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あの。
アドルフの、切望するような告白に、結月は返事が返せずにいた。
理由はシンプルで。
頭が混乱していたから。
嬉しい。
でも。
あの惚れ薬の時に吐露した彼の告白はなんたったのか。
好きだと言われても素直に想いを返すことが出来なかったのは、その時の違和感が胸に引っかかっているから。
「結月」
部屋の中で思い耽っていると、呼ぶ声が扉を叩く音と共に入ってくる。
「アドルフ」
何をしているわけでもなく、ただベッドに座っていただけの少女の隣が、ギシッと沈む。
「おはよう」
「……」
挨拶された結月は、少し恨めしそうに見遣ると「おはよう」と言葉を返す。
あの告白の翌日から、アドルフはこうして毎日、結月の部屋へ顔を出すようになっていた。
パン屋にお世話になっているので、他よりも開店する時間が早い。
いつだったか、着替えの最中に扉を開けられ、閉め出したこともあった。
結月が「何で来れたの?」と素直に疑問を口にすると、「だって僕はここの住人だから」と、さも当たり前の様に言ってのけた。
チーナさんに何か話して部屋に上げてもらったということなのだろう。
結月はふう、と、息を漏らす。
「まだ出ないの?」
アドルフは自分の気持ちを伝えてから、遠慮なく結月のテリトリーに踏み込んでくるようになった。
それを嫌だと思わないのだから、少女も大概だな、と口角を少し上げる。
「もう少ししてからね」
先程から、左側にじっと見つめる視線を感じつつ、視線は合わせない。
結月と一緒にいる時のアドルフは、ひたすらに甘かった。
隙あらば触れてこようとするし、何よりも距離が近い。
自分の一挙手一動で結月が顔を赤らめ、狼狽えるところを見るのがアドルフは好きだった。
あの場で想いを告げるつもりはなかった。
少女の気持ちが自分に向きつつあることを感じていた魔法遣いは、あと少し結月の気持ちが膨らむまで待つつもりだった。
あわよくば、彼女の方から伝えてくれることを……。
後悔もしたが、こうなって良かったとも思っている。
計画は脆くも崩れ去り、今に至る。
まだ全てを伝えた訳ではない。
それを知った上でも君は僕に想いを寄せてくれるだろうか……。
アドルフは、結月の頬に掛かる髪の毛に触れ、優しく彼女の耳にかけた。
***
「……」
毎朝毎朝、アドルフは結月を部屋まで迎えに行き、広場で結月の歌を聴いていた。
初めはそちらを気にしてしまい、どんな顔で歌えばいいか、どんな気持ちで歌えばいいか分からなかった少女も、いざ楽器を手にし、歌い始めると、そんな戸惑いなど頭の隅に追いやられてしまっている。
それを繰り返すと、いつの間にか日常となり、慣れていく。
街の住人は、というと、初めはボディガードのように付き従う魔法遣いを好奇の目でみていた。
しかし、毎日、言葉の通じない結月との通訳をしている場面を目にし、実際意思疎通を図ってもらえると、今ではなくてはならない存在と変化した。
若干お互いの距離が近すぎるのでは……と感じているが、そこは思っていても誰も言葉にはしない。
「結月」
歌い終わると、嬉しそうに尻尾を振る犬が駆け寄ってくる。
犬というより、大型犬。
狼っぽいんだよなぁ……と、結月は見上げながら思う。
いつものように、結月はアドルフを介し、聴きに来てくれた人と話していく。
今までは「ありがとう」という言葉しか掛けられなかった結月も、彼のお陰でみんなと会話が出来て嬉しいのは事実だった。
「ユヅキ」
何人かと話し終わると、ブレダが近寄ってくる。
と、後ろで控えていたアドルフが、一歩前に踏み出る。
「……」
「……」
このふたりは何故か毎回こんな感じで、結月は居心地が悪くなる。
正直、ブレダの言葉をありのまま言葉にしてくれているのかも怪しい。
「今日は休みだったの?」
「……」
結月がブレダに向けて話しても、魔法遣いは口を噤んだまま。
「アドルフ」
語気を強めに名前を呼ぶと、不貞腐れながら渋々通訳してくれる。
少女はそれを申し訳なさそうな表情で騎士を見遣り、頭を下げる。すると、ブレダも困り顔をして「大丈夫」という意思表示をしてくれる。
「いつもありがとうございます」
それはもう覚えたここの言葉。
直接伝わるように。
「……」
結月の半歩に立つアドルフは不満そうに目を細める。
「また……ね?」
「……」
結月が新たに会得した言葉を直接伝えると、ブレダは嬉しそうに顔を緩める。
語尾が少し上がってしまったのは、発音に自信がなかったから。
「結月?」
一方アドルフは、初めて彼女の口から発せられた言葉に目を丸くし、その名を呼び、「ばいばい」と手を振っている結月に目をやる。
「なに?今の」
この魔法遣いは殊更、ブレダに愛想を向けないから、極力自分から言葉を伝えるようにしないといけない、と感じていた結月。
いつまでも彼に甘えてもいられないし、と。
実は密かにアドルフの側で耳をそばだて、頭をフル回転させて、いろいろ吸収しようとしていたのだ。
それが今、何故だか彼の逆鱗に触れてしまった。
気付いた時には遅かった。
アドルフは結月ににじりより、その理由を聞こうとしている。
「だって」
ブレダさんに冷たいから。
と、言おうとして言葉を飲み込む。
「……」
これではまるで「嫉妬している」というのを本人に突きつけているみたいで、少女は言葉を考える。
もちろん、結月は騎士に懸想しているなどということは決してない。
「直接アイツと話してみたくなった?」
「ちがっ……」
否定する言葉よりも先に
「なら、手っ取り早く僕としてみる?」
アドルフは結月を力強く引っ張り、耳元に囁く。
「なっ」
意地悪な口調と顔。
「しない」
「そっか残念」
魔法遣いはさっきまでの表情を変え、笑顔を作って軽口をたたく。
「……」
明らかな作り笑い。
ここへ来てから、言葉が通じず、ずっとそれを続けていた結月には分かる。
その負担を和らげてくれたのは、他でもないアドルフで、少女はどう反応していいか、分からなくなる。
「お昼、来る?」
探る様な声に結月はどう反応すれば良かったのか。
「……」
結月はふるふると、首を横に振る。
「そっか」
無理矢理笑う彼は、そう発すると、それ以上何も告げずに結月に背を向けて、去って行った。




