14.
藤枝紫朗の後ろ姿が、夜の闇に消えた。
忍はそのまま山道にへたりこんで、両手で身体を抱えた。
いきなりいろいろな話を聞かされて、心の整理がつかなかった。
理事長が人間じゃないとか。
いきなりいわれても冗談としか思えない。
それよりも。
代変わりすると聞かされた方が、忍にはショックだった。
毎日は学校には来ていなかったが、それでも時折、理事長の姿を見たり、挨拶したりするだけで、すごく嬉しくてほっとした。
それがまったく消えてしまう。
学校内に娼館が建つということも、信じられない。
次の理事長は何を考えているのか。
どんな人なのだろう。
あの理事長の息子さんならば、そんな変な人ではないと思うのだけど、なんでそんなことを許すのだろう。
いったい、この学校はどうなってしまうのだろう。
藤枝紫朗と卒業までおなじ部屋で、おなじような関係でずっといられると思っていたのに。
それも崩れてしまった。
紫朗の過去。
紫朗の背負っているもの。
それでも前向きに生きて行こうとしている。
――やっぱり、藤枝くんはすごい。
藤枝紫朗が好き。
その気持ちは変わらない。
だから応援したいと思う。
足を引っ張る真似はしたくない。
忍は立ちあがった。
山の一本道だ。
たぶん迷わずに帰れる。
「やっぱり、自分で立ちあがるんだ」
いきなり声をかけられ、忍は飛び上がった。
すこしはなれた暗闇から、藤枝紫朗が姿を現した。
「い、い、い、いたの」
ばくばく鳴っている心臓を押さえて、ようよう言う。
「そりゃあ。
クレマティスのアイドルになにかあったら、オレ、ただじゃすまないじゃない」
「なにかって?」
「道に迷ったとか、クマに襲われたとか、変質者に誘拐されたとか」
「……ないと思うし。
それにぼく、アイドルじゃないよ」
藤枝紫朗は目を細めて、まぶしそうに忍を見つめた。
「アンタって案外、強いんだよな。
みんなにちやほやされて守られているようで、周りに甘えていないし、相手に迷惑もかけない。
夜遅くまで、パソコンいじっていてオタクかと思っていたら、あれ、仕事してたんだよな。
散らかった紙もプログラミングのメモで、一方的に片づけろなんて言えるものじゃなかった。
ちゃんと自分の生活費自分で稼いで、勉強もちゃんとして、きちっと生活してたんだ。
みんなに聞いたんだ。
天川忍のどこがイイのかって。
綺麗で優しい、って言われて、正直、嘘だと思っていた。
じっさいにオレにはあまり優しくなかったし、どちらかというとぼーっとしてるカンジだったし。
でも、アンタ、表面だけ取り繕ったり、その場しのぎのことを言ったり、適当なとこで誤魔化したりしないんだ。
いつも心の中むき出しだった。
それで誰も否定せず、嫌悪せず、肯定的に受け入れるから、みんなアンタのことが好きなんだ。
こういう言い方、卑怯だけど、オレ、本当はアンタのことが好きだから」
忍はびっくりして、一、二歩、下がった。
「ちょい、なんで逃げる」
「なんか、信じられない」
だよなあ、と紫朗は呟いた。
「実際にはオレ、アンタの気持ちには応えられないからなァ。
今のオレの財産、この顔と体だけ。
今稼げるなら稼いでおきたい、いつまでも溝近さんに頼っていられないし。
将来は早いうちに家庭をちゃんともって、息子を育てたいし。
でも、だからといって自分の運命恨んだり、家族のこと忘れたり、父さんの想いを裏切ったりしたくない。
オレは前に進みたいから」
忍はうなずいた。
真っ直ぐに紫朗の目を見て言う。
「うん。
ぼくも藤枝くんにはちゃんとした家庭をもって欲しい。
足手まといにはなりたくないよ」
藤枝紫朗は苦笑いして、重い息を吐いた。
「そんなこと言うから、アンタのこと、益々ほおっておけなくなるんだ。
ひとつ、頼みがある」
「なに」
「f寮――こんど建つ寮の名前だけど、ここには関わらないでほしい、絶対に。
虫のいい話だけど、アンタには、やっぱり綺麗なままでいてもらいたい」
忍は返事をしなかった。
紫朗の気持ちはすごく嬉しい。
好きと言ってもらえて、綺麗なままでいてもらいたいと言われ、心底嬉しい。
でも、忍は紫朗と一緒に居たい。
紫朗に結婚願望が強いならなおさら、紫朗といれる時間なんて、本当に今だけしかない。
その間、どんなことしてでも、一緒に居たい。
「そんなの嫌だ。
だいいち、ぼく、綺麗じゃないし」
「綺麗だ、すごく綺麗」
藤枝紫朗は両腕を広げると、忍の身体を羽交い絞めにした。
温かい。
熱い、体。
藤枝紫朗の体温と、匂いにぼおっとなる。
「頼むからっ。
アンタを、他のヤツの好きにさせたくない」
ぎゅっと、背骨が折れそうなほど、強く抱きしめられる。
「そんなの、藤枝くんが勝手すぎる」
忍はなにもかも覚悟したうえで、紫朗と一緒に居たいのに。
「なあ、こんなことで、もめたくないんだ。
一緒に居られる時間、あとすこしなのに。
無駄にはしたくない」
それは忍も同感だった。
頷いた。
紫朗はほっとしたように笑顔を見せた。
忍の手をにぎってぶんぶん振り回し、嬉しそうにはしゃいでいる。
学校内の誰がどうとか、当たり障りのない話ばかり選んで、にぎやかにしゃべり続けていた。
たぶん、話す内容はなんでもよかった。
こうしてふたりで、ふたりきりで、夜の山道をてくてくと歩いていることが、大事だった。
この時間が貴重だった。
この時の月明かりに照らされた、紫朗の横顔。
冷たく乾いた山の空気の中の、紫朗の体温。
絶対に忘れない。
ただもうひたすら、この道を歩いていたい。
藤枝紫朗がそう考えていることも、感じる。
たぶん、ぼくは幸せなんだ。
ぼくは恵まれている。
でも。
それと、紫朗の望むまま、紫朗と離れて綺麗でいるかどうかは、別問題。
忍の決めることだ。




