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スノーカメリア  作者: 古浜夕
一ノ瀬侑吾
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4/22

彼女のためだから

 椿は困ったように笑うと、慌てたように付け加える。

「それに関しては、どうでもいいの。あ、もちろん殺された人には血縁者として申し訳ないと思うし、ショックを受けなかったって言ったら嘘になるけど……お母さんのことは事件がある前から他人だと思ってたから」

 固い声でそう言って、椿はさらに続ける。

「一緒に住んでもなかった。私たちの存在は隠されてたし、雪なんて小さい頃に殺されかけたことがあって……離れてないと安心できなかったしね」

「殺されかけた?」

「子ども、邪魔だったんだと思う。まあ、とにかく、そんなひどい母親を持った私たち双子はお互いをとことん大事にしてたんだけど……結局雪も死んで、私は一人になっちゃった」

 消え入りそうな声で言ってから、椿は顔を膝に埋めた。

 そっと肩を抱くと、椿は顔を横にして、俺を見る。

「……あの時、雪と私は高校三年生だった。推薦で大学が決まってから、雪は自動車免許を取ったの。それで、合格祝いにドライブしながらどこかに行こうって誘われたんだ。それから雪の提案で、昔、家族でよく行った別荘に行くことに決めた。雪はレンタカーを借りて……格好つけて真っ赤なオープンカー、だけど初心者マーク付き。――そのドライブ中に事故に遭ったの」

 椿は淡々と語る。

「対向車との正面衝突。私、助手席に座ってたんだけど、居眠りしちゃってたんだ。そのせいで、状況がわからないんだけど……警察は、事故だって、そう結論付けたみたい」

 膝を抱える手にぎゅうと力を込めて、椿は意を決したように口にする。

「だけど、私は疑ってるんだ。――雪は、自殺したんじゃないかって。私と……心中するつもりだったんじゃないかって」

 そんなわけないよ。だって、雪くんは、椿のこと大事だったんだろ? 自分が死んで、大事な家族を道づれにするなんて、あり得ない。考えすぎだって。

 そう言いたかった。

 言いたかったけど……

 椿の暗い瞳を、そこから流れる一筋の涙を見たら、何も言えなかった。

 俺は「雪」のことを知らない。

 椿と彼の過去も、二人がどれだけ親密だったかも、どんな思いで過ごしてきたかも、何も知らないのだ。

「少し前からね、雪の様子、おかしかったの。うまく言葉で言えないけど……私にはわかった、わかっちゃったんだ。二人で一つの特別な双子だもん」

 椿は何かに憑かれたように一心不乱に喋り続ける。

 俺ではなく自分自身に語り掛けるように。

 前だけを見つめて熱っぽい口調で、涙が流れるのもお構いなしに。

「雪がね、昔、話してくれたことがあるの。男女の双子って、前世で心中した男女の生まれ変わりなんだって。タイでは今もそう言われてるし、江戸時代くらいまでは、日本でもそう信じられてたんだって。――雪、全部が嫌になって、死にたくなって、でも、私と離れたくなかったのかもしれない。ずっとずっと、双子でいたかったのかもしれない。それなら、それなら私っ」

 椿は叫ぶように言った後、掠れた声で呟いた。

「……一緒に死んであげれば良かったって、思うの。雪が望むこと、してあげられなかったのが、悔しい」

 大丈夫? と聞こうとして、口を閉じた。

 大丈夫なはずないと、わかっていたから。

 椿が時々、寂しげな笑みを湛えて、物思いにふけっていたことを思い出す。

 彼女の心には、今も雪がいる。

 すすり泣く彼女を抱きしめながら、顔も知らない雪を恨んだ。

 歌うのが大好きなのに、椿は外では鼻歌さえ歌えない。

 人に聞かせて、感想をもらうこともできない。

 閉め切った部屋の中か、誰もいないだろう炎天下の屋上でしか、歌えない。

 そして俺は、それをどうすることもできないのだ。

 ややあって、溢れる涙を気にも留めずに、椿は歌い始める。


「Every night in my dreams, I see you, I feel you. That is how know you go on」


 セリーヌ・ディオンの「マイハート・ウィル・ゴー・オン」。タイタニックのテーマ曲で、誰もが聞いたことのある、有名な歌だ。


「Far across the distance, and space between us, you have come to show you go on」


 ところどころに嗚咽が混じったその歌は、椿の歌とは思えないほどボロボロだった。か細い声だし、音程は合っていないし、歌詞も噛み噛みだ。

 だけど、やっぱり「雪」だった。

 椿の弟のことじゃなくて、空から舞い降るあの雪。さらに言うなら、いつもの粉雪じゃなくて、牡丹雪。水分を多く含んだ、べっちょりした雪。大きくて、その分ゆっくりと、花びらみたいに舞い落ちる雪だ。

 牡丹雪は粉雪と違って、手のひらに乗せると、しっとり冷たく、溶けた後は水滴が残る。簡単には消えてくれない。

 忘れられない。

 ひんやりした感触が、確かにあったその存在を思い出させる。


 毎晩、夢の中で、あなたを見て、感じ続けるわ。

 そうしてあなたは生き続けていくのよ。

 遠く離れても、隔たれていても、あなたが生き続けていることを示しに来てくれる。

 あなたを愛した時が、心に抱いておく、真実愛の時だった。命ある限り、私たち はともに生き続けていくの。


 切ないバラードを聞きながら、しみじみと思った。

 雪はこれからも一生、椿の心の一番奥深くに、留まり続けるだろう。

 

  *


 翌日、余計なことを考える暇もないくらい忙しく働き、どうにか仕事を終わらせた後、居酒屋の並んだ大通りを歩いていた。

 昨夜、泣きながら一曲歌い上げた後、椿は「もう大丈夫」とにっこり笑った。

 その後、椿が作ってくれた焦げたハンバーグを二人で食べて、その話題には触れないまま、就寝した。泣きつかれたのかすぐに寝てしまった椿の、規則正しい寝息を聞きながら、俺は明け方まで眠れなかった。

 弟の雪は、椿にとって他の誰よりも大きな存在で、それは一生変わることがない。

 椿が人前で歌えるようになる日は来ない。

「……どうしてだよ、雪」

 一晩、雪の言葉の意味を考えた。

 自分の前以外で歌わない約束をさせる、それはきっとわかりやすい独占欲だ。

 二人がどれだけ親密な関係だったか知らないけど、やりすぎじゃないだろうか。

 だってただの歌じゃない、才能に溢れた椿の歌だ。

 顔も知らない雪への憤りが湧いてきて、それを振り払うようにを振る。

 雪に苛立ちを向けることは、椿に悪い気がしたから。

 好きな人の好きなものはいつだって肯定していたい。

 雪の約束はもしかすると、一時の戯れだったのかもしれない。自分が事故で死んで、その約束だけが残ってしまうなんて、思わないだろうし。

 雪のことを考えながら顔を思い浮かべようとして、だけどそもそも知らないんだと気付いて、それから昔テレビで見たジュンの顔を思い浮かべた。

 雪の話のインパクトが強すぎてあまり気にしていなかったけど、椿はあのジュンの子どもなのだ。顔は全然似ていないけど、歌っている姿は確かに似ている、というか、そっくりかもしれない。

 ああ、もしかして雪はジュン――母親のことを思い出したくなかったのかな。いやでも、それなら「僕以外の前で歌わないで」じゃなくて「僕の前では歌わないで」だろうし……あああ、もうわけわかんない。

 というか、雪がどうこうより先に俺が考えるべきことは、椿をいかに幸せにするか、だ。

だったら今俺がすべきは、やっぱり彼女の夢を叶えること。歌を人前で歌わせること。そうなると雪が……って、堂々巡りじゃん!

 思考を巡らせながらふらふらと歩いていると、前から歩いてきた男に肩がどんとぶつかった。

「すみませ……あ」

「わお、侑吾じゃん!」

 俺を見てぱっと笑顔になったのは、ピンク頭の大男、チャラそうな外見のイケメン――中学時代からの親友、直樹だった。


「なあ、どうしても歌を歌いたいって……それも誰かに聞いてもらいたいって思う時ってどんな時?」

 相談したいことがある、と近くのカフェに誘うと、直樹は「おごりならいいよ」と言って、ご機嫌に頷いてくれた。

 直樹は大学卒業後、フリーターをしながら音楽活動をしているバンドマンで、音楽会社からも目を掛けられているほどの才能がある。彼に話を聞けば、椿の一件の参考にできるかもしれない。

「え、何それ? 予想外の相談なんだけど。恋バナじゃないの? 侑吾、めずらしく、彼女のことめちゃくちゃ好きなんでしょ?」

「めずらしくって……失礼だな。ま、一応恋バナだよ」

「は?」

「理由は割愛するけど、とにかく知りたいんだよ。大量に頼んだんだし、いいだろ?」

 二人掛けの席の広くないテーブルには、ドリアにパスタ、クラブハウスサンド、メロンフロートとチョコレートパフェが並んでいた。奢るとは言ったけど、ただのカフェでここまで注文されるとは思わなかった。

「だってー、お腹空いてたんだもん。俺は夢追い貧乏人なので、たからせてもらいます。で、答えるのはいいけど、そうだなあ」

 一口で頬張ったサンドイッチを咀嚼しながら、直樹は言う。

「良い歌を生で聞いた時かなあ」

「良い歌を生で?」

「そ、俺も負けてたまるかあって、歌いたくなるの。そういう時って、すごーくいい歌が歌える確率が高くてさ。誰かに聞いてもらって、感想教えてほしくなる。求めてた答え、こんなんでいいの?」

「うん、ばっちり。……だけどそっか、良い歌、か……」

 呟くと、直樹がにやりと笑った。

「それってさ、彼女? 彼女に歌を歌わせたいの?」

「そうだけど、それが何?」

「だったら俺の歌を聞かせたらいい。俺が自信を持って進められるいい歌ナンバーワンは俺の歌だ。ちょうど週末ライブがあるんだよね」

「まあ、確かにお前の歌、いいよな」

「でしょ?」

「自分で言うなよ」

「侑吾相手に謙遜するとかきもいでしょ。ってことで、はいこれ。一枚五千円でーす!」

「サンキュ」

 差し出された二枚のチケットの代金を払うと、直樹は意外そうな顔になった。

「何?」

「こんだけ食ったんだからチケットまけろよな、って言われると思ってた。割高でしょ、突っこみ待ちで高めに言ったもん。差額返そっか?」

「……いや、本当に参考になったから、ありがとう料でもういいや。それに万全な体調で、めちゃくちゃいい歌、歌ってほしいし。ってことで、パチンコに使うなよ。それでいいもの食え。ライブ前にどうしようもなく飢えたら、俺を呼べ」

「……侑吾くーん、男前すぎるよ?」

「彼女のためだから」

 椿が人前で歌えるようになるためなら、俺は何だってする。

 まあ少しは、直樹の体のためってのもあるかもしれないけど。


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