしれない。


――これが群集心理だよ。


 忍にだけ聞こえる声で、檸檬がぼそっと言った。


 怒鳴るようにして稲穂先生が出欠をとりはじめた。最後まで行きつくときには、さすがに教室も静かになっていたが、不満がみなの体内にくすぶっているのをひしひしと感じた。


 その日、いちにち麻井芙弥也は登校してこなかった。

 授業が終わると、忍はすぐに麻井芙弥也のいる第二寮に向かった。

 麻井の名札が出ている部屋をノックすると、ほんの少しだけ、ドアが開いた。


 大人しそうな下級生が、「麻井先輩はいません。ぼく何も知りません」と気弱な声で言う。

 昨日からさんざん辛い目に会ってきたのだろう。


「あ……。

 ごめん、そうだよね。

 ずっと大変だったよね。ごめんね、急に押しかけて」


 忍が言うと、うわああんと下級生は声をあげて泣きだして、ドアを開けた。


 あわてて名札を確認して、中に入った。

 名札には伊藤晋と書かれていた。

 部屋の中央はカーテンで仕切られていた。

 伊藤側の部屋に入った。

 ごく普通の、男の子の部屋だ。


「ええと、伊藤くん、そのう、大変だったね」


 伊藤はえっぐえっぐと泣きながら目をこすっていたが、ぴたりと止まった。


「うわぁっ、天川先輩?」


 と飛び上がった。


「ア、そうだけど。

 ええと、どこかで会ったっけ」


 伊藤晋は真っ赤になってもじもじした。


「ぶ、文化祭の時……。オレ、ファンになっちゃって。

 そうだサインくださいっ」

「サインって、ぼく、そんなことしたことないよ」


 伊藤はまったく聞いておらず、興奮して机の引き出しをひっくり返しながら、忍としては忘れたいメイド姿の写真とペンを探しだした。


「……★」


 いつもなら、ぜったいにやらない。

 でも、非常事態だ。

 今後のことを考えるとこのコとは仲良くしておきたいし、そもそも芙弥也のことで一方的に迷惑をかけたなら、忍も責任を感じている。


「あのう、ええと、名前を書けばいいの?

 写真に?」


 伊藤はぶんぶんと頭を何度もふって頷いた。

 仕方なく、写真に名前を書く。

 せがまれて握手もするし、一緒に写メも撮る。


「やったあ。

 オレ、一生手を洗わないし、カノジョもいらない」

「いや、手は洗った方がいいし、カノジョも作った方がいいと思うけど。

 麻井くん、帰ってきていないんだよね」


 伊藤はこっくりと頷いた。


「なにか連絡あった?」

「なにも。

 もともとあまり会話とかしないし。

 本当に同居人という感じで、カーテン引きっぱなしで、お互いに干渉しなかったから」

「開けてもいいかしら。

 あとで麻井くんにはぼくから説明するから」

「天川先輩がそう言うなら」


 カーテンを開けて。


「うーん、汚い。散らかっているね」


 思わず言ってしまった。

 紫朗や檸檬がいたら、暴力的なつっこみが入るところだろうが、幸い、いま、この場にはいない。


「そうなんですよ」


 となにも知らない伊藤晋は相づちを打つ。


 忍の感性からすると、PCやメモ類が積み重なっていても、散らかっていることにはならない。

 洗濯モノが散らかっているのも、生活している以上仕方のないことだ。


 だが、麻井芙弥也の部屋には正体不明の雑貨や小物が山積みになっている。

 ぬいぐるみとか人形、オモチャや木製のゲーム、知恵の輪、ありとあらゆるものが無秩序に散らばっている。


 まるで片づけられない子どもの部屋だ。


 持っているもののケタが違う、と言った檸檬の言葉を思い出し、小物やおもちゃをひっくり返してみた。

 どれもこれもヨーロッパ製である。

 よい木材を使用して、丁寧に細工のされた手作りのオモチャばかり。


 机の上にある鉛筆や消しゴムも、気づいてみれば芙弥也が使用している以外の場所では、見たこともない。

 手に取ると、妙にしっとりした重みがある。

 どこの製品だかわからないが、かなり高そうだ。


「麻井くんてふだんはどんなだった?」


 振り返って伊藤に聞いた。

 ビクリとして伊藤は身をすくめる。


「そのう、ホント、オレ、何も知らなくて」


 おどおどと言った。


「あ。

 あのう、ぼく、麻井くんとはずっと同じクラスで。

 だからよく知っていることは知っているんだ。

 ただ、教室にいる時の麻井くんてすごい賑やかで、あのテンションで寮でもしゃべり続けていたら大変だろうな、って思って」


 伊藤は首を振った。


「食堂とかで見かけた時は賑やかだったけど、でも、部屋の中にいる時は静かだったです。

 カーテンで仕切っちゃってて、よくわからないけど、本を読んでいたみたい。

 部屋にいる時間も長くなかったし。

 週末とか休みは家に帰っていたし。

 全然、先輩っぽくなくて、大人しくて、楽だとずっと思ってたんだけど」


 忍はぐるりと麻井の部屋を見わたした。

 玩具箱の中にいるような部屋。

 賑やかで、素直で明るくて。

 無性に、麻井芙弥也の無邪気にしゃべり続ける声が恋しい。


 忍は麻井芙弥也の机に、帰ってきたらすぐに連絡をくれ、とメモを残した。


 伊藤にも、麻井が帰ってきたら、忍のところにすぐに来るように伝えてとお願いする。

 死んでも伝えると真顔で言う。


 忍はようやく安心して、自分の部屋に戻った。


 浅葉檸檬の言ったように。

 まだ世の中を甘く見ていた。

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