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スノーカメリア  作者: 古浜夕
一ノ瀬侑吾
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7/22

志島神社

「えーっとね、特別好きってわけでもないのに、極みに極めためちゃくちゃ美味しいフレンチトーストが作れるところ」

 確かに椿は俺の作ったフレンチトーストが好きで、今朝もうきうきと食べていたけど……そんなことが理由? いや、はぐらかしてるだけだよね?

「侑ちゃんのフレンチトーストのレシピ、前に聞いたけど……何度も試行錯誤した結果、あれに至ったって感じがしたんだよね」

「ああ、そうだよ。元々得意だったんだけど、もっと改善の余地があるって思ったから、研究した」

「好きじゃないのに、そこまでできるのがすごいなあって思って」

「得意なことは極めとくポリシーなんだ。その方が得することが多いから。フレンチトーストだって椿のお気に入りになって、現に得したでしょ?」

 我ながら打算的だなあ、なんて思いながら肩を竦めると、椿はにこにこと笑う。

「普通さ、好きじゃないことって、なかなか頑張れないんだよ? 私は侑ちゃんの、好きじゃないことでも努力できる、頑張り屋さんなところが好き」

 言葉が出なかった。

 椿って俺のことよく見てるなあ、とか。

 それは、俺が仕方なしに培った能力なのに、とか。

 彼女の俺に対する思いは紛れもない純粋な愛情なんだ、とか。

「……ありがとう」

 掠れた声で呟くと椿はしてやったりという風に笑って、玄関を出る。

「行ってっきまーす!」

 がちゃん、と扉が閉まった後、俺はその場に座り込んだ。

 椿のこと。

 雪のこと。

 自分の気持ち。

 ここ最近考えることが多くて、頭がごちゃごちゃしている。

 立ち上がると、先程閉まったドアをもう一度開ける。

 外は快晴、お出かけ日和。

 そして俺は今日、非番だ。

 家でじっとしてると煮詰まるし、どこかに出かけよう。

 玄関を出て、エレベーターに乗って、パワースポット行きたいと、いつかの自分みたいなことを思いながら、携帯で調べた。そう都合よく近所にあるわけないよなあ、なんて若干諦めていたのだけど――

「あった」

 マンションの裏手の住宅街を歩いて十分ほどの場所に、志島神社という神社があるらしい。相当昔に更新が止まったままの、個人ブログで紹介されていた小さな神社で、本当にパワーがあるのか疑わしいけど……まあ、こういうのは、気持ちの問題だから。

 地図アプリに住所を入れると、俺は「志島神社」に向かうことにした。


「マジ、か」

 くねくねとした路地を抜けた先に現れたのは、長い長い、石造りの階段だった。

 山の断面に合わせて無理やり作ったとでもいうような、傾斜が厳しい、歩きにくそうな階段で、体力に自信があるとは言えない俺は、思わずひるんでしまう。が、石段の上にある鳥居を見上げて、覚悟を決めた。

 青々とした木々に囲まれた真っ赤な鳥居には、見ているだけで神聖な気持ちになる、何かがあった。

 どうせ暇だし、運動不足解消になるし。

 そう自分に言い聞かせながら、一歩一歩、階段を上っていく。途中、何度も休憩を挟んで、その度、やっぱりやめれば良かったと後悔しながら、それでも足を動かして、ようやく天辺にたどり着き、少しだけ落胆した。

 志島神社は、思った以上に寂れた神社だった。

 思ったより狭くはないけど、下から見上げた時には立派に見えた鳥居はところどこ ろ色が剥げていて、何だかボロボロ、狛犬像はほとんどのっぺらぼうだし、手水舎にはひしゃく一つ置いてない。

 だけど、鳥居をくぐった瞬間――空気が変わったような気がした。

 息を呑み、深呼吸して心を落ち着けると、流れる水で直接手を清めて、本殿に近づく。二礼二拍手した後、ポケットに入っていた小銭を賽銭箱に投げ入れ、瞼を閉じた。


 椿を幸せにしてください。

 

 心の中で唱えたのは、それだけは確かだと思える願い事。

 理由はわからない。

 俺がただの恋する男なら、愛する恋人を幸せにしたいと思うだろうし、もし欲にまみれて女の子を利用する最低男だとしても……そんな自分を嫌悪して、彼女には幸せになってほしいと願うくらいの良心はあるはずだから。

「どうか、どうか、お願いします。神様」

 祈りの言葉をたっぷり捧げた後、瞳を開けて、

「うわあっ!」

 思わずのけ反ってしまった。

 目の前に、女の子が立っていた。

 端的に言って、美少女だ。

 切れ長の瞳と泣き黒子、和風の顔立ちに、肩のラインで揃えられたおかっぱ頭、左耳にかけられた艶やかな赤い椿が黒髪に映えている。おそらく年は十代半ば、中学生くらいだと思うけど、子どもらしさは全くなく、むしろ、どこまでも艶っぽい。

「……あ、あの」

 ただじっと、感情のない瞳で俺を見つめている彼女に、恐る恐る声を掛ける。

「君は……」

 そこまで言って口を噤んだのは、「誰?」と、そう聞いてしまうことが、恐ろしくなったから。あまりにも突然この場に現れたこと、現実味がないくらいの美しさ、そして、圧倒的な存在感。

 彼女は一体、「何」なのか?

 ふいに、沈黙が落ちる。

「どうやったら、椿は幸せになると思う?」

「え?」

 さっきのお願い、もしかして口から出てた?

 それとも――

 混乱する俺を無視して、彼女は俺に一歩、近づいた。

「もしあなたが、彼女のために何でもできる力を持つのなら、何をしてあげる?」

 底の見えない真っ黒な瞳に覗き込まれて、困惑しながらも思考を巡らせる。

「俺は……」

 わけのわからない状況の中、素直に考える気になったのは、この異様な雰囲気に呑まれてしまったからかもしれない。視線に促されるまま思考の海に潜り、しばらく熟考した後、浮かんだ正直な思いをゆっくりと口にする。

「……雪。彼女の弟が死んだあの事件を、なかったことにする」

 彼女が最も大事に想う雪は、彼女を心から愛していた。

 自分の感情すらわからない俺とは違う。

 それなら……雪を生かすのが一番だ。

「じゃあ、あなたは、そうしたい?」

 言いながら、彼女は口元だけで薄く笑う。

「え?」

「あなたに力を与えたら、それができる?」

 力を与える、なんてことを堂々と言ってのける彼女がどんな存在なのか、それを考えるより先に「できるだろうか?」と自分に問いかけていた。

 もし、雪が死ななかったら?

 椿は一人ぼっちにはならず、睡眠障害でうちの病院に通うこともなかった。一人になれる場所を求めて、屋上に行くこともなかった。

 俺とは、出会わなかった。

 椿はそれでも、俺と付き合うことがなくても、雪がいる生活の方を幸せだと感じるだろう。

 だけど、俺は?

 いっそ死んだ方がいいなんて考えるくらい、参っていた心を救ってくれたのは、椿の歌だった。それからも毎日毎日、辛いことがあって、だけど、彼女と過ごす時間でエネルギーをチャージして、どうにか前を向いていた。今だって、彼女との未来のために、頑張ろうと思っている。

 この感情が何であれ、俺に椿が必要なことには変わらない。

 椿と出会わなければ、俺の未来は真っ暗だ。

 それなのに、自分を不幸にしてまで、彼女を幸せにできるのか?

 黒曜石のような美しい瞳には、呆然と立ち竦む俺の姿が映っている。

 こちらを見つめる冴えない顔をした男をじっと見つめ……もっと良い人間になりたいと思った。

 だって椿はこんな俺を、真っ直ぐな心で愛してくれている。

 想いを受け取る価値のある人間になりたかった。

 彼女の艶やかな髪の毛を、柔らかな表情を、澄んだ声を思い出すと……自然と口が開く。

「……できるよ」

 俺が不幸になっても、椿は幸せでいてほしい。

 せめてそれくらいは願わなくては。

 心の中で縋るように思った時、少女がにこりと微笑んだ。

 呼吸を忘れてしまうほど美しい、艶然とした笑みだった。

「これ、あげる」

 髪の毛に射していた椿を――どうやらかんざしだったらしい―――手に取り、少女が差し出す。

 受け取った時には、彼女がただの人間じゃないと、もう確信していた。

 何か……現実では考えられないような、何かが起こる。

「ユキツバキ……花言葉、知ってる?」

「変わらない愛、だろ?」

「もう一つ、ある。『運命はあなたの手に』」

 運命はあなたの手に。 

 それは……

「いってらっしゃい」

 瞬間、辺りが光で包まれた。

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