一線
月が傾き始めた頃。乱れた服を整えて折原は息をついた。
もう一度、明に口付けをすると、彼女は紅潮した頬で小さくはにかんだ。
「さぁ、行こう」
折原に手を引かれ、彼女は立ち上がる。
そしてそのまま二人は私の前まで歩み寄った。
「朝子ちゃんを連れて行こう。約束なんだ」
「そうなのね。私の妹……」
「3人で一緒に暮らそう。明の、妹なら。俺の妹だ」
笑い合う二人に反吐が出た。一線を超えてもなお、偽物の兄妹を演じて、なおかつ私を体裁の良いような言い方で巻き込む……なんて気持ちの悪い二人だろう。
一緒に暮らす?利用するだけ、利用したら。私の方から捨ててやる。だから早く、早く東京に連れて行って。
その時、戸口の方でガタリと音がした。
「お兄ちゃん。隠れて!」
折原は素早く祭壇の後ろへと身を隠す。
現れたのは従兄だった。酒の匂いをぷんぷんとさせ、赤ら顔で立ち含む明を見つめている。
「どうも、月見山のお嬢ちゃん」
明はあからさまに顔をこわばらせて、一歩後ずさる。
「何のようですか……。ここは神聖な場所ですよ。部外者が立ち寄って良い場所ではございません」
「ああ、そうかもしれないが。お前はそんな、綺麗なもんじゃないだろう」
従兄は振りかぶると、明の襟首を掴んで床に叩きつけた。
明は息と唾を吐き出して、大きく咳き込む。従兄は構わずに明の着物を引っ剥がす。
「ほら。汚ねえ」
「あんたがつけたのよ……」
「そうだ。お前に似合う体にしてやったんだ」
その体に従兄が手を伸ばした瞬間。彼の体は後方へと吹っ飛んだ。
「貴様!」
折原が彼を突き飛ばし、明を抱き起こす。
「大丈夫か」
「うん……」
従兄は立ち上がるとギラギラした目で二人を睨みつけた。
「何度も何度もこの俺に……殺してやる」
まさに一触即発。いつでも掴みかかってきそうな従兄の肩を、ポンと叩く人がいた。
「およしなさいよ。月見里のボンクラが」
凛とした、それでいてしわがれた声。私の大嫌いな月見里朧の声だった。
「お婆様……」
「血は争えないねぇ。あんたも、母親とおんなじか。駆け落ちとは笑えるね」
「何が笑えるだ!明をこんな目に合わせておいて……」
吠える折原を、苦虫を潰したような目で、朧を眺めた。
「逃げられやしないさ。あんたらの考えていることなんて、お見通し。なんせ、前例があるからね。……もうこの山一体は、あんたらに怒り心頭の村人たちで囲まれている。今逃げ出しても……ねぇ?」
朧の遥か後方に、赤が光っている。松明だ。しかも無数の。彼女の言っていることははったりなんかじゃない。このまま逃げ出せば、ただでは済まないだろう。折原は必ず殺される。明を殺しはしないだろうが、今よりももっと悲惨な生活が待っているであろうことは想像に難くない。
口を紡ぐ二人に、朧は大きなため息をつく。
「それで取引だ」
朧はそう言って笑うと、右手を素早く上から下へと動かした。
「へ」
そう。たった一文字漏らしたのは従兄であった。首から真っ赤な血飛沫を弾かせ、信じられないものを見るかのように朧を見つめている。
朧の手のひらには、小さな懐刀が握られていた。
「ババア……お前……」
従兄は首を抑える。そんな行為も虚しく、とめどなく血は当たりを染めていった。
ふらりふらりと、まるで本能のように、従兄は朧に手を伸ばす。朧は懐刀を再度構える。従兄はまるで、吸い込まれるようにそれに向かって倒れ込んだ。「あがっ」という潰れたカエルのような声が響いたかと思うと、またよたよたと誰かに助けを求めるかのように戸口に向かい、一歩外に出たところで絶命した。
「はぁ、めんどくさい」
朧は真っ赤になった懐刀を捨てると、まるで埃でも払うかのように二、三度手をうった。彼女はその光景にガタガタと震えている明と折原の方に振り返るとゆっくりと歩み寄った。
「これが殺人よ。初めて見たかしら……古より札神村が外に漏れぬよう守ってきたもの。貴方はこれを継ぐのよ」
「嫌よ、そんなことしたくない……!」
「ならば、子供を産めばいいわ。後継さえこさえれば、貴方がどこへ行こうと咎めはしない。もちろん、そこの男と知らぬところで世帯をもってもらったって構わない」
「そんなこと!させるものか……!」
震えた体で、それでも朧に向かって睨みをきかせる折原に、朧は再度ため息をついた。
「だから。これは提案よ。あのね。大切なのは月見里の……明の血なのよ。つまり、種はどうでもいいの。貴方さえよければ、月見里に婿に来ればいい。子供さえこさえてもらえば、あとはどこにでも行けばいい。簡単なことでしょ?」
思ってもいないような言葉に、耳を疑った。
何よそれ。それじゃあ、私との約束はどうなるの……。私を東京に連れていってくれるんじゃないの?
折原と明は互いに指示を仰ぐように見つめ合う。
「ここにいる間は何不自由ない暮らしを約束するわ。村人も私の責任で黙らせましょう。悪い提案ではないでしょう?どうせ東京でだってろくな暮らししてないでしょう。なにもずっとここにいろなんていってないわ。子供をこさえるまでよ。それが終わったらたんまりと手切金渡して返してあげる。もちろん、ずっとここにいたいってならいればいいわ」
しばらくの沈黙のあと、折原はゆらりと立ち上がった。
「それもいいかもな……」
「そうでしょうとも。そうしなさいな」
少しホッときたように、朧の瞳に安堵の色が見えた。そのすきを、彼は見逃さなかった。
折原は明から離れると、床に転がっていた懐刀を拾いあげ、朧に向かって振り下ろした。
からくも、朧は避けるが、肩口にそれは深く突き刺さる。
朧はそのままバランスを崩し、床に倒れ込む。
「いまだ、明!」
折原は明の手を取ると、私を置いてやしろを飛び出した。
「待てこの……!」
朧は手を伸ばすが、当然そんのものは届きはしない。折原は素早く戸を閉めると、従兄の死体をその戸にかけてから宵闇に消えていった。
よろよろと立ち上がり、おぼつかない足取りで戸にかけるが、従兄が塞いで、戸が開くことはない。力を込めれば、開かない扉ではないだろうが、今の朧は致命傷でこそないが、すぐに手当が必要な部類の怪我を負わされている。松明までの距離もあるから、助けを呼んだところで、その声が届くかどうか。村人たちに折原たちの脱走が伝わるのはまだ数刻先だろう。それまでに二人が村の外へと出られるか見つかるかは五分だろう。
しかし意外だった。あの時折原は確かな殺意をもって朧に小刀を振り下ろしていた。
いやしかし、もともと兄妹の一線を越えるなんて、倫理に外れたことをしでかした後なのだ。この狂気の村で、人殺しの一線を越えるなんてことは、彼にとっては容易かったのだろう。致命傷には一歩足りなかったようだが……。それでも死体を戸に立てかけるなんて頭が回るのだ。越えたのは倫理だけで、理性がは残ってるなんて狂気の沙汰じゃないな。
しかし、まぁ、そんなことより私を置いていくなんて。
本当にひどい話だ。
久々すぎてもはや色々忘れてますし、適当ですがなんとか完走目指してます。細々と頑張ります。




