贄
「ねぇ、ねぇ。一体どこいいくの?」
息を切らせながら、明が問いかける。
「この村じゃなかったらどこだっていい」
折原は額の汗を拭いながら、ひたすらに山をかけていた。靴も履かずに出てきたものだから、二人のきた道には血が点々と滲んでいた。これを辿られればすぐに捕まってしまう。痕跡を隠しながらこの場をさるなんて芸当、地の利もなければ、学もない二人には土台無理な話だった。ならば、二人が取るべき行動は、ことが表沙汰になる前に、ただひたすに一歩でも遠くへ逃れること。それだけだった。
ただひたすらに山の奥深くへと二人は迷い込んでいった。
空が白み始めた頃、二人はようやく、山を越えた。目の前には大きな吊り橋が掛かっている。
「きっと、ここを越えたら村境だ。さぁ、行こう」
安堵の表情を浮かべた折原とは違い、明の顔が青ざめる。明がゆっくりと指差した先には一人の村人がいた。
「お母さん……」
明が久方ぶりに発した音は乾いた喉に張り付くような掠れ声だった。
朋枝は虚な目で二人を見つめていた。
「頼む……見逃してくれ。あんた明の母親だろ」
周りに朋枝以外の誰もいないことを確認してから、折原は声を顰めた。その手にはひっそりと短刀が握られている。自分たちに不利になるようであれば、命を奪うことも厭わない。そんな狂った覚悟が折原にはあった。
朋枝は、ゆっくりと明に近づくと、そっとその体を抱きしめた。
「…お母さん」
明はその抱擁を返す。初めて感じる母のぬくもりにその頬には涙伝った。
「義母さん。もしよければ……貴方も一緒に」
逃げましょう。そう言い終わる前に、朋枝は明を離した。
「お母さん……?」
その時の光景を、明も折原もどちらも理解できなかった。
明の胸からは赤い液体が滲みしだしていた。呆然と立ちすくんでいる朋枝の手には日本刀が握られていた。
「明!!」
倒れ込む明をすかさず折原が支える。
必死で傷口を抑えるが、出血は止まらなかった。
「なんで……なんで実の娘に……こんなこと……」
叫ぶ折原の方をじっと見て、朋枝はただ佇んでいた。彼女に掴みかかろうとする折原の服の裾を息も絶え絶えに、明が掴んでとめた。
「待って、待って……」
「明……!?」
「しかたないの……しかたないの」
「何がしかたないんだ!」
「……私が、なんで、この地獄から逃げ出さなかったか分かる?」
「それは……閉じ込められて……」
「ちがう。ちがうのよ……。私は罪を犯したの。全てはその償い……私ね、殺したんだ。自分の父親を」
「え……?」
「この村に来た最初の夜。私はまだ屋敷の寝所で寝ていたの。そこに来たのは……日向晶だった。私と、朝子ちゃんのお父さん……、お父さんは、私を逃がそうとしていたのに、私は、彼に襲われるってそう勘違いして、無我夢中で…… 部屋に飾ってあった日本刀で、彼を刺し殺してしまった……あの土蔵には私が望んでいたの……罪を償うために……」
明は、私の父を殺した。知っていた。皆隠しはしなかった。だから皆、罪の意識なく、それを言い訳に明を虐げ続けた。でもどうせ、そうなるように朧が仕組んだのだ。なにもかもアイツの手のひらの上。反吐が出る。
「そうだとしても……」
明はそっと、手を伸ばすと折原の頬を伝う涙を拭った。
「愛してる人を殺されたら、私もきっと許さない。その相手が、実の娘だとしてもね」
「ああ、そんな、そんなこと……」
「でもよかった。貴方の胸で死ねるなら、私の人生も悪いものじゃなかった……」
にこりと笑って、彼女の手はだらりと地に落ちた。
その瞳からすっと光が消えて行く。
「あ、明?明……!!?」
生き絶えた彼女を抱きしめて、折原は声をあげて泣いた。それは獣の唸り声ように山々に響き渡っていたった。
それを見つめていた朋枝が、ふとその場に座り込み、折原の顔を覗き込んだ。
朋枝は手を伸ばすと、そっと明の開いたままの瞳を閉じた。
怒りに歯を食い縛る折原に彼女はなにやら囁くと、日本刀を渡した。
折原ははっとした顔をすると、震える手でそれを受け取った。
折原は明を寝かせると、座り込んだままの朋枝に向かって振り下ろした。
血があたりに吹き出し、朋枝はその場に倒れ込んだ。
折原は、日本刀を握りしめたまま、歩み出した。
折原の慟哭を聞きつけて、村人たちはやってきた。
さながらそれは修羅だった。
向かってくる村人たちを、折原は次から次へと殺して行った。刃がこぼれれば、村人たちの武器を奪い、殺し続けていく。
村の中心まで戻ると、家屋の中まで入り込み、隅で怯える女や幼子まで平等に手をかけた。
ひとしきり村人を手にかけた後、折原は明の元に戻ってきた。すっかり冷たくなった彼女を抱き抱え、再び、村まで戻ってきた。
神楽に彼女を寝かせて、折原は深々と頭を下げる。
「なぁ、神様。もしもお前が本当にいるなら、どうか明を生き返らせてくれないか。十分すぎるほどにお前の好きな死は奉納しただろう?だから……どうか」
死の奉納。冗談みたいなことを彼は本気でなそうとしていた。そんなこと叶うわけもないのに。
「ああ、なんてこと」
神楽に向かってよろよろと歩み寄るのは、すっかりとやつれた朧だった。
「なんてことしたの……あなたは!!」
叫ぶ朧の顔を一瞥し、折原は笑った。
「神様に、生贄を捧げたんだ。ここの村の神様は死を司ってるんだろう。だから死を奉納すれば、明を生き返らせてくれると、そう明の母親が教えてくれたんだ。これだけ捧げたんだ。一人くらい助けてくれるんじゃないか?」
「ああ!やられた!!違う!ああ、なんてことを本当に!!私たちは守ってきたんだ。札神様が、村の外に出ないように……ずっと、ずっと守ってきたのに……これじゃぁ……もう……」
折原は立ち上がると、金切声をあげる朧に向かって血塗れの手斧を投げた。手斧は彼女の脳天に刺さり、見開いた目のまま、朧はその場で絶命した。
「どうか、どうかお願いします。神様……」
折原は願っていた。叶わない願いをずっと。ずっと……。




