CASE 11 : 銀継 -PATCH UP-
――カッコー、カカコー
「よし、行こうか」
信号が青になった。
かおりの声に促され、白杖を片手に歩き出す。
今日は、かおりと二人で香川へ観光に来た。
金刀比羅宮、父母ヶ浜――行きたいところはいろいろある。
けれど、一番の目的は銀継ぎだ。
というのも、お気に入りのお椀を割ってしまったのだ。
そのお椀に描かれている模様は見えないのだが、
模様のざらざらとした質感を指先で探って楽しんでいた。
だから、割れてしまったときはすごく落ち込んだ。
そんなとき、かおりが銀継ぎをやっている工房を教えてくれたのだ。
「きっと礼奈も気に入ると思うよ。この人の作品。」と。
ということで、今日はその人の作品を見に行って、割れてしまったお椀を直してもらう。
どんな人だろう。緊張してきたな。
と、考えているうちにお腹が空いてきた。
腹が減っては戦ができぬ――とはこのことか。
まずは、腹ごしらえにうどんを食べに行くことにした。
店に入る。
どうやら、器をとるところからうどんを茹でてトッピングするまで、すべて自分でやるらしい。
「ほんとにここで大丈夫?」
「いい。ちょっとやってみたかったから。」
かおりに見守られながら、手探りで麺を湯切りに入れ、茹でる。
薬味をかけ、うどんを完成させる。
――次はトッピングの天ぷらだ。
天ぷらを取ろうとトングに手を伸ばしたとき。
――カチン。
同じものを取ろうとした誰かのトングと重なった。
「あ」
女性の声。
声の位置からして、自分と同じくらい――いや、少し低いくらいの身長だ。
「ごめんなさい」
「いいよ。取りなさい。私はここ、毎日通ってるから」
「ありがとうございます」
トングを離し、天ぷらを取る。
会計を済ませ、席についた。
かおりはまだ、どれを食べるか決めかねているらしい。
「……まだ迷ってるの?」
「だって、どれも美味しそうだもん。」
そんなやり取りをしていると、
「ここ、いい?」
先ほどの女性の声がした。
そして、机にトレーが置かれる音。
「ええ」
向かい側の椅子が引かれる。
女性が腰を下ろす。
「見ない顔だね。ここは初めて?」
「ええ、今日は観光に来たんです。あなたは?」
「私はこの近くで工房をやってるの」
「工房? 何を作ってるんですか?」
「陶磁器を作ったり、銀継ぎをしたりとか」
「……銀継ぎ」
その言葉に、私は少し身を乗り出した。
かおりがやっと会計を済ませたようだ。右隣にトレーを置き、
「あっ。あなた、もしかして石郡さんですか?」
「え? なんで分かったの?」
女性――石郡 美波――は目を丸くしているようだ。
声色からその様子が伝わってきた。
「実は、依頼しに来たんです」
私は鞄に触れながら答えた。
「お椀を壊しちゃって。それで、かおりが銀継ぎっていうのを提案してくれて」
「銀継ぎしかやらないけど、大丈夫?金と比べると、ちょっと地味だと思うけど。」
「大丈夫です。どうせ私には、色なんて分からないですから」
「ふふ。それもそうか」
美波は笑う。
その直後、鞄の中を探る音がした。
――コトッ。
机の上に何かが置かれる。
少し重みのある音。
焼き物だろうか。
「これは?」
手を伸ばす。
指先に、ひんやりとした感触。
器の表面をなぞっていく。
滑らかな陶器。
そこを走る、細かな凹凸。
ひびを繋ぐように入った模様を、指先でゆっくりと辿る。
「……これ、いいな」
「……へぇ」
美波の声が、ほんの少しだけ変わった。
「分かるんだ」
「雷みたいで好き」
「雷?」
「昔、お母さんに教えられたんです」
私は指先で、もう一度その線を辿る。
「雷は、空気の中で自分が通りやすいところを、手探りで探しながら進んでいくんだって」
「……」
「そういうところが、私と似てるんです」
「——そっか。」
―—父母ヶ浜。工房の近くにあるので案内するよと言われ、私は美波さんに付いていった。
「あの、かおりは?」
「ああ、あの子?あの子はさっき、お手洗いに行くって言ってたわ。」
「——そうですか」
ならば、どうして私に声をかけなかった?
後ろで無線のスイッチに手をかける。
――ジッ。
一筋の光が私の背中を掠めた。
それを追うように細長い熱が右手を走り、一瞬だけ感覚が麻痺した。
親指が――焼き切れた。
「もう茶番はお開きにしましょう。」
「……あなたたちの目的は何?」
「仕事にうんざりしたのよ。」
「私たちがどんなに命を懸けようと、それは全部真っ白にかき消される。」
「誰かが傷ついたことも」
「誰かが死んだことも」
「そのために、私たちが何をしたのかも」
静かな声だった。
だからこそ、余計に重かった。
「民衆は何も知らない」
「知らないまま、今日も昨日と同じ日常を過ごす」
「それが悪いことだとは言わないわ」
「でも――」
加賀美の声が、わずかに低くなる。
「誰かが傷ついてまで守った日常なら、その代償くらいは知るべきでしょう?」
「だから、この秩序を壊すのよ。」
「そして、その民衆たちを、この終わりのない会議の卓へと引きずり出す。」
加賀美は右手をこちらへ差し出す。
「私はあなたの傷の真相を知っている。」
「手荒なことはしない。私と一緒に来なさい。」
――ふと、五年前の記憶がよみがえる。
加賀美 瑞波。
昔亡くなった母の同僚であり、
私に因妖師としての振る舞いを教えてくれた師匠でもあり―—
姉貴分でもある存在だ。
彼女は作業台に向き合い、手元ただ一点をじっと見つめていた。
細い筆を使って、割れたお椀に漆を丹念に塗っていた。
ある日、私はふいにお椀を落として割ってしまったのだ。
「ねぇ。」
「ミコトに頼んだら直してくれるんじゃないの?」
加賀美は筆を止めた。
しばらくお椀を見つめてから、こちらに顔を向ける。
「あのね。」
「何もかも、消せるわけじゃないの」
「壊しちゃった、っていう事実は、タタラと私の中に、いつだって残るのよ」
「それに……消せばいいってものでもない」
加賀美は、また筆を動かし始める。
「そういう過去が思い出になって、前より綺麗なものに仕上がることだってあるから」
私は黙って、加賀美の作業を見ていた。
やがて、加賀美の指が私の左目を覆う傷に触れる。
「その傷だって、そう」
傷の上を、やさしく指先がなぞる。
「これがあるから、今のタタラなんだと思う」
「だから――」
加賀美は少しだけ笑った。
「ほんとは、こんな“無粋”な仕事、やりたくないんだけどね」
そう言って、加賀美は再び筆を取った。
そして何事もなかったように、割れたお椀へ漆を塗り始めた。
「……加賀美さん、昔のあなたは死んでしまったの?」
「昔のあなたなら、自分からお椀を壊すなんてことはしない。」
白杖を握る右手にぐっと力をこめる。
「......私はあなたを止めなきゃダメなんだ。」
加賀美はにやりと笑い、右手で剣印を組む。
「あなただって、今日のためにお椀を割ってきたんでしょう?」
「見せなさい。肌色に繕った、その傷を。」
「「解」」
二人の擬装膜界は剥がれた。
今はただ、互いに見慣れた地金の姿に向き合うのみだ。




