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スノーカメリア  作者: 古浜夕
一ノ瀬侑吾
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9/24

スナメリ

「そうだな、えっと……二人きりになりようがない場所がいいよね……どこがいいだろ……」

 これが、俺と椿の最後のデートになる。

 せっかくなら、思い出に残る場所に行きたかった。

 まあ、とんでもない不思議現象の真っ只中だ。俺も椿も記憶に留めておけるかはわからないけど。

「雪の知り合いだし、そこまで警戒してないんで、どこでも大丈夫ですよ?」

「いや、だめ。男なんて何考えてるかわかんないんだから……これから先、男をそう簡単に信用しないようにね」

 椿はきっと、これから俺以外の男と恋をする。

 あの潤んだ眼差しも、花のような笑顔も、惜しげもない愛情も、これから出会う他の誰かに与えられるのだ。みっともないけど、それが悔しすぎるから……自分のことは最大限に棚に上げて、俺は必死で見知らぬ誰かをけん制した。



「わあ、水族館なんて久しぶり」

 デートの行き先に決めたのは、未来の椿と約束した、水族館だった。 

「幼稚園の時、遠足で来た以来かも。あ、スナメリが見たいです! あとクラゲゾーンは……どっちだろ」

 椿は初デートの時と同じテンション、同じ口調でそう言って、きょろきょろと辺りを見回した。

「うん、好きなのを好きなだけ見ていいよ。だけどその前に……」

 いくつかの水槽を素通りしながら彼女を強引に連れて行ったのは、メインの大水槽の前にあるカフェだ。

 お昼時には混み合うけど、この時間ならまだ人が少なくて、すぐに席に通される。

「お腹空いてるんですか?」

「うーん、そこそこ。だけど、今から食べたいのはご飯じゃなくて、特製パフェ」

 メニューを見せると、椿の瞳が輝く。

「わっ! めちゃくちゃ可愛い! それに、美味しそう」

「でしょ? このパフェ、数量限定だから、お昼にはなくなっちゃうんだよね」

「無くなってたら絶対、悔しい思いしてました。ありがとうございます」

 無邪気に喜ぶ目の前の椿を見つめながら、俺の恋人だった未来の椿を思い出す。

 初デートの時、昼食を食べるためにカフェに寄り、パフェの存在と同時に売り切れているのを知った彼女は、すごく、本当にすごく悔しがっていた。

 あとで聞いた話によると、大人っぽく決めるつもりだったのに思わず素が出た、ということらしく、俺は内心、売り切れててよかったな、なんて意地悪なことを思った、というのは……目の前の彼女には関係ない話だ。

 パフェを二つ頼んで、食べながら大型の水槽を眺める。

「わ、このパフェ、可愛いだけじゃなくてめちゃくちゃ美味しいです!」

「うん、それにこの絶景見ながら食べれるとか、最高だよね」

「はい……あ、マンタ通った!」

「大きいね」

「ですねえ。あんなに大きいと、餌もたくさん食べるのかな? 横にいる小さいのは大丈夫なんでしょうか」

 パフェに乗ってるチョコレートアイスを食べながら、椿が首を傾げる。

「ああ、コバンザメ?」

「コバンザメっていうんですか?」

「そう、マンタとかマンボウとか、大きな魚の周りによくいるんだけど……大丈夫だよ。マンタはプランクトンしか食べないし」

「あんなに大きいのに?」

「うん、海水を飲み続けなきゃいけないから、ずっと泳いでるんだって」

「そうなんですか! ……ちなみに他のマンタ情報は?」

「マンタ情報? えっと、一匹二匹、じゃなくて、一枚二枚って数える」

「他には?」

「メスの方が体が大きくて、オスは小さい。オスの尻尾の付け根には性器があって、それで性別がわかる。ってことで、あれはメスだね」

「侑ちゃんって、マンタが大好きなんですね」

「……いや、そんなに好きじゃないけど」

 別に嫌いじゃないけど、特別大好きだというわけでもない。

 水族館にいる生き物ならもっと他の……カクレクマノミとか、小さくてかわいいい魚の方が好きだ。

「好きじゃないのに、詳しいんですか?」

 目を丸くする椿を見て、恋人だった彼女から言われた言葉を思い出す。

 ――普通さ、好きじゃないことって、なかなか頑張れないんだよ? 私は侑ちゃんの、好きじゃないことでも努力できる、頑張り屋さんなところが好き。

「好きじゃないんだけど……えーと、昔ね、頑張ったんだ」

 こんな状況なのに、好感度を上げたいと思ってしまう自分が浅ましい。

 まあ、今の俺は無理やりデートに付き合ってもらってる身分だし、好感度なんて上がりようもないのかもしれないけど。

「ふふ、頑張ったんですか?」

「小学校の頃にね、遠足で水族館に行って、生き物についてのクイズ大会があったんだ。水槽ごとにプレートがついてるでしょ? あれをよく読んだらわかりますよってやつ。それで、全部のプレートを読み込んで覚えながら回ったの。せっかくなら優勝してやろうって思ってさ。その時の知識がまだ残ってる」

「優勝できたんですか?」

「うん、マンタのぬいぐるみもらった」

 椿は屈託のない顔で笑い、すいすいと泳ぐマンタに視線を移す。

「すごいですね。好きじゃないことを頑張るって、意外と難しいことですよ」

 好感度が上がったかはわからないけど、以前と同じような言葉が返ってきたことが、純粋に嬉しかった。椿はやっぱり椿だって、そう思えるから。

「まあ、頑張ってる時は興味もないのにって思ったりもするけど……意外と後になって良かったって思うことが多いんだよ」

 例えば、会話を弾ませたい時とかに。

「そうだ、椿ちゃんって、スナメリ好きなんだよね? スナメリはね、世界一小さいクジラって言われてるんだよ。おっとりして物おじしない性格なんだって」

「へえ!」

 こうやって豆知識を披露できるのは、頑張った小学生時代の自分がいたからで、意味などないように思われたあの時の努力が、椿との楽しい時間を彩ってくれる。

「興味がなくても、頑張ることには意味があるって思うんだ。そこから何かが生まれることや、好きに繋がることもあるっていうか……」

 現に、椿が好きというその一点だけで、俺はスナメリが好きになった。

 椿は、俺の過去を価値あるものにしてくれた。

 ありがとう。

 そう伝える代わりに、今、目の前にいる彼女を楽しませたいと思う。

「他にもスナメリの豆知識、いや、その前にこの水槽にいる魚の方がいいかな。……聞く?」

「はい、どっちも聞かせてください」

 しばらくの間、頭にある知識を総動員して、お喋りをした。

 そうして俺が専属ガイドとしての働きを終え、椿がパフェを食べ終えた頃――話さなくてはならないことを、改まった声で告げる。

「あのさ……雪のことなんだけど」

「どうかしました?」

「最近、様子、変じゃない?」

 雪の様子が変だった、と俺に言ったのは、未来の椿だ。

 だからこそ、彼女は事故が起こった時、雪が心中するつもりだったのではないか、と考えたわけで……そこのところをはっきりさせて、さらにはちゃんと話し合って、問題を解決してもらわなければ。

「……侑ちゃんにもわかるんですね」

「う、うん……それで、理由に心当たりはない?」

「わかりません。侑ちゃんは何か知ってます?」

「何も知らない」

 面識もないことがばれたら怒るだろうな、なんて思いながら、頭を軽く振って誤魔化す。

「あのさ、雪が何を思ってるか、ちゃんと話し合った方がいいよ」

「でも、雪、言いたくなさそうにしてるんです。いつか、聞けそうなタイミングで……」

「すぐに聞いて。何か起こってからじゃ遅いでしょ?」

 諭すように口にすると、椿の瞳が揺れる。

 どうしてこんなに真剣に、と思っているのかもしれないけど、椿の今後に関することだ。

 もし椿の推測した通り雪の事故が心中だったなら……一歩間違えば、再びことを起こした雪が今度こそ心中を成功させてしまうかもしれない。

 そんなことになるくらいなら、過去に来た意味がない。というか、来ない方が良かったってことになる。

 俺は椿を幸せにしたいのだ。

「……」

 少しの沈黙の後、椿は小さく頷き、優しく笑った。

「雪のこと、そこまで想ってくださり、ありがとうございます」

「あ、あと……雪の『自分の前以外で歌うな』って言葉には、嫌だってちゃんと断って」

「雪からそう言われたの、何で知ってるんですか!」

「えー、あの、雪に聞いたの。それで俺も色々考えて……とにかく、再会したら話し合ってね?」

「はーい。侑ちゃんがイギリス行く前に解決して、連絡させますよ」

 俺がいつどうなるのかは、正直わからない。

 この摩訶不思議な出来事を引き起こしたあの少女は、椿を幸せにしたいと言った。

 そうした後の俺がどうなるのか、教えてはくれなかった。

 だとしても、過去に留まるなんて思えないし(何しろこの世界のどこかには、大学生の俺がいる!)今、彼女とこうしてゆっくり過ごせているのは少女の恩情なのかもしれない。

 そう思った時――

「あ、雪だ。メッセージ見て良いですか?」

 頷くと、椿が携帯をポケットから出して、画面をタップする。

「わっ、綺麗……順調みたいですよ?」

「え、順調って?」

 尋ねると、椿がずいと画面を俺の方に向けた。

 そこには七分咲きの桜の花と、満開の菜の花の美しい景色が映っている。

「高速怖いからって、田舎道を延々と走ってるみたいです」

「雪、もしかして……ドライブしてるの?」

「はい」

「待って! 雪を止めて。今の場所で待機するように」

「え? どうして……」

「理由は言えないけど、とにかく必要なんだ。雪のために!」

 椿はわけがわからないと言いたげな顔で……だけど俺の真剣さは伝わったのか、申し訳なさそうに首を振る。

「無理ですよ。このメッセージ、携帯の電池切れるって連絡なんです」

 椿の言葉を聞いて一瞬愕然とするも、立ち止まっている時間はない。

 一般道で向かっているのなら、高速を使えば間に合うかもしれない。

 追いついたとして、どうしたらいいのかはわからないけど、もう無理やり……前に飛び出してでも雪に止まってもらうしかない。

「タクシー……いや、自分で車借りて飛ばした方が早いな」

 スナメリもクラゲも見ることなく、もちろんぬいぐるみも買わずに水族館を出ると、俺は登録しているカーシェアリングの駐車場を探し、歩を進める。以前デートした時に、近くで見かけた記憶があったのだ。

「ちょっと、侑ちゃん? どうしたんですか?」

 椿は戸惑った顔をしているけど、説明している暇はなかった。

「雪のところに行く。椿も来て」

 少し迷ったけど、俺は雪の顔を知らないし、万が一、彼を説得しなければいけないような事態に陥った場合、彼女がいた方がいい。

「良いですけど、デートは?」

「終わりでいいや。ごめんね。とにかく車で話すから」

 言いながら、駐車場に向かい、持っていたカードで手続きをする。

 というか、どういう原理かわからないけど、使えて良かった。

 請求はおそらく今の俺にいくのだろうけど、まあ払ってくれるだろう。

 レンタルしたセダンの助手席に椿を乗せ、運転席に乗り込むと、俺は勢いよくアクセルを踏んだ。



「は、早すぎません? 大丈夫なんですか!」

「大丈夫じゃない。捕まったら一発免停。だけど、急を要するんだ」

「さっきから、意味がわかりません」

 そりゃあそうだろうな、と思う。

 説明してあげたいけど上手い言い訳は思いつかなくて、何だか吹っ切れてしまった俺はただ事実を告げる。

「俺、未来の君の恋人なんだ。君の大事な雪を助けるために、タイムスリップってやつ、してきた」

「はあ?」

 うん、はあ? ってなるよね。

 椿の混乱した心情を察しながら、俺は続ける。

「雪はね、君とのドライブ中に事故に遭って死んだんだ。それは俺と出会う前のことなんだけど……その後も君はずっと雪を思ってる」

「冗談にしては悪趣味です」

「うん、俺もそう思う。信じてくれなくてもいいよ。他に何て言ったら良いのかわからなくて、伝えただけだから」

 できるだけ感情を乗せずに伝えると、椿は黙り込む。

 戸惑っているのか、怒っているのかはわからない。

 だけど、どちらでも良かった。

 今の俺がすべきことは、雪を助けることだ。

 彼こそ、椿を幸せにする男なのだから。

 アクセルをさらに踏み込むと、車体から低い音が響く。

 間に合え。

 間に合え!

 目的地は国道×××号、浜田屋岬だ。


 限界速度で走り続けること二時間、視認できる距離に浜田屋岬が見えてきた。

 間に合えと、車に乗ってから何度そう思ったかわからない。アクセルを押して突き進むと、先程から黙ったままだった椿が前のめりになった。

「あ、あの車……雪です!」

 椿は慌てたように声を上げ、前方を走る赤い車に指をさす。

「せっかくだし格好いい車にしようって、予約した時に見せてくれて……」

 椿が呟いた瞬間、雪が乗る赤い車の向こうから、トラックが走ってくる。

 スピードを上げたトラックは雪の車に勢いよく近づいて――


「あ!」

「っ、間に合わない……」


 唇を噛みしめた瞬間、目の前で、雪の車がトラックと衝突した。


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