20.
「浅葉くん、どうして?」
入学式以来、クラスは一緒。
席は前後で、よく話す方と言えば話す方、それなりに仲はいいと思うのだけど、教室の外ではあまり会話をした記憶はない。
檸檬の寮は第一寮だし、いままで部屋に訪ねてきたことはなかった。
「どうして? すごい騒ぎだよ。
知らないの」
キツイ口調で、咎めるように檸檬は言った。
知らないわけはない。
その真っただ中に居たのだから。
忍はドアを開けて、檸檬を中に入れた。
できれば会話をしたくはなかったけれど、廊下で人目につく方がもっとまずい。
それに、檸檬は頭の回転が速いし、信頼は出来る。
部屋に入るなり、うーん、と浅葉檸檬は腕組みをして仁王立ちになった。
「凄い部屋だね。
褒めているんじゃなくて」
部屋の整理整頓に関しては、まったくもって、申し開きが出来ない。
紫朗が去ってからも、意地になって、部屋半分は空けたままにしている。
どうしてもその空間を侵入することはできなかった。
その結果。
忍の専有部分の散らかり方は、紫朗が入寮してくるより前よりも、凄まじいものとなってしまった。
衣類などは胸の高さまで積み上がり、時々、雪崩を起こしている。
自分でも、どうやって生活しているのか、理解できなくなる時がある。
あれ、と檸檬は眉をひそめた。
「前に、下級生と同室になったって言ってなかった?」
「藤枝くん、出ていったから」
どこへ、とは言わなかった。
聞かれてもどう答えていいか、分からない。
「じゃあ、いまはひとり?」
忍がうなずくと、檸檬は空いているベッドに腰掛けて、へえ、となにかを考え込んだ。
「どうしたの」
「いや、空いているなら、ぼく移ってもいいかな、って考えてみたんだけど」
自主性を重んじるクレマティスでは、生徒同士の合意があれば寮の部屋の交換は認められている。
入学時にはランダムに入居させられるが、生活が合わなかったり、相性が合わなかったり、ストレスをためる生徒が多い。
だから生徒どうしで交換する相手との交渉や、同室の相手との話し合いなど、すべてが解決できるのであれば、寮を超えて部屋を移動することも認められている。
檸檬はたしか同じクラスの生徒と同部屋だった。
なにかあったのかな、とも思ったが、深入りしたくなかった。
紫朗の為にあけてある空間にも、来てほしくない。
ほんとうは誰かに来てもらって、すっぱりと気持ちを切り替えた方がいいのかもしれないのに。
やはりそこまで割り切れない。
「それで、ぼくに何の用?」
忍は檸檬の横に座って、意図的に話をそらした。
考え込んでいた浅葉檸檬が、はっとなって顔を上げた。
「高校三年生の田儀東弥先輩が図書室で自殺したって。
それは知っているよね」
「うん」
「麻井くんが取り調べを受けている。
閲覧室にいた生徒が、麻井くんと口論しているのを見ていたらしい。
突き飛ばしたとか、そんな話も出ている。
変だよね?」
忍はうなずいた。
「麻井くんはそんなことしないよ。
そんなコじゃないもの」
「違う。
そういうことじゃない。
天川はどこにいたの? 一緒に図書室に行ったでしょ」
浅葉檸檬はくっきりとした眼で、詰問するように忍を真正面から見た。
忍は膝の間で両手を組んで、視線を落とした。
脇の下に、じんわりと汗がにじみだす。
入学してからずっと、浅葉檸檬の頭の良さには驚かされてきた。
同い年とは思えないくらい、目端がきく。
学業に専念したり、得意なことに集中していればさぞかし優秀になるだろうに、なぜか些細な感情のやりとりとか、クラス内を平穏にすることとか、そういったことにものすごく神経を配って、頭脳を消耗しているように見える。
こんな山奥の学園に居るより、海外に留学した方がよほど世の中の為ではないかと思うのに、当人にはそういった欲はないらしい。
「はじめ、麻井と一緒に警察に連れて行かれたのかと思ったのだけど、だれも天川のことはなにも言わないんだ。
まるではじめから居なかったみたいに。
でも、教室を出る時は一緒に図書室に行くって、ふたりで話していたよね」
「警察? 麻井くん、警察にいるの?
だって田儀先輩は自殺したんだよ。自分で窓から飛び降りたんだ。
麻井くんは何もしてないよ。
室内にいたみんな見ているはず」
鋭い目が、忍をみつめていた。
「その時、居たんだ。
なんで誰も天川のことは言わない?」
忍は背をまるめて、両手で頭を抱えた。
たぶん、口先で誤魔化したって、嘘をついたって、この切れ者の学級委員にはすぐに見破られてしまう。
「ごめん、言えない。
何も言わないって、そう麻井くんと約束したんだ」
「それって世の中舐めてない? ひとが死んだんだよ。
しかも田儀先輩って志望校に合格したばかりで、自殺なんてするわけないのに。
黙っていたら、もっとすごい騒ぎになると思うけど」
「でも、ぼくは言えない。
麻井くんと約束したんだ」
そう、と檸檬は呟いて立ちあがった。
「ふたりとも世間知らずだから、って、心配したんだけど。
どうやら気づいたぼくが厄介者なんだね。
いいよ、黙っておく。
そうして欲しいんでしょ」
浅葉檸檬は無表情のまま、部屋を出て行こうとした。
いつも冷静。
いつも落ちついている。
それでも檸檬が本当に芙弥也や忍を心配していたこと、忍に拒絶されて傷ついたことが分かった。
「浅葉くん、待って。
そのう、ぼく、どうしたらいいのか分からないんだ。
どうしたらいいのか、一緒に考えてくれない。
浅葉くんが来てくれて、ほんと、助かった」
浅葉檸檬は立ち止って振り返った。
いつもとおなじ無表情。
だけど、ほんのりほおが染まって、嬉しそうだった。
「ぼくで役に立つなら」
元の場所に座って、じいっと鋭い目で忍を見る。
とっさに引きとめてしまったが、なにをどう、どこから話せばよいのだろう。
どこまで話していいのだろう。
今さらながら、f寮は居心地良かったし、紫朗、葵、BJと話すのは気楽だった、と気づく。
忍が黙りこくっていると、じれたのか、ぼくの想像だけど、と前置きして檸檬が口をひらいた。
「麻井って田儀先輩とつきあってた」
「どうして知っているの」
びっくりして言うと、やっぱり、という顔で檸檬が何度もうなずいた。
「推測。
まえに田儀先輩が『図書室』でなく『図書棟』と言っていて、麻井とおなじ言い方をするんだ、とひっかかっていて。
あと麻井の読んでいる本て、貸出カードをみると田儀先輩の名前があるものばかりだし。
それでこの話を聞いて、ピンときた」
忍は瞼を閉じて、天井を仰いだ。
やはり檸檬は周囲をよく見ているし、頭もいい。
「麻井が黙っててというのは、ふたりの関係を周囲に知られたくないから。
麻井自身は人目を気にするタイプじゃないから、田儀先輩のことをずっと庇おうとしているんだろうね。
天川は、そうしてくれって麻井に頼まれたんだろ?」
忍ははあっと息を吐いて、肩を落として頷いた。
「浅葉くんはごまかせないよね。
そう、そうなんだよ。
ぼくその場にいたんだ。
でも、麻井くんに『逃げて、天川は嘘つけないでしょ。誰にも言わないで』と言われて逃げ出した。
たぶん、みんな落ちた田儀先輩や麻井くんに気を取られていて、ぼくがこっそり出て行くところなんて見ていなかったと思う。
田儀先輩がいきなり妙なことを言いだしたんだ。
卒業しない、麻井くんのそばにずっといるって。
麻井くんがダメだ、って言ったら、田儀先輩がそのまま窓に向かって」
そのときの光景を思い出して、忍はぶるりと体を震わせた。
「噂では、麻井が突き落としたとか、なにか酷いことを言ったとか言っているけど」
「突き落としてなんかないよ、距離あったし。
会話はしたけど、麻井くんはなにも酷いことは言っていない」
浅葉檸檬はじいっと空間を睨んで考え込んでいたが、
「このままじゃマズイことになるんじゃない?
天川、今の話、先生に言ったら」
「言えないよ。
だって麻井くんに約束したもの」
「あんまり世の中を甘く見ない方がいいよ。
麻井ってけっこう嫌われているし。
タイミングを外さない方がいいと思うけど」
え、っと、忍は思わず声を上げた。
「麻井くん、嫌われているの?
誰が? どうして?」
「どうしてって、どうして嫌いにならないの。
ぼくもあまり好きじゃない。
でもだからといって、クラスメイトだし、一方的に悪者にされるのも嫌だし。
だから、早めに手を打ちたいんだけど」
忍はびっくりして、檸檬の横顔を見つめた。
「そのう、どこが嫌いなの」
檸檬は、え、と驚いてみせた。
「いや、どうして嫌いにならないの。
うるさくて、身勝手で自己中で。
クラス中が迷惑しているじゃない。
麻井がいなければ、いなくなってくれれば、なんてみんな一度は考えていると思う」
「ぼく考えたことないよ」
「天川はそうだろうね」
「そのう、ちょっとは迷惑する時もあるけど。
でも、素直だし、根はいいコだし」
「そうやって先生とか天川が庇うから、よけい、苛々させられるんだ。みんなで麻井をちやほやしているのが、嫌なんだよ。
なんで麻井だけ特別なの、自分だって頑張っているのに馬鹿みたい、って。
麻井の悪口言ったら、こっちが悪人みたいな雰囲気だから、言えずにみんなこらえていた。
それが爆発しかかっている」
忍はどうしたらいいのか考えようとしたが、考えがまとまらない。
理事長に相談したい、ととっさに思ったが、やはり麻井芙弥也との約束がひっかかる。
「ぼく、そのう、麻井くんのことが良く分からなくなった。
前までは、見たままの通りと思っていたのだけど」
「見たままって?」
「裏表がなくて、素直であけっぴろげで。
すっごく純粋なんだろうなって」
「どうだろ。
けっこう計算づくかな、って思う時もあったけど。
持ち物とかすごいよね、クレマティスの中でもケタが違うし」
「持ち物って?」
「文房具用品とかハンカチとか、ちょっとしたものでも、ぜんぜんほかの生徒と違うじゃない。
コートとか、あれ、百万円くらいするらしいよ」
「うっそお。
百万円のコートってあるの。どこが違うの、なにが違うの。一万円のコート百枚の方が良くない?」
オイオイ、と、檸檬が手をパタパタさせてツッコんだ。
「反応する場所そこじゃないって」
「麻井くんてお坊ちゃまなのかな。
家族のこととか聞いたことないけど、なにか知っている?」
檸檬は拳を握って、口元にあてた。
「そこなんだよね、いつも引っかかるの。
麻井ってあけすけに話しているようで、肝心なこと何も言わないでしょ。
いったいどんな家庭に育ったんだろうって興味があって、家のこととかさりげなくきいてみても、いつも話を逸らされる。
あまりに自然なので、一回目は偶然かなと思ったけど、三回やられて確信犯だな、と気づいたんだ」
「話せない事情があるのかなあ」
BJの推測は本当なのかもしれない。
それにしても三回も聞く檸檬も檸檬だが、その檸檬の追及をかわせる芙弥也も大したものだ。
やっぱり見かけどおりではなかったんだ。
でも、そう知っても、麻井芙弥也のことは嫌いにはなれない。
いま警察だなんて、大丈夫だろうか。
麻井くんのことだから、刑事相手でもいつものようににぎやかにしゃべり続けているのだろうか。
「嬉しいだろうな」
ベッドに深く腰をかけて、両足をぶらぶら揺らしながら檸檬がぼそりと言った。
「そこまで好きな人が、自分と別れたくないからって、ものすごく恵まれているのに死を選んだなら。
ぼくだったらすごく嬉しい」
「イヤだよ、ぜったいイヤだよ、そんなの」
とっさに紫朗が頭に浮かび、強く忍は言った。
「ぼくだったら、絶対に幸せになってほしい。
結婚して、子どもをつくって、ちゃんと子どもを育てて」
檸檬はびっくりした顔で眼をぱちぱちさせた。
「結婚……、子ども……って、そこまで飛ばなくても」
「あ、いや、そうだよね。
うん、ゴメン」
忍は腰のない髪をもてあそんだ。
「そのう、麻井くんが戻ってきたらすぐに話してみる。
ちゃんと説得する、このままじゃ大変なことになるって。
こじれたら理事長にも相談する。
ありがとね」
浅葉檸檬はひろげた手を胸にあて、ほっと息を吐いた。
やはり、檸檬なりに芙弥也のことを心配していたらしい。
「たぶん、天川の言うことをいちばん聞くと思うし。
じゃね。遅くまでごめんね。
それと部屋、もすこし片づけた方がよくない?
半分余っているなら、とりあえず使っておけば。
これじゃあ麻井の部屋よりすごいよ」
はははは、と忍は笑って誤魔化して、檸檬が出ていくと、ぐでっとベッドに横たわった。
紫朗が使っていたベッド。
気のせいかもしれないが、紫朗の気配や、残り香がまだある気がする。
浅葉檸檬は嫌いじゃない。
ものすごく信頼しているし、尊敬もしている。
それでも一緒に居ると、妙につかれる。
(f寮、なんか気楽だったな)
BJは話がしやすいし、葵も、昔ほど嫌ではなくなってきた。
それに紫朗はそこに居るだけで、すごくほっとする。
(顔つき、変わっていたんだ)
BJに言われて気づいた。
はじめて会った時は葛篭錦の駅のそば。
盗んだばかりの白い花を渡された。
今でも、あの花の鮮やかな白さと。
そのむこうの紫朗の端正な貌が、くっきりとよみがえる。
忍は起き上がってぶるぶると頭を振った。
いまは、麻井芙弥也のことを考えなきゃ。




