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スノーカメリア  作者: 古浜夕
一ノ瀬侑吾
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6/16

プロポーズ

「え」

「何その声、変わっちゃうの? 侑ちゃんの愛」

「いやいやいや、違う。変わらないよ。プロポーズする。椿が卒業したら。え、というか、すぐにしてもいいの? いやこんなこと聞かれても困るか。ちょっと、どうしよ……ごめん、思いもよらない展開に焦っりぇ、あ」

 呂律が回らないほどに、俺はテンパっていた。

 だって、椿の中で、俺の存在は思っている以上に大きいのかもしれない。

 そんなの嬉しすぎる。

「ふふ、侑ちゃん、可愛いー!」

「椿ちゃん……年上をからかうのはやめなさい」

「年下をたぶらかしたのは侑ちゃんでしょう?」

「ぐうの音も出ないこと言うね」

 回された腕にぎゅっと力が入れられる。

 耳元で、くすくす、と笑う声がする。

 幸せだった。

 同じくらい、椿も幸せにしてあげたいと、そう思った。


     *


 直樹と久しぶりに飲んだのは、ライブから一週間ほど経ってからのことだ。

「未来の大ミュージシャン直樹くんのライブ成功を祝して、カンパーイ!」

 馴染みの居酒屋でカツンとグラスを合わせると、一杯二三〇円の酎ハイをぐぐっとあおる。俺はカルピスサワー、直樹はカシスソーダ、男二人で頼む酒じゃないのはわかってるけど、どちらも甘党なのだから仕方がない。

「うまっ、カシスの甘みが疲れた身体に染みわたる!」

「カルピスってほんと癒しだよな」

 うんうん、とお互いの甘いドリンク讃美に同意し合った後、直樹が「ところで」と切り出した。

「メールでも聞いたけど、本当に大丈夫だった?」

 ライブの夜、途中で抜け出した俺たちの姿は直樹に目撃されていた。心配して連絡をしてくれた直樹には、「彼女の具合が悪くなったんだけど、もう大丈夫」と返事をしてある。

「うん、心配させて悪かったな」

「いや、大丈夫ならいいけどさ……何ていうか、好きなんだな、彼女のこと」

「好きだよ。ずっと言ってるじゃん」

「いや聞いてたけど、過去のお前、酷いもんだったじゃん。恋人との向き合い方がさ、夏休みの宿題を無理やりやらされてる小学生みたいな感じだった」

「全然わかんないんだけど、その例え」

「義務感があったってことだよ。それなりに良い感じの若者の義務として、恋愛してただろ。だから、なかなか信じられなかったんだけど……実際に見たら、確かに今までとは違うなって思った」

 直樹の顔はどこまでも優しくて、俺がようやく出会った恋を、心から祝福してくれるのだとわかる。

「うん。……俺、椿のこと本当に好きなんだ。『本当に欲しかったもの』がようやく手に入った」

 今まで俺が「好きなことに好かれなかった」ことを知っている直樹だからこそ、心の内を打ち明けることができた。

「いいですねえ。恋する男ですねえ。――それで、どこが好きなの?」

 カシスソーダを飲み干し、メニュー表から新しいドリンクを選びながら、直樹が言う。

「全部」

「そういうんじゃなくて」

「いや本当に全部なんだって。すごくない?」

「はいはい。ステージの上から結構ちゃんと見えたんだけどさ、お前の好きなタイプとはちょっと違うじゃん。確かに可愛いけど」

「うーん、そう?」

「大人の女に癒されたい派だっただろ、お前。初AVから知ってる俺をなめるなよ」

「……ちょっとそれ、絶対に椿に言うなよな」

「大丈夫、俺、ちゃんとお前のこと好きだから。だから知りたいの、侑吾の彼女のこと」

 ぶりっこ風の口調で言った後、直樹はぱちんとウインクを決めた。

 ライブハウスでは、これで女の子をキャーキャー言わせてるんだろう、慣れた感じのウインクだ。

「……初めに良いなと思ったのは、歌だったな。プロになれるって本気で思えるくらい、上手いんだよ」

 出会った時のことを思い出しながらそう伝えると、直樹は一瞬目を瞬かせ、

「あ、そういうこと……」

 突然苦々しい顔になって、それ以上聞きません、と言わんばかりに深く頷く。

「え、何?」

「ううん、何でもない。すみません、ヨギーパインください。いやすごいですね、この店。こんなやっすい値段でこれあるとか最高、お姉さんも可愛くて最高。お前も追加いる? まあ、まだ入ってるしいらないか。じゃ、お願いしまーす」

 いやいやいや、何?

 無理やり話題を逸らそうとしているのがありありとわかって、俺は前のめりになって尋ねる。

「そういうことって、どういうこと?」

「どういうことって……もういいじゃん。幸せな男よ、幸せなままでいろ」

「はあ? 気になるじゃん」

「気にするな」

「言え、奢るから」

「……わかったけど、ただ俺が思っただけってことを覚えといて。ま、そういう気になることを明らかにせずにはいられないから、お前は賢いんだよな」

 直樹はぐだぐだと前置きをしてから、グラスに残った氷をからからと回す。

「お前が椿ちゃんのことを好きなの、ただの恋心なの?」

「へ?」

「椿ちゃんのことを話すお前、音楽のこと話す時の顔してんだよ。お前さ、ずっと音楽が好きだったじゃん。女の子なんてどうでもよくなるくらいに、夢中だったじゃん。――本当はそういう才能、欲しかったんだろ? 椿ちゃんを手に入れたら、『本当にほしかったもの』が手に入る。そういうことじゃないの?」

「…………」

 そんなこと、考えたこともなかった。

 確かに俺は今まであまり女性に夢中になるタイプではなくて、デートより趣味を優先することも多かった。音楽が好きだけど、歌や楽器をどれだけ練習しても、素人が頑張ったというレベル以上にはなれなくて、それが悔しくて悔しくてたまらなかった。

 だけど、それを椿に求めてる?

 違う。

 俺は椿のことが純粋に好きなのだ。

 好きな……はずだ。

 そう思う気持ちは確かなのに、嫌な汗が額に滲んだ。

 女の子と恋人になっても、その子が俺のものになるなんて思ってない。

 だけど、自分では絶対に手に入れることができないものがあるのなら、自分に一番近い人に手に入れてほしい、という感覚はきっとある。

 もしも万が一、俺にはない才能を持つ椿を手に入れたいと思っていたとして……それは果たして、好き、なのだろうか。

 恋なのだろうか。

 自分の満足のために、彼女を利用しているだけなんじゃないだろうか。幸せにしたい、なんてお綺麗な理由をつけてまで彼女に歌わせたのは、自分の欲のためなのではないだろうか。

 なんだそれ、最悪じゃないか。

 吐いてしまいそうになるくらいの嫌悪感が湧き上がり、思わず口元を押さえる。

 そんなはずないと思いたいのに、頭に浮かんだ最低な考えが消えてくれない。

 わからない。

 椿への想いは俺の中に確かにあって、なのにその形をうまく掴むことができない。

 黙り込んだ俺を見て、直樹が小さく息を吐く。

「そういう反応すると思ったから黙ってたのに。ま、どーでもいいじゃん。別に、椿ちゃんの歌とか才能に惚れてたっていいだろ。顔に惚れるのも性格に惚れるのも才能に惚れるのも自由なんだからさ。あ、これ次の歌の歌詞にしよ」

 直樹がわざとらしい明るい声でそう言って、軽快なメロディを口ずさむ。

 おそらく今適当に作ったものだろうけど、心に熱いものが湧き立つその旋律は直樹の才能が詰まった一級品だ。

 どれだけ努力しても、俺には一生生み出せないもの。

 ずっとずっと、欲しかったもの。

「……その曲好き。データにしたら、俺にもちょうだい」

「ん、いいよ。大好きな侑吾くんに一番に聞かせてあーげーる」

 直樹は俺の親友だ。

 その才能がある彼が誇らしく羨ましいけど、それとは別に、直樹に音楽の才能がなくても俺たちは親友だったと思う。だって、歌とか楽器が上手いって知る前から、俺たちは友達だったから。

 でも椿は……何よりもまず、彼女の歌が好きになった。

 大好きな恋人、一目ぼれして付き合って、結婚まで考えてる愛おしい女性。

 瞳を閉じて、思い浮かべる椿はやっぱり歌を歌っている。

 彼女を思って、心が満たされないのは初めてだった。


   *


「じゃあ侑ちゃん、また夜にね」

「ん、来てくれてありがと」

 大学に向かう椿を見送りながら、改めてお礼を告げる。

 昨夜、直樹と飲んだ後、どうしても椿の顔が見たくて電話した。

 テレビ電話でもできたらいいな、と思っていたのだけど、口を衝いて出た「会いたい」という本音を聞いた椿が家まで来てくれたのだ。

 いつもよりラフな格好をした、すっぴんの椿は最高に可愛かった。

 好きでたまらないと、触れ合いたいと思った。

 同時に歌ってほしいと思った。

 俺には未だに、自分の感情がよくわからない。

「ねえ、椿……俺のどんなとこが好き?」

「え……えー、何で今?」

「気になったから」

 照れているのか少し赤くなった頬に触れると、椿はじっと俺を見る。

「フ、フ、フレンチ、トーストだよ~!」

 リズムを付けて歌われた椿オリジナルの即興歌、可愛らしい感じで俺は好きだけど、って……

「何それ」


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