16.
「どうして。
葵、天川忍のこと、ずっと狙っていたじゃない」
忍より先に、番場がむくれて言った。
狙われていたんだ。
妙に納得だ。
学年も違うし、何の接点もないのにいきなり話しかけられたり、なれなれしくされたり、そんなことがしょっちゅうあった。
そういえば、藤枝紫朗が転校してきたあと、葵から絡まれることがなくなっていた。
「だってサ、なんで私たちに直接言いにくるの。
紫朗に言えばいいことなのに。
要は紫朗が反対しているから、こっちに言いに来たんだろ。
それって迷惑」
葵はさらさらと忍の髪を弄んでいたが、手を離すと、たちあがった。
「別にいいじゃん、本人が乗り気だもん」
番場純は頭の後ろで手を組んで、ソファーにもたれかかって言う。
葵信吾はドアの前に立って振り返った。
「あの紫朗の粘着質で執念深い性格考えてみろ。
勝手にそんな真似したら、この話、すべてひっくり返される」
「そうかなあ。そこまでするかな?」
「する。
アイツなら。
さあ、お帰り。
個人的には歓迎したいところだけど、天秤にかければ、藤枝紫朗はビジネスパートナーとして私には必要。
今の段階で、アイツを怒らせるわけにはいかない」
葵はドアを開けた。
出て行けということらしい。
「嫌だ。
藤枝くんは関係ない。ぼくは」
葵信吾は片手を腰にあて、首を傾けた。
長い黒髪がさらりと流れる。
「出て行かない? キミも頑固だもんね。
紫朗といい勝負だ。
じゃ、こっちが出て行く。
BJ、行こう」
「えーっ、オレ、もすこし、天川くんの顔を見ていたい」
「行くよ」
葵信吾がコートをひょいと肩にかけて出て行くと、番場純もあわてて後を追った。
じゃあまたね、と忍に手を振って、駆け出していく。
変わった間取りの部屋にひとり残され、忍は頭を抱えてうつむいた。
考えが甘かった。
葵に言えば、あっさりと入寮を認めてくれると思っていた。
その結果、どういうことになろうとも、紫朗のそばに居られればいいと覚悟していた。
チャラチャラしているように見えて、葵信吾は真剣なようだ。
口先ではどう言おうと、二学年下の紫朗のことを、ずい分と理解して、対等に、敬意を持って接している。
紫朗もそうだ。
なんだかんだいいつつ、葵信吾に一目置いている。
中途半端に小手先で動いても、たぶん、このふたりの関係に割り込むことはできない。
やはり紫朗を説得しなくては前に進めない。
忍は覚悟を決めて、紫朗と話しあうことにした。
自分の部屋にもどって、紫朗の帰りを待つ。
室内は、いままでにないほど、すっきりと片付いている。
今、散らかすと、紫朗が出て行くことを認めたようで、意地でも散らかすまいと決意していた。
日付がかわり、深夜になっても紫朗は帰ってこない。
明け方に帰ってきたことも何度かあった。
ベッドに腰掛け、うつらうつら睡魔に襲われてこっくりとしていると、藤枝紫朗が帰ってきた。
足をもつれさせ、ほおが上気している。
「どうしたの」
深夜なので、声を押し殺して聞く。
「ちょっと……アルコール」
紫朗の身体が傾いた。
あわてて支えようとしたが、紫朗の体重を、華奢な忍では支えきれない。
ふたりして足をもつれさせ、忍のベッドの上に倒れ込んだ。
あおむけに倒れた忍の上に、藤枝紫朗は覆いかぶさったままごめん、と笑った。
真横に藤枝紫朗の顔がある。
ほおにかかる息がアルコール臭い。
「藤枝くん」
「ん?」
「ぼく、今日、葵先輩のところに会いに行ったよ。
f寮に入りたいって。
でも断られた、紫朗が反対していたらダメって」
藤枝紫朗はくっくと喉の奥で、機嫌良さそうに笑った。
「そうだろ」
「ぼくは藤枝くんと一緒に居たいんだ」
「うん、オレも」
あっさりと紫朗が言った。
聞き間違い? とおどろいて顔を捩じる。
すぐそこに紫朗の顔が、強い目があった。
「でも、いまはダメ。
もうすこし待って。
もうすこし待ってくれたら、きっと」
藤枝紫朗の指が忍の髪をつかみ、さらさらと撫でる。
葵に触れられた時とは全く違う。
全身が、痺れるように気持ちいい。
「こんどこそ……」
「え」
「こんどこそ、お兄ちゃんがちゃんと」
紫朗は全身の力を抜くと、寝息を立てはじめた。
忍は紫朗の体をおして、両腕を抜きだし、藤枝紫朗の背に回す。
涙がにじむ。
一瞬の淡い期待が、もろく消えて行く。
酔って、寝ぼけて、妹と間違えたようだった。
藤枝紫朗の広い背に触れ、硬い髪を撫でる。
夢の中ですら、亡くなった妹を守ろうとしているのか。
そんな紫朗が哀れで、愛おしい。
決して、紫朗の足手まといになりたいわけじゃない。
紫朗が父親との約束を守って、男親になりたい夢を妨げる気もない。
だからこそ、今だけ。
今だけでいい。
その先はなにも望まないのに。
なぜ、紫朗は頑なに忍を拒むんだろう。
結局、紫朗とは話ができないまま、f寮が完成し、冬休みにこっそりと、紫朗たちはf寮に移動をしていた。




