二度と会えなくても
「うん、さっき発掘したんだ。見てみて」
促されて、メロディラインの下に書かれた歌詞を読み上げた。
「私の宝物は二つ。我欲が強い私に、自分自身より愛しい存在ができるなんてね。可愛い可愛い宝物、永遠に輝いていて。私がいなくても、ずっとずっと光っていて。最高に幸せな運命をその手に掴んで。永遠に愛してる。その証にユキツバキの花を贈ろう」
ああこれは、椿と僕の歌だ。
『……早く歌いたいな』
椿がぽつりと呟いて、僕は小さく頷く。
「聞かせて、椿。志賀さんも聞きたいですよね、椿の歌声、母にそっくりなんです」
「それは……楽しみだな」
「早く戻ってきてね、雪。それから志賀さんも……歌、聞いてくださいね。私、一生懸命歌いますから」
電話を終えた後、僕と志賀さんは楽譜を持って別荘を出た。
静かで穏やかな夜の海を眺めながらのドライブを楽しんで、家に戻った時にはもう〇時を回っていた。椿を起こさないようにこっそり部屋に戻ったけど、やっぱり起きてしまった椿が部屋にやってきて、ぎゅっとハグして仲直りをした。
そして数日後――
僕は椿と一緒に、授業終わりにサークル部屋を訪れていた。
「長崎先輩、前に教えてもらったあのレシピ、作ってみたんですけど……なんかやっぱり、先輩が作ったの方が美味しい気がするんですよ。僕のは歯ごたえが残らないというか、べちょっとしているというか……」
「ああ、たぶん調味料を入れるタイミングが早すぎるんだよ。煮ちゃったらだめなの、たれを絡ませるくらいでいいの」
「なるほど。今日はそれで再チャレンジしてみます」
「うん、頑張ってね。今日って誰だかをおもてなしするんでしょ?」
「はい、パーティーです! 私が歌って、雪が料理を作るんですよ」
「いいね、次の機会には俺も誘ってほしいな」
「私も、お好み焼きならいくらでも焼くからね!」
「「了解でーす! それじゃあ今日は失礼します」」
「はいはーい、また明日!」
先輩たちとの会話を楽しんだ後、いつもより早めに部屋を出て、椿と並んで廊下を歩く。
「……もう怖くはない?」
サークル棟を出たタイミングで、椿は僕の顔を覗き込むと、内緒話のような囁き声でそう尋ねた。
「全く怖くないって言ったら嘘になるけど……」
母さんの一件でのトラウマはなくなったけど、長年抱いてきたものはそう簡単に消えてはくれない。だけど、今はこう思う。
「好きになるのを諦めるのはやめたんだ。お母さんは僕たちに幸せになってほしいって思ってた。それに、僕自身が幸せになりたいって、ちゃんと思える。幸せになるためには、好きなものをたくさん作って、楽しまなきゃいけないでしょ? サークルはその第一歩、僕、先輩たちのことが好きだし、一緒にいると楽しいし」
小さく笑うと、椿は満面の笑みを返してくれた。
「雪……一緒に幸せになろうね」
「双子のお願い?」
「そう、どれだけ『好き』が増えても特別な、双子からのお願い」
――他にも好きな人ができたら、きっとわかるから。誰を好きになっても、双子の好きは特別なんだって。私たちには他の誰とも比べようがない、とびきりの絆があるんだって。
少し前に椿から言われた言葉を思い出す。
ああ、確かに今なら、椿以外も好きだと言えるようになった今ならわかる。
椿は僕にとって、永遠に特別だ。
「うん。椿に好きな人ができても、その人と恋人になったり結婚したりしても、僕はずっと椿の特別でいられる。そう信じてるよ」
しみじみと呟くと、椿はきょとんとした顔になる。
「……私、好きな人いたっけ?」
「あれ、いなかったっけ?」
そう返してから、思わず首を傾げる。
いる気がしたんだけど……どうしてだろう?
何でそう思うのか、全くわからない。
「んー、どうだろう?」
「僕もわかんない。……まあ、でもいいじゃん、仮の話でも。どんなに親密な相手ができても、僕たちは特別のまま、そうでしょ?」
「そうだね。雪の言う通り!」
雪は晴れやかな笑顔で言うと、僕の手を握ってぶんぶんと振った。
*
椿曰くパーティー、志賀さんと椿の初顔合わせ会は、椿が歌を披露し、僕が作った食事を振舞うという流れで開催された。ちなみに場所は僕たちの家だ。
「っ、本当にありがとう」
僕が作った九州料理を食べながら、志賀さんは瞳を潤ませそう言った。
喜んでくれるとは思ったけど、ここまでとは。
「君たちに出会えただけで幸せなのに、こんな風に親しくしてもらえるなんて……この年になってこんな幸運が訪れるとは思わなかった。なんていうか、運命だなあ」
涙を拭って嬉しそうに目を細める志賀さんを見て、椿は楽しそうに微笑む。
紹介してすぐは複雑すぎる関係に戸惑っていた椿だけど、屈託のない態度の志賀さんと話すうちに打ち解けたようだ。
「ロマンチストですね、志賀さん。雪と同じだ」
「いや、僕なんて比べ物にならないくらいのロマンチストだから。母さんとの思い出話を聞いてみなよ、耐えられないよ」
車内で身悶えしそうになったドライブのことを思い出し口にすると、志賀さんが乾いた声で笑う。
「……やっぱり、耐えられないって思ってたのか。だけどね、あれは嘘偽りない事実だから。潤と出会ったのも、君たちと出会ったのも、僕にとっては運命だよ」
運命、か。
「はあ、思い切って雪くんに話しかけて良かった」
心底ほっとしたような顔で言う志賀さんをじっと見つめて、僕は頭を下げる。
「志賀さん、本当にありがとうございました」
「え、何へのお礼?」
「今までの全部です。話しかけてくれたことも、食事に誘ってくれたことも、別荘に付き添ってくれたことも、今ここにいてくれることも。――それから、『運命』を肯定的に受け入れることを、教えてくれたことにも」
「……運命を?」
隣で椿が口にして、僕は小さく頷く。
「運命っていうのがすでに決まってる事実だとして……僕は今まで『運命だから仕方ない』って思うために、その言葉を使ってきたんです。母さんが僕を嫌う理由を考えたくなかったから。だけど、志賀さんは起こった事実を運命として受け入れながら、自分の幸せに向き合っていました」
母さんと出会って、理不尽に振られて、志賀さんは悲しんだり怒ったりすることだってできたはずだ。僕みたいに運命だからと悲観的になることも、もちろんできた。
だけど、志賀さんは出会えて良かったと笑っている。
そして僕たちを恨まず、受け入れてくれた。
僕たちに出会ったのが運命だったとして……僕たちを恨んで嫌悪するか、受け入れて食事する仲になるかは、決まっていなかったはずだ。
僕たちと良好な関係を築くことを、志賀さんは自分で選んで、自分で決めたのだ。
「事実は事実で、奇跡が起こらない限り、変えることなんてできない。でもそれに向き合う自分の心は自分で決められる。志賀さんがそれを教えてくれなかったら、僕は母さんの真意にも気づけなかったと……気づこうとすらしなかったと思うんです」
淡々と語る僕を、志賀さんも椿も、黙って見つめている。
「だから、今この瞬間の幸せも……幸せでいたいって思う僕がいるのも、志賀さんのおかげなんです。志賀さんは、僕の恩人です。ありがとうございます」
もう一度、さっきより深く頭を下げると、隣の椿も僕と同じように会釈した。
「雪の恩人なら、私の恩人でもあります。ありがとうございます!」
「ちょっと、頭を上げてよ。嬉しいけど、恩は返さなくてもいいって思いながら売る主義だ。それに……俺は君たちのおかげで今、幸せなんだから」
「それはそれとして、今日は志賀さんに感謝を伝えようと思って用意した場なので……要望があれば何でも言ってくださいね」
頭を上げるのと同時にそう言うと、志賀さんは躊躇いがちに口を開く。
「じゃあ、この小鉢、お代わりもらってもいいかな? 故郷でよく食べてた味に似てる。しばらく帰ってないから懐かしくて……」
「了解です! お腹がはちきれるまで食べてください」
キッチンまで歩いて山盛りのおかずをよそいながら話しかけると、椿が目を輝かせた。
「志賀さん、私には? 私には何かないですか?」
「えっと、じゃあ……もう一回、歌ってくれる? 椿ちゃんの歌、すごく良かった。なんて言うか、今わの際に聞きたいくらい。きっと幸せに死ねる」
「ふふ、大げさですよ。でも、喜んで!」
小さく深呼吸した椿はぺこりとお辞儀をすると、ゆっくりと歌い始める。
「会う時はいつも、気合を入れてオシャレしてたね。しっかりお店を下調べして、いかにも恋愛に慣れたふりしてさ。だけど、知ってたよ。一人の時のあなたはジャージに眼鏡の気の抜けた格好で、人前で大あくびするような人だって。でも、いつだって前を向くあなたの瞳は、どんな格好をしてても変わらない。どんなに絶望的な状況でも、あなたが隣で、その屈託ない顔で笑ってくれたなら、何でもできるような気がするの。そんな人、もう出会えない。恋が終わってしまっても、二度と会えなくても、あなたはきっと私の運命の人」
楽しげに歌う椿の姿はやっぱり母にそっくりだ。
志賀さんはそっと瞼を閉じた。
その目尻から、やがて透明な涙が流れ始めるのを、椿は穏やかな表情で見つめている。
透明な声で奏でられる美しい旋律を聞きながら、僕はかつて家族で過ごしたひと時と同じくらいの、どうしようもないほどの幸せを感じていた。




