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 魔法遣いの森へ行くことがなくなって、結月は広場で歌う時間が増えた。


 自分の中で芽生えた感情は、大きく育つ前に迷子になってしまった。

 誰にも恋心を相談出来ず、あっさり行き場を失ってしまった気持ちは宙ぶらりんのまま。時折顔を出しては、少女の心をチクチク刺す。


 魔法遣いの元へ通っていた日課がなくなっても、何か聞かれることもなく、パン屋の奥さんは変わらず接してくれていた。

 

 そういえば、お世話になっているパン屋の奥さんの名前はチーナと言い、ご主人はサリュと言うらしい。

 今更ながら名前を覚え、呼ぶと笑顔を向けてくれる。

 そして、歌を聴きに来てくれる常連さんの名前も覚え始めた。

 いつもフルーツ味の飴を2、3個くれるリッタさん。

 誰よりも大きな拍手をくれるグランさん。

 笑顔が素敵なアサナツさん。

 そして、騎士のブレダさん。

 彼は以前、城へ呼ばれた際、馬車に一緒に乗ってくれて、結月をエスコートしてくれた人。

 初対面は、少女を城へ連れて行く騎士の中のひとりで、堅っ苦しい服に身を包んでいた為、好感など微塵もなかった。だが、ラフな服装で歌を聴きに来てくれた時に、とても親しみやすい人なのだと知った。

 もっとも、初めて聴きに来てくれた時、誰だか分からない状態の中、あまりにも気安く話しかけてくるものだから、不信感しかなかったというのは、笑い話だ。下ろしていた髪を後ろにアップさせて、身振り手振りで表現され、やっと誰だか分かった程。

 仕事がある為、頻度は常連さんと比べて少ないが、休みの日は大抵聴きに来てくれている感じだが、今日はその姿を視界に認める。

 

 最後に歌う歌はバラード。


「……」


 楽器の音は控えめに、静かに感情を込めて歌う。


 言葉が伝わらなくても、楽しい歌は楽しく、嬉しい歌は嬉しく。そして、恋の歌は胸を焦がすらしい。

 初めは周りを見る余裕もなかったが、見渡す余裕が出てくると、聴いてくれる人たちの表情で、みんながどんな歌を好きなのか分かるようになってきた。


「……」


 歌の意味は誰にも伝わらなくていい。


「……」


 伝わらないで。


「……」


 ギターが最後の音を出し、最後の曲が終わる。


 結月は大きく息を吸って、息を整える。

「ありがとうございました」

 身体をぱかっとふたつに折り、大きくお礼を言うと、割れんばかりの拍手。

「王子がお忍びで聴きにくる」という噂が住民の間に広まっているが、歌っている本人はその姿を見たことがない為、嘘なんじゃないかなぁ、と、結月自身は思っている。

 最近は自分が演奏する前の場所に、お金を入れてもらう箱を置くようになったので、気が向いたら皆投げ入れてくれている。


「ユヅキ」


 歌が終わると、聴いてた人もその場から去っていくが、中にはお互い会話が出来ないのを知りつつ、何か伝えに来てくれた人もいたり、様々だ。

 しかしながら、会話が出来ないのは、なかなかに不便で、ずっとここで暮らしていくとなると、そろそろ誰かに読み書き教わらないとな……と、結月も真剣に考え始めていた。

 が。いかんせん、言葉が通じない者同士、どうやってそれをすればいいのか考えてしまうと、どうも次の段階へ進めない。


 ふ。と、以前魔法遣いの言った方法が浮かぶも、それをしたからといって、本当に会話できるようになるのかも怪しく、それをしたい相手もいない。


「ユヅキ」


 何度か名を呼ばれ、結月はハッと我に返った。


「ブレダさん」


 聴きに来てくれていたことは、分かっていた。

 何度か呼んでも反応のない少女に、何かあったのかと、高い背を屈めて視線を合わせてくれる。

 結月は「何でもないです」の意味を込め、にっこりと笑うと、ブレダも優しく返してくれる。


「……」

「……」


 そして無言。


 会話がないとやっぱり不便で困る。

 普段は聴きに来てくれたお礼を言えば、それでさよならになるのに、今日は、何かそわそわとしていて立ち去らない。


「?」

 結月は男の顔を見上げ、首を傾げる。

 何か言いたいことがあるのなら分かってあげたいが、言葉が分からないのがこんなにもどかしい。


「……」

 ブレダが自分を見上げる少女に何か言葉を投げかけようとした時だった。


「結月」


 心臓が跳ねた。


 背後から少女の名を呼ぶ声。

 誰の声だなんて、確認しなくても分かる。

 喉がきゅうぅぅぅ、と痛くなる。


「……」

 声の主はしばらくその場に立っていたが、いくら待っても自分に振り向いてくれない結月に観念し、ゆっくり近付いていく。


「結月」

 

 優しい声で。


「聴かせてって言ったのに歌ってくれないので、聴きに来ちゃいました」

 アドルフは、あの日のことが何もなかったかの様に話し掛けてくる。

 現に、彼にとっては結月の感情の行方など知る由もないのだから当然だ。

 背中越しに感じる魔法遣いの声は、優しくも聞こえるし、何故か怒っているようにも聞こえる。

 そりゃ、理由も告げずに突然姿を見せなくなれば、心配もするし、何か文句を言ってもいい理由にはなるだろう。


「偶然、薬を届けに来ましてね」

 何も返答をしない結月に構わず言葉を続け、その視線はブレダへと向かう。

「ついでです」

 騎士もそれが何を意図しているか感じ取り、応戦する。


「……」

「……」


 お互い無言の威嚇。

 結月の気付かないところで。


「結月の声は色気があるんだね」

 揶揄う様なアドルフの言葉に、やっと結月が背後に視線をやり、彼の姿を捉える。

「色気があって惹きつけられる。普段は可愛い声なのに」

「……」

「それに歌詞もいい」

 魔法遣いが彼女に対して何を言ったのか分からないブレダ。だがその言葉で顔を真っ赤に染めたのだけは分かる。

「やめて」

 あれは恋の歌。

 結月の想いに似た歌は、決して聴かれたくない人に知られてしまった。

 少女は見上げた首を元に戻し、赤くなった顔を両手に覆う。

 金色の瞳は、敵を捉えたまま視界の隅に、自分の言葉で朱色に染まった首筋が映り、心が沸き立つ。

 背中から抱きしめたい気持ちを済んでのところでこらえる。


「……」


 ここは明らかに、結月に言葉の通じないブレダの方が分が悪かった。

 彼は顔を覆ったままの少女にペコリと頭を下げると、声を掛けることなく、踵を返して行ってしまう。


「結月」

 アドルフはその背を見送ると、再び名を呼ぶ。

 結月の表情はその小さな両手に隠されて。

「結月」

「……」

 返事はしない。

 何に顔を赤らめているのか、染まっている耳までは隠しきれていない。

「今の男誰」

 感情の読めない低めの声。

「……?ブレダさんのこと?」

 結月はあの日から気まずくてアドルフの顔が見れないでいる。

 が、尋ねられて答えるために顔から手を離し、背中越しのまま言葉を返す。

 久しぶりにこうして言葉を交わせて嬉しい筈なのに、素直に喜べない自分の天邪鬼が嫌になる。

「ブレダ?」

 アドルフの語尾が上がる。

「何話してたの」

「……?なに?」

 少女が今。魔法遣いの顔を見ていたら、機嫌が悪くなったのが一目瞭然だっただろう。

「何話してたの」

 結月が答えないので同じ事を聞く。

「なにって」

 少女も同じ事を聞かれて、不機嫌そうに眉をしかめる。

「話せるはずないでしょ」

「どういうこと?」

 俺には話せないということ?と、繋げようとするアドルフの声は明らかに不機嫌で怒気を含む。

「どういうことって、そっちがあんな条件?出して来たんじゃない」

 結月は彼に焚き付けられた怒りの力でようやくアドルフと向き合う。

 顔を見てしまうと、涙が溢れそうになってしまうので、あえて避けていたというのに。

「なに?」

 お互いがイライラしていて会話が噛み合わない。

「ここで話せる様になる為に、貴方が言ったんでしょ」

 結月は顔を赤らめて恥ずかしそうに言葉にする。

 アドルフは少女の叫びを聞き、瞬時にその真意に辿り着く。

 ふたりの会話の内容は、周りに知られないが、その声の大きさに幾人か振り返っていく。

「……」

 言いにくそうに口をもごもご動かし、恥じらう結月にを見て、アドルフの肩の力が抜けた。

「ブレダさんとは何も話してない」

「……」

 結月の告白に毒気が抜かれたのが分かる。

 が、彼女が他の男の名前を呼ぶのが気に食わない、という事実は変わらない。

「他の……、名前……なんで」

 怒りを鎮めようと、アドルフは頭の中を整理しながら言葉を繋ぐ。それは文章にならずに、ただ単語だけが並ぶ。

 さっきまでは、一瞬で頭に血が上りすぎた。

 静かに。

 優しく。

 魔法遣いは自身に言い聞かせる。

「何でって、聞いたからでしょ?」

 結月も彼のクールダウンを感じ取り、何に必死になっていたのか。冷静になってみると広場でこんなやり取りをしている自分が恥ずかしい。

「…………ばないで」

「?」

 小さく告げられた言葉の全ては結月に届かず、聞き返される。

「他の名前は呼ばないで」

「なにそれ」

 結月は、くすり、と笑いながら聞く。

 切願する程の声はまるで子どものようで、強張っていた身体の力が一気に抜ける。


「好きだから」


「え?」


「君のことが好きだからだよ」


 予想だにしない告白に、結月は固まる。

 見上げると、輝く瞳に映る自分の姿。


「本当は……こんな……」


 魔法遣いは思わず言ってしまった想いを悔しそうに口にする。


「こんな風に言うつもりなかった」


 そう後悔の言葉を告げながら、一歩結月に歩み寄る。

「けどさ、さすがにもう限界なんだよ」

「……」

 それは喉から搾り出す様な掠れた声で。

「僕の手の届く所にきちゃったら」

 躊躇いがちに伸ばされた手。

「……」

 触れようとするも、少女の身体が僅かにビクッと動くので、少女の頬に触れることなく、そのままストンと自分の脇に力なく落ちる。

「我慢してたけど、さすがにあんな場面に居合わせたら焦りもする」

 自分の中に渦巻く醜い気持ちを鼻で笑いながら、その瞳は真正面に結月を捕まえる。

 

「欲しくてしょうがなくなる」



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