第三章 W-001 ― 静寂の世界 ―
GE本部・世界線転移施設。
地下深くに造られた巨大な空間には、リング状の機械が何重にも並び、その中心では青白いエネルギーが渦を巻いていた。
それが――世界線転移装置。
人類が数十年をかけて完成させた、世界線を越えるための唯一の装置だった。
「転移エネルギー安定。」
「座標固定。」
「目標世界線、W-001。」
研究員たちの声が施設内に響く。
俺たち特殊部隊Aチームは、研究回収班六名を囲むように配置についた。
フォックスがロケットランチャーを肩に担ぎながら笑う。
「いよいよ異世界旅行ってわけだ。」
「旅行じゃない。」
俺は装備を確認しながら答える。
「任務だ。」
「分かってるって。」
その横で、ファルコンは何度もライフルを点検していた。
「転移って……体に影響とかないよね?」
「理論上はない。」
シャドウが短く答える。
「"理論上"って言葉が一番怖いんだけど……。」
「安心しろ。」
後ろからオーバーウォッチの声が聞こえた。
振り返ると、司令官は腕を組みながら笑っている。
「もし転移で髪型が変になったらGEが責任を持って直してやる。」
フォックスが吹き出す。
「それなら安心だ!」
「安心するところそこか?」
俺は苦笑した。
緊張していた研究員たちからも小さな笑いが漏れる。
しかし、オーバーウォッチはすぐに真剣な表情へ戻った。
「Aチーム。」
「研究回収班の護衛を最優先。」
「何か異常を確認した場合は即時報告。」
「判断に迷ったら無理はするな。」
「了解!」
全員が声を揃える。
『転移まで十秒。』
施設内放送が響く。
『九。』
青白い光がリング全体を包み始める。
『八。七。六。』
空間が揺れる。
『五。四。』
耳鳴りがした。
『三。二。』
目の前が真っ白になる。
『一。』
『転移開始。』
眩い閃光が俺たちを飲み込んだ。
◇ ◇ ◇
次に目を開けた時。
頬を優しい風が撫でていた。
「……。」
誰も言葉を発しない。
目の前には、どこまでも広がる青空。
白い雲がゆっくりと流れている。
太陽の光が森を照らし、木々の葉が風に揺れていた。
鳥のさえずり。
草の匂い。
遠くを流れる川のせせらぎ。
俺たちの世界では、とっくに失われたものばかりだった。
ファルコンが空を見上げたまま呟く。
「……空って、本当はこんな色だったんだ。」
フォックスも珍しく静かだった。
「写真じゃ見たことあったけど……。」
「本物は全然違うな。」
シャドウはゆっくり森へ視線を向ける。
「空気まで違う。」
研究回収班の一人が慌てて計測器を確認する。
「酸素濃度正常!」
「有害物質……ゼロ!」
「信じられない……。」
別の研究員は震える声で言った。
「地球が……生きている……。」
俺は深く息を吸った。
胸の奥まで澄んだ空気が入り込む。
こんな世界が、本当に存在した。
俺たちはしばらく景色に見入っていた。
だが。
「……ん?」
フォックスが眉をひそめる。
「どうした?」
「静かすぎる。」
言われて気付いた。
街が見える。
道路もある。
建物も並んでいる。
だが――
人の姿がほとんどない。
「人口密度が低い世界なのか?」
ファルコンが双眼鏡を取り出す。
「いや……。」
「何人かいる。」
全員が視線を向ける。
道路の向こう側を、一人の男性が歩いていた。
スーツ姿。
表情は変わらない。
一定の速度で、真っ直ぐ歩き続けている。
「話しかけてみる。」
俺は道路を渡り、その男性の前へ立った。
「すみません。」
返事はない。
男性は俺を見た。
いや。
正確には、視線だけをこちらへ向けた。
その目には感情がなかった。
驚きも。
警戒も。
疑問も。
まるで棚に置かれた箱でも見るような視線だった。
そして。
男性は一歩だけ進路を変える。
俺を障害物として避けるように。
そのまま一定の速度で歩き去っていった。
「……なんだ?」
俺は振り返る。
フォックスも不思議そうな顔をしていた。
「完全に無視されたな。」
その時だった。
向こうから今度は女性が歩いてくる。
フォックスが目の前に立つ。
「こんにちは!」
女性は反応しない。
表情も変わらない。
一定の歩幅。
一定の速度。
フォックスの直前でわずかに進路を変更し、そのまま歩き続ける。
まるで床に置かれた荷物を避ける掃除ロボットのようだった。
「……え?」
フォックスが思わず振り返る。
さらに、自転車に乗った少年が近付いてくる。
シャドウが静かに前へ出た。
少年も何の反応も示さず、ほんの数十センチだけ進路を変え、一定の速度のまま通り過ぎていく。
「誰も……話さない。」
ファルコンが呟く。
研究回収班の一人が携帯型スキャナーを起動した。
「生体反応は正常です。」
「心拍もあります。」
「人間です。」
「ですが……。」
研究員は困惑した表情で続ける。
「行動が異常に規則的です。」
「まるでプログラムされたような……。」
その言葉に、全員が黙り込む。
俺は周囲を見回した。
遠くの人も。
ベンチに座る老人も。
信号を渡る親子も。
買い物袋を持った女性も。
全員が同じだった。
無表情。
必要最低限の動き。
誰とも目を合わせない。
誰とも会話しない。
障害物だけを避け、決められた行動を繰り返している。
その姿は、生きている人間というより――
精巧に作られた機械のようだった。
俺は通信機に手を伸ばす。
「こちらハウンド。」
『オーバーウォッチだ。状況は?』
「W-001への転移は成功。」
「環境は極めて良好。」
俺は一度言葉を切った。
そして、目の前を無表情で歩き続ける人々を見つめながら報告する。
「……ですが、この世界の人間の様子がおかしい。」
「全員、まるで感情を失った機械のように行動しています。」
通信の向こうで、オーバーウォッチも数秒沈黙した。
『……詳細な調査を続けろ。』
『その世界には、まだ俺たちが知らない何かがある。』
俺は静かに頷いた。
「了解。」
青空が広がる、美しい世界。
しかし、その世界には、人間らしさだけが存在していなかった。
第三章 終




