13.
藤枝紫朗は地図も見ずに忍の手をひいて歩いていく。
「藤枝くん、ひょっとして、前にも歩いて帰ったことあるの」
「ちょくちょく。
遅くなってタクシーとか捕まらないときに」
「え、そうなの」
たしかに消灯時間に部屋に居ないことはあった。
夜中にこっそり帰ってきたり、時には朝、帰ってきたりもしていた。
紫朗はクラスメイトの部屋で話しこんでいた、と忍には言っていた。
「紺野溝近、って知っている?」
「ううん」
「紺良グループ会長の孫息子なんだけど、オレ、その人の愛人やっているから。
だから溝近さんから呼び出されるたび、寮を抜け出してたんだ」
忍は思わず足を止めた。
まじまじと紫朗の美貌を見つめる。
藤枝紫朗は肩をすくめた。
「そんな顔をしないで。
溝近さんはいい人だよ。クセはあるけど、カッコいいし、けっこう情もあるし、いい兄貴ってカンジ」
紫朗はひとなつっこい笑顔で、忍を引っ張った。
つられて歩きだすが、気持ちがもやもやとしている。
いくら相手がいい人だからって、なんでこんなキレイでカッコよくて人気者の藤枝紫朗が、愛人なんかやっているのだろう。
「オレの父さん、事業に失敗して母さんと妹を殺して自殺した。本当はオレのことも殺そうとして、でも出来なかったんだ。
紺良の血族には男子を残すのが義務となっている。
そして、すべての男子の名付け親になってくれるのが、アンタが理事長と読んでいるあの人だ」
「理事長? 理事長は理事長でしょう?」
「紺野良房の血をひくすべての男子の名付け親。
そして紺良グループに君臨する神。
ふつう、おいそれとは近づけない。
アンタくらいだ。気軽に話しこんでいるのなんて」
「だって優しい人だよ。
すごい気さく。ぼくにとっては唯一話しやすい大人のひと」
紫朗はくびを捻じ曲げて忍を見、言葉を選んで話を続けた。
「でも、人間じゃない。
紺良の血族なら誰でも知っていることだけど。
オレやオレの父親や爺さん、ご先祖さま、みんなあの人の名づけ子。
記憶にある限り昔から、ずっとあの姿のまま、とみな言っている」
忍は返事が出来なかった。
いくら紫朗にそう言われても、忍にとっては優しい信頼できる大人である。
紫朗は公道から細い山道に入った。
外灯もほとんどない、暗い、人通りのない道。
月明かりだけが頼り。
こんなにも月光は明るいのかと、今さらながら驚く。
いままで忍は歩いて帰ったことはないが、駅から学園まで、一、二時間はかかるんじゃないか、と漠然と想像する。
紫朗は何度もこの道をひとりで歩いて帰ってきたのか。
そのなんとかという人に会うために。
紫朗はその人のことが好きなのだろうか。
「だから父さんはオレを殺せなかった。
男の子だから、大丈夫だろう、必ず男子を作れ、と最期に言って。
オレは父さんを破産させたヤツのペットとなった。
そいつが本当に欲しかったのは母さんで、それじゃなければ妹で、でもふたりといないからオレに全てをぶつけた。
でもオレはそいつに媚びるて喜んでもらうしかなくて、ただ、妹や母さんが生きてなくて良かったとだけ考えていた。
そんな中、溝近さんが計画したリゾート開発にそいつの事業がぶつかって、溝近さんはそいつの全てをブチ壊して、戦利品としてオレを手に入れたんだ。
学校にも入れてくれて、時々、呼び出されたときに会えばいいくらい。
本当に溝近さんには感謝しても感謝しきれない。
でも、オレ、このままでは終わりたくない。
ちゃんと自分の足で生きていきたいんだ」
「うん」
紫朗はいちど口を閉ざすと、しばらく無言で歩いていたが、また、話し始めた。
「学校の敷地の端に、いま、新しい寮が建設されているの知っている?」
「駐車場の向こう? なんか工事しているみたいだけど、寮なの? ずいぶん立派そう」
「葵が、さっき部屋に居ただろ? あの気障で厭味ったらしいヤツ、あいつが香紀をそそのかして建てさせたんだ。
香紀はあのひと――理事長の息子。
来年には入学するんだけど、理事長の座も一緒に引き継ぐらしい。
さすがに香紀をみなと一緒の寮には居させられないって、名目で新しい寮をつくるんだ。
葵はあの寮、丸ごと娼館にするつもりだ。
アイツも過去に色々あった、紺良の血族。
溝近さんともいろいろ因縁があったらしいけど、今のところ手を組んでいる。
年内には完成するって。
その時にはオレもそっちの寮に移るから」
忍は立ち止った。
手が、紫朗の手のひらからすっぽりと抜ける。
急に山の冷気が足元から立ち上ってきた。
藤枝紫朗は白い歯を見せて、笑った。
「だから、部屋、もう片付けなくていいよ。
それと今までありがとう」
忍の頭は真っ白になった。
姉や兄との別れは、もうとうに覚悟をしていたこと。
でも、紫朗とは、少なくとも卒業までは一緒に居られると思っていた。
「ぼく、ぼくもその寮には入れない?」
「言ったろ、娼館だって。
アンタには無理だって。その必要もない」
藤枝紫朗は肩をすくめて笑って、手を伸ばしてきた。
「ぼく……。
ぼく、藤枝くんと一緒に居たいんだ。
一緒に居させて、せめても卒業まで」
藤枝紫朗の貌から表情が消えた。
差し出していた手を引く。
「ぼく、藤枝くんのことが好き」
「ごめん、アンタの気持ちには応えられない」
紫朗は視線を落とすと、忍に背を向けて歩きだした。




