殺意
もう何度目かの新月の夜。
着慣れてしまった白い装束に袖を通す。
「とても別嬪さんだよ」
祖母のお決まりのセリフ。お決まりのニヤケ顔。まぁ少し。その額に刻まれた皺が深くなった。そっと手を伸ばし、その皺をなぞる。
祖母は私の手をのけると「どうしたの?」と不思議そうに、でもどこかおかしそうに笑っていた。
昔は好きだった祖母。今は私はこの人をどう思っているのかわからない。嫌いなのだろうか。好きではないのだろうか。ただ、もうこの晩以降。この人と会うことはないと思うと寂しい気持ちにはなった。
「なんでもない」
祖母に手を引かれ、舞台への道を歩く。大嫌いなこの村も、もう戻ってこないと思えば切ない感傷に浸れるのが不思議だった。
すでに昼のうちに、折原は社に待機している。彼の滞在している部屋には丸めた布団が掛け布団を被っている。体調不良で一日中伏せっているという設定だったが、そもそも今日は村祭りで忙しい。部屋の中まで確認にいく暇もないし、部外者の折原は祭りに参加はできない。祖父母たちにとっては都合良い話だ。故に掛け布団がめくられることはない。
あとは私が、明を下して。真夜中に社を抜け出せばいい話なのだ。
座敷牢で痩せ細った女など、簡単に殴り倒せることだろう。
神楽の舞台に出る。松明で虫の焼ける匂いが香ばしい。炎の向こう側には黒い影があった。
影はゆらりと揺れている。黒い装束を着て、顔を薄布で隠した明だった。こちらを見つめているようだった。
怪我でもしているのか、明はずるりと足を引きずりりながら近づいてくる。
私はそれをぼぅっと眺めていた。まだ開始の合図はなかったから。
ざわめていた会場がその様子に静まり返る。
うー。うー。と低い音が聞こえた。何かと耳を澄ますと、それは次第に大きくなる。
その音は声だった。
ゆらゆらと近づいてくる明は低い唸り声をあげている。
その異様さに呆気に取られていると、明は眼前まで迫っていた。
明の右手がゆっくりと上がり、振り下ろされる。顔の薄幕が捲りあがる。そこには、歯を剥き出しにし、目を見開いた明の顔があった。
殺される。脳天に向かって降りてくる木刀を咄嗟に後ろに飛び退いて避けた。振り下ろされた木刀の切先が神楽の舞台にささった。
一体どれだけの力で刺したのだろうか。これを明は私の脳天を狙ってやったのか。
冷や汗が背中を伝う。明は刺さった木刀を引き抜くと、ギラリとした目をこちらに向けた。
しんと鎮まっていた神楽に堰を切ったような太鼓が鳴り響く。噛みながら、早口ともとれる速度で、祝詞が唱えられた。
明に合わせるために遅れてきた開始の合図。
明は唸り声から一転、甲高い悲鳴のような奇声を上げると、神を振り乱しながら狂ったように木刀を振り回す。
息を整え、それをいなした。
私に向かってくる殺意が乗った剣戟。
でも、晴太のとは違う。あいつのは、もっと研ぎ澄まされていて、鋭かった。いなすだけで息が上がった。でも明のは違う。鈍く、一つ一つだって軽い。狂った獣のような危うさ。
だから、かわすことは容易であった。
一つ一ついなしていき、明の木刀を弾く。天に舞った木刀は神楽の外を出て、群衆の中へと落ちていった。
「やった。勝った!」
あとは、明を気絶させるだけ。
群衆から視線を戻した時。眼前には、明がいた。あっ、と思った時には遅かった。私は馬乗りにされ首を絞められていた。
明の白い肌に爪を立て、足をばたつかせ、身を捩り、握ってていた木刀で力の限り明の背を叩くが、その手をが緩むことはない。
視線を縦横無尽に動かして、木刀を握ってない方の手で助けを求めるが、誰も動こうとはしてくれない。みな、呆気に取られていたのだ。そしてそれでも動こうとしている誰かたちをあいつが止めていた。
「おぼ…ろ…」
手から木刀が溢れる。視界が狭まり、私は闇に落ちていった。




