10-1
結月はひとり、部屋で立ったり座ったりを繰り返していた。
最後にアドルフに会った日。
帰宅すると、ベッドの上に小さな小瓶が転がっていた。
直接会いに行くのもなんとなく憚られ、机の上にひっそりと置かれたまま、毎日時間だけが過ぎていた。
既に身体に染み付いた生活リズムは変えられず、決まった時間に起き、朝食を食べると部屋の中で魔法遣いを待ってしまう自分がいた。
そして、しばらくひとりの時間を過ごすとギターを持ち、広場へ向かう。
アドルフが通訳として側に居てくれた時間は、無駄にはなっていなかった。まだまだカタコトではあるが、簡単な単語が言えるようになってきたので、街の人とのコミュニケーションが僅かではあるが、スムーズになってきた。
今日も数人と言葉を交わし、これから何をするか思案する。
「……」
結月はポケットに手を入れる。
彼の忘れた小瓶。
きっと返さなくても何ら困りはしないだろう。
けれど、いつもそれを確認しては、どうすればいいのか考えている。
「あいたいな」
そう言葉にするのは簡単なのに、足が森に向かわない。
魔法遣いはずっと気持ちを伝えてくれていたのに、それを拒んでしまったのは他ならぬ結月自身なのに。
勇気を出したとしても、拒まれてしまった時の事を考えるととても怖い。
小瓶の中には液体が。
揺らすとちゃぽんと揺れ動く。
一体何に効く薬なのだろう。
結月の足は、あの魔法遣いの棲む深い森へ向かった。
***
久しぶりに踏み入れた森は、結月が足を踏み入れると、相変わらずざわめき始めた。
整備されておらず、獣道なのは変わりないが、人が出入りしているので、草や木々はそれなりに人の足で踏まれ、注目して歩けば迷うことなどない。
なのに、何故結月は初めの頃、アドルフの小屋へなかなか辿り着けなかったのか。
今は魔法遣いが付けてくれた印とやらで彷徨うこともなくなったが、以前、何故か気になって尋ねてみたことがある。
「森に気に入られたからな。遊ばれてるんだ」
と、そっけなく返された。
「アドルフ?」
人の気配のしない小屋。
結月は手にしていたギターを隅に置き、辺りを見回した。
魔法遣いが居なくて残念なのか、安心したのか、どっちともつかない感情。
あれだけ片付けたのに、また散らかっている。
少女は出しっぱなしの本や、薬に使うであろうそれらを手に取り片付け始める。
次第に。
棚は棚らしく、足の踏み場に、寝床が顔を出す。
さて次は……と、結月が置かれた机に軽く手を触れた時。
「……」
気付いてしまった。
一箇所だけ綺麗なままの場所。
いつの間にか作られていた結月の定位置には何も置かれていないことを。
少女は、アドルフの姿が見える椅子に座って、その後ろ姿をじっと見ていた。
彼はいつかまた来てくれるのを待ってくれていたのだろうか。
結月はその机にを撫でながら彼を想う。
ーーギ、ギギ、ギギ、、
少し建て付けの悪そうな扉の開く音。
「アドルフ?」
扉に背を向けていた為、反応した時には遅かった。
振り向いた結月は、声を出さぬよう口を布で覆われ、侵入者によって気を失わされた。
***
いい夢を見ていた気がする。
でも、何だったか思い出せない。
結月は自分の髪を優しく撫でる温もりに、夢から引き戻される。
「……」
耳に聞こえるのは、逢いに来たアドルフの声ではなく別の男の人の声。
言葉が分からなくても聴き馴染みがあるのは、その人物が結月の知る人物だからだ。
「ブレダさん?」
ベッドに寝かされている結月は、一瞬、自分が何処に来ているのか理解できないでいた。
天井を確認しようにも、真っ先に視界に飛び込んできたのは、騎士の顔だったから。
「なんで?」
寝ぼけていた為、口をついてしまうのは自分の言葉で、それでも恐らく言葉の意味が彼には伝わっていることだろう。
「…………」
少女との会話が成立しないのを知っていながら、ブレダは、結月に向かって話し掛ける。
何か伝えたいことがあるのだろう。
ゆっくり、きっと簡単な言葉を選んでくれているだろうことは分かるが、その想いに結月は応えることができない。
「……」
少女は、それをきちんと伝えるために上半身を起こす。
勘違いでなければ……。
自惚れでなければ。
彼が結月を見る目は、彼女がアドルフを見るそれと同じだから。
「ごめんなさい」
少女はベッドに座ったまま腰を折った。
「……」
いつから。
想いを寄せてくれていたのは、いつからだろう。
言葉が伝わらないのは、こんなにももどかしい。
伝わったとしても、それを受け止められないのも、辛い。
「……」
結月はブレダからの反応が全くないので、ゆっくり顔を上げる。
「…………?」
「え?」
彼が何を言ったか分からず、言葉を返すと、結月は少し力強くベッドへ押し倒された。
「なっ。なに」
両手を押さえつけられ、少女は動転する。
男は何かを口にしながら、結月の首筋に触れようと距離を詰めていく。
「や」
逃れようと両手に力を込めても解けず、首を左右に振っても位置は変わらず、その首筋に息を吹きかけられる。
「っっ」
ゾクっとした感覚が身体を巡り、結月はやっと状況を理解した。
気付いた時には大きな男の左手で両手をまとめられ、残りの手はワンピースの下。
「やだ」
目に涙を溜め、男に懇願する。
「……」
だが、呼吸の荒くなった獣の耳には届かない。
「やめて」
結月の脳裏にアドルフの言葉が過ぎる。
やだ。
まって。
身体の交わりって……。
どこまで。
ブレダの視線で、彼が次に唇を狙っているのに気付く。
先を想像しただけで身体の熱が冷めていく。
「やだっ。やめてーー」
荒々しい息が身体にかかり、少女は必死で抵抗する。
普段鍛えている騎士の力からは逃げられない。
「やめて」
結月はブレダの目を真っ直ぐ見つめて言う。
が、彼はもう少女自身を見れてはいない。
「やめて……」
「結月っっ」
声と共に、身体から男の体重が引き離された。
重い物が壁に投げつけられ、続いて小屋の何かが落ちる音。
「アドルフ」
その存在を認め、堪えていたものが頬を伝う。
彼は乱れた結月を認め、その姿を隠すように、自身が身につけていたローブを頭から少女に被せると、その布越しに力強く抱き締める。
アドルフの匂い。
乱れた呼吸を整える為に、息を大きく吸うと、彼の匂いが、身体中を満たしていく。
「待ってて」
覆われていて表情までは見えないが、結月を安心させる為に出される優しい声。
「…………っ」
締め付けが離れたかと思えば、小屋から出て行くふたりの気配がした。
アドルフがブレダを連れ出したのだろう。
「……」
「……」
外からはふたりのやり取りが、聞こえてくるも、少女には分からない。
当事者なのに、蚊帳の外でいいのだろうか、と、思いながら、結月は僅かに残る魔法遣いの温もりに身を寄せた。
***
ーーギギギギギ
扉が閉められた音。
「っっ」
結月はその音に身を強張らせる。
「結月」
その足音は静かに静かに結月の元へ向かっていく。
アドルフにかけられたローブを頭から羽織ったままだった少女は、取ってもいいかと尋ねられ、小さくこくんと頷いた。
「ごめんね」
「……」
「ひとりにさせて」
言葉を出せない少女より視線を落とし、アドルフはゆっくり言葉を次ぐ。
「もう大丈夫だから。……帰ったよ」
外で何をしたか、してきたか詳しいことは述べずに、結月を落ち着かせるためだけに、優しく話しかける。
実際、彼の心の中は、身体は怒りで震えていた。
だが、それを彼女に晒す訳にもいかない。
「抱きしめてもいい?」
そんなこと。
わざわざ聞かなくても、目の前でいろいろなものを堪える少女を抱き締める理由はいくらでもあった。
だが、アドルフは敢えて聞いた。
自分が触れていいか、と。
「うん」
例え小さな声でも魔法遣いは聞き逃さない。
アドルフはゆっくり静かに結月に寄り添った。
「結月」
そして、胸に彼女を仕舞い込む。
「結月」
何度も何度もその名前を呼ぶ。
「アドルフ」
結月も彼の名を呼び、魔法遣いは乱されたその髪を何度も何度も優しく撫でる。
「泣いてもいいんですよ」
語りかけるように囁く。
「……っ」
少女は、その胸の中で身体を震わせながら静かに涙を流した。




