居場所
部長は好奇心旺盛だし、美味しいものなら何でも躊躇わず食べそうだけど、お化けを食べるってどういうことだろう? 食べられるのかな? というか、そもそもお化けが存在するなんて……私、超常現象は信じてなかったんだけど。
部長は生まれた沈黙を気にも留めずに、部屋の奥の棚まで歩くと、そこから一冊の本を取り出した。
「はあい、みんな知らないみたいなので、説明するね。これが『おばけ』でーす!」
開かれたページにあったのは、「尾羽毛」という文字だ。
「『おばけ』、もしくは『おば』、『おばいえ』って呼ばれることもあるんだけど……クジラの尾びれ部分を薄切りにして茹でたもので、山口の郷土料理なんだよ。ワカメとかネギとかを混ぜても、そのままでもいい。酢醤油とか酢味噌で食べるのがおすすめです!」
細い指でとんと写真を叩くと、部長はにっこり笑う。
「ってことで、今月の郷土料理は『おばけ』にしよっか。それで、今度の連休、サークル旅行っていうのはどう?」
「「え!」」
思わず上げた声が雪のものと重なった。
「僕たちが行ってみたいって言ったからですよね?」
「いいんですか?」
「俺は異論なし。元々、有沙姉弟が復帰したらどこか旅行に行こうって話してたんだよ」
「私も山口好きだし、賛成だけど……山口っていっても広いからなあ。歌が歌われてる場所がどこかって、ピンポイントで特定できたらいいんだけど」
「んー、大体はできるんじゃないかなぁ?」
長崎先輩の声を遮った部長が、「もう一回歌って?」とリクエストした。先ほどと同じ、子守唄を全員で聞いてから、部長はうんうん、と頷く。
「『おばけ』は節分に食べると厄払いになるって言い伝えがあるんだよ。だからこの歌の『寒い寒い如月』は節分ってことで、厄払いしたあなたは大丈夫だから、安心してねんねしなさいね、って歌ってことだね。うん」
そうだったんだ。
小さい子向けの歌らしいファンタジーな歌詞だなあ、って思っていた自分が恥ずかしい。
でも、それと、場所の特定とにどういう関係が……。
そんなことを考えていると、部長は「脱線!」と言って、ぺろりとベロを出した。
「ごめんごめん、さっきの話は置いといて、大事なのは『おじさん海から取ってきた。母さん捌いてむしゃむしゃ食べた』のところ。知り合いのおじさんが海で取ってきて、母親が捌いた。つまり、クジラ漁をしていた街――下関の話だと思うよ!」
ふふん、と得意げに笑う部長に抱き着きたい。
いつもとは逆だけれど、それくらい嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱいだった。
「ではでは来週末は、下関へレッツゴー!」
そういうことになったのだった。
*
本州の玄関口、山口県下関市に到着したのは昨日のお昼すぎだ。それからずっと、食べて食べて、歩いて食べて、少し歩いて食べて食べて――という感じで、私たちはひたすら食べ続けている。
雪は家でも色んな場所の料理を作ってくれるし、サークル活動でももちろん作る。この二年ですっかり美食家になった私だけど、その土地で食べる郷土料理の美味しさはやっぱり格別だ。
「はい、はーい。今から行くのは名所でもある市場だよぉ! 取れたてのお魚で作ったお寿司とかが売ってて、その場で食べられるんだぁ」
何度も下関に来たことがあるという部長に連れられて、海沿いにある雰囲気の良い市場に入って……思わず息を呑んだ。
市場の中はすごい活気で、お客さんが店に並んだお寿司――艶々で瑞々しい、いかにも新鮮って感じの、宝石のようなお寿司だ――を我先にと買い求めている。中にはお寿司だけではなく、汁物や揚げ物を売っている店もあって、何軒も連なるお店を見ているだけでも楽しい。
「じゃあ、それぞれ好きな物を買って、出口に集合ね」
部長の声に従い、一旦解散、その後、食べられないくらいの量のご飯を買って、市場の出口に集まった。
少し歩いて、海を見ながら飲食できる、芝生広場に座る。
「ん、最高」
「ごろごろしたーい!」
「基口、先にこれ敷いて。須中もほら、手伝って」
ごろりと寝転がろうとした部長を制して、長崎先輩がシートを広げる。
「僕もやります」
「私も!」
海風に飛ばされないよう四隅に荷物を置いて、買ってきたお寿司を並べたら、ピクニックの始まりだ。
「はあい、みんな、手を合わせてー」
「「「「いただきます」」」」
部長の声に続けて手を合わせてから、美味しいお寿司を堪能する。
「須中先輩、水筒なんですか?」
「ああ、女将さんが貸してくれた。旅館のお茶を入れてもらってるんだけど、飲む?」
「飲みたいです! 旅館のお茶、すごく美味しかったですよね」
「それを伝えたらくれた。サービスだって。いい寿司は、美味しいお茶で飲みたいからね」
「……須中先輩って要領いいっていうか、ほんと、生きるのが上手ですよね」
「はは、下手よりいいだろ?」
すっかりサークルに馴染んでいる雪だけど、男同士だからか、須中先輩とは特に仲良しだ。
私以外を体中で拒否していた昔の雪を知っている身としては、楽しそうにお喋りする姿を見るのが感慨深くて、思わず顔が緩む。
「はいはい、椿ちゃんも、食べよぉ。ね、こっちの醤油って東京のとは味が少し違うんだよ。知ってる?」
「そうなんですか? それではいただき……あっ、醤油こぼれた!」
「大丈夫、後で染み抜きしてあげるから、今は何も考えずに、ウニを堪能して」
長崎先輩が真面目な顔でそう言って、部長が私のすぐそばに顔を寄せた。
「そうそ、このご飯からはみ出すくらいのウニ! 下関のウニはね、水産物五大ブランドなの。めちゃくちゃ美味しいの。しかも椿ちゃんの食べようとしてるそれは赤うにっていう高級なやつで、正しく今が旬! ああ、よだれ出てきちゃうよね。私も私のウニを食べよーーん、美味しーい!」
「それじゃあ私も、頂きます」
「私も!」
「「……美味しい!」」
長崎先輩と顔を見合わせて、にっこり笑う。
空も海も青くて、高く上ったお日様の光が降り注いでいる。
九月に入ったばかりだからまだ暑くて、日陰のないこの場所では汗が滲むけど、その分、海から吹いてくる冷たい風が気持ちいい。
美味しいものを大好きな人たちと一緒に食べて、楽しくて、嬉しくて、時間が流れるのがちょっとだけ寂しいと思ってしまうほど幸せで……私は今、心から笑っている。
志賀さんを失ってまだ一か月で、その悲しみは当然癒えていない。
私に責任があったという考えが、消えたわけでもない。
なのに、笑えてしまっている。
志賀さんが私と雪の幸せを望んでいたと知ったことは、前に進む確かなきっかけになった。
だけど数年前の、雪と二人だけの世界に籠っていた私だったら、それでも前に進めなかったと思う。
双子なのに、雪と私の性格は全く違う。
だけど、双子らしく、似てる部分も、似てるを通り越して完全に一致しているような部分もある。
たとえば、大事な人への依存癖とか。
私にとっても雪にとっても、志賀さんは大事な家族だった。
二人だけの世界にいたら、志賀さんを失った喪失感から抜け出せなかっただろう。
でも、今の私たちにはサークルの先輩たちがいる。
世界が少しだけ広がったからこそ、先輩たちと出会い、サークル部屋でのお喋りの時間が好きになった。昔は外食を好まなかったけれど、今は外でご飯を食べるのが好きだ。料理するのは相変わらず苦手で、でも食材の買い出しは好き。今回のサークル旅行をきっかけに、見知らぬ土地へ遠出することも大好きになった。
好きな人や好きなことが増えた今だからこそ、こうして笑える。
痛みはまだ依然としてあるけど、それ以外のものもある。失った人は戻らないけど、今ここにも大事な人がいて、一緒に笑ってくれる。
私の、私と雪の居場所が確かにある。
今ここにある幸福を噛み締めていると――
「ねえ、椿ちゃん。歌、歌ってくれない?」




