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スノーカメリア  作者: 古浜夕
志賀良治
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26/38

メリット

「でも?」

「喜代さんはね、いいの、ずっと一緒にいてくれるから。でも、お母さんは……大好きなままいなくなられたら、悲しくなるに決まってるじゃん。私を愛してるなら、こんな思い、させないでほしかった」

 何と返せばいあのか、言葉を選んでいると、潤が線路を指差し、薄く笑った。

「あれ、良治くんが乗る電車じゃない?」

 ぷしゅうと音を立てて止まった電車を見て、潤が俺の背中を押す。

「ほら、急いで」

「うん、それじゃあまた、連絡する」

 慌てて改札を通り抜け、電車に駆け込む。

 窓から覗くと改札の外にはまだ潤がいて、こちらをじっと見つめている。

 気づくかな、と思いながら手を上げると、潤はにっこり笑って手を振ってくれた。

 いつか、そう、いつか……同じ駅で降りて同じ家に帰れるような関係になりたい。

 遠くなる愛しい人を眺めながら、心からそう願った。


 付き合った時にした「潤の家に行く」という約束はすでに何度も果たしていたけど、「潤を家に連れていく」という約束はなかなか果たせなかった。

 好意的だった潤の母親とは違って俺の父は潤を歓迎しないだろう、というのは、俺側の事情だけど……そもそも潤が乗り気ではなかったというのもある。

 俺はむしろ、早く家に招きたくて仕方がなかった。たとえ反対されたとしても、前に進みたいなら、踏み出すしかない。

 父に紹介して、潤を受け入れてもらう。もしかすると潤には居心地の悪い思いをさせるかもしれないが、俺が絶対に守ってみせる。昔から、やると決めたことは成し遂げたという自負があった。潤と結婚する、俺はそう決めていた。

 まあ、潤が気乗りしない理由もわからないではない。

 まず、距離が遠い。

 俺の実家は九州にあって、飛行機利用がマストだ。費用もかさむし、何だか畏まった感じがするし、すぐに結婚とかならともかく俺たちは学生同士なわけで、恋人の親に会いに行くなんて面倒だろう。

 わかっていたから、無理に連れていくことはしなかった。

 だけどそのまま時が経ち……就職が決まった。社会人になり、自分で稼げるようになったら、結婚できる。そしていよいよ卒業が見えてきたある日、俺は一歩を踏み出すことを決めた。

 それは俺の誕生日――

「良治くん、誕生日おめでとう!」

 家に来ていた潤がそう言って、ラッピングされた小箱を渡される。「開けていい?」と確認を取ってから中を見ると、品のいい革製の名刺入れが入っていた。

「社会人になっても使ってもらえるように、ビジネスグッズを選びました」

「ありがとう。ずっと……一生大事にする」

「いやいや、ボロボロになったら買い替えてくれていいからね」

「ボロボロになっても使う」

 断言した後、俺は用意していた封筒を潤に手渡した。「開けてみて」と促すと、潤は慎重に封筒の端を破り――

「飛行機のチケット? 何で?」

「俺の実家に一緒に行って、親に会ってくれない? もちろん目的はそれじゃなくてもいい。普通に旅行しながら、一日だけ家に寄ってくれたら嬉しいなあ、なんて思ったんだけど……」

「えっと、あの……」

 潤は戸惑った様子で、ぎゅっとチケットを握りしめている。

「費用は全部俺が出すよ。ホテルを取るから、実家には一日も泊まらなくていい。歓迎ってムードじゃないかもしれないけど……三十分、いや十分だけでもいいんだ。父に会ってほしい。俺、これからも潤と一緒にいたいんだよ。卒業したら……結婚したいって、思ってる」

 話してはいないけど、就職先もそれを前提に選んだ。

 転勤があまりなくて、福利厚生がしっかりしていて、それでいて、父にも認められる大きな企業。潤はまだ就職先が決まっていないみたいだけど、どんなことになっても支障はないはずだ。だから、後は潤の気持ちだけ。

 黙ったままの潤の手を取り、ぎゅっと握る。

「お願いします」

 縋るように口にすると、潤は少しだけ考える素振りを見せ、やがて覚悟を決めたように深く頷いた。

「正直、結婚とかはまだ、考えられない。だけど、会うよ。良治くんと一緒に、お父さんに会いに行く」

 緊張しているのか、ぎこちない笑顔を作った潤の手を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。

「ありがとう」

 耳元で囁くと、細い肩が微かに震えた。


 実家行きが決まって初めにしたことは、父への了承を取り付けることだ。

 長年の努力の甲斐あって、最近は面会を断られることはほとんどなくなった。ただ忙しい人ではあるから、事前にアポイントを取っておかなければならない。

 恋人を連れて行くと告げたら、父はどんな態度を取るだろう?

 緊張しながら電話を掛けると秘書の女性が出て、父に繋いでくれた。

「もしもし、良治です」

「何か用があるのか?」

「はい……来月、家に帰りたいと思っているんです。その時に、お時間いただけませんか?」

「十分程度ならな」

 俺は大学在学中も定期的に実家に戻り、そのたびに面会を希望してきた。会って話すこと、それが愛情を産むために必要なことだと思っていたからだ。とにかく、ここまではいつもの流れで、本題はここからだ。

「ありがとうございます。……その際恋人を連れていきたいんですが、構いませんか?」

「……なぜ連れてくる」

「認めてほしいからです。結婚を考えている相手です」

 電話越しに、はあ、と大きなため息が聞こえる。

「お前の色恋に口を挟むつもりはない。男が女に惚れるのは自然なことだ。自分ではコントロールできるものではないし、利益のない相手に執心するのもよくある話だ。……だが、結婚は別だ」

 父も恋多き男だった――実際は女癖が悪いという噂だったけど――と聞いている。

 色々な恋を経験したのだろうけれど、結婚したのは名家の娘だった。

「俺は、愛した人と結婚したいのです」

「俺に利のある人間なのか?」

「会ってもらわないとわかりません。ただ、素敵な人です」

「答えになっていない」

「……お願いします。恩の一つとして、俺に与えてください」

「いずれはその恩を返す、ということか?」

「はい。必ず」

 断言すると、父は「期待はするな」と付け加え、電話を切った。

 父が潤をどう思うかはわからない。世界一魅力的で、だけど単なる一市民の彼女に興味は示さないかもしれない。

 でも結局、俺の問題だと思うのだ。彼女が傍にいることで俺がより多くの恩を返せると、それをわからせることができたなら、父は彼女を認めざるを得ない。

 大丈夫、そう自分に言い聞かせる。

 今までもやると決めたことは、自分の努力でどうにかしてきた。

 だから、大丈夫。

 ――何度言い聞かせても安心できなかったのは、もしかすると、何かの予兆だったのかもしれない。


 旅行の日程は三泊四日。

 最初の三日で観光をして、ラスト一日に実家に立ち寄る。

 俺の実家では、潤に気まずい思いをさせてしまう可能性がある。だけどその分、他の時間はとことん楽しんでほしい。そんなことを思いながらプランを練った甲斐あって、実家に行くまでずっと、潤ははしゃいでいた。――はしゃぎすぎていたと言ってもいい。

「ねえ、良治くん。あそこに行ってみようよ!」

「これ、買っちゃおう。旅の思い出だし、散在します!」

「あれ食べたい! ほらほら、売り切れる前にダッシュだよ」

「ハイチーズ! ふふっ、変顔の写真」

 普段落ち着いている潤のテンションがやけに高い理由は、純粋に旅行を楽しんでくれている、ということに加えて、不安だったからだと思う。何というか、楽しむことに集中して、余計なことを考えずにいるような雰囲気があった。

 気まずい思いをするかもしれない、ということは、事前に潤に話してある。十分程度の面会になること、絶対に俺が守るということも。潤は「わかった」とそれだけしか言わなかったけど、内心では不安だったのだろう。

 その不安があらわになったのは、俺の家に行く前日の夜のことだった。

 一日中遊び歩いた後、お風呂に入り、もう寝るだけという時間、バイト代をつぎ込んだ少しいいホテルのふかふかのベッドに転がり、潤が俺をじっと見た。

「良治くんって、お父さんを愛してる?」

 突然の質問に目を見開くと、潤が慌てたように意図を説明する。

「ほら、血が繋がってないって言ってたでしょ? うちも同じなんだけど、うちとは違う感じだし……えっと、とにかくどんなお父さんなのかなって」

 視線を合わせずに言う潤は、緊張しているようだった。

 潤から父について聞かれたのは、実はこれが初めてだ。

 確かに俺は父についてそれほど詳しく話していなかったし、会う前にちゃんと知っておきたいだろう。今まで聞かれなかったのが不思議なくらいだ。俺だって潤の家に行くことが決まった時は、喜代さんについて散々リサーチした。

「正直、怖い人だと思う。何というか……自分の望みのために何でもするようなところがあるから。だけど、それで事業を成功させてるんだ。尊敬できる面もあるよ。で、俺の、父への気持ちは……」

 愛したい。

 そして、愛されたい。

 そう思って、長い間、父に向き合ってきた。

 期待に応えたくて努力を重ねたし、ともに過ごす時間を大事に思っていた。

 自分の感情はまだはっきりとはわからない。

 俺は元々繊細なたちではない、どころかかなり鈍い。それに父に対してはあらゆる思いが複雑に絡まっている。

 だけど、きっと――

「愛してるよ。血は繋がってないけど、家族としての愛情がちゃんとある」

 微笑んでそう言うと、潤は張り詰めていたものが切れたように、呆けた顔になった。

「……」

「潤?」

「……ああ、うん、ごめん……」

 力なくそう言ってから、のろのろと布団の中に潜り込む。

「疲れちゃったのと、緊張したので、頭がぼーっとする……もう寝るね」

「うん、お休み」

 唯一布団から出ている頭のてっぺんをそっと撫でる。

 指触りの良い髪の毛は、まだ少しだけ湿っていた。


 自宅に帰るなり、荷物を預けてそのまま父の部屋に向かう。

「大丈夫だよ」

 隣を歩く潤は見るからに緊張していて、俺は手を握った。

 はっとしたように潤がこちらを見たのは、俺の手が汗で濡れていたからだろう。

 気持ち悪かったかな? いや、余計に緊張させたかも。

 もしかすると、俺は潤以上に緊張しているのかもしれない。

 父がどんな態度を取るのか、どんな言葉を口にするのか、散々シミュレーションしてきた。いくら父とはいえ潤を傷つけるような言動は許さない。だけど恩ある父に反抗はできないし、どうにかして認めてほしかった。

 心に渦巻く思いを息と一緒に吐き出して、俺は父の部屋をノックする。

「良治です。いいですか?」

「入れ」

 扉を開けると、厳めしい顔をしたいつもの父がいた。

 父さんは俺を、そして潤を見ると、少しだけ、本当に少しだけ目を見開く。

「お父さん、紹介します。こちらが恋人の、有佐潤さんです」

「有佐、潤です」

 ぺこりと頭を下げる潤を、父はただじっと見つめていた。

 想像していたどの反応とも違う。

 どうすべきかわからず様子を窺っていると、父は口元に笑みを浮かべた。

「潤さん、か……愚息がいつも世話になっているね」

 え。

 一瞬、頭が真っ白になった。

 内心でどう思っているか知らないが、随分友好的な物言いだ。

 父はこんな風に気を使える人だったっけ?

「い、いえ……こちらこそ、良治くんにはお世話になっています」

「君は良治と同い年だったか?」

「はい」

「そうか」

 言葉少なにそう言って、小さく頷く父は初めて見る顔をしている。

 目は柔らかく細められ、眉は弧を描き、口角は引き上げられ……邪気のない顔で、笑っていた。

「長旅で疲れただろう? 今日は泊まっていったらどうだ?」

「帰りの飛行機のチケットはもう取ってあるんです」

「ここまで来てくれたんだ。私が全て負担するよ」

「すみません、明日は用事があって……」

「それではせめて、夕飯を一緒に食べよう」

 父は俺を存在を忘れたように、ただ潤だけを見つめていた。

 良かった、のだろうか?

 頭に浮かんだ疑問をかき消して、肯定する。

良かったに決まっている。

 せっかく来てくれた恋人が両親から冷遇される、想像していた悲惨な事態と比べれば上出来だ。

 父の印象が事前にしていた俺の説明と違ったからか、潤は終始戸惑った様子だったけど、冷たくあしらわれ落ち込んでいるよりマシだろう。

 その後、父は自ら夕食の手配をし、豪華なフレンチをご馳走してくれた。

 終始和やかな雰囲気で、父はずっと笑顔だった。幼い頃からずっと、俺が求めていた父の姿がそこにあった。

 食後、タクシーで空港に向かい、飛行機で九州を発った。

 潤を家まで送って自分も帰宅すると、ちょうどのタイミングで電話が掛かってくる。

 電話に出ると、父は機嫌がいい声でこう言った。

「潤さんは我が家に相応しい女性だ。卒業後、いや今すぐにでもいい。結婚しろ」


   *


 パチパチパチ。

 拍手の音が響いて、夢から覚めた心地になる。 

 不思議そうにこちらを見つめるのは、潤――ではなく、彼女によく似た彼女の息子、雪くんで、先ほどまで聞こえていた歌も、潤のものではなく、彼女の才能を受け継いだ彼女の娘、椿ちゃんの歌だ。

 俺はもう、明日を夢見ていた大学生ではなく、仕事に疲れた立派なおじさんで、父も、そして潤ももういない。あの頃とは全てが変わってしまった。――そう、変わってしまった今、冷静な気持ちで過去を見つめたからこそ、わかったことがある。

 潤と会った時の、父の態度はやはり、おかしい。


 ――潤さん、か……愚息がいつも世話になっているね。


 息子の恋人に向けた言葉として、おかしいものではないと思う。

 だけどそれは、父が真っ当な人間であるならば、だ。

 父は幼かった俺を気遣うこともなく、冷たい態度で自分の要望を突き付けてきた男だ。「期待するな」と電話口で告げた時の嘲るような声を思い出しても、相手が年若い女性だからといって、配慮するような思いやりは持ち合わせていないだろう。

 そもそも父は潤を本気で気に入っていたようでもある。しかし、潤に、父に気に入られる要素はないのだ。

 少なくとも、父が気にしていた「メリット」はない。

 だとしたら、父は――

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